その或るひとは、
初対面にもかかわらず、
会って5分もたたないうち、
私にこう切り出した。
「今度、あんな波が来たらさ、
俺たちみんなで呑まれよう。
そう言っているのさ。
俺たちは、ずっとあそこを動かねぇからさ」
途端、こちらの心臓が縮まった。
いや、それは…とも
そうですね…とも言えず、
私は瞬間的に
「はぁ」とだけ返答したように思う。
前後の話は、いま思い出そうとしても、
何も覚えていない。
ただ、地下鉄の入口まで見送ったとき
その広く頑丈そうな背中が
もろい石のように、
いまにも崩れそうな不安定さを帯びていた。
ひとはひどく弱いいきものなのだ。
しかし、一端翻ると、これほど手強いものは、
自然界に存在しないかも知れない。
毎日、チマチマと生きている自分なんぞに
分かるハズもない、その或るひとの日常。
私のすべては、
きっとそのどうしようもないチマチマだから、
ひとは経験によって、この世界をみていると感じた。
あの日、私はせいぜい揺れた怖さの他を知らない。
その或るひとは、ほんの数分の間に、
私にひとの想いというものを教えてくれた。
そこから、果てしないものがみえる、ということ。
やはり、
ひとは伝え、繋がって生きてゆくものらしい。