青春仕事事情

私の仕事の原点は、肉体労働だった。

まず、金になること。金を手に入れ、

クルマを買うこと。

若い頃、働く理由と意欲の原動力は

それしかなかった。

それまでも、サッシ工場、ライター工場、

大型長距離便トラックの助手、

配送、果ては自らトラックドライバーとなり、

関東一円にコーヒー豆を運んでいた。

これらの仕事は、すべて金額で決めていた。

後、セールスドライバーもやったが、

これはこれで営業職も兼ねていたので、

割とアタマも使った。

当時、何ひとつ取り柄のない私にとって、

肉体労働は唯一稼げる仕事だった。

とりわけ、沖仲仕の仕事は

いまでも印象深い。

朝一番に横浜の港近くのドヤ街に行き、

立ちんぼと呼ばれる男たちとの交渉。

何の仕事で日当幾らが決まる。

とにかく最高の値の仕事を獲得する。

で、話が決まると、マイクロバスに乗せられ、

広い港のどこかよく分からない場所で降ろされる。

溜まっている男たちも、まあその日暮らしばかりで、

目だけが異様に鋭かった。

艀のような船に乗せられ、大きな貨物船の横へ付けられる。

貨物船の大きなクレーンから、続々と魚粉の麻袋が下ろされ、

下にいる私たちが、その麻袋をひたすら船に積み上げる。

一袋20㌔はあっただろうか。

麻は手で持たず、鎌をかけてひたすら横へ放り投げる。

それを他の奴が、船に隅から積み上げる。

たまに、高いクレーンの網に乗せ損ねた麻袋が、

船にドスンと落ちる。

「危ないぞ!」と聞こえた瞬間に落ちるので、

だいたい間に合わない。

が、この仕事の間、事故はなかった。

麻袋が落ちた真横にいる奴がにやにやしている。

それがどういう笑いなのか、よく分からない。

8月にこの仕事に就いたので、一日炎天下にさらされた。

躰が悲鳴を上げる。

腰が痛くてたまらない。

船の端で、

何が原因か分からない殴り合いの喧嘩が始まった。

よくそんな気力があるなと見ていると、

現場監督がヘルメットで二人を殴り倒し、

なにもなかったように、作業が続く。

昼飯に陸へ上がると、躰がゆらゆら揺れている。

船酔いのような気分の悪さが続く。

監督からメシが手渡される。

白飯と二切れのたくあんと真っ赤な梅干しが、

ビニール袋に詰め込まれている。

全く食欲が出ず、

コンテナの横のわずかな日陰に横になる。

目のどろんとした痩せた男がこっちを見て笑っている。

逃げようかと考えていた矢先だったので、

見透かされた気がした。

いつの間にか寝てしまい、

でかいボサボサ頭の男に尻を蹴られて起きる。

午後の作業はピッチが上がる。

この魚粉は、後にフィリピンの船に載せられ、

相即、港を出なくてはならないらしい。

「急げ!」と檄が飛ぶ。

太陽に照らされた背中が赤く腫れ、

悲鳴を上げる。

水筒の水が切れてしまった。

体中が魚の粉まみれで臭い。

意識がもうろうとする。

もう、誰も口を利こうとしない。

やがて、

上に上がったクレーンを見上げると、

船員が終わりの合図を送ってきた。

丘に上がり、全員が日陰に臥せ、

しばらくの間、

誰も起き上がろうとはしなかった。

躰が揺れている。

帰りのマイクロバスはしんとして、

やはり誰も口を利かなかった。

クルマを降りると、

この連中の後へ続く。

そして露天でビールを煽ると、

ようやく、みな饒舌になった。

結局その後、妖しい店を数軒はしごし、

東神奈川の駅に着く頃、

財布の金は、ほぼ使い果たしてしまった。

こんなことを数日続けるうち、

いろいろな事を考えさせられた。

自分になにができるのか、とか、

なにか新しい事を始めなくては、とか、

漠然とした不安がよぎっては消えた。

クルマより大事なこと…

初めて自分の立っている場所を知ったのも、

この頃だった。

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