愛は尊いが

愛があれば
なんでも乗り越えられる
なんて言うが
世間は
そんなに甘くはない

愛だけでは
腹一杯にならない

割と理想主義(?)の私だが
その性格のおかげで
生活に窮したことも
たびたびあった

私が知らない間に
貯金も底をついた頃
家賃を払っていないことに気がついた

子どもの粉ミルクとオムツがないと
奥さんが言い出した

私は企画書を書く手を止めた

普段は貯金通帳も見ない私だが
このときばかりは
通帳の残高をつぶさに追った

無機質に印字された数字は
入るものより
出る額が上回っている

しかし待てよ!

結構仕事をこなしていると思っていたが
そのギャラはどうなっているの?

「外注さんの支払いが先でしょ
先方さんは手形だからね」

聞けば、その手形は6ヶ月を過ぎないと
割れないとうことらしい

ということで
近くの大手銀行へ相談にでかける

いわゆるつなぎ融資の頼みなのだが
当時の私はどこの馬の骨か分からない
取引実績もないただのフリーだった

いまでも忘れない

銀行の融資係は
バシッっとした背広に銀の縁の眼鏡をかけ
いかにもエリートという感じのまじめそうな男だった

話の途中、私の話を聞いているようで
全く聞いていないことが分かった

しまいに彼は
「そうですか」と言い
薄ら笑いさえ浮かべていた

当時のフリーは、プータローと同義語だ

審査結果はみえていた

一匹狼を標榜する私だったが
このとき以来
法人化の計画を練るようになった

決算書だの前年度比売上げとかなんて
全く興味がなかったが
一応、数字を追う意識が
このとき芽生えた

このときから現在まで
この銀行とは
一切取引はしたことがない

話は逸れるが
私の感覚で言わせてもらうと
一見まじめそうでいて
実は誠実ではない人間が
私はこの世で一番好かない

大嫌いだ

一見まじめなんて糞食らえと思っている

誠実か否かは、人の全く別の所の
奥深いところに宿っている

正直さと誠実さは
いざというときに垣間見えるものだと
私は思っている

人は見た目とは言うが
いやいや
そんなことはない

一筋縄ではいかないのが
人の面白さであり
怖さと思う

話を元に戻す

ときはバブル全盛いやバブル前夜か?

私といえば、働けど働けどなのである

モーレツに仕事をしたのに
いい思いをした記憶が一切ない

世間は羽振りの良さの勢いが止まらない

六本木でタクシーが朝までつかまらない

日産の高級車シーマやBMWがバカ売れしていた

有明のお立ち台では派手なボディコンお姉さん達が
扇子を持って踊り
羽目をハズしていた

浅田彰の「逃走論」をはじめ
ニューアカミデニズムのような思想が
世間に浸透したのもこの頃だった

ときは80年代

私の生活は
こうした風景のなかで
風前の灯だった

いま思えば私の采配ミスと
数字の甘さ
そしてプロデュースミスという
悪い偶然が重なったとしか
言いようがない

要は経験不足
力量がなかったのだ

幸い、最悪の事態を脱した私だったが
このままではまずい

のう天気な私に危機管理能力が身に付いたのも
この頃だ

私は自分の仕事を法人化すると同時に
スタッフの数字にもシビアになった

経験は人を堅くする

自分に厳しく回りに厳しく

と書いたところで
生来の性格が直るものではない

いまでも決算書なるものは
年に数回しか目を通さないし
通帳も奥さん任せ

ともかく総てがだいたいで
決めてゆく性格はそのままだ

が私は
かなりありふれた事に気がついた

愛があれば何でも乗り越えられる
なんて言う甘い言葉は
もう私は信じていない

ありふれたことは案外奥が深いことがある

幸せになるには

愛と

どうしても

あと少々のお金が必要なのだ

「愛は尊いが」への4件のフィードバック

  1. 私もよく考えます。
    まあ愛があればお金はいらないというか、お金は関係ないかなって思います。
    軽井澤もお年頃なんで、結婚とかすごい考えてまして(笑)
    私の場合今の仕事よりも愛する人がいたら金にならない今の仕事はやめて、その人のために働く…なんてこともあるかもしれません。
    なんだか話がずれました。
    お金は確かにかーなーり!大事ですが、愛よりお金が大事だと思っている人はあわれですよね。
    ま、思いだけでは社会に立ち向かうのは本当に大変ですよね。
    夢見がちな現実主義者なんで大変です。

  2. 軽井澤さんへ)
    好きなことをやり、好きなように生きるのは、結構沢山の人が思い描くような気がしますが、やるか否かというと、激減しますね。
    コレ、実際にやってみるとかなりしんどい訳で、フツーにしてた方が楽です。
    誤解のないように言えば、皆それぞれ目的も価値観も違いますから。
    あと、はぐれ感というかなんというか。つくづく、一人を実感できます。
    私の父は公務員だったので団体意識がバッチリありました。退職しても横のつながりはありましたね。なのに私は団体意識、皆無です(笑)
    いや話が逸れました。実際ビンボーって笑っているうちはハッピーなんですが、行き詰まるとかなりヤバイです(爆)
    愛至上主義ではいられないアセリ、コレ凄いストレスかかりますから驚きます!
    どの道を選ぶのも自由ですが、夢は見るものなか?夢は追うものなのか?
    いつも、その難問が夢見がちな人達を悩ませるんですね!
    最良の選択をしてくださいね!
    コメント、ありがとうございます。

  3. 素晴らしいですね。スパンキーさんが自立への道を歩んでこられた素直な回顧が、とても説得力をもって伝わってきます。
    私なんか、いまだにこの年になっても生活設計のツボが把握できていないために、給料日前に、光熱費の引き落としさえままならず、本を売ったりしています。
    >「幸せになるには、愛と、どうしても、あと少々のお金が必要なのだ」 という述懐、非常によく分ります。
    ただ、「愛」 って何だろう? って深く考えると、けっこう難しいテーマですね。
    私なぞは、たとえば家族に対する 「いつくしみ」 とかいう感覚なら分りますけど、面と向かって 「愛」 とかいうと、なんか “おおげさ” だなぁ…とか、尻込みしてしまう感覚があります。
    「愛」って言葉は、いまだに私が文章の中で十分に使いこなせない単語のひとつです。
    でも、それをうまく使いこなしているスパンキーさんの文章を読むと、結局は 「愛だけでは生きていけない」 という力強く生き抜いてきた生活実感を持っているかどうかの違いかもしれないと思いました。
     

  4. 町田さん)
    愛って言葉、頻繁に使う方と全く使わない方に分かれますね?
    先日も、とある方が歌う歌用に詞を書いたのですが、その詞にやはり「愛」が入っていまして、その方曰く「私はまだ愛が何だかよく分からないので、その言葉を他の比喩と換えてください」と。
    で、現在、悪戦苦闘している最中です。
    さて、この話は愛よりも生活というなんとも現実的なものに力点を置いていまして、愛は例えの添え物(?)とご理解ください。でないと、先に進まないんです(笑)
    愛と少々のお金のくだりは、あのチャップリンの名言です。彼でさえ、映画と芸術に突っ走っていた訳ではなく、限りなく生きてゆくことに対して突きつめて、あの言葉が出たのでしょう。
    私はと言えば、その後ろをチョロチョロ実感したというのがホントでしょう。
    でも、引き返せない人生は進むしかないので、もう勤め人にはなりません(爆)
    コメント、ありがとうございます。

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