いまさらクラシック音楽にめざめる。

私が割ときれいだと思う女優の藤真利子さん。

この人が先日「サワコの朝」に出ていて、

彼女の好きな曲として、

辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」を紹介していた。

朝飯をくいながらぼおーっと観ていたのだが、

辻井さんの弾く姿とピアノの音に、

なんだか目が覚めるような感動が起きてしまい、

それからというもの、彼の演奏を毎日聴いている。

我ながら、意外な反応だったのだ。

「月の光」「英雄ポロネーズ」チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」

ショパン「12のエチュード」…うん、いろいろ聴いていくうちに、

どの曲の演奏も、とても魅力的でパワフル。

生命力に溢れていて、彼がとても格好いいのだ。

クラシックってなかなか素敵じゃんと、

彼のおかげで、いまさら気づくこととなった。

そこで後日、フジ子・ヘミングさんの

「ラ・カンパネラ」「トルコ行進曲」とも聴き比べてみた。

辻井さんのに対して、フジ子さんのピアノは包み込むようにやさしく、

ちょっとスローで熟練しているなぁと感じた。

個人的には、辻井さんのが好みと分かった。

以前は、こうした高尚とも思えるものを何十年と避けてきた。

理由は幾つかあって、その1は

小学生のときに音楽鑑賞の時間があって、

バッハとかベートーベンをじっと聴かなくちゃいけないのだが、

全く落ち着きのない私にはとても辛い時間だった。

一刻も早く、外に飛び出したかった。

それでも我慢をしてじっと座って聴いていると、

今度はひどい眠気に襲われ、

気がつくとよく先生に怒られていた。

以来、こうした音楽が苦手になってしまった。

その2は、クラシック音楽は権威の象徴であると、

勝手に思っていたフシがある。

または、暇な金持ちの聴くものと決め込んでいた。

何にでも逆らっていた若い頃の私は、

クラシックを聴くとなぜか生理的にいらいらしていたので、

全くと言っていいほど遮断していた時期がある。

その3は2と連動しているが、

社会人になってから、ある金持ちのドラ息子と

ビジネスで組むこととなり、結果こいつに振り回されたのだが、

このバカがいつもベンツで聴いていたのがクラシックだった。

ちなみに、このドラ息子は根っからの無気力で、

そのくせ、功名心のみ強い人間であったので、

以後、私的にクラシックに対する印象は最悪となった。

それでも高校時代は吹奏楽部だったので、

少しはクラシックに触れる機会もあった。

が、せいぜいショスタコーヴィチをやるくらいで、

なんら違和感がなかった。

ショスタコーヴィチはどちらかというとマーチが多いので、

そんなに辛いものではなかったと記憶している。

(ショスタコーヴィチの音楽がクラシックか否かは不明だが)

という訳で、以前の私はクラシックと出会ったときから、

そうとう相性が悪かったと、最近になって気がついた。

クラシック音楽に対する私の偏った先入観が、

単に事態を悪くしていただけかも知れない。

さらに言えば、過去の自分のクラシック音楽への

理解のなさだろうし、理解力のなさでもあるし。

それを辻井伸行さんが再び引き寄せてくれた。

私的に感じた事をひとつ。

クラシックって、人の根っこの部分、

人間の根源的な想いのツボのようなものを、

鋭角で追求してできたもののような気がするのだ。

音楽ってどれも皆そうなのだろうが、

実はクラシック音楽が、その源流に位置している。

いや、土着音楽だ、自然の音だと異論はあるだろうが、

人を揺さぶる何かを秘めているように思うのである。

昨日、辻井さんが自ら作曲した曲を聴いて、

なんというか、感情的にワーッときた訳だ。

タイトルは「コルトナの朝」。

全身で表現しているような、若い生命力に溢れるとても美しい曲だ。

きっと火星に移住する時代がきても、

人はクラシックを聴いているだろう。

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