屋根裏から古い段ボール箱をおろして、
中身を確認してから捨てようとしたが、
古く重なり合った手紙の束を1つひとつ開いて、
滲んだインクの文字を追いかけているうちに、
すとんと時がトリップして、私は時代を遡っていた。
若い私への手紙はアメリカのサンディエゴからだった。
彼が、アメリカのいとこに会いに行ったときに、
私によこしたものだ。
ハンバーガーもマックシェイクも異常にバカでかいから、
そんなもの完食できない。
そして、おまえが横浜で乗り回している改造ビートルなんか、
こっち(カリフォルニア)へもってきたらフツー過ぎて、
誰も振り返らないだろう、
そんな内容だった。
すり切れて折れ曲がったエアメールを丁寧にたたんで、
再び封筒に収めた。
いままでこの手紙のことはすっかり忘れていた。
彼はずっとアメリカ行きに憧れていた。
目的は不明確だったが、
向こうで生活したいとよく話していた。
が、彼のアメリカへの旅はそれ一度きりだった。
彼はこっち(日本)で役者への道をめざした。
が、結局その道も数年であきらめることとなった。
生活していくとなると、おのずと限界はあるものだ。
役者で売れるというのは、
いわば宝くじに当たるようなものだと、
彼はよく話していた。
端からみていた私にもそう思えた。
それから彼はいろいろな職業を渡り歩いた。
得意の英語を活かして
ツアーコンダクターをやっていたこともあったが、
あまりに過酷なのでそれも辞めざるをえなかった。
後年、彼はある大手半導体関係の系列会社の社長になっていた。
もがき苦しみながら、彼が手にしたひとつの成果だ。
お互いに忙しくてなかなか会えない時が続いた。
或る日、彼の訃報が届いたとき、
私は途方に暮れてしまった。
忙しさにかまけていたことを深く後悔した。
彼の奥さんからお墓が決まりました、
との連絡を受けたとき、
私はなぜかほっとした。
さっそく彼の墓を訪ねた。
その墓園は、若い頃二人でよく走った、
なじみの国道の近くだった。
彼の墓石にこんな言葉が刻まれていた。
Memories Live on (思い出は生きている)
遠くから国道を走るクルマの騒音が聞こえる。
私の胸が詰まった。