悪玉と呼ばれて

悪玉と言われていい気はしない。

私は割と大きな声で「○○さんは悪玉だな」

と言われてしまった。

「………」

所は病院内、言い放ったのは医者だ。

ちょっと笑いながら意地悪く言われた。

まあ、この先生とは同年代で、

20年来の付き合いなので、ただの悪ふざけだ。

「奥さんは善玉ですね」

なんか腹が立つなぁ~

たかがコレステロールなのに、

こちらの人間性まで否定されているような、

そんな名称って良くないと思うのだ。

第一、悪玉コレステロールの意味がよく分からない。

医者の説明によると、動脈硬化とか心臓病とか、

いろいろカラダに良くない作用を及ぼすらしい。

だから、悪玉なんだな!

が、どうにも私自身が悪玉と言われているようで、

納得がいかない。

看護師の方達もクスクス笑っていたしなぁ。

で、悪玉といえば、

腸も悪玉っていうのがいる。

コイツはやはり悪い奴で、便秘、下痢、

癌なんかも引き起こすというから、

相当な悪党だな。

コイツと戦うのが、正義の味方の善玉。

やはりいい奴、善玉菌。

そしてここにもう一つ、

どうも納得のいかない奴がいまして、

そいつが日和見菌。

どっちが勝ちそうか様子を見ていて、

勝ちそうな方の味方をするというから、

この日和見菌って奴は、

見方によっては、一番の悪党である。

話を戻そう。

コレステロールの話でした。

じゃあ、悪玉を減らすには?

善玉を増やすには?

このあたりをネットで調べたのだが、

実はちょっとよく分からない。

というか、なんとなく分かるのだが、

決め手がないように思える。

まあ、要するに良質な油分の摂取。

これはオメガ3とか呼ばれるエゴマ油とか亜麻仁油のこと

なのだろうと検討をつける。

あと適度な運動をする。

そして、ストレスを貯めない。

奥さんとはだいたい同じものを食っているので、

「俺だけ悪玉」の原因はストレスなのだろう。

でなければ、俺のカラダの構造とでもいうのか。

ここまで書いていて気づいたのだが、

どうもストレスが原因の病気がやたらとても

多いのではないか?

ストレスって万病の元だなぁと、

いまさらながら納得する。

そこで思い立ったのだが、

いつもニコニコしている、

なんていうのはどうだろう。

だって笑いって、

かなり免疫力が上がるというではないか。

これを味方につけるという発想。

で、いつもニコニコしている。

嫌なことがあっても

とりあえずニコニコしている。

辛い事があっても

負けずにニコニコしている。

こうして、脳を騙すのだ。

脳を騙すとは最近仕入れた最新情報なのだが、

脳は割合騙されやすいという。

笑っていれば、とりあえず脳は、

ストレスをストレスと認識せず、

免疫力のある物質を放出する、らしいのだ。

いかがだろう?

始終笑っていればストレスも減り、悪玉も減り、

コレステロールも善玉へと変わるというシナリオである。

完璧!

さあてこうなると、外見的に、

訳もなくニタニタしている、

薄気味の悪いオヤジが一人できあがる訳だが、

まあ、しょうがないではないか。

これも健康の為。

かなり不気味だろうが、

一応明日より実行することにしたので、

そんな私を見かけても気にせず、

シラッと無視して頂きたい。

元町、そして中華街の占いのこと

元町の端、元町プラザビルのなかにある老舗レストラン、

「フィシャーマンズワーフ」は、安くてうまい。

ここでメシを食って通りをぷらぷら歩いていると、

バッグの「キタムラ」、パン屋の「ポンパドール」、

トラッドファッションの「フクゾー」と、

次々に懐かしい店が顔を出す。

この街も年輩の方が圧倒的に多い。

それも一見、生活にゆとりのありそうな方ばかり。

ケータイで話している高年紳士の会話が

すれ違いざまに聞こえてしまった。

「私はあの例のビルを買おうと思っているんですよ」

「…」

私たち夫婦は無言で歩き、程なくして「いまの会話聞いた?」

「うん、ビックリした!」

この街は、学生時代からちょっと敷居が高いとは思っていたが、

それはいまも変わらないんだなぁ。

先ほどの会話がそれを象徴している。

元町商店街の裏通りに入ると、このあたりも店が増え、

表とは異なった個性的な雰囲気を醸し出している。

おっと、空き地に真っ白のロールスロイスが鎮座する。

ここは、ベンツなんかより小洒落たミニクーパーなんかも多い。

なんだか居心地が悪くなってきたので、元町散歩中止。

「中華街に行こう」

元町を外れ、川を渡ると

中華街の南に位置する朱雀門に出る。

元町とは打って変わって人通りが多く、

うるさいというか賑やかというか、

ちょっとほっとするが、

あの中華街独特の色使いは強烈で、

もうなんだか、街全体が赤い絵の具をまき散らしたようだ。

目がチカチカする。

朱雀門近くにあるパワーストーンの原石が置いてある店をチェックし、

ヒマラヤ水晶が気になるも、また買いに来ようと出直しを決める。

で、数年ぶりに歩いて気になったのは、占いの店が更に増え、

おおげさに言えばだが、ここ中華街が占いの街と化していたことだった。

どの店も、若い子が列をなしている。

(どこかのテレビとか雑誌にでも取り上げられたのかな?)

一時は、肉まんブームみたいのがあり、

中華街はどこもかしこも

豚まん○○チャンピオンの店とか、

そんなのばかりだった。

それはいまも健在だが、

肝心の中華レストランの影は薄く、

どうも占いの店ばかりが目立ってしょうがない。

皆、そんなに悩み事や相談事があるのか?

などとつぶやきながら雑踏を歩いているうちに、

ふと自分もその気になっていた。

魔が差したというべきか、

呼び込みのオバサンに誘われるまま、

めずらしく暇そうな店の中に入る。

暗い店の奥から

怪しそうな中国人の親爺みたいのが現れる。

結局、この親爺は怪しい日本人だったのだが、

コイツが私の手相を観るなり、

「おっ、社長さんだね」とほざいたので、

第一関門クリアとした。

「社長、これからの4年はイケイケです、

ガンガン行ってくださいよー!」

もうなんだかよく分からないが、

運が乗ってきている時期らしい。

しかし、ホントの事は過ぎてみないと分からないのだ。

で、ウチの奥さんの番。

「なななんと、奥さんの手相、

アイドル線が出ているじゃありませんか!

明日からダンス踊りましょうよ、ダンス!

あのね、このアイドル線がないとね、

AKBには入れないんですよ!

分かります?」

「………」

打って変わり、後ろの席では、

先ほどから暗い話が聞こえてくる。

年輩の奥さまとおぼしき方が、

どうも離婚の相談らしい。

「奥さん、いましかないと思うのよ、

キッパリ別れちゃいなさい!」

「………」

「奥さん、人がいいから…」

(聞こえちゃうんだよなぁ)

だいぶ間があいた。

そして奥さんが力のない声で

「そうしますわ」

「………」

おいおいおい、

そんな大事なことは自分で決めろよと、

思わず後ろを振り返り、

突っ込みを入れようと思ってしまったのだが、

考えてみれば、この人はもうすでに散々思い悩み、

最後に肩をそっと押してもらうように、

この店に足を運んだのかも知れない。

それにしてもスピリチュアルな街だなぁと、感心しきり。

こちらは楽しくストレスの解消も済み、

怪しい占いの店を出ると、

すでに陽が傾いて中華街に長い影が差す。

お土産屋さんで月餅をいくつか買って街を出る。

そして行き交うクルマの波をみながら、

さきほどの街を振り返り、

思わずうーんと唸ってしまった。

いくら占いがブームとはいえ、

割とディープな悩みにも占いはこたえている訳で、

それだけ世の中は複雑・深刻化しているのか、

いや、自ら考えることを放棄しているのか、

最後のひと押しを誰かに求めているのか?

そのあたりの整理がつかない自分がいる。

そもそも自分の行動指針の司令塔は、

己の思考と勘であるハズなのだが、

どうやら世の中には、もっと違う、

何か大きな存在を信じている人達もいる。

歴史を振り返っても、シャーマン、陰陽師、

呪術師、いたこ、祈祷師、霊媒師…

いやいや切りがないなぁ。

思うに、実は私もそんなことを信じる質である。

がしかし、

そこには当然、節操というものがあるなぁ、などと、

アレコレ考えたところで結論が出る訳でもない。

で、相変わらず中華街は元気な訳で、

それにしても思考する、勘を働かせるというのが、

如何に人にとって難しい作業になってしまったのか、

などと思うに至ったのである。

迷える善人の悩みにこたえようとする街、

横浜中華街はいま、人の業が渦巻いている。

きっとあの街は、

イマという時代に生きる人たちの

裏側をあぶり出すにふさわしい、

楽しくも悩ましい解放区なのだろう。

逆上がりができない!

散歩で立ち寄る公園に鉄棒があって、

あるときふと「やってみるか」と思い、

軽い気持ちで逆上がりをやろうとして、

なんとこれが、できなかったんですね。

これには私自身がエラく驚いてしまい、

こんなハズじゃなかったと

つくづく悔しい想いをしまして、

それからこの公園に立ち寄るたび、

ポケットからiPhoneと小銭を出してベンチに置き、

エイっとチャレンジしているのですが、

いまだにできない訳です。

思い返せば、ガキの頃から鉄棒に親しみ、

連続10回逆上がりとか、

鉄棒に両足を踏ん張って飛ぶコウモリという技とか、

我ながら自慢の運動だったのだが、

なんだよ、最近の自分の体たらくは!

にしても、年をとるとは恐いものであり、

来る日も来る日も、

何事かを1つづ諦めていかなくてはならないのだ。

それがじじいなのか?

重ねて腹が立つのはウチの奥さんで、

同年なのになんとか逆上がりができてしまうのだ。

これには驚いたね。

彼女は日頃からカラダを鍛えているとか、

ムカシからバリバリのスポーツ女子であった訳でもなく、

フツーのおばさんなのだ。

なのに「あら、できたわ」とか言って、

意味不明な笑顔でこちらを見るのである。

これにはライバル心がメラメラと燃え上がり、

ふと思い立つと独り公園へでかけ、

鉄棒の前で「よーし」と力み、手のひらの汗を拭い、

勢い、鉄棒に挑むのだが、いまだできない。

あまり言いたくはないが、

私は若い頃、彼女に水泳を教え、

スケートの楽しさをサポートし、

あとから始めたにもかかわらず

スキーもメキメキ上達し、

彼女をことあるごとに指導し、

パラレルまで滑れるようにしてあげたのだ。

なのにいま私は逆上がりさえできず、

彼女から意味不明な笑顔で見られている訳だ。

思い当たる原因は老化の他にもある。

奥さんに聞いたら、若い頃といまと、

体重の変化がないとのこと。

それに較べ、私はだいたい10㌔以上は太っている。

ふーむ、それにしても納得がいかない、

消費税増税とマイナンバーと、

逆上がりなのだ!

「チェ」というタバコ

ゲバラ4

所詮はタバコだが、

されどこのタバコなのである。

チェは、ゲバラの姿がデザインされている。

なかなかイケテイルなというデザイン。

葉は、無添加・無香料だし、

妙なフレーバーも入っていない、らしい。

中にキューバ産の葉がブレンドされていて、

ちょっと他のタバコとは違い、

いい味わいがある。

チェ・ゲバラのチェは、「よう」とか「やあ」という

南米の言葉だそうで、親しみのこもった呼び方である。

それだけゲバラは、皆に親しまれていたともいえよう。

事実、民衆は、いつもゲバラに味方した。

ゲバラは、常に民衆の事のみを考え、行動した。

で、彼はお馴染みキューバ革命を成功させた人物。

見てのとおりなかなかのイケメンである。

そして時代は流れ、いまや政治的イデオロギーも、

なんだか境目が曖昧になってきているフシがある。

あのアメリカにも、遂に社会主義者の大統領候補が現れた。

中国は相変わらず経済に躍起な共産国であり、

やはり人民も国も「金」なのであった。

もう革命など縁遠いのだろうか?

いや、ゲバラ的に解釈すると、

実はそもそもイデオロギーなど、

どうでも良かったように思えるのだ。

たとえば、一時期、ゲバラと毛沢東は、

世界中の若者を虜にしたが、

毛沢東の文化大革命を見て、

皆、毛沢東を疑うようになった。

一方、ゲバラは依然純粋な革命家であり続け、

医者でもあり、

自身が幼少期より持病を抱えていたので、

当時の弱者に対するまなざしはやさしく、

奴隷・搾取といった制度を転覆させることに、

生涯を賭けた。

これはもはやイデオロギーというより、

純粋に弱きを助け強きをくじく性格が

彼を革命へと誘ったのであり、

あの激しい生きざまの発露も、

そのあたりにあったように思える。

よって、チェなのである。

ゲバラは世界各地の革命に関わり、

自身は最後、アメリカCIAの指令により射殺されたが、

彼はいまだに世界中で人気がある。

それは彼が革命家として、つとに純粋だったからだろう。

権力や名誉ではなく、まして金でもなく、

世界のすべての社会の矛盾を心底憎んだのだ。

かのジョン・レノンも、

ゲバラを世界で一番格好良い男と評した。

―バカらしいと思うかもしれないが、

真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。

人間への愛、正義への愛、真実への愛。

愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ―

(出典チェ・ゲバラの名言)

このタバコは、いまもって世界中で人気が高い。

たかがタバコ。

なのに、時代と男のロマンがギッシリと詰まっている。

そこに崇高な物語があった。

それが「チェ」なのである。

ゲバラ3

Haru (春)

陽ざしの乱反射は細かな虫の羽が

絶え間なく動いているからだった

山あいの朝はまだ肌寒いが

ほうぼうを見て歩いていると

あちこちで木々の芽吹いているのが分かる

もう田んぼのあぜ道も見なくなって久しいが

その足元に咲く

レンゲやシロツメグサの春の華やかな記憶が

いまでは夢のような出来事のようになってしまった

花も蝶も蜂もそして何もかもが減って

あのむせるようないきものの充満した春は

もう何処にもないのだ

そういえば密集した森も笹やぶも

かつては濃密な自然の匂いを放っていたが

いまは整地が進み

綺麗な住宅が立ち並らび

僕たちは僕たちでそれは快適になったのだが

たとえばビル街を歩いていて

ふと立ち尽くしてしまうのは何故なのか

少なくとも僕と同世代以前は

鎮守の森に守られて育った

都会にもそれなりに雑木林はあったし

空き地も川も田んぼも蛙も…であった

道端のお地蔵さんは

僕の話相手ですらあったし

どこのお母さんも

間違いなく割烹着をつけていた

昭和は悲しい歴史の刻印である

と同時に

昭和はもう戻ることのできない郷愁である

そこにはもう蘇ることもない自然が息吹いていて

木訥とした人間の暮らしがあって…

だから

春はあけぼの

春はいのち

春は過ぎし日

今年もようやく

僕なりの春がきた

渚にて

南十字星のみえる浜で

足に絡みついてきたネコと一緒に

宙を見上げていた

キシッキシッと足もとの貝がらが鳴って

砂浜にみちる波はメロゥ

とおい椰子の木のシルエットが

スローモーション映像のように

ゆったりと風にゆれ

貿易風がなめらかに雲を運ぶと

わずかなすき間から月あかりがのぞく

月と椰子

ネコと僕はそろって海のほうを向いていた

波間に魚がぴょんとはねる

そして月のスポットライトが

一隻の木の葉のような船を照らす

ライトアップされた海のステージ

観客が僕らだけの

南の島のローカルショー

ほんの一瞬ではあったけど

それが永遠でもあるかのように

いまも色褪せることがない

雲に乗りたい

雲1

雲は踊り

雲は悲しみ

雲は泣く

だけど雲は揺るがず

かしこく東方をめざして

大空を駆けてゆくから

雲2

そのゆく彼方には

きっとエルドラドのようなしあわせが

あるのだろう

雲3

命のゆらめき

その連絡は唐突にやってきた

僕は取るものも取りあえず車をとばした

初めての病院で右も左も分からず

受付をさがす

患者の名前を告げると

「ICUは別棟の3Fです」

走り出そうとする僕に

―ちょっと待って

この用紙に名前を記入し

この名札を首にぶら下げてください―

そんな余裕がある訳ないだろ!

と怒鳴りそうになるが

努めて息を整え指示に従うことにする

もともと容体はよくなかったが

意識はしっかりしていて

こんな姿でいまは誰にも会いたくないと…

事態は前日の夜半に急変した

後で聞くところによると

医者の体調不良による不在と

看護体制の不備が原因らしい

ああ

若い命がベッドの上で迷っている

どっちへ行こうかと…

それはまるで

頼りない風任せの風船のように映る

いろいろな機器へと管がのび

デジタルの数字がその状態を刻々と表すのだが

あたかも囚われの身でもあるかのように

のべつ幕なしに苦悩の表情を浮かべている

努めて冷静に

僕はそれを凝視しなくてはならない

それは僕の義務である

コイツの幼い頃の表情を思い出すと

時間を飛び越えて

しばし

淡いしあわせの匂いがした

担当医が咳き込んで

なぜか偉そうに容体の説明をするが

その1つひとつが押しつけがましく

所々の言い訳が空々しく響く

本人の意思を聞くべく

危険を冒しても…とのことで

転院の手続きがすすむ

翌日

風の強い今日という日に

淡い命が運ばれる

それは命のゆらめきとはほど遠く

奴の生きる強い意思による

決断に他ならない

大山に登ろう!

タイトルは…登ろうだが、結局、日程を延ばすことにしました。

大山なんてチョロいという先入観が間違っていた。

最近重宝しているVixenの双眼鏡で、

めざす大山の山頂あたりをじっと観察すると、

山肌になんとびっしりと雪がへばり付いているではないか。

積雪ではなく、風雪とでもいうのかな。

山肌に雪氷のようなものが貼り付いているのが見える。

すっげぇ、寒そう。で、あそこを歩くと滑るな~って感じ。

ハイキング程度しか経験のない私には、まるで無理。

まず根性が出ない。

厳冬の装備を持ってないし。

以上の理由により、もう少し気温が上がるまで、

登るのを延期することにしました。

丹沢なんかもそうだが、

山としては標高も低く、都会に近いし、

一見カジュアルな山に見られているが、

むやみに奥へ入って迷子になったりトラブルに見舞われたりと、

警察や消防へのSOSも多いらしい。

意外ですね。

もうひとつ、なめてはいけないのが、

やはりあの身近な湖、山中湖だ。

湖畔にはキャンプ場、旅館などの宿泊施設、

コンビニ、ファミレスなども建ち並び、

湖にはボートに観光船、白鳥もウヨウヨいるので、

ちょっとなめて油断してしまいそうだが、

ここのクソ寒さったらどん引きしてしまうほど寒いんだ。

若い頃、1月に一度行ったことがあるが、湖面が凍り、

元気なおっさんたちが湖面の上で氷に穴を開け、

ワカサギ釣りをしていたのを目撃したことがある。

夏もそこそこ行っているが、

晩夏ともなると、陽が沈むとぐっと冷えてきて、

急激な温度の低下は相当こたえる。

ある年の夏の終わりにキャンプに行ったときも、

テントの中で毛布を被って寝たのはいいが、

その寒さに耐えられず、車に移動。

エンジンをかけてヒーターを全開にしたこともある。

夏ですよ。

なので今頃の時期、山中湖ってなおさら鬼門です。

山、湖ときたら、川です。

川はですね、やはりなめたらあかんです。

神奈川県では、やはり相模川より中津川の方が恐い。

なんでかっていうと、単純に流れがキツイから、

いろいろなトラブルも起きやすいのかな。

自身の体験したことだが、

あるとき、中津川の上流の岸で仲間達と遊んでいたら、

その中の一人が足を滑らせて川へドボンと落ちてしまった。

それを見ていた私は反射的に飛び込んでしまい、

そいつを助けようとしたが上手くいかない。

流れが驚くほど急なんですね。

こっちは学生時代にずっと水泳部だったので、

潜在的に妙な自信のようなものがあったと思うが、

中津川はそんな私たちを許そうとはしないんだな。

そこで流れに逆らうのを一切やめる作戦に変更。

少しのあいだ、二人して下流へ流されながら

適当なよどみを探すことにする。

と、疲れが出てきた頃にちょうどいいよどみがめっかったので、

そこをめざし、一気に泳いでそこへと逃げ込んだ。

が、落ちた友人は立ち泳ぎがうまくない。

そこは土がむき出しの崖になっていて、

岸に這い上がることは到底無理だったが、

なんかの植物だか木の根がところどころに飛び出していて、

それにつかまって体制を整えることができた。

で、呼吸を整え、二人して力の限りに泳ぎ、

急流に流されながらもこちらの岸まで泳ぎきり、

みんなに引き上げられた。

この経験は、後に落ち着いて振り返ると、

相当恐かった。

さて、山、湖、川ときたら、そう海ですね。

若い頃、台風前の葉山の海で遊んでいて、

とんでもない波に巻き込まれ、

まあ簡単に表現すると、

洗濯機のなかに入れられたような状態から

これまた九死に一生を得た私ですが、

なんだか話が長くなって、飽きてしまいました。

この話の出発はそもそも冬の大山でしたが、

なんだか季節も時間も場所も

大幅に移動してしまいました。

要は、自然はなめたらあかんという話を

体験的に話したかっただけなんですがね。

時の長さと質、その観念について

「パイレーツ・オブ・カリビアン」の映画のなかで、

絶対に死ねない刑を受けた男が出てくる。

その男が死ねない辛さを話すシーンがある。

ジョニー・デップ分するキャプテン・ジャック・スパロウは、

その男の告白を相変わらずへらへらとして聞くのだが、

死ねない刑の辛さをまるで分かってあげようとしない。

それは想像の域を超えているとでも言いたいように。

この映画を観ていて、あるくだらない記憶が蘇った。

勉強などするハズもない高校生の頃の或る夏休み。

その年はえらく暑かった。

気力を失っていたその頃の私は、

いま思えばちょっとどこか患っていたのかも知れない。

部活を辞めた後の毎日は、

生活から何か大事なものが抜け落ちたように、

ポカンと穴のあいた空虚さだけが残った。

とにかく何もしない。したくない。

一日中だるい。

辛うじて毎日昼過ぎに起き、

パチンコ屋に通い、

ひたすらパチンコを打ち続ける。

玉が出ようが出まいが、実はどうでもよかった。

他に何もすることがない。

パチンコには全く集中していない。

が、玉がなくなると、

これはもうどうしていいか分からないほど、

心身が消耗していた。

店を出て炎天下のなかをふらふらと歩く。

で、今度はボーリング場へと行く。

他に行くところが見当たらない。

が、ボーリングなどしない。

あんな重い球を持つのが嫌なので、

ペプシコーラを買ってベンチへへたり込む。

で、夜までまんじりともしないで、

誰かが投げる球の先をぼんやりと見ていた。

いま思えば、

ほとんど思考すらしていなかったのではないか。

ああ、こんな時間が延々と続くのか―

それが永遠に続くように思ったとき、

人生は退屈で憂鬱なものと思ったし、

時間は残酷だなと…

こうして部活を辞めた初めての夏休みは、

私は途方に暮れていた。

いま振り返ると馬鹿者の典型だと自戒できる。

翻って、日々の時間が足りない現在。

あの頃の自分に戻って時間を持ち返りたくなる。

そしてその頃には全く意識もしなかった「死」というものもまた、

最近はぐっと身近な存在として、

私のまわりをうろうろしている。

オヤジは、或る朝、突然逝ってしまったし、

おふくろは施設、病院の入退院を繰り返し、

数年患っていなくなってしまった。

後、自分も目を患い、

一時期危険な状態が続いたことがある。

加えて、この数年の間に、友人・知人の死が続いた。

さて、時間に弄ばれていた、

いや、人生というある種の退屈さを味わったあの夏だが、

どうにも自分というものの存在自体に嫌気が差し、

思い切って友人を誘い、

東海汽船で伊豆大島へ渡った。

泊まる所は砂浜と決めていたので、

テント、飯ごうなどのキャンプ用品を詰め込み、

心機一転を狙った。

そして砂だらけになって一週間を過ごした。

飯は自分でつくらなければならない。

誰もつくってくれないので、

いつもメシと飲み水のことばかりを考えていた。

生きてゆくため、毎日が忙しい。

手応えがあった。

あとは適当に浜に寝て、適当に泳ぐ。

そして時々魚を釣ってメシの足しにした。

かなりひどいキャンプ生活だったが、

こんな些細なことで、

その後の自分が大きく変化したのだから、

我ながら不思議だった。

帰える前日の夜、浜にたたずんでずっと海を見ていると、

月に照らされた波間が自分の足元まで届くように、

ポチャンポチャンと心地良い音を立てていた。

久しぶりに生きている気がした。

そして人生ってそうそう悪くもないなと、思い直した。

それから後、パチンコ生活とは一切縁を切った。

好きだった女の子に思い切ってラブレターを書こうと思った。

それが一生懸命過ぎて、散々書き散らした紙くずが、

たちまち山のようになった。

そうしてなんとか付き合い始めた女の子との時間は、

驚くほど早く過ぎていった。

そう、時間は瞬く間に過ぎていったのである。

時の長さと質、その観念について

相対するこの不思議は、

私がいまもって分からないもののひとつである。