最近つくづく思うことだが、
おとなって演じるものなんだ、ということ。
だって年食ったって、
アタマの中ってそうそう変わらない。
最近になって、ようやくそれが分かった。
生きていれば、誰もがそれなりに社会に揉まれ、
いろいろな場でいろいろな人と出会い、
喜怒哀楽を重ねる。
で、世の中を見渡して、
他人を思いやることも覚えた。
が、何かが、相変わらずガキなんだなぁ。
変わらない。
変われない。
脳内年齢は、二十歳前後というところ。
まあ、人の親になって、曲がりなりにも子供を育て、
少し社会的に偉くなったりすることもあるけれど、
そうした場に出て、言っていることもやっていることも、
それなりの体面でしかない。
それがおとなと言えばそうなんだろうが、
その程度でして…
顔のシワが増えたって、白髪アタマでも、
根っこのところが、ガキの頃と変わらない。
強いて挙げればだが、ムカシより用心深くなった、
臆病になった、
そして、時間に限りがあることを実感するようになった。
それでもなお、落ち着いた振りをしている訳。
私ら、年いった人間はしかし、
一応永く生きている分、
なにかしらの修行に似た経験をしている訳で、
総じて我慢を強いられ慣れている。
会社で、街で、家庭で…
こういうのを年の功というのだろうか。
で、得たものは、ずるさ。
これを知恵と置き換えることもできるが、
そうしてエセおとなは、戦争を始めたりもする。
だから、知恵って、おとなの特許なのだ。
体力がなくなって、アタマでっかちになり、
ずるさが身についたとも言える。
落ち着いた物腰というのも、一見、理性的。
いつもにこにこしている輩も、
なにもいい人な訳じゃない。
或る忘れ物を取りに引き返すのを、止めただけなのである。
だからおとな諸君、
悟ったような自分を、かいかぶらないように!
そして子供諸君、おとなをあまり敬わないように!
思慮深くみえるのは、
実は、それだけ演技に磨きがかかっただけ、
なんですから!
こういうシニカルで、クールで、そしてユーモアのある短文はスパンキーさんの独壇場ですね。
この文章全体が、まさに 「おとなの文」 。
ズルくなって (?)、賢くなって、一筋縄でいかなくなった人間の持ち味があふれていて、とても面白く感じました。
>>「脳内年齢は20歳前後 … 」
とありましたが、人間の精神年齢は、だいたい20歳ごろからあまり成長しないという話をどこかで聞きました。
そこから思慮深くなっていくように見えるのは、スパンキーさんがいみじくも指摘されたとおり、「用心深くなって、臆病になった」 だけなんでしょうね。
考えてみれば、私なんかも、聞く音楽、観る映画、読む本。みな20歳前後の好みからほとんど変わっていません。
町田さん)
ガキの頃、親戚に怖いオヤジがいまして、みんな此奴にぺこぺこしている。
偉いんだと思いましたが、あるとき、このオヤジの家で、何故か私とテレビのチャンネル争いになりまして、
このじじぃがガキのように一歩も引かない。駄々をこねている。いやあ、本性を見た気がしましたね 笑
と、全然関係ありませんが、私もこの年になって気づいた訳です。
変わらないなぁって。だから、どうも演技に身が入らない 笑
町田さんも同じように見えますが…
コメント、ありがとうございます。