真夜中の動物園

真冬の晴天のそらのした

きょうは若い親子とカップルが数組か…

柵の向こうからじっとわたしを観察している

わたしもいつものように彼らを観察している

当然どちらも微動だにしないので

しょうがないからといつものように

試しにあくびをしてみると

やはりそこで彼らは笑うのだ

それのなにがオカシイのか

だからよけいに憂鬱になる

来る日も来る日も

ふるさとにおいてきてしまった連れと

幼い子のことが気にかかって

そんなことを長い間想いあぐねるうち

気がつけばこんな年寄りになってしまって

ああ

どうしようもなく悲しいんだ

この動物園には

そんな仲間がおおぜいいて

真夜中になるとみんな嘆いてばかりだから

ため息やすすり泣きが

いっせいにこの寒空に立ちのぼり

そして天高く舞うんだよ

夜中だからって誰も寝ちゃいない

とりわけ晴れた日は太陽の光がまぶしくて

いまじゃみんなおひさまに迷惑していて

そうこうしてるうちに疲れ果て

月日は過ぎてゆき

あきらめそして死んでゆくんだ

なあ

もういい加減に

そっとしておいてくれないか

なあ

人間さまよ

ああ同窓会

小学校の同窓会に出席のため、

久しぶりに電車で地元へ帰る。

前回から確か約20年くらいの間隔が空いている。

皆の顔が認識できるか、

いや、そもそもこの私が認識してもらえるのか?

ちょっと心配だなぁ。

横浜郊外の廃れた駅に降りる。

ここはムカシから薄汚い街だけど、

私の青春の想い出がギッシリ詰まっている。

駅前は相変わらずゴチャゴチャしていて、

猥雑な感じはムカシと何ら変わらない。

真新しいビルを囲むように、

軒が壊れそうなほど古びた店がズラッと並ぶ。

友人数人と待ち合わせ、合流。

よう!と軽く挨拶を済ませ、目的の店へと向かう。

この連中とは年に数回は会っているので、

お互いに違和感はない。

目的の焼き鳥屋は、

ムカシ良く出入りしていたトンカツ屋の横にあった。

店構えは大きいが、一見して安っぽい造りと分かる。

この街にふさわしい。

2階へ上がると30人位が一同に介せる広さがある。

その方々のテーブルに見覚えのある顔が並ぶ。

しかし、やはり分からない顔がちらほら。

20年ほど会っていないのもいるし、

それこそ40年くらい会っていない顔もいるので、

ここは致し方ない。

「久しぶり!」

知った顔の肩を叩いて声をかけた。

「おっ、○○やっと顔出したな、元気か」

「まあ」

「これからはずっと出席しろよ。

みんないつも集まっているんだぜ」

「うん、そうらしいな」

しかしまわりを見渡すと、

やはりと言うべきか、(コイツ誰だっけ?)と

どうアタマを捻っても思い出せない顔がある。

ちょっと焦るがしかし、笑顔で通す。

そのうち分かるだろう…

どうやら向こうは私を知っているらしいのだが…

戸惑いのなかで飲み会がダラダラと進行する。

こうしてみんなまずムカシ話に華が咲き、

あれ(学生時代)からどうしていたとか、

年齢柄、定年、そして持病の話なんかになる。

同窓仲間の第一印象は

当然のことながら皆老けたな、である。

私もその一人であることを実感する。

いつの間にか、

遊び人グループが同じテーブルに集まるも、

これではイケナイという話になり、

みな再び別のテーブルへと散らばった。

こういうところがムカシと違うなと思う。

そつなくオトナになっている訳なのだ。

そして、そこかしこで

ムカシ泣かした奴と泣かされた奴が、

対等に酒を酌み交わしている風景が、

私にはなんとも新鮮な光景だった。

今日の出席率は低いらしい。

そこら辺の事情がチラホラと聞こえるも、

どうも親の介護が多いらしい。

そういう年だものな、

妙に納得できるものがある。

私は真向かいに座った吉田と話し込む。

吉田とは仲が良かったという訳ではないが、

まあ幾度か何かで絡んだ覚えはある。

なかなかのイケメンだった吉田も顔に疲れが見え、

頭髪は少なく、白髪である。

彼は去年サラリーマン人生を終え、

いまは週に数日、近所でアルバイトをしていると言う。

吉田情報によると、

毎日が暇という仲間がこの地元では結構いるらしく、

皆パチンコ屋でちょいちょい会っては、

集まっているらしい。

この会自体、かなりの頻度でやっていると聞いたので、

やはり地元組は何の緊張もない。

酒もかなりまわった頃、

ガキ時代に全く目立たなかったN君が、

やおらマイクを握って立ち上がり

「ええ」と赤い顔で話し始めた。

「そろそろ自己紹介でも始めませんかね」

そう促され、

席を立ち、一人ひとりが挨拶をすることとなった。

知らない顔の幾人かが自己紹介をする度、

私が忘れていた記憶が目を覚ます。

「あっ、あいつか!」

なんだか急に嬉しくなる。

自分が話す番になり、

思わず「初めまして」と言いそうになってしまう。

そのくらい記憶の奥に眠っていた人間が、

いま一同に介している。

思うに同窓生って何だろうと考えた。

同じ時代を生きてきた仲間

同じ季節を過ごしてきた仲間

よくよく考えると、

ひょっとしてこれは凄いことなんじゃないか、

と思った。

そして、みんなの口から、

いまはもうこの世にいない同窓生の名前が、

数人挙がった。

あちらこちらで、ため息が聞こえるのが分かる。

ちょっと胸苦しくなる。

しかし、もうそういう年なのだなと、

私もうな垂れた。

しかしいま、

同窓生がこの懐かしい街で一同に介し、

屈託なく酒を酌み交わしている。

同じ時代を生きてきたから

同じ季節を過ごしてきたから

なのか?

みんな相変わらず

頑張って生きているではないか…

あなたの友達

あなたがとても疲れて 

落ち込んでいて

愛とか 助けとかが必要なとき

そして 

何をやってもうまくいかないなら

そっと目をつむって

私のことを念じてみて

そう

私はあなたのすぐそばにいるから

どんなに暗い闇夜でも

私は駆けつける

私の名前をただ呼べばいい
         
そうすれば私が何処にいるか

あなたには分かるから

そしたら

私はあなたの元へ駆けつける

                  

冬だって春だって夏だって
                  
そして秋だって

                  
あなたは ただ呼べばいい
              
私は必ずあなたの元へ行く

あなたには

友達がいる

周りのみんなが冷たくて

あなたを傷つけたり 見捨てても

そして 

あなたの心まで奪おうとしても

あなたなら 大丈夫

私の名前を叫んで

私は何処にいたって駆けつけるから

冬だって春だって夏だって
                  
そして秋だって

                  
あなたは ただ呼べばいい
              
私は必ずあなたの元へ行く

あなたには

そんな友達がいる

忘れないで…
                  

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ワイルドで行こう

エンジンをガンガン回せって

そして高速をめざそうぜ

さあ冒険だ

これから何があろうとも

あるがまま

オレはね

この世界を

愛でいっぱいにしたいんだ

お前のその銃なんか役立たずだよ

宇宙の彼方へ吹っ飛ばしてやる

オレは

タバコと稲妻が好きなのさ

ヘビメタな音が風と争い

オレが負けって…

そう それでいいさ

オレはね

この世界を

愛でいっぱいにしたいんだ

お前のその銃なんか役立たず

宇宙の彼方へ吹っ飛ばしてやる

オレたちは

この自然界から産まれた

とても自由に生きるために産まれてきた

が 来るところまで来てしまった

死にたくなんてないさ

死にたくない…

自由に生きるために産まれたんだ

ワイルドに生きるために

産まれてきたのさ

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死ぬ前に後悔したくないこと

↑ネットサーフィンしていたら上のタイトルの記事が目に留まった。

縁起でもないが、いい年になってしまった私なんかは他人事じゃない訳で、

思わずチェック!!

出所は海外サイトらしいが、まあ人は皆同じようなことを思うのかな?

が、しかし、この記事が実際に死期の迫った人から集めたものなのか、

予想記事なのか、そこが不明。

まあ、いってみよう!

●他人がどう思うか、気にしなければよかった。

海外の人も割と気にするんだ、と軽く突っ込む私でした。
イメージほど、自己チューではない?
で、とりあえず生きているとですね、私なんか、
まわりが気になることもあります。
この国には「世間体」というコトバもあるくらいで…
が、ここ一番ってときには気にしないようにしたい。
でないと、誰のための人生か、ということになってしまいますから…

●もっと幸せを噛みしめて生きればよかった。

何を言ってるんただかよく分からないのですが、きっとこういう人は、
日頃から不満ばかり言っているのではないのでしょうかね。
または、高望みとか無い物ねだり、とか。
私は最近軽い悟りを得まして、快適に眠れる場所がある、とりあえず
おいしくご飯が頂ける、そして自分の足で歩ける。
これだけで、幸せを感じられる域に達しております。

●もっと他人のために尽くせばよかった。

ボランティアとかがその最たるものでしょうか?
あと、寄付とかですね?
他人に尽くすという行為は、何を差し置いても美しいと思います。
また、何かの記事で読んだのですが、人に何かをプレゼントするという行為も、
脳からかなりの幸せ物質というものが放出されるそうです。
なにはともあれ、人の役に立つことは、
きっと生きていたという証になるのでしょう。

●あんなにくよくよ悩まなければよかった。

あんなってどんなか分かりません。
よって、くよくよ悩むことを否定しているのでしょう。
しかし、そういう事ってよくありますものね。
悩みと煩悩は人であることの証明です。
生きていれば必ず付いて回るものなのですから。
この場合、きっと、くよくよ、がいけないのでしょうね。
ざっくりとか爽やかに悩む。これなら後悔しないと思うのですが…

●もっと家族と一緒に時間を過ごせばよかった。

例えば飲んだくれて、いつも午前様とか、仕事にかまけて、家に帰らないとか…
が、この場合、まず家族の意思疎通が、なにより大事なことのように思います。
でないと、一緒の時間をつくったところで、シラケるだけですからね。
そこのあなた、仕事が終わったら、さっさと家路につきましょう!
家族は、小さな社会です。それもあなたの最愛のね。

●もっと時間があったなら。

死ぬ前に…とタイトルにもあるように、もっと生きたかった!
それ以外に、このコトバの意はないでしょう?
これで終わり、やりきったと言える人生など、ほぼないと思います。
悔いが残る―それは皆に通ずる人生の週末。
だから、古今東西の偉い人たちは、不老不死を求めて、
あらゆるモノ、コトを試したのでしょう。

●もっと冒険して、思い切って生きればよかった。

博打のような人生? 世界の辺境を旅する? 人によって冒険の概念は様々だとは思いますが、
どうせ人は死んでしまうのだ、と初めて身に迫ると、こんな後悔をするのでしょう。
ぬるま湯に浸かって生きてきた、チマチマっとした生き方をしてきた…等々。
一生のうちに二度や三度のチャンスは必ず訪れると言います。
時には、大胆に生きることも必要なのかも知れません。

●もっと自分を大切にすればよかった。

大切にするのは、心ですかね? カラダですかね?
ストレスを貯めない、健康的な食生活―これがまず早死にしない基本のようですが、
割と実行するのが難しい。
私もいろいろ患いましたので、最近ではいろいろと気を配っています。
が、寿命という天から与えられた運命というものがあるとしたら、
もうどうにもなりません。
そこが生命の不思議なのですが…

●他人の言うことより、もっと自分の直観を信じればよかった。

これに関して、私はいつもそうしてきましたが、
果たして他人の言うことに操られる人のほうが、私は信じられない。
自分のことくらい自分で決めましょうよ。これは死ぬ前じゃなくても、
当たり前のことです。
でないと、怒りとかやりきれなさが残るだけだと思うのですが。

●もっと旅に出ておけばよかった。

これに関しては、私も後悔しそうな予感がします。
子供が小さい頃は、無理をしてでもでかけたものですが、
イケマセンネ!
時間がない、お金がない、最近はそんなこんなで旅行が年々減っています。
で、思いついたのですが、これからは出張の多い仕事をつくろうと…

●子供たちに好きなことをさせてやればよかった。

これは文句なく、賛成ですね。
子供がやりたいことを邪魔するって、どんな親でしょう。
親の価値観で強制したところで、子供にとっては何の意味もありません。
まず我を捨て、寄り添い、共感することから始める。
ただ、悪いこと、利己的と思われることは、徹底的に対峙すべし。
いい関係が築けると思うのですが…

●最後に言い争いなどしなければよかった。

人生は短いものです。言い争いが元で、愛する人との関係が絶たれるのは、
世間ではよくあることのようですが、
最後の会話がいつになるかと考えたなら、後悔先に立たずです。
人生の最後なんて、ふっと訪れる。
その瞬間のことなど、人はたいてい考えていないものだから。

●自分の情熱に従えばよかった。

情熱って、原動力ですからね。仕事も恋も…
途中で理性を働かせると、ソコソコ無難な結果に終わります。
その点で、オトナは辛いですね? 理性が邪魔をする。
いや、臆病風が吹く?
やはりですね、情熱に従った方が、後悔が少ないらしい。
ベンキョーになりました!

●なにかひとつでも目標を達成すればよかった。

よく、人生はやるかやらないか、それだけだとも言われています。
だからなのか、何も手を汚さない評論家気取りは嫌われる。
やって失敗するより、臆して事を起こさないほうが、悔いが残るとも。
やりたいことがある、目標を立てる、後はやるかやらないか。
だから達成の第一歩が、まず第一歩から進むことに違いないのだ。

人生は一度っきりです。
いまのうち、生きているうちに、
どんどん後悔して、ガンガン修復しましょう。
いまからでも遅くない!
残りの時間には、チャンスしかないと思って…

同志よ

理不尽に生きてきた友は、

あと数年しか生きられないだろう。

奴が笑ったのを見たのは、わずか数回。

あとは苦悩する哲人のように、

いつも何かのこたえを探すような目で、

遠くを凝視する。

友よ、お前は世間に合わなかった。

いや、この世に合わなかったと言うべきか…

お互い、せせら笑われることしか、

なかったしな…

俺たちが被った理不尽な扱いは、

きっとあの世で解消されるだろうよ。

そして、

あの世がいま、お前を必要としているのだ。

友よ、いまお前は何を想う。

怒りか、

悲しみか、

ひょっとするとため息まじりの、安堵か?

先へ行ったら、俺の話も聞いてくれ。

決して理解し合う間柄ではなかったが、

先を思うと、つい唇を噛んでしまうのだ。

な、もう一度会おうぜ。

罵り合い、殴り合い…

お前と俺はよく険悪になった。

が、俺をまず認めてくれたのは、

実はお前だったんだ。

だから面白くもない台詞だけれど、

友よ、

やはり眠らないでくれと…

同時代を生きてきた証に、

同志として、

もう一度だけ、

俺はお前と語り合いたいのだ

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偉い人に、聞いてみた。

一休

この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん

あんた生きているの、と尋ねたくなるような、無難な生き方ばかりしている。
そんな人が多いような気がする。バランスをとるのも良いけれど、
振り切った生き方も、たまには良いんじゃないか。
それが、生きているという実感。

モンテーニュ

この世は絶え間のないシーソーだ。

楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。
人生の総量は、不幸が多い。いや、幸せが勝っている。
要は心もち次第なのですが、それでもシーソーだよな。
運も絶え間なく動いている証拠。

マルティアリス

すべての日がそれぞれの贈り物をもっている。

憂鬱な朝を迎えたら、上のことばを思い出してください。
ちょっと機嫌が直る。
一日のうちに、良い事のひとつくらいあるでしょ?
ないという人は、きっと探し方が上手くない。
今日のギフトを丁寧に扱う。そうしてギフトを積み上げて、幸福になろう。

ソロー

すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。

このくらいポジティブになりたいと思うのであります。
ネバーギブアップの精神は、怒りと悔しさではなく、
こうした未来志向が根底にないと乗り越えられませんからね。
しかし、この心境に達するのに、まず修行かもね。

ラ・ロシュフーコー

うぬぼれというものがついぞなかったら、人生はてんで楽しくあるまい。

今日からみんな、自己評価を上げましょう。うぬぼれも才能のウチ。
自分は駄目な奴だ…と常に悩んでいる方に差し上げたいことばです。
だって、そういう人ってたいてい才能あるでしょ?
が、過ぎたるは…という人もなかにいて、こういう人には、謙虚さを
学んで欲しい。

セネカ

過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ぬ。

過ぎた日のあれこれに、ひきづるものもなし。明日は明日の風が吹く。
だって本当に分からないのが、未来。
だから、いまでしょ! 目の前の事を精一杯やる。
ホントの意味での自由闊達な精神というものは、
こうしたことばにヒントがあるものです。

メーソン・クーリー

「それも、いいじゃないか」は、おもしろい人生のスローガン。

私はよく、いいんじゃないの、というのが口癖。
なにも考えていないときに発している。
もっと、心を広くして、自他の意見を受けとめられるようになりたい。
それも、いいじゃないか―選択肢の数は可能性の数ですからね…

エマーソン

貴方が今、夢中になっているものを大切にしなさい。それは貴方が真に求めているものだから。

それがパチンコや女だったらどうしようと思う私なのでありました。
いや、それが要はなんでも良いのだろうと考えると、
人にはいろいろな可能性が見えてきます。
オタクなんてその最たるもので、それはそれで、その道の専門家となり得るのです。

シェイクスピア

貴方がたとえ氷のように潔癖で雪のように潔白であろうとも、世の悪口はまぬがれまい。

そんなもんです。良くも悪くも、人は評価したがるいきものです。
いや、評価ではなく、悪口もね。それがいきものの自己防衛ですから…
ゴーイングマイウェイ! 我が道を突っ走れ。
それより、強いものなし。それしか生きる道なしと思って。

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くよくよするな!

成長するということ

妙な宗教の教えに縛られたり

下らない教義で自分を高めようなどと考えないで欲しい。

まずは誰かにキチッと挨拶でもしてみること。

できれば、笑顔でね。

これを習慣づける…

それからだよ。

若き悩みの解決法

考えるのをやめようなどと、

人間の不可能と戦うのはやめにしよう。

考え、考え、考え倦ねたら、

外に出る。

とにかく出るんだよ。

そして歩いて歩いて歩くのがいい。

汗をかくまでね。

そう、夜はやさしく君を包むだろう。

ひとりの効用

たまには、テレビを消すことをオススメする。

そして独りの時間をつくる。

できれば長く永く。

そう、いろいろアタマに浮かんでくるだろう?

それが良いことだろうと嫌なことだろうと、

ゆっくり思考の海に浮かべてみる。

答えはそうしてみつけるもの。

自分を生きる

人生は不公平にできている。

それも、とびっきりにね。

でも、君は誰といつ何を較べたの?

その誰かのすべてを君はホントに知っているのかな?

ひょっとして、

その物差しは、いい加減なゴムでできているんじゃない?

のびきっているのさ…

そう思って、自分だけの人生を生きる。

それって、賢いことなんだけれど…

正しいことよりも…

正しいか間違っているかなんて、

実はどうでもいいことなんだ。

結果、それを勝ち誇ったところで、

きっといつかむなしくなる。

そんなもんさ…

大事なのは、そのとき相手を思いやったか?

その一点じゃないかなぁ。

自己肯定

なにをやっても満足できない。

果てはこれで良かったのかと常に思い悩む。

それって、君の完全主義?

いや、自己否定。

だけどね、時間はいまさら戻らないよ。

いまやるべきことを、精一杯やる。

それだけだよ。

それが最善ということ。

大切なのは、まず自分を肯定してあげる。

認めてあげることなんだ。