湖の不思議

 

連日暑くて、去年はどんなことをしていたのか、

ふと思い出したのが、カヌーに乗ったときのことだった。

 

7月の中頃だったか、こっち(神奈川県)は暑くて、

いい加減にうんざりしたので、

道志村のある国道413号線から山中湖へ向かった。

 

湖畔は強風が吹いていて、

夏だというのに、少し寒ささえ感じた。

さすが避暑地というべきか。

 

富士五湖の魅力は、おのおのだが、

その親しみ度から考えると、

好みはやはり山中湖に落ち着く。

 

中学3年の夏休みにはじめてここでキャンプをしたとき、

湖畔のスピーカーから流れていた歌は、

カルメン・マキの「時には母のない子のように」と、

森山良子の「禁じられた恋」だった。

だからいまだに好きなのかも知れない。

他の湖もなかなか良いのだが、

好きだった歌から思い浮かべる湖というのは、

他を圧倒してしまう。

そういうものだと思う。

 

さて、その頃は泳いで山中湖横断とか、

結構無茶なことをしていた。

みな水泳部の連中だったので、かなり調子にのっていたと思う。

水中の藻が足に絡みついても、刻々と変わる湖の水温も、

その頃はなんとも思わなかった。

 

しかし、おとなになってから知ったことだが、

湖で泳ぐときは、海や河川とは違った注意が必要らしい。

実際、湖の藻に足を取られて亡くなった方もいる。

湖特有の水温の急激な変化による心臓麻痺というのもある。

 

で、去年の夏。

湖の新たな怖さを知った。

 

湖畔からカヌーを出したが、

強風でどうも思うように進めない。

まあ、こうしたときはななめにジグザグに、

目的をめざすもことにした。

 

相当、沖に出ると、

その風は水面を動かすほどに強くなっていた。

湖だからと甘くみていた私は、

オールを上げ、そうした状況も気にせず、

iPhoneを取り出して、

水面から撮る富士山の景色はいいなぁと、

夢中になっていた。

そして、いま船がどのあたりにいるのかさえ、

確かめるのを忘れていた。

 

と、船体がドンと何かにぶつかり、

その衝撃で私も倒れてしまった。

幸い、カナディアンスタイルのカヌーだったので、

船幅も広く、水面に放り出されずに済んだが、

我に返った私は、

何が起きたのか全く把握できなかった。

 

起き上がって船のまわりをみると、

水面から突き出た木の枝のようなものが、

あたりにびっしりと顔を出している。

座礁した船体には、強い波が幾度も押し寄せ、

船がひっくり返りそうになっていた。

船の縁につかまって水面をのぞき込むと、

濁った水中からにょきにょきと白く太い枝が、

不気味にこちらを向いて伸びている。

 

近くには誰もいない。

いや、離れたところにも、

山中湖名物の白鳥さえいないではないか。

 

山中湖は、賑やかな表の湖岸と、

人影さえまばらな裏の湖岸がある。

私は静かな方で、

ゆったりと浮かんでいようと思ったので、

それが裏目に出てしまった。

 

力任せに水中の白い枝をオールで押し、

そこを脱出しようと試みた。

次々に水中から顔を出す、無数の白い枝。

それらにオールを押し当て、

少しづつ進みはしたが、

しかし強い波によってまた押し戻され、

そんなことでかなりの体力を消耗してしまった。

 

注意深く観察すると、

私が乗っているカヌーのまわりは、

そうした水中林がかなりの範囲で広がっていた。

その真ん中あたりに私のカヌーがあったのだ。

 

強風と押し寄せる波に逆らって進めば、

岸はそれほど遠くはない。

しかし、幾ら頑張っても、

その威力には全く歯が立たなかった。

 

いい加減に力が尽きそうになり、

さっと乾いてしまう汗も尽きた頃、

一艘のボートがこちらに近づいてくるのが見えた。

エビアンのペットボトルの水もほぼなくなっていた。

 

そのボートには、地元の方とおぼしき

陽に焼けた高年のおじさんが乗っていた。

岸から湖を見ていて、

私の船をみつけてくれたらしい。

 

結局、この方にえい航してもらい、

その魔の水域を脱出することができた。

 

この方は地元の方で、

私の状況をすぐに把握したらしい。

結局おおげさにいえば私の命の恩人である。

 

岸に上がって、

開口一番「湖ほど怖いところはないんだよ」と、

この地元のおじさんが

にこにこしながらつぶやいた。

そうして、

湖にまつわるいろいろな話をしてくれた。

 

湖は、先の水温の急変や、

藻が人の足に絡みつくことのほか、

水底に引き込まれる水域とか、

よく分からない生き物が生息している噂とか、

いろいろな話をしてくれた。

 

そして、こうも話してくれた。

「湖には生き物のようなところがある」と。

 

それがどうゆうものなのか、

私もいまだ計りかねているが、

このおじさんは、不思議な人の死を、

さんざん見てきたそうである。

 

例えば、夜の湖畔で、

複数の人がいきなり湖に飛び込み、

そのままいなくなってしまったという話。

この人たちはそれ以前からよく来ていた方たちらしく、

湖に入ることなどまずしない慎重な方たちだった、と。

いま思い返してもつじつまが合わないと、

おじさんがしみじみと話す。

 

ふーむ、

では、湖に意思があるのだとしたら、

それはアニミズムのようなものの進化したものなのか。

超自然的な生命体のようなものなのか。

そして、万物の意思がネガティブに動くとき、

人はだいたい良くないことをしでかしているとか。

 

まあ、幾ら考えても結論は出ないのだが、

またひとつ、私の知らない不思議が増えた。

 

さて今年はまた、

あの怖いほどに魅力的な湖に出かけようか…

と思っている。

 

そう思ってしまうのも、あの湖が放つあやしさなのだろうか。

 

 

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