濃密なとき

90年代は、僕にとっての激動だった。

神奈川にいる親が高齢になったこともあり、

再三オファーがかかるようになった。

加えて、仕事上のいきづまりなどが重なって、

結局、東京の事務所兼自宅マンションを引き払うことにした。

この仕事を辞めようと思ったのも、この頃だ。

最後の荷物をまとめて、引っ越し屋さんから

「出発の準備ができました」と言われ、

ああ、もうこの生活は終わったんだなと、

やっと気づいた。

ガランとした部屋に佇んで、

壁を眺めているうちに、

涙がとめどなく流れた。

幼い長男は、そんな僕を

じっと見ていた。

この街で、

僕は何を追い求め、

何を掴み、

そして何を失ったのか…

がしかし、

とにかく僕は挑戦をしたのだ。

ここで費やした時間は、

社会への助走であり、

人生への賭けであり、

僕の、かけがえのないときでもあった。

傍らには、不安に苛まれることもなく、

ずっと奥さんがいてくれた。

愛おしい子供も産まれ、

無邪気に育ってくれた。

僕らの濃密で膨大なできごとが、

この部屋に、

いや、

東京という都会のなかのわずかな隙間に

ぎっしり詰まっていた。

若くして志したことを、

現実に引き寄せる力だめしのときは、

とにかく一端終わったのだ。

夢を追うこと。

負けない心。

ぶれないで走る。

やり通す。

いま思えば、そのどれもが危なっかしくて、

見ていられないものばかりだ。

でも、走り続けた事実は、

確実にこの手に掴んだ。

その感触を、いままた温めて、

若い誰かに手渡したい。

「濃密なとき」への2件のフィードバック

  1. 「人は、いちばん大切なものだと思い込んでいるモノを捨てたときに、さらに大切なものに出会う」
    拝読し、なんか、そんなことを思いました。
    きっと、この90年代に、スパンキーさんは、「今の自分」 を形成されたのでしょうね。
    一度、崖っぷちを覗いた者は、やっぱり強いですね。
    もともと強靭な精神力を持たれていたのかもしれませんが、やはり 「苦労は人を鍛える」 という単純な原理は、どんなときでも通用しそうです。
    「自信」 というものは、自分で危機を脱したときに、はじめて手に入れられるものなんですね。
    自分などは、たいした苦労もせずに、ヘロヘロした人生をここまでたどってきてしまいました。
    だから、これから、崖っぷちを覗くことがあれば、きっと足がへなへなと崩れ落ちてしまいそうな気もします。
    一寸先は<闇>。
    そんなことを思う今日このごろです。
      

  2. 町田さん)
    会社を辞め、まず友人と始めた赤坂の会社では、
    かなり売り上げました。が、フリーになってからが地獄でした。
    それでも当時は若かったので、どうにかなるといつも思っていました(笑)
    で、だいたいどうにかなっていたのが笑えますが、
    冷静にまわりをみたら、みんなマンション買っているし、
    良い格好しているし、ゴルフやっているし、
    自分は一体なにやってるんだろって思ったこともありました。
    が、いま思い返せば良い思い出です。
    で、現在も現役続行中ですが、やはり過去は過去。
    町田さんと同じく、崖っぷちに立ったら、へなへなと崩れ落ちますから…
    みんな同じ。大丈夫ですよ!

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