私の中学時代はほぼ60年代後半だったので、
あの頃やたらと流行っていたのが、
グループサウンズである。
それまで聴くものといえば、
舟木一夫とか畠山みどりとかの歌謡曲ばかりで、
少年だった私にはそのどれもフィットしない。
というか、ピンとくることもドキッとすることもなく、
たいして面白くもなかった。
唯一、ベンチャーズブームというのがあって、
エレキギターの音楽に、それは驚いたものだった。
同時期、ビートルズが初来日。
彼ら4人が羽田空港に降り立ったときは、
テレビのニュースはどれもトップ扱い。
日本中が大騒ぎしていた。
が、小学生の私にその音楽はいまひとつ
よく理解できなかった。
で、グループサウンズだが、
この音楽が、ようやく中学へ進学した思春期の私を
ガッチリ捉えた。
ベンチャーズやビートルズに較べれば、
グループサウンズの音楽性とやらは、
それほどのものではない。
歌詞をいまながめても
結構こっちが恥ずかくなるようなものが多い。
しかし、当時の私はスッポリハマった。
さてグループサウンズとはなんなのか?
その系譜を辿ると、
ビートルズやローリングストーンズのパクリ系、
ヨーロピアンポップスを焼き直したもの、
アメリカのR&Bをこちら風にアレンジしたもの、
アメリカンフォークの流れを汲んだもの、
そして日本の歌謡曲を進化させたものなどなど、
多岐多彩だ。
アップテンポな曲はどれも
初めて聴く私には斬新だったし、
ボーカル、そしてリードギターサイドギター、
ドラムというバンドスタイルがカッコ良く映り、
当時の私たちを熱狂させた。
ザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」を皮切りに、
ジャッキー吉川とブルーコメッツは
「ブルーシャトー」をヒットさせ、
ザ・タイガースが「シーサイド・バウンド」で、
ザ・テンプターズが「エメラルドの伝説」で、
当時の日本の音楽シーンのトップに躍り出た。
その他にもザ・カーナビーツ、ザ・ワイルドワンズ、
ザ・ゴールデンカップス、ヴレッジシンガーズ、
オックス、ザ・モップス、ザ・サベージ、
ザ・ジャガーズ、シャープ・ホークス、
パープルシャドーズ、ザ・ダイナマイツ………
いやいやキリがないなぁ。
とにかくどのグループもヒット曲を生み、
日本の歌謡界にはとにかく
グループサウンズという嵐が吹き荒れた。
当時の雑誌はどれも
彼らのうちの誰かが表紙を飾っていたし、
人気者になったバンドが主人公の映画は
何本もつくられていた。
音楽番組の多さもいまと比較にならないほど多く、
ヒット曲の多さも去ることながら、
レコードの売上げも群を抜いていたようだ。
私はそんな音楽を聴きながら勉強をし、
街へ出かけ、テレビを観、
要するに浴びるようにその音楽と共に
中学生活を送ったのだ。
それは絶え間なく流れるサウンドとして
逃れられるハズもなく、
グループサウンズを全身どっぷりと浸かった、
という表現がふさわしい。
が、それほどパワーのあったグループサウンズも、
その瞬間最大風速の強さも去ることながら、
大型ハリケーンのように現れ、
足早に過ぎ去ったのだった。
70年に入って嘘のようにその鳴りを潜めたグループサウンズは、
その渦中にいた私たちだけの年代を
狙い撃ちするかのように、
あっいう間にその姿を消してしまった訳だ。
要するに、
上の世代はもっと高級な?本場の音楽に親しんでいただろうし、
下の世代は、その多感な時期に、
ユーミンとかオフコースとか、
もう少し洗練されたものに
触れていたような気がするのだ。
だから団塊でもなく、
新人類と呼ばれた世代でもなく、
その狭間の世代にしか分からない世代の想いが、
このグループサウンズというあだ花に
熱く注がれてたように思う。
あれから何年経っても何十年が過ぎても、
私の音楽の原点は、
やはりグループサウンズなのではあるまいか?
そう思うことがある。
いま思えば割とダサい音楽、
そして超個性的なスタイルを引っさげ、
私たちの胸を射ったと思ったら、
さっと消滅していったグループサウンズ。
それは、
調度つむじ風のような不思議な感覚であったし、
特異な音楽シーンであったように思う。
そこに、私たちの世代しか分からない、
青春の原点のようなものも詰まっている。