「19才の旅」No.2

 

やっと掴んだ「旅という逃げ場」で、

ボクらは出ばなをくじかれていた。

 

5,500トンという当時では大型の客船、新・さくら丸。

この船に意気揚々と乗り込んだのはいいが、

ボクらはのっけからその客室A-Bという

ごくスタンダードな部屋のベッドで、

頭痛と吐き気に耐えることとなった。

 

人生初の船酔いは、思ったより重症だった。

ボクは考えることをあきらめた。

(将来のことなど知ったことか!)

 

ひどい目眩がしてきたので、

ここはやはり寝るしかなさそうだ。

布団を被って、目をつむる。

 

時間はどのくらい過ぎたのか。

いつしかボクは寝ることに成功していた。

 

結局ボクらは、朝まで全く何も話せなかった。

そんな余裕などあるハズもなかったのだが。

 

翌朝、なんとか立ち直ったふたりは、

昨日の反省から決めごとをつくった。

 

・アルコール禁止

・デッキに出たらとにかく近くの波を見ない

・船の揺れに逆らわない

・遠くの景色や空だけを眺める

 

浅知恵にしては、以後、酔うこともなく、

この船旅は快適なものとなった。

 

同じ船旅をしている幾つかのグループとも仲良くなれた。

東京から参加した年上の男性ふたり組。

そして東京から来たという同年代とおぼしき3人の女性グループ。

横浜組のボクたちも加わり、なかなか面白いグループができた。

 

7人は不思議と気が合う人ばかりで、

船内ではよく行動を共にした。

 

デッキでバカ騒ぎをしたり、

ラウンジではカップヌードルを食べながら、

みんなでコーラで乾杯をして、

どうでもいい話題で盛り上がっていた。

 

後、東京から参加した年上の男性ふたり組とは、

何年か手紙のやり取りをした。

特に、「イガちゃん」と呼ばれていた人とボクは懇意になり、

船上で、人生の先輩としていろいろな話をしてくれた。

 

彼は長距離トラックのドライバーで、

角刈りでいつも真っ白いBVDのTシャツを着ていた。

日焼けして顔の彫りが深く、口数は少ない。

が、笑うととてもかっこいい笑顔になった。

 

ボクが何気なく、

ちょっと将来に不安があるようなことを

口走ったことがきっかけで、

彼はポツポツと自らの青春を話してくれた。

 

ボクは、イガちゃんが聞かせてくれた

幾つかの体験話に心を惹かれた。

そしていつの間にか、

自分が深く悩んでいたことさえ、

忘れかけようとしていた。

 

彼はとても知的で、

深い洞察をする人だった。

ただ高学歴だけのつまらないインテリとは違い、

ことばに、体験した重みと説得力のようなものがあった。

 

彼はよく気難しい表情で遠くを眺めていた。

それはとても印象的なショットとして、

ボクのアタマのなかで映像化された。

 

イガちゃんのもう一人の相棒は、

身体がでかくて色白でぽっちゃりとした好男子。

アパレル関連で働き、連日帰宅は深夜で、

いい加減疲れたとよくこぼしていた。

彼の名はもう忘れたが、女性あさりはなかなかのもので、

まあそういう人だったが、

このふたりがなぜ親友なのかは謎だった。

 

それにしても旅は不思議なことの連続だと思った。

あの夏、7人はあの船に偶然乗り合わせた。

そして思いがけなくも、皆は波長が合い、

かけがえのない時間を共有することができたのだから。

 

あれから永い年月が経過したが、

あの船上での輝くような時間は、

もう二度と訪れない。

 

旅って、きっとそういうものなのだろう。

 

旅は、偶然がもたらす化学変化だ。

だから、人はときとして旅立つのだ。

 

暑いあの夏。

ボクらはつい数日前まで、

夢をなくして路頭に迷っていた。

が、なんとか旅へでかけるという行動に出た。

 

そしてボクのなかの、丸山のなかの何かが、

めまぐるしく活動を開始したのだ。

(続く)

 

 

 

「19才の旅」 No.1

 

東京・竹芝さん橋で、新・さくら丸に

親友の丸山と乗船した。

ふたりとも、船旅は初めてだ。

 

船は、本州に沿って航行を続けるという。

360度、どこを見ても海というのは、

とても新鮮な体験だった。

が、伊豆大島を過ぎ、三河湾あたりで

そろそろ海の景色にも飽きてきた。

 

デッキで潮風にあたりながら、

ずっとビールをラッパ飲みしていたので、

少し吐き気を催してきたみたいだ。

 

初めての船酔い。

 

ボクと丸山は船室に戻って、ベッドに横になった。

そこで、ボクは吐き気を抑えながら、

必死で何かを考えようとしていた。

丸山もきっとそうだったと思う。

 

(この先、ボクはどこへ行こうとしているんだろう?

いったい、ボクは何をめざしているのだろう?)

 

その問いは、この船旅ではなく、

自分のこれからの身の振り方だった。

 

この頃、ボクたちは自身でもイラつくほどに、

自分のことが分からなくなっていた。

そして日々、迷ってばかりいたのだ。

 

ボクは、大学の付属校へ通っていたにもかかわらず、

カメラマンになるのが夢だったので、

大学への進学は2年の秋ごろから辞退していた。

が、その意思を学校へ提出した後で分かったことなのだが、

カメラマンになるには、それなりの高い学費と、

高額なカメラ機材を買う費用、

そして自宅に現像室を設置しなくてはならなかった。

 

何をやるにも事前の準備不足が、

ボクの欠点だった。

 

そのことを一応両親に話してはみたが、

予想どおりの回答が返ってきた。

父は母にこう話したそうだ。

「あんな極道息子に出す金はない」

 

この文句は、ボクも予想していた。

当然といえば当然の報いとも言える。

なにしろ、高校時代のボクに、

褒められたところは、ひとつもないのだから。

 

一年で吹奏楽の部活をやめてしまったボクは、

地元の友達といつも街をふらふらとしていたし、

そうした仲間と酒を飲み、タバコをふかし、

ディスコで朝まで踊ったりしていたのだ。

 

一応、なんとか高校は卒業したものの、

まともな就職もあきらめて、

いろいろなバイトで生計を立てていたが、

空虚な毎日で、行き場をなくしていた。

 

一方、中学で同級生だった丸山も、

家の事情で普通高校をあきらめ、

自衛隊の少年工科学校の寄宿舎へ入ったものの、

キツい学業と訓練に明け暮れた毎日に嫌気が差し、

バイク事故でケガをして入院したことも重なり、

学校を中退し、疲れ果てていた。

 

やはりボクと同様、鬱屈した毎日を送っていた。

 

ヒマで退屈なあの夏。

 

ボクは、永遠にどこまでも、

何の目的も希望もない毎日が続くのではないか、

という恐怖に幾度も襲われた。

 

その夏は、とにかく24時間がとても長く、

朝も昼も夜もつねに憂鬱だった。

 

汗が止めどなく流れる、とても暑い夏。

ボクは丸山のアパートで過ごす日が多くなった。

 

しかし、お互いに何もすることがなかった。

そんな日が幾日も続いた。

 

ふたりはあたりが暗くなると、

だるい身体を引きづるように、

連れだって近所の居酒屋へでかけた。

 

そこで安いアルコールを飲み、

酔いがまわってくると、

ふたりは真剣な顔つきになってしまうのだ。

 

「俺たちは一体なにものなのか、

この先、何がしたいのか?」

 

そんな全く結論の出ない議論のようなものを、

延々としていたのだ。

 

当然、出口のようなものはみつからない。

それは、まるで明日へと繋がる時間が、

完全に閉ざされたような失望感を伴っていた。

 

そんなやるせない毎日が続いた。

 

相変わらず強い陽が照りつける或る日の夕方、

ボクと丸山はいつものように、

近所の商店街をだらだらと歩いていた。

と、新しいビルの一階に、

オープンしたばかりの旅行代理店が目に入った。

 

通りから眺めるガラスのウィンドウには、

北海道3泊○万○千円~とかアメリカ横断7日○○万~とか

いろいろな手書きの紙がペタペタと貼ってある。

そのチラシのような張り紙を、

ふたりでぼおっーと眺めていた。

 

何の興味も湧かないのだが、

ふたりはなにしろ暇なので、

その張り紙を隅から読み始めた。

が、時間がどのくらいか経過した頃、

ボクのアタマに何かがひらめいたのだ。

 

丸山をのぞくと、

彼の横顔にも同様の表情が見て取れた。

 

ふたりは、その小さな店舗のガラス扉を開け、

相手の説明もたいして聞かないまま、

沖縄行きの予約をした。

 

店を出ると、陽はとっくに暮れていた。

相変わらず熱気が身体にまとわりついて、

また汗が噴き出す。

 

ボクらは商店街を再び歩き出すのだが、

それは自分たちでも驚くほど軽快な足取りだった。

 

その日を境に、ボクたちの気持ちに、

ある変化が生じていた。

(続く)

色褪せないコトバ

 

「オトコは愛するオンナの最初のオトコになることを願い、

オンナは愛するオトコの最後のオンナになることを願う」

 

アイルランド出身の詩人で劇作家・オスカー・ワイルドの言葉だ。

彼はまたこうも言う。

 

「流行とは、見るに堪えられないほど醜い外貌をしているので、

六ヶ月ごとに変えなければならないのだ」

 

なるほど!

さらに…

「社会はしばしば罪人のことは許すものだよ。

しかし、夢見る人のことは決してゆるさない」

 

彼によれば、

犯罪者というものはときに許されるものであるらしい。

しかし、夢見る人というのは決して許されない。

 

人がもつ複雑かつ深層のようなものを、

彼は、この頃すでに指摘している。

 

例えば、あなたが夢を語ると、

即座に「それは無理だ」という人がいる。

夢を追うことに対しても何故か「いい加減にしろよ」

などと不機嫌になる人もいる。

 

こう言う彼ら彼女らは、

実はみな一様に自分に自信がなかったり強さがなかったりで、

夢をはるか遠いムカシにあきらめてしまった人たちなので、

あなたが夢を実現してしまうのではないかと不安を感じ、

悔しくて仕方がないから、ただ足を引っ張っていると思って

間違いない。

 

これもオスカー・ワイルドによる分析。

 

私たちは訳知り顔でそう助言してくれる相手の言葉に、

不思議にありがたがり、揺り動かされ、振り回され、

自体はさらに混迷へと向かってしまうのだが。

 

と言う訳で、

オスカー・ワイルドという人は、

神がかり的に人生の総てを見抜いていた。

友人、恋人、社会の入り組んだ糸の仕掛けが、

彼にはくっきりと見えていた。

 

真実をみつめた言葉は、いつの時代も変わらない。

だから、彼の残した言葉は普遍的で色褪せない。

 

とここまできて、では、オスカー・ワイルド自身は、

どんな人生を歩んだのか?

 

記録によると、とても残念だけど、

彼の最後は、酷く孤独で惨めな死に方だったと言う。

 

うーん、そういうこと?

 

実のところ、ここがポイントなのである。

 

人生って結局よく分からない。

予測不能でミステリアス。

 

だから、とりあえず幸せを求めて、

誰もが一生懸命生きている。

 

ありきたりだけど、結局のところ、

私たちの知恵って、それで精一杯なのではないでしょうか?

 

 

さあ、出かけよう! (旅の考察)

 

旅行する機会が減りましたね。

不満が溜まります。

皆そう言う。

ボクもそう思う。

 

人にとって、

旅行は欠かせないものである。

なぜなら、旅行で得られる非日常感が、

日頃のマンネリから解放してくれるからである。

 

という訳で、人には時おりでも非日常がないと、

どうもうんざりしてしまうイキモノらしい。

だから、移動というイベントをやめないのだ。

 

以前、本屋でこんなタイトルの本を目にした。

「旅するように生きる」(作者は不明)

なんか格好いいんですよ、題名がね。

で中身はというと、これが分からない。

なんせ買ってないから。

 

本の帯にはこんなニュアンスのコピーが書いてあった。

―幸せに生きる極意が満載!!―

こういう売り文句に弱いんですが、

この手の本ってだいたい内容が薄くて、

ペラペラなものが多い。

で買わなかった。

けれど、いまさら気になるな。

 

とここで気づいた方もいると思うけれど、

話は旅行ではなく「旅」に移行している。

微妙にスライドしている訳です。

 

旅行も旅も同じじゃねぇ!

との声も聞こえますが、

どうもこの両者には、

いろいろと違いがあるらしいのだ。

 

端的な違いとして、

「旅行」はまず目的地があって、

そこで楽しむのが主であり、

日常を離れて新たなものに触れたりするもの等、

予定調和的なものであるらしい。

対して「旅」は自分でつくるもので、

不確定要素を多分に含み、

その道程に於いて自己を高め、

冒険的要素もある、ということらしい。

 

らしいとは他人事のような書き方だが、

調べると概ねそんなニュアンスなのだ。

 

海の向こうでは、

旅行のことを「トリップ」とか「トラベル」と訳し、

旅を「ジャーニィー」と訳しているんだそうな。

その違いだが、「トリップ」とか「トラベル」は、

比較的短期間で目的のある旅行、

対して「ジャーニィー」は目的までのプロセスを重視し、

そこでの体験から得られるものがある、

または自己成長があるもの、となる。

 

まあ、旅行は自己を解放して楽しむ、

旅は、困難を通して自己を高める、

そんな違いがあるのではなかろうか。

 

旅の話は続く。

 

旅というものを時間軸で捉えると、

私たちは絶えず「時」を移動している「旅人」とも言える。

 

人はひとときも欠かさず、時間の旅を続けている。

そういう意味に於いては、

私たちの人生そのものが、

「旅」なのだとも言えてしまう。

 

こう考えると、

人にとって「旅」は意味深である。

 

時間の旅人か…

 

たとえば仏教に由来する教えに、

「旅」とは、あの世からのきた人が

この世を旅することであり、

この世の生きる姿は

通りすがりの旅人の姿、

ということになるらしい。

 

これはボクが要約したので、

多々間違いがあるような気もするけれど…

 

その旅についてさらに考察すると、

人はいったい次元の異なる旅をするものなのか、

旅の最終は宇宙の果てなのかとか、

興味は果てしなく尽きることがない。

まあ、いくら頭を捻ったところで、

どうにもならないけれどね。

 

さて、冒頭の旅行の話から始まって、

かなりぶっ飛んでしまいました。

けれど、さらに旅の話の続きを、

もう少しだけ。

 

私たちはいわば、

同時代を生きている旅人であるということ。

同時代に生きている関係性って、

なんだか感動しませんか?

それは偶然ではなく、

ボクは必然のような気がしてならない。

 

(「旅人」であるボクたち私たちのどこかに、

潜在的に組み込まれた旅のプログラムがある…)

 

私たちはみな、ライフトラベラーであり、

同じツアーの同伴者なのだ。

さてこのひとときも、旅の途中。

 

おおいに楽しもうではないか。

 

 

憧憬の「山下公園」

 

小学校3年のとき両親に連れられ、

初めて山下公園へ行った。

 

ボクがよく遊んでいた近所の小高い丘から、

遠く横浜港がみえた。

その湾に突き出したように位置しているのが

山下公園だった。

 

でかけてみると、

自宅から山下公園までは、

電車の駅にしてたったの4駅だった。

が、当時はとても遠方にでかけたように感じた。

 

山下公園の海側に設置してあった一回10円の望遠鏡で、

ボクは興味津々に、ほうぼうをのぞいた。

 

きらきらとした海。

その波の上をヨロヨロと進むはしけや、

大桟橋に停留している初めてみる大型船。

 

気持ち良さそうに飛んでいるカモメたち。

 

が対岸に望遠鏡を向けると、

そのあたりにあるであろうボクの住む町は、

工場と煙突ばかりだった。

空はどんよりしていて、

スモッグですすけていた。

 

公園を3人でゆっくりと歩いた。

噴水というものを初めてみた。

歩く両脇には珍しい花が咲き乱れている。

停留している氷川丸の白がまぶしい。

 

対岸のボクの住む町とは、

全くの別世界のように思えた。

 

よく自宅から歩いて工場街の先にある岸壁へ行ったが、

そこはゴミが山のように溢れていて水面がみえない。

イヌやネコの死骸がプカプカと浮かんでいることもあった。

 

その近くにはいつも船が数隻停まっていて、

船上で荷仕事をしているおじさんたちが、

不機嫌そうな顔をして働いていた。

 

おじさんたちがボクらをみつけると、

必ずといっていいほどなにか大声で怒鳴っていた。

 

みなボロボロの服を着ていた。

 

× × × × ×

 

そして、時代は変わり、

ボクは学生になり、社会人となり、

時は夢のように過ぎていってしまったのだ。

 

老いが見えはじめた頃から、

その懐かしさ故、よく、みなとみらい線で

山下公園を訪れるようになった。

 

高速道路が複雑に建設され、

騒々しいあの造船所も、とうの昔になくなり、

臨海部は開発に次ぐ開発で、

昔と全く違う街に生まれ変わった。

 

海沿いの通りをレトロな「あかいくつ」バスが走り、

高層ホテルと大きな観覧車の間をゴンドラが通る。

 

が、相変わらず夕暮どきのこの景色が、

昔のままのように思ってしまうのは

なぜなのだろう?

 

そして昔と同じように、

ボクの住んでいたあの町へ目を向けると、

その数はかなり減ったものの、

相変わらず、立ちのぼる煙は上へ上へと風になびいて

天をめざしている。

 

桜にまつわる話

 

あるときは目黒川で、

またあるときは大田区の洗足池あたりで、

桜の咲く時期になると、

アルコールを煽っていた。

 

いまは一切飲まないが、

若い頃は、花見で酒を飲むというのは、

普段は孤独なフリーにとっては、

仲間で集うことで救いにもなっていた。

そんな気がした。

 

しかし、あるときから、

そんなことはどうでもいいことと、

少し強くなった自分がいた。

 

自分の立ち位置を掴んだ時期でもあった。

 

そして後に全く別の理由だけど、

アルコールをやめることとなった。

 

酔いというものがどうゆうものか、

いまではすっかり忘れてしまった。

 

あのむせるようなソメイヨシノが満開の下で、

濃いアルコールをグイグイと飲んでいたのは、

あれは実は私ではないのでないか、

と思ったりもする。

 

あれはきっと、夢なのだ。

そう思うことにしている。

 

こうして桜を眺めていると、

実にいろいろな春を思い出す。

 

とても辛い思い出は小学校のときの転校だった。

親の都合で3月の中頃に引っ越したので、

編入したクラスでも

中途半端な転校生と言われた。

 

知らない町で友達もできないまま、

3学期も終わってしまい、

やることも話す相手もいないので、

自宅のある新興住宅地の裏の山道を

ひとり歩いていると、

木々の間から可憐な山桜がのぞいた。

その淡い色あいや小ぶりな花が、

寂しい私を少し励ましてくれた、

ような気がしたものだ。

 

先日、桜祭りで有名な観光地を通る機会があった。

そこに人気はなく、無駄に大きな「中止」の看板が、

立てられていた。

 

満開の桜の木々の間を車で通り抜けるとき、

前方の景色が、

ほぼピンクの世界に染まっているように思えた。

 

やたらとまぶしい派手なピンクの世界…

 

ううん、やはりこういうのは苦手なんだと、

改めて気づいた。

 

幸福な時間とは

 

最近、絵を描くことに挑戦しているが、

ぜんぜん上手くならない。

 

雑誌「一枚の繪」もかなり買い込んだ。

ぺらぺらと眺めていても、どれも上手い絵ばかり。

 

Pinterest(ピンタレスト)という画像アプリで、

仕事の空いた時間に世界の名画とか印象派の絵、

ニューヨークアートなどもけっこう丹念にみているが、

やはりため息しか出ない。

 

そのうち、何のプラスにもならないような気がしてきた。

 

そもそも小さいときから絵は下手だったし、

図画工作の時間も苦痛だった。

なのに、中学一年のときの美術の時間に

クリスマスカードを描くことになり、

そのときアタマにパッと絵が浮かんだのだ。

 

雪のなかをトナカイが、

サンタを乗せたソリを引いて疾走している。

背景には北欧の針葉樹が雪をかぶっている。

遠くに赤い家がポツンと建っている。

 

誰でも思いつきそうな絵柄ではあるけれど、

そのときは我ながら「すごい」と思ったのだ。

そして思いついたからには、それを必死で描いた。

こればかりはかっこよく描かなくちゃ…

 

必死で描く理由が他にもあった。

同じクラスの好きな女の子に、

その絵をプレゼントしようと考えていたからだ。

 

結果、先生にも誰にも褒められなかったし、

ひいき目にみても上手いとは言えない出来だった。

 

結局そのクリスマスカードは好きな子に渡すこともなく、

机の引き出しのなかにしまい込んでしまった。

 

けれど、この創作の時間というものには、

思いがけない収穫があった。

夢中で描いていたあの時間が、

あとでとても幸福だったと気づいたからだ。

 

あの濃密な時間は不思議なひとときだった。

 

それはギターの練習でも味わったし、

高校の吹奏楽部でのトランペットの練習でも、

拳法の鍛錬でも味わった。

受験勉強も仕事でも、たびたび感じることができた。

 

それがいわば集中力というものと同じなのか、

僕には分からない。

 

けれど、その基準はきっと、

「時の過ぎるのも忘れてしまう至福のとき」

だったような気がする。

 

 

そしてもうひとつ気づいたことがある。

 

絵が上手いとはどういうことなのか?

その疑問が今日まで続いている。

 

絵画教室というのもあるけれど、

どうも気が進まない。

そういうところで習ったひとの絵を

幾度となくみたことがある。

皆ホントにみるみる絵が上達するし、

上手いとは思うのだけれど、

どれも一様に惹かれるものがないのだ。

 

そこが分からないのだ。

そのあたりが僕の絵に対する謎であり、

いつまで経っても解くことができない

知恵の輪のようなものになっている。

 

幸福な時間の過ごし方の一端は

掴んだような気がするけれど。

 

 

 

フジコ・ヘミングのコンサートへ行ってきた

 

 

 

クラシック音楽、好きですかと聞かれると、

それほどでもとこたえるだろう。

正直、クラシックという柄じやない。

 

以前のブログでも書いたけれど、

リストという作曲家のラ・カンパネラを弾く、

フジコ・ヘミングは別である。

 

イタリア語で鐘を意味するラ・カンパネラ。

 

ピアノの高音が魅力的でなければ、

あの美しく荘厳な欧州の教会の鐘の音は、

再現できない。

そして、その音に哀愁のようなものがなければ、

ただの音になってしまう。

 

僕は、ん十年前イタリアのフィレンツェでこの鐘の音を

間近で耳にしたことがある。

 

夕暮れだった。

 

それは、日本の寺院から聞こえる鐘の音と、

ある意味で双璧を成す、

美しくも厳かな響きだった。

 

フジコ・ヘミングは、その鐘の音に

心を宿したといっても過言ではない。

 

ラ・カンパネラという曲をピアノで弾くのは、

超絶技巧である。

それは演奏を観ているシロウトの私でも分かる。

 

リストは、この曲をピアノで弾く際に、

器用さに加え、大きい跳躍における正確さ、

指の機敏さを鍛える練習曲としても、

考えて作曲したというから、

天才のアタマは複雑すぎて分からない。

 

この難曲を正確無比に弾くという点では、

辻井伸行の右に出るピアニストはいない。

彼もこの曲に心を宿しているひとりに違いない。

 

 

では、フジコ・ヘミングの何が僕を惹きつけるのか?

 

それは、人生を賭けたピアニストという職業に

すべてを捧げたフジコ・ヘミングが、

ラ・カンパネラが自身に最もふさわしい曲と、

ある時期、確信したからと想像する。

 

真っ白なガウンのような豪華な衣装で彼女が登場すると、

当然のように満場の拍手がわく。

杖をついている姿はこちらも折り込み済みだけど、

もう90歳近いこのピアニストの演奏を

いつまで聴けるのだろうかと、ふと不安がよぎる。

 

しかし、彼女が弾き始めると会場の空気が、

いつものようにガラッと変わる。

これはどう表現したらよいのか分からないが、

とても強いエネルギーのような旋律が、

その場を別の次元にでも移動させてしまうほどの、

力をもっている。

 

興味のない人でも、たかがピアノなのにと、

平静を装うことはまずできない。

そんなパワーのようなものをこの人はもっている。

 

レコードやCDで聴くのとはなにかが違う。

いや、全く違う。

そっくりだけど別物の存在なのだ。

 

僕はクラシックがあまり好きではないし、

知識も素養もない。

 

だけどフジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは、

どういう訳か、とても深い感動を得ることができるのだ。

 

 

 

歌があるじゃないか

 

深夜の絶望というものは、

ほぼ手の施しようがない。

たとえそれが、限定的な絶望だとしても…

 

陽平はそういう類のものを

なるべく避けるようにしている。

「夜は寝るに限る」

そして昼間にアレコレと悩む。

いずれロクな結論が出ないにしろ、である。

 

意識すれば避けられる絶望もあるのだ。

 

70年代の或る冬の夜、陽平はあることから

絶望というものを初めて味わうこととなる。

 

高校生だった。

それは彼と彼の父親との、

全く相容れない性格の違いからくる、

日々のいさかいであり、

付き合っていた彼女から

ある日とつぜん告げられた別離であり、

将来に対する不安も重なり、

陽平の心の中でそれらが複雑に絡み合っていた。

 

根深い悩みが複数重なると、

ひとは絶望してしまうのだろう。

絶望はいとも簡単に近づいてきた。

ひとの様子を、ずっと以前から

観察していたかのように。

 

ときは深夜、

いや朝方だったのかも知れない。

ともかく、絶望はやってきたのだ。

 

陽平にとっては初めての経験だった。

彼は酒屋で買ったウィスキーを、

夕刻からずっと飲んでいた。

母親には頭痛がすると言って、

夕食も食べず、ずっと二階の自室にこもっていた。

 

机の横の棚に置いたラジオから、

次々とヒット曲が流れている。

ディスクジョッキーがリスナーのハガキを読み上げ、

そのリクエストに応えるラジオ番組だ。

 

どれも陳腐な歌だった。

そのときは、彼にはそのように聞こえた。

 

夜半、耐え切れなくなった陽平は、

立ち上がると突然、

ウィスキーグラスを机に放り投げた。

そして、荒ぶった勢いで、

ガタガタと煮立っている石油ストーブの上のヤカンを、

おもむろに窓の外へ放り投げた。

 

冬の張り詰めた空気のなかを、

ヤカンはキラッと光を帯び、

蒸気は放物線を描いた。

そして一階の庭の暗闇に消えた。

 

ガチャンという音が聞こえた。

程なく辺りは元の静寂に戻った。

親は気づいていないようだった。

 

手に火傷を負った。

真っ赤に膨れ上がっている手を押さえながら、

陽平はベッドにうつ伏せになって、

痛みをこらえて目をつむった。

 

ひとは絶望に陥ると

自ら逃げ道を閉ざしてしまう。

そして、退路のない鬱屈した場所で、

動けなくなる。

 

絶望は質の悪い病に似ている。

もうお前は治癒しないと、背後でささやく。

お前にもう逃げ場はない、と告げてくる。

 

絶望はひとの弱い箇所を心得ている。

それはまるで疫病神のしわざのようだった。

 

がしかし、不思議なことは起こるものなのだ。

 

そのときラジオから流れてくる或る曲が、

陽平の気を、不意に逸らせてくれたのだ。

不思議な魅力を放つメロディライン。

彼は瞬間、聴き入っていた。

気づくと、絶望は驚くほど素早く去っていた。

それは魔法のようだったと、彼は記憶している。

 

窓の外に少しの明るさがみえた。

あちこちで鳥が鳴いている。

彼は我に返り、

わずかだがそのまま眠りについた。

そして目覚めると早々に顔を洗い、

手に火傷の薬を塗って包帯を巻き、

母のつくってくれた朝食をとり、

駅へと向かった。

そういえば、母は包帯のことを何も聞かなかったと、

陽平は思った。

 

高校の教室では、

何人かが例の深夜放送の話をしていた。

「あの曲、いいよなぁ」

「オレも同感、いままで聴いたことがないね」

 

当然のように、陽平もその会話に混じることにした。

 

最近になって陽平はその曲をよく聴くようになった。

もっともいまでは、極めて冷静に聴いている。

 

過去に起きたあの幻のような一瞬に、

このうたが流れていた…

 

陽平はそのことをよく思い出すのだが、

なぜか他人事のように、

つい遠い目をしてしまうのだ。

 

ジャズ入門

 

女性ジャズシンガーの方とお話する機会があった。

 

ジャズに関して私は初心者レベルの知識しかない。

が、ジャズボーカルは以前から興味があったので、

その辺りを尋ねてみた。

 

一体どんな曲から始めれば、早く上達するのかと。

質問が先走っているのは承知だった。

 

彼女の回答はこうだった。

「どんな曲でも良いんですよ」

「こころを込めて歌えば…」

 

なんだか曖昧としてる。

しかし話をはぐらかすようでもない。

適当にこたえている風でもない。

そしてこう切り出した。

 

「○○さんはビートルズはもちろん知っていますよね?」

「ええ、もちろんです」

「初期の頃の彼らの曲は、

単語もコードもシンプルで歌いやすいので、

私たちもライブでよく歌いますよ」

「えっ、ライブでですか?

だってビートルズってジャズではないですよね?」

と私。

 

「そうあまりかたく考えないでください。

ジャズ・ボーカルのとっかかりとしては、

最適なんです」

 

彼女がさらに続ける。

 

「だけど難しさもあります。

ビートルズの曲はみんな知っているし、

その印象が強烈なので、アレンジが難しいんです。

そこを自分のモノにできれば、

ジャズとして成立します」

 

「ジャズってそういうものなんですか?」

「そういうものです」

彼女は笑みを浮かべた。

 

私は正直すこし混乱した。

 

「ジャズで一番大事なのは、なんと言っても個性、

そのひとがもつ持ち味なんです。

そこがしっかりつくり出せると、

自分なりのジャズが歌えるようになります」

 

「個性、ですか」

 

「もちろん。ジャズって個性で歌うものなんです」

 

「………」

 

私は、サッチモが歌うジャズを思い出した。

あのダミ声が、あの笑顔が、

誰をも魅了するのがなんとなく理解できた。

そしてゴスペルのようなジャズが

教会に響き渡るようすもアタマに描いてみた。

都会的なフュージョン・ジャズとして、

シャカタクのナイトバーズもなかなか個性的だなと、

そんなことをつらつらと思った。

 

ボーカルに限らず、

さらに広くジャズを見渡すと、

そこにはとてつもない深みが待ち構えている。

 

ジャズピアニストのジョージ・シアリング、

ハービー・ハンコック、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、

スタン・ゲッツ、マイルス・デイビス等等、

その個性がまるで、おのおの小宇宙なのだ。

 

この辺りになると、聴いていてとても心地がいいのだが、

その演奏における技術だとかアレンジの意味合いを考えると

とても難しい。

 

ジャズ評論家という人たちの文章も過去に散見したが、

どうも敷居が高くて近づけなかった。

それはジャズにおける言語化が、ひとを寄せ付けない…

そのように思うのだ。

 

さらに例えるなら、哲学を説く哲人の一言ひとことの

その背後に潜んでいる何かを掴むように、

楽譜にはない箇所にジャズの真髄が如何にあるのか、

それを探さねばならないとか…

 

かようにジャズは底なしなのだ。

 

そんな内容の話を彼女にぶつけると、

少し笑ってこう話してくれた。

 

「要は生き方なのではないでしょうか?

皆さんそれぞれにさまざまに考え、

行動して毎日を営んでいます。

ジャズもそれと同じだと思います。

とても単純なことから難解なことまで、

いろいろあるでしょ?」

 

確かにそのように思う。

 

「ジャズって大海原のような音楽なんです。

とりとめがないんですよ。

そして掴もうとしても掴めない。

人も同じですよね。

だから自分らしく、すべてに於いて自分らしくです。

それがジャズなんだと思います、

そう思いません?」

 

ふーん、なんとなく譜に落ちたような気がした。

 

ではと、

「テネシー・ワルツなら歌えるかも知れませんよ」

と私が図々しく申し出る。

 

彼女が、

「入り口としてはベストチョイス!

で、江利チエミのテネシー・ワルツ?

パティ・ペイジのテネシー・ワルツ?」

 

「いや、柳ジョージのテネシー・ワルツが

いいですね」

 

「それは良いですね、

とにかく一曲でもものにできれば大成功です」

 

「そういうもんですか、ジャズって?」

 

「そういうもんです」

 

ただし、と彼女が言う。

 

「自然にスイングできたらですよ、

スイングね。

技術やジャンルのスイングではなく、

こころがスイングしたら、ですよ!」

 

「………」

 

アタマが少し混乱してきた。

 

なんだか禅問答の様相を施してきたので、

そろそろ退散することにした。

 

それにしても、ジャズって、

なんか宗教に似ているなぁ、

というのが、

最近の私の感想である。