この夏の高校野球はなかなか面白かった。
本来、野球というものにあまり興味がないので、
地元神奈川の代表校が東海大相模高校で、
甲子園に出場していることさえ、夕方のニュースで知った次第だ。
興味本位で、第2試合あたりから幾つかのゲームをテレビで眺めた。
プロ野球とはまた違うドラマがそこに繰り広げられているなぁ、と思った。
やはりというべきか、高校野球は面白い。
だって、選手一人ひとりが、一生に一度の舞台だものな。
45年前の夏、私は甲子園でトランペットを吹いていた。
この年の夏、母校の東海大相模高校が神奈川県地区大会で優勝し、
甲子園行きが急きょ決まると、
私たち吹奏楽部内もにわかに慌ただしくなった。
吹奏楽部のこの夏の最大の目標は、
秋の神奈川県コンクールで優勝することだった。
私も、課題曲と自由曲の楽譜と格闘しながら毎日練習を繰り返していた。
しかし、唇から血が出るほど練習していたにもかかわらず、
すべてが一端中止となる。
部活のメンバーは急きょ、高速バスで甲子園入りとなった。
そして連日の炎天下のなか、
私たちは甲子園名物のかち割りをかじりながら、
猛烈に演奏した。
かの有名な甲子園での応援演奏であるコンバットマーチは、
私たちが最初に演奏した、らしい。
真偽のほどは定かではないが、
私はそのように先輩から聞いた。
しかし、甲子園に来て一週間ほど経った頃、
心底、家に帰りたいと思った。
まず、家のベッドでゆっくり寝たかった。
そして海かプールで、思いっきりはしゃぎたかった。
気にかかっていたのは、コンクール曲の練習不足だ。
連日粗い吹き方もしていたので、唇がバカになっている。
応援を離れ、基礎からじっくり練習し直さなければ、
という不安もアタマを駆け巡っていた。
帰りたかった理由はまだある。
好きな子に遭いたかったからだ。
甲子園近くの赤電話から一度だけ電話をしたことがある。
10円玉を相当用意したにもかかわらず、
たいした話もしていないのに、
10円玉がジャジャラとなくなってゆく。
「いま甲子園に来ているんだ」
「エッ、ホントに?」
そんなことしか話せなかった。
我が校の野球部は私の意に反し、次々に勝ち進む。
そして遂に、決勝まできてしまった。
こうなったら、もうヤケクソである。
我が校に勝ってもらうしかないと、遅まきながら本気でそう思った。
決勝の相手はPL学園。
噂通りの強豪校だった。
このときの東海大相模のエースは上原投手。
キャプテンは確か津末という選手だった。
客観的にみて、負けると思っていた。
しかし、甲子園ってやはり魔物が棲んでいるとはよく言ったものだ。
運は、東海大相模に向いていた。
結局、私たちは10日以上を甲子園で過ごし、
その夏は燃え尽きてしまっていた。
そして、吹奏楽部の最大の目標であった秋の神奈川県コンクールは、
結局3位だか銅賞だったか、そんな感じで終わった。
いま思えば快挙と思うが、優勝を狙っていた先輩達の悔しい顔が、
いまも思い浮かぶ。
訳あって、私は一年でこの吹奏楽部を退部した。
あれから母校へ顔を出したのは、若い頃にたった一度だけ。
卒業証明書を取りに行っただけである。
大学の付属校にいながら、そこへは進まず、
結果、大学も別のところを選んだ。
あの夏から45年経った今年の夏。
私は母校の校歌を久しぶりに聴いた。
♪
果てしも知らぬ平原に
相模の流れせせらぎて
天に星座の冴ゆるとこ
これ我が母校我が母校
♪
天に星座の冴ゆるとこ、
という表現がとてもロマンチックだなと、
初めて気づいた。
記憶の底に眠っていたものが突然目を覚まし、
アタマの中を忙しく駆け巡る。
意図せず、目頭が熱くなった。