グレートサムシング(Great Something)

私事だが、

昨年11月末に母の3回忌を済ませ、

ようやくひとつ荷を下ろせた気がした。

菩提寺は横浜の外れにあり、

ようすから思うに、

まだ檀家の数が減っている気配はない。

そして年を越し、

近くの氏神様にお参りに行くと、

そこもなかなか盛況。

だが、人の数は、

以前に較べてかなり減っているようだ。

なにより若い人が少ないのに驚く。

そういえば、年越しのNHKは、

地方の名刹からの中継が多いが、

やはりお年寄りばかりが目に付く。

私たちは、

日頃から、神社と仏閣を平然と両使いする。

それが平均的日本人の姿のようでもある。

しかし、あなたの信仰はと問われて、

即答はできないのは私だけだろうか。

いま地方では檀家の数も減り、

僧侶不在の寺も多いと聞く。

一部の著名な所を除けば、

神社も同様ではないか。

日本人の生活に根付いている神仏も、

人口減と価値観の変化からか、

将来に暗い影を落としている。

死生観においても、

そして経済的な理由からも、

もう若い人を繋ぎ止めておくことは、

無理なのではないか。

私が所持している般若心経に、

このお経は万能であり、

どんな宗教を信じる者にも通ずる、

とある。

海外では理解しがたい解釈と思うが、

日本人の生活のなかに生き続ける信仰は、

かように複雑に絡み合い、

それが自然と暮らしのなかに

息づいている。

こんな信仰の姿を、

翻って信仰心がない、と片付ける輩もいる。

それを、いいじゃないかと軽くあしらうのも、

私たちの術ではあるが…

しかし、こうしたものも廃れてゆくのが、

いまという時代の姿である。

更に不可思議なことは、

人は誰も一端なにかが起きると、

少なからず、

天に、宇宙に、

そして海の向こうに想いを馳せ、

祈ることさえあるという事実。

それは、

信仰とは少し違った、

心の有り様なのかも知れない。

そんな心の揺らぎを

「Great Something」

と呼ぶらしい。

得体の知れない、

しかし、

この世の法則、そして事象を司る、

偉大な何か…

人はやはり何かを信じたいのだろう。

Great Somethingが、

あなたを見守ってくれていると感じることで、

救いのひとつにはなる。

―教え、宗教、信仰―

こうしたものに熱狂することを、

私はあまり好まない。

だからというか、せめてといおうか、

Great Somethingなのである。

その程度でいいんじゃないかと…

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