キザな台詞のような、いや、この素敵なフレーズは、
かなり昔の角川映画のタイトル。
覚えています?
80年代の幕開けにふさわしいというか、
ちょっとイカしたタイトルだと思った。
僕は社会に出て、真新しいウォークマンを身に付けて品川まで通勤。
学生時代によく聴いていたソウルミュージックを聴く機会はメっきりと減り、
この頃から山下達郎、YMO、エボ、南佳孝など、
ニューミュージックと呼ばれるものを聴くようになっていた。
━音楽を連れて街へ出る━
そんな新しいライフスタイルが定着したのが80年代の初頭。
「スローなブギーにしてくれ」という映画の出来に、僕はあまり興味はなかった。
ただ、原作者の片岡義男がとても気になった。
この作家の書くものは都会的で、
そこには、いままで僕の全く知らない洗練された世界があった。
以前のブログにも書いたので、
いまこの人の書く世界というものは端折るが、
後に続く村上春樹の作品の幾つかがどこか片岡義男に似ているなと思った。
村上春樹が片岡義男を意識していたこと、
そんな事を書いたものを僕はいままで読んだこともないが、
ほぼ間違いないと勝手に思っている。
どこが…と言われるとこたえに窮するが、要はその空気感とでも言おうか、
ひとことではあらわせないような何かが、共通項としてある。
あえてあげるなら、このふたりの作家は、
共に英語に堪能であり海外の作品を数多く、
それも原書で解釈していたのではないか。
文体が日本語のそれとは違い、翻訳的とも思われる文体を駆使すること、
僕がまず気がついたのは、そうした箇所からだが。
音楽に話を戻すと、
僕はとりわけ南佳孝の歌い方と歌詞が好きで、
彼の「日付変更線」という作品においては、
遠くパラオの名もない小島でほぼ半日くらいの間、
ヤシの木の下に寝そべって青い海を眺めながら、
ぼおっと浸ったことがある。
もちろん、ウォークマンと一緒に。
ニューミュージックなんて軽めに書いたが、
彼の楽曲にはジャズに精通したものもかなりあるし、
詞には早くから松本隆も参加している。
やはりそうなると大御所なのかねって。
で、今年の夏、なぜか南佳孝への興味が急速に再燃、
それではということで急きょライブへ行くことにした。
32度超えの8月の初旬、私と家内は早めに家を出た。
そして、会場近くのパーキングに車を止め、
レストランで軽めの食事とアイスコーヒーをとる。
で、ネットで調べた住所を頼りに、
目的のビルの地下のライブ会場へと急いだ。
これは失礼な話になってしまうが、
客観的に考えて、
いまどき南佳孝ライブなんて私たちのマニアックな趣味であり、
もうみんなは忘れているアーティストという認識だった。
会場もかなり空きがあるものだと勝手に想像していた。
が、ライブ会場は満席、というか当日もライブを聴きたくて来た、
という人もかなりいて、開場前からすでに熱気に包まれていたので、
私たちは面食らってしまった。
やはり南佳孝って根強いファンがいる。
まわりを見渡すと、僕とほぼ同年代のファンが多数を占めているが、
若い人もかなりいるではないか。
という訳で、認識を新たにした次第。
さらに驚いたことに、彼はいまもラジオ番組ももっていること、
相変わらず楽曲をあれこれと歌い手たちに提供していることを知る。
ああ、知らぬは僕たちだけだったということが判明した。
いまさらながら恥ずかしい思いをしたのは、
私が好きなアーティストをしっかり見守っていなかった、
そうした薄情さに由来するのだろうと思う。
ここ30年の間、私はなにをみて何を聴いていたのか。
彼のピアノが響き渡り、あの独特のハスキーボイスが会場に広がると、
思わず心の中でうわああと叫んでいた。
モンロー・ウォーク、憧れのラジオ・ガール、
風にさらわれて、涙のステラ、羅針盤、SCOTCH AND RAIN…
どれも想い出がいっぱい詰まった素敵な曲ばかりが続く。
当然、見た目はおじいちゃんになってしまった南佳孝だが、
それはお互いさまのことである。
しかし声に張りがある。
ギターの指使いの切れも相当いい。
そして音楽が好きで好きでたまらないという、
エネルギッシュさに溢れている。
湘南の大磯在住。早朝に目覚めてしまう。
趣味は散歩ととぼける。
いや、杉山清貴と新曲もリリースしているし、
斉藤和義とも仕事がらみか親交があると話していたし、
バリバリの現役じゃん。
その後数日、僕の心身には快い余韻が残って、
相当浮かれていたと思う。
過去の忘れ物を取りに行くのも、
たまには悪くない。