才能ってなに?

柄に似合わず絵が好きで、

一時期、美術館巡りをしたことがある。

ピカソやルノワールなどの巨匠と呼ばれる画家、

日本の著名な画家、

そして現代作家でまだ名の知らない画家も含め、

とにかくじっと観てしまう。

そうした時間は、とても幸せな気持ちになれる。

よく、自分にも絵の才能があったらな、と思うことがある。

が、学生時代から絵は特別下手だった。

働くようになってからも幾度か描いたが、

人にみせられたものではない。

音楽も同様。

吹奏楽部に所属していたとき、トランペットを吹いていた。

毎日マウスピースを持ち歩いて、時間が空くと吹く。

あまりやり過ぎると、唇から血が出た。

当時はニニ・ロッソとかハーブ・アルパートという

スターのトランペッターがいて、

いつかあのようになりたいと思っていた。

が、同じ部内の先輩の透き通るような高音を聴いて、

どうしてもその音が出せない私は、かなり落胆した。

その先輩に将来は何になりたいのかと訪ねたところ、

サラリーマンと聞いて、余計に驚いてしまった。

結果、トランペッターは無理と判断。

徐々にやる気をなくし、退部してしまった。

写真の道も、経済的な理由で辞めてしまった。

当時、カメラマンになるには、とにかく高い学費が必要だった。

お金のない私の家では、諦めるしかなかった。

が、最近この頃のことを思い出す度に、

ホントに無理な道だったのかと考えることがある。

何故そう思うのか、だが、

まず私は精一杯努力したのか、

とことんやってみたのか、ということ。

そこが自分への疑わしさなのだ。

これはうぬぼれとかそうした次元の話ではなく、

誰にでも当てはまる共通項のような気がしている。

才能ということばがあるが、そもそも才能とはなんだろうと、

最近よく思う。

都合よく考える私は、人の才能なんていうものは、

あったとしてもたいしたものではないなと…

みんな、環境や好み以外に、

スタートは大差ない。

これが真実のような気がするのだ。

人並み外れた天才は確かにいるが、

こうした方たちは神に選ばれた人なので、

ある使命を携えているのだろう。

なので、今回の話には無関係だ。

私はいま、コピーライターという職業に就いているが、

別段、特別ななにかをもっている訳でもない。

前職は編集という仕事をしていたが、

ただ頑張るしかない。そうした世界だ。

他は、好きかどうか、それ以外、なにもないのだ。

学生時代にこうした世界にあこがれ、

まず作文教室に通ったとき、

私の作文を読んだその教室の先生は、

まず私にこう言った。

「君はなぜこの教室へ来たのか知らんが、

マスコミ関係をめざしているのなら考え直しなさい。

止めたほうがいい」と。

当時、いろいろな本を何冊も出版していた、

この超有名糞野郎先生のひとことで、

私は止めるどころか、産まれて初めて真剣に勉強をした。

こいつの言うことにアタマにきたからである。

お前なんかに、俺の将来が分かってたまるかと…

結果的に、この超有名糞野郎先生は私の先生となってしまった。

現在も一応プロとして、細々とこの仕事を続けているが、

少なくとも、このとき、そのことば通りに諦めなくて良かったと、

心底思っている。

他人のいうことなんか糞食らえなのである。

やるときはやる。

これしかない。

やろうと志せば、できるような気がする。

いま、ここまで生きてきて、やっとそう思うようになった。

こうした話は、すべて結果論となる。

いまは時代も違う。

が、人はみな、最初は大差ないことだけは確かだ。

偉大なる勘違い。

自分を信じる。

負けない心。

地道にやる。

こうしたプロセスを経て、みな伸びてゆく。

きっと、才能なんていうものは、

人のうわっ面を適当に表現した、

都合の良い言い訳でしかないのだ。

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