もうクルマはつまらない

いつものように運転席に座る。

シートベルトを締める。

そしてイグニッションキーを捻る。

こうして何十年もの間、車を動かしてきた。

エンジンが始動すると、

なんともいえない吹けの音と振動が、体中に伝わる。

そしてマシンを操る自分に緊張を強いるよう、

交感神経もまた目を覚ます。

翻って、

最近のハイブリッド車などはキーを捻るでもなく、

スタートボタンを押すとそれでスタンバイOK。

そしてわずかにキーンと鳴ってスッと走り出す。

まあ、静かといえばその通り。

しかし私的には、正直気味が悪いのだ。

このとんでもない技術革新は産業革命以来か。

新しいものへの飛び付きの遅い自分は、

そうした車を「ほぉ」とか「へぇ」とか感心するも、

実のところ、なんの魅力も感じない。

いま自分の乗っている車は、

あの悪名高きワーゲン社製のゴルフで、

排ガスのCO2量も今となっては実に怪しいほど、

よく吹け上がる。

悪気もなく、よく加速もするのだ。

これはこの時代に於いて、「悪」である。

がしかし、

ここでこんな話をするのは

面白くもなんともないので、

論点を戻そう。

要するにエンジン車の良さって、

そのメカニカル性に寄るものと思うのだ。

車内に伝わるそのエンジン音は、

ドライバーにメカの好・不調の具合、

そして走行速度などを感覚を通して教えてくれる。

いわば生き物の心臓の鼓動のようなものとして、

私は捉えている。

長距離を走り終わった後など、

エンジンルームからの熱気と共に、

荒い息づかいのようなものが伝わる感覚。

車が汗をかいているのではないかと思うほどに、

生き物のそれとよく似ている。

対して、ハイブリッド車などは、

すべてにおいてクールだ。

端的に表現すれば、あくまでモノそのものである訳で、

なんというか人造人間的。

とんと心が動かないのだ。

現在、ハイブリット他電気系駆動の車の性能は相当のもので、

高速道に於いても私の車なんぞ軽く静かに抜き去る性能を誇る。

が、どんなに飛ばしてもなにも熱くはならない、

そのクールさになにか違和感を覚えるのだ。

人馬一体という言葉があるが、

いまやアナログとなってしまったレシプロ(ピストン駆動)車なんぞ、

これに近い感覚。

走りそのものを五感で感じ取ることができる。

ハイブリッド車はこの感覚に欠ける。

それが新しい車の感覚であり、

今後、この新たな車よりの五感というものが、

益々拡がるに違いない。

これはもはや人馬一体ではなく、

カー雑誌などは、これをどのように表現するようになるのか、

そこが興味深い。

しかし自分もいつの日か、

こうした車に慣れなければならないのだろうか?

大袈裟な例えだが、

明治維新も敗戦後も、皆大きな転換を迎え、

物事の価値観もひっくり返った。

このとき、古い者にしがみついている者だけが、

面白くないハメに陥ったようなのだが、

今回のこの話も同様の道を辿るのだろうか?

いまが思案のしどころなのだろう。

だが、希に時代遅れが優勢に立つこともある。

残存利益ということばも実際ある訳で、

近未来の自動運転の先行きも見据え、

たとえば、旧車レシプロエンジン6段マニュアルギアを

操れる運転職人とか…

うーん、希少な人材としての引き合いは、

どうもなさそうだな。

村上春樹がつくった図書館

以前のエントリーでも触れたが、

村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する

札幌のドルフィンホテルだが、

架空のホテルにしてはこのホテルに関する記述が

ディティールまで精細に描かれているので、

一見実在するかのような錯覚に陥る。

まあ、小説なので上手い嘘といえばそうなのだが、

それにしてもリアリティに満ちている。

ストーリー・テラーとしてこの人が優れているのは

先刻承知しているつもりだが、

まあ、想像でつくりあげるその力量には

いまさらながら驚く。

続いて手にした「海辺のカフカ」で登場するのが、

四国は高松にある「甲村記念図書館」である。

15歳の主人公カフカ君が深夜の高速バスに乗り、

この図書館をめざして家出をするのだが、

やはりここでもルポルタージュの如く、

まるで見てきたような時の流れ、

移動途中の風景などが克明に描かれている。

まあ、このあたりは実際に体験すれば描けるだろうが、

問題はその図書館のようすだ。

甲村記念図書館は実在しないが、

その図書館にまつわる歴史的背景、

図書館で働く人の様子、

更に館内とその庭園の記述に至っては、

ほぼ実在するかの如く、

これでもかというほど丁寧に描かれている。

私はまたも実在する図書館として勘違いしてしまった訳で、

続けざまに騙されたことになる。

村上春樹の描く主人公や登場人物は、

ほぼコンサバティブな人間が多い。

ほどほどの人間関係の距離感。

孤独を愛する。

喰うものはサンドイッチやドーナッツが多く、

主人公はだいたいシャワーで丁寧にカラダを洗い、

入念に歯を磨くことを習慣とし、

都会人にふさわしいファッションを身に付けている。

ブランド的にはアイビー系が多い。

で、音楽は彼の好きなジャズ系から60~70年代の

ポップスあたりをよく聴いている。

もちろんビートルズも。

間違っても演歌や民謡は出てこない。

ダンキンドーナツとか、

乗っているクルマがスバルの4WDとか、

やたらと具体的な実在するものの中に、

この作者はポンと架空のものをつくり、

放り込んだりして、

読者をその気にさせ、彼のつくった世界へと誘う。

この人のエッセイなどを読んでいると、

村上春樹という人間は基本的に真面目であり、

走ることに命を賭けているようなので、

私の心配はあたらないが、

一歩間違ってこういう人が詐欺師にでもなったら

恐ろしいなと勝手に思ってしまう。

まあ、だいたいにおいて物書き、

とりわけフィクション系の人というのは

そもそも詐欺師っぽいと私は睨んでいるのだが、

これも才能のなせる技とでもいうべきか?

いわゆる、良い意味での嘘つきは、

読者を裏切らないし、更に感動させてくれるのだから、

世の中は面白くできているなと…

だって優れた小説家に騙されて、

悪い気はしないでしょ!

江ノ島へ

年始めなので、江ノ島の神社へ行きました。

しかし、混み具合が凄かった。

まず、134号線のクルマが渋滞、全然動きません。

それ以前に寒川神社の脇を通ったのですが、

ここも大渋滞です。

で、ナビを頼りに茅ヶ崎を避け、

辻堂から134号線に出たのはいいのですが、

片瀬海岸あたりから江ノ島方面がまた動かない。

適当なパーキングにクルマをとめ、

さあ、歩け歩け大会となりました。

晴天です。

砂浜を歩くと、サクサクと気持ちがいい。

ムカシと較べてサーファーが増えたと感じます。

いま再びブームなのでしょうかね?

いあ

うえ

おか

かき

えのすい(江ノ島水族館)の横を通ると、

ここも超満員です。

オサカナたちに観られているのは、

人間のほうなんでしょうね。

江ノ島への橋を歩いて渡るのは、

小学生のとき以来だと思います。

ここでも人の多さに圧倒されました。

江ノ島は更にどこも人人人で、

サザエを食うのもままならない。

特に神社へと続く参道の混み具合は、

ちょうど休日の原宿のあのぐじゃぐじゃ具合と

似ていると思いました。

江ノ島神社に祀られているのは

弁天様ですが、

商売の神さまとしても崇められている

とのこと。

こさ
すせ

この状況のなかで、

自撮り棒を持ってウロウロしている

バカ女3人グループに遭遇。

人混みでタコせんべいを囓っているポーズなんかを、

余裕で撮っている。

棒が人にぶつかったって全然平気。

凄く太い神経のバカ女3人グループでした。

水平線の向こうに富士が見えます。

陽光うららか。

そして陽が沈む頃、みな海に見入っている。

心が洗われる夕陽でした。

たな

さて今年はどんな年になるのか?

いろいろなニュースに接すると、

ああ今年も波乱の年だなぁと思います。

天災、紛争、経済危機、

いまの時代はなんでも想定しておいてよさそう。

が、どうか良い年でありますよう、

弁天様にお願いしました。

もちろん我が社も我が家も…

にぬ

真夜中の動物園

真冬の晴天のそらのした

きょうは若い親子とカップルが数組か…

柵の向こうからじっとわたしを観察している

わたしもいつものように彼らを観察している

当然どちらも微動だにしないので

しょうがないからといつものように

試しにあくびをしてみると

やはりそこで彼らは笑うのだ

それのなにがオカシイのか

だからよけいに憂鬱になる

来る日も来る日も

ふるさとにおいてきてしまった連れと

幼い子のことが気にかかって

そんなことを長い間想いあぐねるうち

気がつけばこんな年寄りになってしまって

ああ

どうしようもなく悲しいんだ

この動物園には

そんな仲間がおおぜいいて

真夜中になるとみんな嘆いてばかりだから

ため息やすすり泣きが

いっせいにこの寒空に立ちのぼり

そして天高く舞うんだよ

夜中だからって誰も寝ちゃいない

とりわけ晴れた日は太陽の光がまぶしくて

いまじゃみんなおひさまに迷惑していて

そうこうしてるうちに疲れ果て

月日は過ぎてゆき

あきらめそして死んでゆくんだ

なあ

もういい加減に

そっとしておいてくれないか

なあ

人間さまよ

ちょっと仕事のこと

今年ももう終わりだけれど(今日は12月31日大晦日)、

この1年は総じてシステム・プログラム系の仕事に

忙殺された感がある。

システムの成功例として挙げられるのは、

なんと言ってもアマゾンだろう。

このwebサイトはシステムの発想自体が優れているので、

すべてに於いて他より優位に立っている。

たとえば或る本を探すとする。

するとその本に関する詳細なデータ、評価、

そして類似本までがズラッと表示され、

訪問者の興味が失せることのないよう

綿密にシステムが組まれている。

更にこのシステムには自分の注文履歴、配送状況、

キャンセルのやり取りも簡単にできる。

想像しうる万全が尽くされているのだ。

このように

webサイトの構築に於いてシステムを組む場合、

その構築には、

脳と神経を全開にしなければならない。

そして、多大な費用と時間がかかる。

その他、検索エンジン対策、PPC広告の検討、

ユーザビリティ等で優位に立つことも前提に、

最善のシステムを考えなければならない。

これはとりもなおさず、

ビジネスの勝敗を左右すると言っても過言ではない。

こうしたシステム系が重要視されるようになったのは、

何も最近の話ではない。

現在、広告をひと口で括ろうとしても、

その裾野は広大過ぎる。

ウチとしてもこれらの状況を念頭に、

勉強と興味の両面から注視・実践してきたのだが、

実際のビジネスの現場では、思わぬ問題点が次々と噴出した。

文化系の自分にとっては苦手な分野だが、

思えば広告のスキルも年々多様化・細分化の道を辿り、

いまひとりの人間がすべてのスキルを手にするのは、

ほぼ困難と言えよう。

これはウチだけでなく、

ほぼすべての同業種企業が抱える問題と言える。

よってウチの場合も、

社員、仲間、協力スタッフの力がなければ、

この道は閉ざされていたに違いない。

こうしたプロジェクトの基礎とも言うべき

総体的な企画・方向性は、

まず絶対に間違えてはならないのが鉄則である。

後は最前線の専門スタッフの力量にもよるが、

基礎がしっかりしていれば、

そのプロジェクトはほぼ成功する。

幸いにしてウチの場合は、

ディレクターとスタッフに助けられ、

幾つか本格始動に至ったが、

現在でもそのメンテナンスに気が抜けない。

そして更なるユーザビリティの向上をめざし、

システムの改良を検討・実行したりしているが、

運用途中で思わぬバグが発生することも多々あり、

こうした場面では冷や汗が出る思いが続く。

要は多大な投資に見合う成績を上げなければ、

それはビジネスプロジェクトとして失敗の烙印を押される。

しかし、ビジネスは端っから成功することが前提の契約なので、

間違いは許されない。

という訳で、ここ数年は、ほぼ休みがなかったに等しい。

旅行はしない。

休日でもパソコンは必需品である。

こうしたサイトを

滑らかかつ快適なユーザビリティで運用してゆくには、

正確にいえば立ち上げから軽く1年以上はかかる。

またこうしたwebサイトは、

システムだけでなく、これまた手間のかかるコンテンツの充実、

SEO的な見地からの検索エンジンに対する施策、

更にいえばテキストの綿密な見直し、

更なるデザインの変更等、

やらなくてはならない事がメジロ押しだ。

私たちはいわゆるクリエーターと呼ばれてはいるが、

現在の広告状況は、

クリエーターという職種だけでは括り切れないほど、

広範な知識と技術が要求される。

そうしないと、今後は更に生き残れない現実がある。

システム構築技術、検索エンジンを理解する、

そして本来の仕事であったハズの魅力的なデザイン、

人を動かすテキスト(コピーライティング)等々…

これだけでも、広範な勉強と知識が要求される。

しかし、これらの力が結集しなければ、

これからの広告の仕事は立ちゆかない。

次々と生まれる新しい知識、

早々と廃れてゆく技術。

普遍的なものは、なにひとつないに等しい。

私事だが、

最近、そもそも広告ってなんだと自問自答してしまう自分がいる。

それでも走り続けなければならない現実があり、

走りながら考えなければならないことが数多(あまた)あって、

いまだ明快な回答は導き出せないでいる。

元々この業界は、文学好きや、

美術好きのアーティスト系の人間たちが集まっていたのだが、

いま振り返えれば、

それは遠い昭和の懐かしい話である。

私自身本当のところ、

現状のこの業界があまり好きではない。

最近、仕事の合間をみてよく山に入る。

夜空を眺めるための双眼鏡を手に入れた。

印象派の絵や外国の書を見に、暇をみては

美術館へと足を運ぶようになった。

旧作と呼ばれている映画を最近よく観る。

気にいった作家の本を集めている。

キャンピングカーで、とにかく何処でも良いから、

でかける計画を無理矢理立てている。

そして運動を欠かさないようになった…

すり減る神経、行き過ぎたユーザビリティ、

追いかけてくるしつこい広告、検索エンジン至上主義。

ああ、便利便利で、

いまにすべてが崩壊するのではないか?

―時代なんかパッと変わる―

私はそう思っている。

ムカシは良かったと言っている訳ではない。

自分のズレ具合があからさまになったからなのか。

いや、本来人間ってそういうもんじゃないだろ?

という根本的な疑問がどうしても消えないんだなぁ。

忙中ハイキング

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初冬のハイキングは

気候もほどほどに寒いので、

汗のかき具合もちょうど良い。

そこが我ながら気にいっている。

今年は気温が高めなこともあって、

軽装で出かけることが多い。

関東平野の冬は晴れの日が多いので、

こうした天候をヨーロッパの人に言わせると

羨ましいらしいのだ。

思えば、私があっちへ行った季節も冬だったが、

来る日も来る日も曇天で、

えらく憂鬱になったのを思いだした。

あれじゃ、メランコリーが多いというのも納得。

紅葉を英語でカラフル・リーフと言うらしいのだが、

なるほど、そう言われればそのようにも思うが、

ホントはカラフルじゃなく、

木々の葉が死してゆく、

日本の哀の色の妙なんだけどなぁ。

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水、食料、カメラその他諸々を詰め込んで、

さて、今日はいきなり急坂の急階段を登ることに。

これはやはり息切れする。

年もいってるし…

が、徐々にカラダも慣れ、登るほどに体調も戻ってくるから、

いつも不思議だなぁと思う。。

この日は汗をかいて風邪を治そうという下心もあったので、

ひどい息切れも折り込み済。

登る途中で、

落ち葉があちらこちらから、

はらはらと音を立てて舞い落ちる。

その絵画的風景のなかを、

枯葉を踏みしめてよいしょよいしょと歩く。

この感覚がたまらないのだ。

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小一時間もすると、

約束通りというべきか、

赤土がむき出しの階段が見えてくる。

タオルで汗を拭い、ようやく頂上に辿り着く。

息が荒いので、

見晴らしの良いベンチに腰を下ろし、

水を補給して、しばし一服。

そしてコンビニのおにぎりにかぶりつきながら、

改めて汗を拭う。

周りの紅葉が目に飛び込む。

双眼鏡でパノラマの景色を観察する。

そこには、

とても穏やかで静かな時間が流れていた。

日射しのきらめき、

山々の稜線。

ふっと通り過ぎる風の囁き、

そして

麓にたなびく温泉の湯気けむり。

どれもこれもが美しく、

呆れるほど単純に、幸せだなぁと思える。

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だがホントはね、

カヌーを積んで秩父あたりの湖にでも

行きたいと思っているのだが、

いろいろあっていまだ実現せず。

湖面に浮かべるカヌーの目線で眺める森は、

日頃と全く違う景色を映し出すから、

これまた格別の美しさを味わえる。

人生は短いなぁと、最近富みに思う。

ああ、

デスクにばかり座っている場合ではない。

早くあちこちへ出かけよっと!

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ああ同窓会

小学校の同窓会に出席のため、

久しぶりに電車で地元へ帰る。

前回から確か約20年くらいの間隔が空いている。

皆の顔が認識できるか、

いや、そもそもこの私が認識してもらえるのか?

ちょっと心配だなぁ。

横浜郊外の廃れた駅に降りる。

ここはムカシから薄汚い街だけど、

私の青春の想い出がギッシリ詰まっている。

駅前は相変わらずゴチャゴチャしていて、

猥雑な感じはムカシと何ら変わらない。

真新しいビルを囲むように、

軒が壊れそうなほど古びた店がズラッと並ぶ。

友人数人と待ち合わせ、合流。

よう!と軽く挨拶を済ませ、目的の店へと向かう。

この連中とは年に数回は会っているので、

お互いに違和感はない。

目的の焼き鳥屋は、

ムカシ良く出入りしていたトンカツ屋の横にあった。

店構えは大きいが、一見して安っぽい造りと分かる。

この街にふさわしい。

2階へ上がると30人位が一同に介せる広さがある。

その方々のテーブルに見覚えのある顔が並ぶ。

しかし、やはり分からない顔がちらほら。

20年ほど会っていないのもいるし、

それこそ40年くらい会っていない顔もいるので、

ここは致し方ない。

「久しぶり!」

知った顔の肩を叩いて声をかけた。

「おっ、○○やっと顔出したな、元気か」

「まあ」

「これからはずっと出席しろよ。

みんないつも集まっているんだぜ」

「うん、そうらしいな」

しかしまわりを見渡すと、

やはりと言うべきか、(コイツ誰だっけ?)と

どうアタマを捻っても思い出せない顔がある。

ちょっと焦るがしかし、笑顔で通す。

そのうち分かるだろう…

どうやら向こうは私を知っているらしいのだが…

戸惑いのなかで飲み会がダラダラと進行する。

こうしてみんなまずムカシ話に華が咲き、

あれ(学生時代)からどうしていたとか、

年齢柄、定年、そして持病の話なんかになる。

同窓仲間の第一印象は

当然のことながら皆老けたな、である。

私もその一人であることを実感する。

いつの間にか、

遊び人グループが同じテーブルに集まるも、

これではイケナイという話になり、

みな再び別のテーブルへと散らばった。

こういうところがムカシと違うなと思う。

そつなくオトナになっている訳なのだ。

そして、そこかしこで

ムカシ泣かした奴と泣かされた奴が、

対等に酒を酌み交わしている風景が、

私にはなんとも新鮮な光景だった。

今日の出席率は低いらしい。

そこら辺の事情がチラホラと聞こえるも、

どうも親の介護が多いらしい。

そういう年だものな、

妙に納得できるものがある。

私は真向かいに座った吉田と話し込む。

吉田とは仲が良かったという訳ではないが、

まあ幾度か何かで絡んだ覚えはある。

なかなかのイケメンだった吉田も顔に疲れが見え、

頭髪は少なく、白髪である。

彼は去年サラリーマン人生を終え、

いまは週に数日、近所でアルバイトをしていると言う。

吉田情報によると、

毎日が暇という仲間がこの地元では結構いるらしく、

皆パチンコ屋でちょいちょい会っては、

集まっているらしい。

この会自体、かなりの頻度でやっていると聞いたので、

やはり地元組は何の緊張もない。

酒もかなりまわった頃、

ガキ時代に全く目立たなかったN君が、

やおらマイクを握って立ち上がり

「ええ」と赤い顔で話し始めた。

「そろそろ自己紹介でも始めませんかね」

そう促され、

席を立ち、一人ひとりが挨拶をすることとなった。

知らない顔の幾人かが自己紹介をする度、

私が忘れていた記憶が目を覚ます。

「あっ、あいつか!」

なんだか急に嬉しくなる。

自分が話す番になり、

思わず「初めまして」と言いそうになってしまう。

そのくらい記憶の奥に眠っていた人間が、

いま一同に介している。

思うに同窓生って何だろうと考えた。

同じ時代を生きてきた仲間

同じ季節を過ごしてきた仲間

よくよく考えると、

ひょっとしてこれは凄いことなんじゃないか、

と思った。

そして、みんなの口から、

いまはもうこの世にいない同窓生の名前が、

数人挙がった。

あちらこちらで、ため息が聞こえるのが分かる。

ちょっと胸苦しくなる。

しかし、もうそういう年なのだなと、

私もうな垂れた。

しかしいま、

同窓生がこの懐かしい街で一同に介し、

屈託なく酒を酌み交わしている。

同じ時代を生きてきたから

同じ季節を過ごしてきたから

なのか?

みんな相変わらず

頑張って生きているではないか…

葬儀屋の山本さんのこと

今年は叔母が亡くなり、

お袋のときと同じ葬儀屋さんにお願いした。

叔母は生涯独身だったので私が仕切ることとなった。

同じ葬儀屋さんに頼んだのは、

ここで働く若い青年の印象がすこぶる良かったからだ。

その青年・山本さんと初めてお会いしたのは、

当然というか、お袋が逝ってしまった日だった。

夜半に逝ってしまったので、急きょ電話を入れた。

病院でもうやることもない私たちは、

長いすにもたれて寝るでもなく、

じっと目をつむって時を過ごした。

やがて山本さんが通用門からそっとやってきて、

「お待たせ致しました。

この度はご愁傷様でした」

と深々と頭を下げ、私たちは挨拶を交わした。

簡単かつ要所滞りない打合せを済ませると、

山本さんは一人霊安室に向かう。

彼はまだ若いのに、言葉、所作なにをとっても

万事慎重で落ち着いていた。

昼間に街で出会えば、どこにでもいる二枚目の好青年

というところか。

霊安室からお袋を乗せた寝台車を静かに押し、

乗ってきた寝台車仕様のミニバンに丁寧に、

そして注意深くお袋を乗せる。

そして私たちに再び深々と頭を下げ、

クルマは冬の夜明け前の静かな街に

消えていった。

そして通夜の夜も翌日の葬儀も、

彼が中心となって取り仕切ってくれた。

火葬場へ向かう霊柩車の運転も、

これまた山本さんだった。

思えば小さい葬儀屋さんなので、

一人で何役もこなさなければならないのかと、

その頃になってようやく気づいた。

あれから4年。

叔母は施設で最後を迎えたので、

前もってお袋と同じ葬儀屋さんに連絡しておいた。

このときも山本さんが担当だった。

彼は例に漏れず、

丁寧な物腰で深々と挨拶を済ませると、

叔母を寝台車に乗せ、

すっと横浜の街中へ、

消えるようにクルマを走らせていた。

叔母の葬儀の日、少し時間が空いた。

山本さんという人が無性に気になった私は、

節操も無く、

「山本さんはなぜ葬儀屋さんになったのですか?」

と尋ねていた。

意外なこたえが返ってきた。

「何というか、こういう仕事が性に合っているんですよね」

首を少しひねって、彼が控えめに笑った。

「人の最後っていうのでしょうか、

ご縁で私が係わった方々をですね、

最善のやり方で見送ってあげたい、

そんなところでしょうか」

「………」

この話をきっかけに彼との距離がだいぶ縮まり、

お茶を飲みながら、

続けて私は失礼な質問をしていた。

「山本さんって、霊とか不可思議な事、

そういう類いのもの、

見たり感じたりしたことってありますでしょ?」

「いや、それが全くないんですよ」

彼が大きくかぶりをふった。

そして真面目な顔つきで話す。

「よく皆様に聞かれるのですが、

私の場合、そういうのが皆無なんです。

霊感とかそういうのですね、

私の場合全くないみたいなんです」

それから数ヶ月後の叔母の納骨の日、

お骨をとりに葬儀屋さんへ伺うと、

相変わらず山本さんが待っていてくれた。

「お忙しいですか?」

「ええ、今年は多いですね…

こういう仕事って当たり前なのですが、

だいたいが突然ですからね」

「今日は大丈夫なんですか?」

と私。

「まあ、ですがこの後が控えております」

「度々、申し訳ございません」

お骨と遺影を奥さんにもってもらい、

その足で墓地へ行く段取りだったので、

私たちが向かうこの日も、

彼は無理して待っていてくれたのが分かる。

帰り際、私が

「山本さんには当分お世話になりたくないですからね」

と冗談めかすと、

「当然ですよ」と、

彼が控えめに笑ってくれた。

そして山本さんは、

また何かありましたら…とは絶対に言わない。

当然と言えば当然な職業なのである。

「ありがとうございました」

とだけ言うと、

彼は例によって深々と頭を下げ、

私たちのクルマが信号を曲がるまで、

丁寧に見送ってくれた。

悪夢「生きながら死んでいる」

嫌なタイトルだ。

まあ、そうした夢を見てしまったのだ。

夢の内容はこうである。

俺はどうも湖面の底に沈んでいて、

そこから上を向いて微動だにできずにいる。

前後関係は不明である。

湖面の上に差す明るさから、

どうも世の中は夕方だろうと察した。

水面にさざ波が立っている。

そこに映る葉のない冬の木立が

わずかに揺れるのが分かる。

俺は湖面の底にいながら、息をしている。

しかし、絶対に動けずにいる。

誰かがどこからか俺を監視しているようなのだ。

そして念のようなものを俺に送っている。

「お前はそうやって生きていけ!」

動けない。

もがいてみるも、全く身動きがとれない。

精神的な息苦しさが体中を巡る。

家族も親友も知り合いも、

俺がこんな所に閉じ込められていることを、

全く知らない。

もはや誰も助けに来てはくれない事が知る。

それにしても言葉が考えられないのだ。

いや、そもそも無音の世界らしく、

声という存在もないらしいと気づく。

辛うじて視覚だけが確保されている。

「お前はそうやって生きていけ!」という念。

………

絶望で全身の力が抜けてゆく。

どうやら風邪の治りかけに見た夢なので、

なんだか自分では納得するのだが、

それにしても、夢が描く想像力には驚いた。

で、覚醒が始まると、

ああ、これは夢なのかと感づくも、

いやまだ分からないと用心を重ねる。

と、鳥の鳴き声が聞こえる。

ようやくこれは夢だったんだとほっとするも、

妙な汗が首のあたりに噴き出していた。

しばし布団の上に座して呆然とする。

以前だが、

枕元に誰かがいる気配であるとか、

いわゆる金縛りとかの経験はあるが、

今回の夢は異次元の恐ろしさで

俺に迫ってきた。

孤独と絶望。

そして誰も助けに来てくれないであろう湖の底で

身動きひとつ取れず、

生かさず殺さずじっと息をさせられる恐ろしさは、

経験した者でないと分からない訳だが、

そういう俺だってただの「夢」であるからして、

こうしていい加減に書き綴っているのだ。

しかし、こんな理不尽な事が、

きっとこの広い世界のどこかに存在していて、

その扉は、

きっと秘密の呪文で

固く閉じられているに違いないのだ!

俺の知らない世界。

みんなの知らない事。

想像は、やはり必要の母である。

いろいろな事象、

さまざまな立場、

辛い事、悲しみ、

そして嬉しい事も楽しい事も…

ここは想像力を駆使して、

その人の身になって、なのだろうな?

いろいろと考えさせられる、

恐ろしい悪夢ではあった。

ラフター(笑い)ヨガは、手ごわい!

半年ほど前にラフターヨガっていうのを知った。

いわゆる笑いヨガ。

いまや、全世界に拡がっているというから、

黙って見ている訳にはいかないのであった。

笑うと免疫力が上がるとかストレス解消とか、

まあ、いろいろ健康に良いらしいことは

以前から知っていた。

また、笑うという行為は、

カロリーも効率良く消費してくれるという。

呼吸もヨガというだけあってとてもよろしい、そうなのだ。

オトナになるとあまり笑うこともなくなる訳で、

こうなると顔面の運動不足でもあるし、

不機嫌そうな顔ばかりで愛想がないのもよろしくない。

で、これは良さそうと喰いついた私です。

とりあえずYouTubeを開いて検索。

と、ほうほう、みんな笑っているではないか!

しかし、じっと見ている私は全然おかしくない。

見つめるほどに不思議な映像だな、と私。

ふん、面白いとも何ともないではないか!

しかしだ、ラフターヨガの説明を聞いて分かったのだが、

笑うという行為自体に意味がある、らしいのだ。

おかしくなくても、とにかく笑うこと。

笑えば、脳が騙されるという。

ふむふむ…

そんなものかねぇ?

という訳で、私はパソコンを前にして全身を動かし、

呼吸を真似、勢いつくり笑いをしてみる。

なんか不自然。

けれど、めげずに続けると、

なんだか少しだけ楽しくなる。

部屋には誰もいない。

映像を真似て、ちょっと大笑いをしてみる。

家人がこないか、ふとまわりが気になる。

このとき、笑い消える 汗!

めげずに、ラフターヨガ再開。

大きく手を拡げて、深呼吸。

息を止める。

で、徐々に息を吐きながら「ハッハッハッ」と笑う。

で、グッタリと体中の力を抜く。

そしてだ、

再び、「ハッハッハッ」と大笑いする。

これで私の脳は完全に騙された!

しかし、

いやぁ、そうはいかない、私は騙されないぞ!

と、もう一人の自分が顔を出してしまった。

「オイオイ、困るな!」

―ホント困るんだよな、こういうときに出てくるなっつうの!―

という訳で、自己との格闘がかれこれ20分ほど続いた。

と、汗だくになっているではないか。

息が上がってハァハァしている自分がいる。

「これはいいぞ!」

と思ったのだが、何故か突然不機嫌になる。

「ふん、こんなもんに私は絶対に騙されないぞ!」

おおっ、気がつくと、

再び私の中のもう一人の私が出てきた。

道理でネガティブ。

こうなると、内なる自己の相反する感情の戦いである。

この戦いはもう自分では止められない。

ラフターヨガを巡る内なる二つの感情は、

果たしてこの先、どんな結果を迎えるのか?

あれから暇をみつけ、

幾度となくチャレンジしてみた訳だが、

その日その日毎に、感情の勝敗が分かれるのが、

私なりに分かった。

楽しかったなぁ笑いヨガっていう日もあれば、

ふざけるなよぉ笑いヨガという日は、

ホントにその日はろくな事しか無く、

ストレス満載という日であった事等。

さて、このヨガをこの先も続けるか否かだが、

正直、結構心身共にしんどいのであるからして、

迷っているのがホントのところ。

とりわけ、私の中の内なる戦いが激しいときは、

更に疲れを倍増させる。

さすがにヨガは深ぇ。

恐るべし、ラフターヨガなのである。