自由が丘へは所用で時たま行くので、
その度、コーヒーを飲む店も決まっていて、
窓際から行き交う人たちを眺めるにつけ、
やはり自由が丘は格好良い老若男女が多いなぁと、
都度、感心する。
東横線でも近隣の繁華街である武蔵小杉とは、
だいぶ人のようすが違う。
武蔵小杉には私の幼なじみが暮らしているが、
彼にしても、極めてフツーのオッサン。
お洒落度も並である。
オバサンもみな庶民的。
武蔵小杉はムカシからそういう街である。
一方、自由が丘のオッサンである。
彼らは、何故かお洒落度がグンと高い。
もちろんキッタナイのもいるが、
逆に格好良いオッサンも際立って多いのが興味深い。
なぜか、
横浜・元町のフクゾーのシャツでキメているオッサン、
リネン素材の鎌倉シャツにトートバッグ、
白のデッキシューズで闊歩しているオッサンなどなど、
この街には格好良いオッサンがゴロゴロいる。
まあ、ユニクロ、イオン、ヨーカ堂シャツ仕様もいるだろうが、
自由が丘のオッサンは総じて、
着こなしが上手いのが特長だ。
私の目を惹いた極めつけのオッサンは、
大型犬を連れ、遊歩道を悠々と歩いていた。
なんというか、
あの独特の赤い発色のポロは、イタリア製と踏みました。
そしてたっぷりした太い自然素材のスラックスは、
パパスであろう。
パパスブランドは、やたら値が高いんで、
私なんぞは店の前を素通りするのみと決めている。
なのに、そのオッサンは
そんな服で遊歩道の何処にでも腰掛け、
犬の機嫌にのみ集中。
汚れたって関係ねぇようすなのである。
その大型犬がなんという種類なのか、
私は初めて見た犬なので全く分からない。
レトリバーであるとかハウンド種であるとか、
そうしたワンコは私にも分かるが、
スラッと伸びた足に程よい小顔。
ウーン、利口そうだ。
うむ、いかにも高そー、
希少ですよ的大型犬であった。
そしてこのオッサンだが、
犬を連れているからには、
ご近所からやってきました、
歩いてきましたよと誰の目にも明らかなように、
適当に人混みを悠々と闊歩したのち、
奥沢方面へとゆったりと去って行ったのであった。
こうした感じのオッサンは早朝の山下公園とか
みなとみらい地区にも現れるが、
なんというか、
自由が丘のオッサンと較べると極めて自然、
ナチュラル、フツーに感じるのである。
何故か自由が丘のオッサンの場合は、
異彩を放っていたなぁ。
この違いが何であるのか、
未だ私には解明できていない。
街が醸し出す個性、犬とオッサンの相乗キャラ、
こんなことをいろいろ考えるのだが、
いまだ結論には至っていないのが悔しい。
分かることといえば、
この自由が丘のオッサンの場合、
金も暇もありますよ、と
暗黙のうちにアピールしているということである。
このオッサンを思うにつけ、
自由が丘の特異性が浮かび上がる。
と同時に、
世の中の生活の格差というものも、
街中においても歴然と露出している訳で、
自由が丘という街は、そうしたサンプルとして、
結構面白い。
まあ、ひがみ根性も混じった私見に満ちた話ではあるが、
こうしたサンプルは、
日本中、いや世界中の至る所にゴロゴロしている。
救われるのは、こうした方々が成功者であるかどうか、
それは分からないが、
そんなことはどうでもいいのであって、
幸せかどうかは、
いずれ知らぬことであるということ。
なんたって、幸せの尺度っていうのは、
外見では分からないどころか、
本人の主観でしか計れないのだから、
やはり世の中は不思議に満ちているのだ!