そのときは突然訪れたので、困惑した。
まだ、中学生の頃。
私も人並みに受験勉強に励み、
寒い夜中に、石油ストーブをつけて、
ラジオを聴いていた。
たまに深夜の外を眺めて新鮮な外気に触れ、
英語の勉強をしていたときだと思う。
ふと気がつくと、
私はそのメロディーに魅了される。
シャープペンを置く。
ストーブの上のやかんの煮え立った音が、消える。
少し頭痛が出て、
そのメロディーは、外からきこえた気がしたが、
ラジオのジーっという雑音も消えてなくなり、
溢れ出るメロディーに、時が止まった。
後日、このアーティストが、
サイモンとガーファンクルと知る。
いまではたまに聴く程度だが、
当時は折りに触れ、
擦り切れるように、聴きいっていた。
「サウンド・オブ・サイレンス」は、静かに流れる。
その音楽は、
確かに静寂のなかのサウンドだった。
以来、私は窓を開け放ち、
夜空をじっと見上げる癖がつき、
その空を突き抜けた先に、意識は向かっていた。
夜のしじまに流れる、
宇宙の交信の気配を気にするようになったのは、
こうした習慣が常態化してからだと思う。
後、静寂はメメント・モリのときであり、
自分というちっぽけな存在の生を意識する儀式となり、
都会生活に於いても欠かせない確認事項であり、
独りを意識し、この世の孤独と向き合う、
格好のときとなったのだ。
一方、数年後、
私は高校生になり、
「よい子」が集っている吹奏楽部が肌に合わず、
退部する。
そのときから、学校へ行かなくなる日が増え、
家を出ても、私は反対方向への電車に乗っていた。
そして、世間で言う不良仲間が溜まっている
アパートへとしけ込む。
学校や職場からはぐれた数人の仲間とは、
たいした話もなく、
気だるい心身を引きずって、
ただパチンコ屋へ通い、
出玉でその日をどう過ごすか、
そんな日々だった。
考える事を拒絶し、
これから先に、
自分のなにが広がっているかなどとも思わず、
目の前のテレビがなにを言っているかも分からず、
ただ、こんな時間が永遠に続くとなると、
生きていることに、
とてつもない退屈さを感じた。
その頃の私にとって、
時は、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めで
辛い時間だけ止まっている、
そんな観念さえ抱いていた。
生の輝きもなく、
それは真綿で首を絞められるような拷問に思えた。
そんなとき、
仲間の自慢のJBLのスピーカーから、
吉田拓郎が唄っていた「人間なんて」が、
いつも流れていた。
乾いた砂漠を宛てもなく歩く…
そんな自分の姿が、脳裏に映っていた。
人間なんてらららららららら…
人間なんてらららららららら…
この歌詞のらららに、
私は、むなしさのすべてを詰め込んでいた。
いまとなっては、
その時間が益であったのかどうか、
思い出す度に、
困惑する自分がいるのだが…