なつやすみ

暗くなると

鈴の音がきこえるという

鎮守のもりも

みんなでいくぞ

蝉とるぞ

首も うでも かたも

蚊と汗でかゆいけど

カゴにあぶら蝉

にぃにぃ蝉いっぱい

こわいから早くかえろうよ

そうだかえろ

おなかがすいて

帰りのあぜ道を

よろよろ歩いていると

だれかついてくるよ

だれかがみているんだよ

ぼくがぷいっとふりかえったら

にゅうどうぐも

IMG_2724

おおきなしろい

入道雲ついてくる

渚にて

南十字星のみえる浜で

足に絡みついてきたネコと一緒に

宙を見上げていた

キシッキシッと足もとの貝がらが鳴って

砂浜にみちる波はメロゥ

とおい椰子の木のシルエットが

スローモーション映像のように

ゆったりと風にゆれ

貿易風がなめらかに雲を運ぶと

わずかなすき間から月あかりがのぞく

月と椰子

ネコと僕はそろって海のほうを向いていた

波間に魚がぴょんとはねる

そして月のスポットライトが

一隻の木の葉のような船を照らす

ライトアップされた海のステージ

観客が僕らだけの

南の島のローカルショー

ほんの一瞬ではあったけど

それが永遠でもあるかのように

いまも色褪せることがない

雲に乗りたい

雲1

雲は踊り

雲は悲しみ

雲は泣く

だけど雲は揺るがず

かしこく東方をめざして

大空を駆けてゆくから

雲2

そのゆく彼方には

きっとエルドラドのようなしあわせが

あるのだろう

雲3

命のゆらめき

その連絡は唐突にやってきた

僕は取るものも取りあえず車をとばした

初めての病院で右も左も分からず

受付をさがす

患者の名前を告げると

「ICUは別棟の3Fです」

走り出そうとする僕に

―ちょっと待って

この用紙に名前を記入し

この名札を首にぶら下げてください―

そんな余裕がある訳ないだろ!

と怒鳴りそうになるが

努めて息を整え指示に従うことにする

もともと容体はよくなかったが

意識はしっかりしていて

こんな姿でいまは誰にも会いたくないと…

事態は前日の夜半に急変した

後で聞くところによると

医者の体調不良による不在と

看護体制の不備が原因らしい

ああ

若い命がベッドの上で迷っている

どっちへ行こうかと…

それはまるで

頼りない風任せの風船のように映る

いろいろな機器へと管がのび

デジタルの数字がその状態を刻々と表すのだが

あたかも囚われの身でもあるかのように

のべつ幕なしに苦悩の表情を浮かべている

努めて冷静に

僕はそれを凝視しなくてはならない

それは僕の義務である

コイツの幼い頃の表情を思い出すと

時間を飛び越えて

しばし

淡いしあわせの匂いがした

担当医が咳き込んで

なぜか偉そうに容体の説明をするが

その1つひとつが押しつけがましく

所々の言い訳が空々しく響く

本人の意思を聞くべく

危険を冒しても…とのことで

転院の手続きがすすむ

翌日

風の強い今日という日に

淡い命が運ばれる

それは命のゆらめきとはほど遠く

奴の生きる強い意思による

決断に他ならない

時の長さと質、その観念について

「パイレーツ・オブ・カリビアン」の映画のなかで、

絶対に死ねない刑を受けた男が出てくる。

その男が死ねない辛さを話すシーンがある。

ジョニー・デップ分するキャプテン・ジャック・スパロウは、

その男の告白を相変わらずへらへらとして聞くのだが、

死ねない刑の辛さをまるで分かってあげようとしない。

それは想像の域を超えているとでも言いたいように。

この映画を観ていて、あるくだらない記憶が蘇った。

勉強などするハズもない高校生の頃の或る夏休み。

その年はえらく暑かった。

気力を失っていたその頃の私は、

いま思えばちょっとどこか患っていたのかも知れない。

部活を辞めた後の毎日は、

生活から何か大事なものが抜け落ちたように、

ポカンと穴のあいた空虚さだけが残った。

とにかく何もしない。したくない。

一日中だるい。

辛うじて毎日昼過ぎに起き、

パチンコ屋に通い、

ひたすらパチンコを打ち続ける。

玉が出ようが出まいが、実はどうでもよかった。

他に何もすることがない。

パチンコには全く集中していない。

が、玉がなくなると、

これはもうどうしていいか分からないほど、

心身が消耗していた。

店を出て炎天下のなかをふらふらと歩く。

で、今度はボーリング場へと行く。

他に行くところが見当たらない。

が、ボーリングなどしない。

あんな重い球を持つのが嫌なので、

ペプシコーラを買ってベンチへへたり込む。

で、夜までまんじりともしないで、

誰かが投げる球の先をぼんやりと見ていた。

いま思えば、

ほとんど思考すらしていなかったのではないか。

ああ、こんな時間が延々と続くのか―

それが永遠に続くように思ったとき、

人生は退屈で憂鬱なものと思ったし、

時間は残酷だなと…

こうして部活を辞めた初めての夏休みは、

私は途方に暮れていた。

いま振り返ると馬鹿者の典型だと自戒できる。

翻って、日々の時間が足りない現在。

あの頃の自分に戻って時間を持ち返りたくなる。

そしてその頃には全く意識もしなかった「死」というものもまた、

最近はぐっと身近な存在として、

私のまわりをうろうろしている。

オヤジは、或る朝、突然逝ってしまったし、

おふくろは施設、病院の入退院を繰り返し、

数年患っていなくなってしまった。

後、自分も目を患い、

一時期危険な状態が続いたことがある。

加えて、この数年の間に、友人・知人の死が続いた。

さて、時間に弄ばれていた、

いや、人生というある種の退屈さを味わったあの夏だが、

どうにも自分というものの存在自体に嫌気が差し、

思い切って友人を誘い、

東海汽船で伊豆大島へ渡った。

泊まる所は砂浜と決めていたので、

テント、飯ごうなどのキャンプ用品を詰め込み、

心機一転を狙った。

そして砂だらけになって一週間を過ごした。

飯は自分でつくらなければならない。

誰もつくってくれないので、

いつもメシと飲み水のことばかりを考えていた。

生きてゆくため、毎日が忙しい。

手応えがあった。

あとは適当に浜に寝て、適当に泳ぐ。

そして時々魚を釣ってメシの足しにした。

かなりひどいキャンプ生活だったが、

こんな些細なことで、

その後の自分が大きく変化したのだから、

我ながら不思議だった。

帰える前日の夜、浜にたたずんでずっと海を見ていると、

月に照らされた波間が自分の足元まで届くように、

ポチャンポチャンと心地良い音を立てていた。

久しぶりに生きている気がした。

そして人生ってそうそう悪くもないなと、思い直した。

それから後、パチンコ生活とは一切縁を切った。

好きだった女の子に思い切ってラブレターを書こうと思った。

それが一生懸命過ぎて、散々書き散らした紙くずが、

たちまち山のようになった。

そうしてなんとか付き合い始めた女の子との時間は、

驚くほど早く過ぎていった。

そう、時間は瞬く間に過ぎていったのである。

時の長さと質、その観念について

相対するこの不思議は、

私がいまもって分からないもののひとつである。

真夜中の動物園

真冬の晴天のそらのした

きょうは若い親子とカップルが数組か…

柵の向こうからじっとわたしを観察している

わたしもいつものように彼らを観察している

当然どちらも微動だにしないので

しょうがないからといつものように

試しにあくびをしてみると

やはりそこで彼らは笑うのだ

それのなにがオカシイのか

だからよけいに憂鬱になる

来る日も来る日も

ふるさとにおいてきてしまった連れと

幼い子のことが気にかかって

そんなことを長い間想いあぐねるうち

気がつけばこんな年寄りになってしまって

ああ

どうしようもなく悲しいんだ

この動物園には

そんな仲間がおおぜいいて

真夜中になるとみんな嘆いてばかりだから

ため息やすすり泣きが

いっせいにこの寒空に立ちのぼり

そして天高く舞うんだよ

夜中だからって誰も寝ちゃいない

とりわけ晴れた日は太陽の光がまぶしくて

いまじゃみんなおひさまに迷惑していて

そうこうしてるうちに疲れ果て

月日は過ぎてゆき

あきらめそして死んでゆくんだ

なあ

もういい加減に

そっとしておいてくれないか

なあ

人間さまよ

ああ同窓会

小学校の同窓会に出席のため、

久しぶりに電車で地元へ帰る。

前回から確か約20年くらいの間隔が空いている。

皆の顔が認識できるか、

いや、そもそもこの私が認識してもらえるのか?

ちょっと心配だなぁ。

横浜郊外の廃れた駅に降りる。

ここはムカシから薄汚い街だけど、

私の青春の想い出がギッシリ詰まっている。

駅前は相変わらずゴチャゴチャしていて、

猥雑な感じはムカシと何ら変わらない。

真新しいビルを囲むように、

軒が壊れそうなほど古びた店がズラッと並ぶ。

友人数人と待ち合わせ、合流。

よう!と軽く挨拶を済ませ、目的の店へと向かう。

この連中とは年に数回は会っているので、

お互いに違和感はない。

目的の焼き鳥屋は、

ムカシ良く出入りしていたトンカツ屋の横にあった。

店構えは大きいが、一見して安っぽい造りと分かる。

この街にふさわしい。

2階へ上がると30人位が一同に介せる広さがある。

その方々のテーブルに見覚えのある顔が並ぶ。

しかし、やはり分からない顔がちらほら。

20年ほど会っていないのもいるし、

それこそ40年くらい会っていない顔もいるので、

ここは致し方ない。

「久しぶり!」

知った顔の肩を叩いて声をかけた。

「おっ、○○やっと顔出したな、元気か」

「まあ」

「これからはずっと出席しろよ。

みんないつも集まっているんだぜ」

「うん、そうらしいな」

しかしまわりを見渡すと、

やはりと言うべきか、(コイツ誰だっけ?)と

どうアタマを捻っても思い出せない顔がある。

ちょっと焦るがしかし、笑顔で通す。

そのうち分かるだろう…

どうやら向こうは私を知っているらしいのだが…

戸惑いのなかで飲み会がダラダラと進行する。

こうしてみんなまずムカシ話に華が咲き、

あれ(学生時代)からどうしていたとか、

年齢柄、定年、そして持病の話なんかになる。

同窓仲間の第一印象は

当然のことながら皆老けたな、である。

私もその一人であることを実感する。

いつの間にか、

遊び人グループが同じテーブルに集まるも、

これではイケナイという話になり、

みな再び別のテーブルへと散らばった。

こういうところがムカシと違うなと思う。

そつなくオトナになっている訳なのだ。

そして、そこかしこで

ムカシ泣かした奴と泣かされた奴が、

対等に酒を酌み交わしている風景が、

私にはなんとも新鮮な光景だった。

今日の出席率は低いらしい。

そこら辺の事情がチラホラと聞こえるも、

どうも親の介護が多いらしい。

そういう年だものな、

妙に納得できるものがある。

私は真向かいに座った吉田と話し込む。

吉田とは仲が良かったという訳ではないが、

まあ幾度か何かで絡んだ覚えはある。

なかなかのイケメンだった吉田も顔に疲れが見え、

頭髪は少なく、白髪である。

彼は去年サラリーマン人生を終え、

いまは週に数日、近所でアルバイトをしていると言う。

吉田情報によると、

毎日が暇という仲間がこの地元では結構いるらしく、

皆パチンコ屋でちょいちょい会っては、

集まっているらしい。

この会自体、かなりの頻度でやっていると聞いたので、

やはり地元組は何の緊張もない。

酒もかなりまわった頃、

ガキ時代に全く目立たなかったN君が、

やおらマイクを握って立ち上がり

「ええ」と赤い顔で話し始めた。

「そろそろ自己紹介でも始めませんかね」

そう促され、

席を立ち、一人ひとりが挨拶をすることとなった。

知らない顔の幾人かが自己紹介をする度、

私が忘れていた記憶が目を覚ます。

「あっ、あいつか!」

なんだか急に嬉しくなる。

自分が話す番になり、

思わず「初めまして」と言いそうになってしまう。

そのくらい記憶の奥に眠っていた人間が、

いま一同に介している。

思うに同窓生って何だろうと考えた。

同じ時代を生きてきた仲間

同じ季節を過ごしてきた仲間

よくよく考えると、

ひょっとしてこれは凄いことなんじゃないか、

と思った。

そして、みんなの口から、

いまはもうこの世にいない同窓生の名前が、

数人挙がった。

あちらこちらで、ため息が聞こえるのが分かる。

ちょっと胸苦しくなる。

しかし、もうそういう年なのだなと、

私もうな垂れた。

しかしいま、

同窓生がこの懐かしい街で一同に介し、

屈託なく酒を酌み交わしている。

同じ時代を生きてきたから

同じ季節を過ごしてきたから

なのか?

みんな相変わらず

頑張って生きているではないか…

あなたの友達

あなたがとても疲れて 

落ち込んでいて

愛とか 助けとかが必要なとき

そして 

何をやってもうまくいかないなら

そっと目をつむって

私のことを念じてみて

そう

私はあなたのすぐそばにいるから

どんなに暗い闇夜でも

私は駆けつける

私の名前をただ呼べばいい
         
そうすれば私が何処にいるか

あなたには分かるから

そしたら

私はあなたの元へ駆けつける

                  

冬だって春だって夏だって
                  
そして秋だって

                  
あなたは ただ呼べばいい
              
私は必ずあなたの元へ行く

あなたには

友達がいる

周りのみんなが冷たくて

あなたを傷つけたり 見捨てても

そして 

あなたの心まで奪おうとしても

あなたなら 大丈夫

私の名前を叫んで

私は何処にいたって駆けつけるから

冬だって春だって夏だって
                  
そして秋だって

                  
あなたは ただ呼べばいい
              
私は必ずあなたの元へ行く

あなたには

そんな友達がいる

忘れないで…
                  

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ワイルドで行こう

エンジンをガンガン回せって

そして高速をめざそうぜ

さあ冒険だ

これから何があろうとも

あるがまま

オレはね

この世界を

愛でいっぱいにしたいんだ

お前のその銃なんか役立たずだよ

宇宙の彼方へ吹っ飛ばしてやる

オレは

タバコと稲妻が好きなのさ

ヘビメタな音が風と争い

オレが負けって…

そう それでいいさ

オレはね

この世界を

愛でいっぱいにしたいんだ

お前のその銃なんか役立たず

宇宙の彼方へ吹っ飛ばしてやる

オレたちは

この自然界から産まれた

とても自由に生きるために産まれてきた

が 来るところまで来てしまった

死にたくなんてないさ

死にたくない…

自由に生きるために産まれたんだ

ワイルドに生きるために

産まれてきたのさ

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死ぬ前に後悔したくないこと

↑ネットサーフィンしていたら上のタイトルの記事が目に留まった。

縁起でもないが、いい年になってしまった私なんかは他人事じゃない訳で、

思わずチェック!!

出所は海外サイトらしいが、まあ人は皆同じようなことを思うのかな?

が、しかし、この記事が実際に死期の迫った人から集めたものなのか、

予想記事なのか、そこが不明。

まあ、いってみよう!

●他人がどう思うか、気にしなければよかった。

海外の人も割と気にするんだ、と軽く突っ込む私でした。
イメージほど、自己チューではない?
で、とりあえず生きているとですね、私なんか、
まわりが気になることもあります。
この国には「世間体」というコトバもあるくらいで…
が、ここ一番ってときには気にしないようにしたい。
でないと、誰のための人生か、ということになってしまいますから…

●もっと幸せを噛みしめて生きればよかった。

何を言ってるんただかよく分からないのですが、きっとこういう人は、
日頃から不満ばかり言っているのではないのでしょうかね。
または、高望みとか無い物ねだり、とか。
私は最近軽い悟りを得まして、快適に眠れる場所がある、とりあえず
おいしくご飯が頂ける、そして自分の足で歩ける。
これだけで、幸せを感じられる域に達しております。

●もっと他人のために尽くせばよかった。

ボランティアとかがその最たるものでしょうか?
あと、寄付とかですね?
他人に尽くすという行為は、何を差し置いても美しいと思います。
また、何かの記事で読んだのですが、人に何かをプレゼントするという行為も、
脳からかなりの幸せ物質というものが放出されるそうです。
なにはともあれ、人の役に立つことは、
きっと生きていたという証になるのでしょう。

●あんなにくよくよ悩まなければよかった。

あんなってどんなか分かりません。
よって、くよくよ悩むことを否定しているのでしょう。
しかし、そういう事ってよくありますものね。
悩みと煩悩は人であることの証明です。
生きていれば必ず付いて回るものなのですから。
この場合、きっと、くよくよ、がいけないのでしょうね。
ざっくりとか爽やかに悩む。これなら後悔しないと思うのですが…

●もっと家族と一緒に時間を過ごせばよかった。

例えば飲んだくれて、いつも午前様とか、仕事にかまけて、家に帰らないとか…
が、この場合、まず家族の意思疎通が、なにより大事なことのように思います。
でないと、一緒の時間をつくったところで、シラケるだけですからね。
そこのあなた、仕事が終わったら、さっさと家路につきましょう!
家族は、小さな社会です。それもあなたの最愛のね。

●もっと時間があったなら。

死ぬ前に…とタイトルにもあるように、もっと生きたかった!
それ以外に、このコトバの意はないでしょう?
これで終わり、やりきったと言える人生など、ほぼないと思います。
悔いが残る―それは皆に通ずる人生の週末。
だから、古今東西の偉い人たちは、不老不死を求めて、
あらゆるモノ、コトを試したのでしょう。

●もっと冒険して、思い切って生きればよかった。

博打のような人生? 世界の辺境を旅する? 人によって冒険の概念は様々だとは思いますが、
どうせ人は死んでしまうのだ、と初めて身に迫ると、こんな後悔をするのでしょう。
ぬるま湯に浸かって生きてきた、チマチマっとした生き方をしてきた…等々。
一生のうちに二度や三度のチャンスは必ず訪れると言います。
時には、大胆に生きることも必要なのかも知れません。

●もっと自分を大切にすればよかった。

大切にするのは、心ですかね? カラダですかね?
ストレスを貯めない、健康的な食生活―これがまず早死にしない基本のようですが、
割と実行するのが難しい。
私もいろいろ患いましたので、最近ではいろいろと気を配っています。
が、寿命という天から与えられた運命というものがあるとしたら、
もうどうにもなりません。
そこが生命の不思議なのですが…

●他人の言うことより、もっと自分の直観を信じればよかった。

これに関して、私はいつもそうしてきましたが、
果たして他人の言うことに操られる人のほうが、私は信じられない。
自分のことくらい自分で決めましょうよ。これは死ぬ前じゃなくても、
当たり前のことです。
でないと、怒りとかやりきれなさが残るだけだと思うのですが。

●もっと旅に出ておけばよかった。

これに関しては、私も後悔しそうな予感がします。
子供が小さい頃は、無理をしてでもでかけたものですが、
イケマセンネ!
時間がない、お金がない、最近はそんなこんなで旅行が年々減っています。
で、思いついたのですが、これからは出張の多い仕事をつくろうと…

●子供たちに好きなことをさせてやればよかった。

これは文句なく、賛成ですね。
子供がやりたいことを邪魔するって、どんな親でしょう。
親の価値観で強制したところで、子供にとっては何の意味もありません。
まず我を捨て、寄り添い、共感することから始める。
ただ、悪いこと、利己的と思われることは、徹底的に対峙すべし。
いい関係が築けると思うのですが…

●最後に言い争いなどしなければよかった。

人生は短いものです。言い争いが元で、愛する人との関係が絶たれるのは、
世間ではよくあることのようですが、
最後の会話がいつになるかと考えたなら、後悔先に立たずです。
人生の最後なんて、ふっと訪れる。
その瞬間のことなど、人はたいてい考えていないものだから。

●自分の情熱に従えばよかった。

情熱って、原動力ですからね。仕事も恋も…
途中で理性を働かせると、ソコソコ無難な結果に終わります。
その点で、オトナは辛いですね? 理性が邪魔をする。
いや、臆病風が吹く?
やはりですね、情熱に従った方が、後悔が少ないらしい。
ベンキョーになりました!

●なにかひとつでも目標を達成すればよかった。

よく、人生はやるかやらないか、それだけだとも言われています。
だからなのか、何も手を汚さない評論家気取りは嫌われる。
やって失敗するより、臆して事を起こさないほうが、悔いが残るとも。
やりたいことがある、目標を立てる、後はやるかやらないか。
だから達成の第一歩が、まず第一歩から進むことに違いないのだ。

人生は一度っきりです。
いまのうち、生きているうちに、
どんどん後悔して、ガンガン修復しましょう。
いまからでも遅くない!
残りの時間には、チャンスしかないと思って…