花伝説(その4)

遠く巨大な洞窟のある山の麓で

老人は空を見上げていた

私の準備はできていた

老人が言うには

この巨大な穴から吹き出る風は

地の底から生まれる大地の息だと言う

この風に乗れば山を越え

遠くに見える峰を越えて

その地へたどり着けるという

その地に何があるのか

私にはいまも分からない

しかし

風に乗って空を飛んでいくとき

お前に分かるものがあると

その老人は言った

私は重いリュックを開け

羊の皮で縫った大きな羽のようなものを広げ

それを背にして

ひとつひとつの紐を

体にしっかりと括り付けた

風によろけ

そしてつまずく

しかし

失敗は絶対に許されない

これは私に課せられた使命なのだ

私は意を決し

勢い、風のなかに身を投げた

羽は森の木のツルと葉でつくったが

この強風のなかで

強靭なツルは泣くようにしなり

葉は裂けるようにばたついていた

風の強さに息が止まりそうになる

落ちかけた私の体が吹き上げられ

そして

空めがけて一気に上昇した

雨粒が激しく全身を打つ

羽は風を受け

そして山の頭上を越えた

ほうぼうの景色が見渡せる高さに達した

私を乗せたカイトの上昇は続き

羽はやがて穏やかな風をはらんで

いつしか雨雲の上に出ていた

辺りが急に明るくなり

太陽がギラギラと照りつけた

そして

見えるものは

私が生まれて初めて目にする

美しい景色だった

雲の波間は光り輝き

青い空の下に黄金色が広がる

雲の切れ間からは地上の街を見下ろせる

もし天国というものがあるとするなら

こんなところではないかと

私は思った

やがて

雲の上を流れる気流に乗り

私は東の方角へと流れて行く

陽光がきらめく雲海の上を

私は数日かかって飛び続けた

夜は星が広がり

月は煌々と照り

それはそれで

この世ではないような気がした

ある朝

カイトが誘われるように

下降を始めた

カイトがめざす所

それは私の街から遠く離れた

小さな島だった

海岸に降りた私は

カイトを外し

ずっと辺りを眺める

島は波打ち際からずっと平坦で

草原が広がっていた

そして島の中心に一本

私がめざすと思われる大木が鎮座する

見上げると

枝が無数に絡み合い

その先の葉は勢いよく生い茂り

隙間から不思議な赤い花が

覗いている

「慈しみの花だ!」

あの池の傍らで

老人が私に話した

あの伝説の花を

私はみつけたのだ

老人は言ったのだ

「慈しみの花は

この世にふたつとはない花なのじゃ

わしもいまだその花を見たことがない

おまえはそれを持って帰られよ

これはおまえの仕事である

その花の不思議な力は

誰をも穏やかな心にする力を秘めておる

さあ

後は言わんでも分かるな…」

(完)

花伝説(その3)

皆を先へ行くよう促し

私は敢えて森に臥せて

隠れることにした

いま街に運んでもらっても

まず生きながらえることはない

殺されるだけだ

私は森のなかで

数日息を殺していた

そして這いずれるようになると

生きる術を次々と身につけた

小川を探して水を飲み

生えている草を恐る恐る口に入れ

這っている虫を食い

そうして生き延びた

もう家族に追いつくことも

あきらめた

だが、森で暮らして

季節が巡る頃

私は敵兵に見つかってしまった

そして

ここで数奇なことは起こった

私の森で生きる知恵を買われ

軍隊に入隊することとなったのだ

私のすべてが変わり

狂い始めたのも

その頃からだった

自分の運命を呪うことでしか

生きる意味がなかった

私は敵の軍人としてではなく

狂人として生きていた

懐かしい街に火を放ち

何人もの顔見知りを殺した

私が狂っていることを

軍隊は最初から知っていたのだ

川をさまよい

野を這いずり

そこに隠れている人々をも

私は殺した

そして

私は私の役目が終わると

軍を追い払われた

そして

私は廃墟の片隅で

自分をみつめる日々を送る

そんな孤独の日々が

数年続いた頃だろうか

私にも

やがて安堵が訪れる

それは

最愛の母を花にたとえ

来る日も来る日も

花を植え

育てることだった

花が咲く度に

私は救われるような気がした

それは私が少しづつではあるが

正気を取り戻す日々でもあった

廃墟の街に花が咲き乱れ

彩りが戻ってきた頃

私は新しい種や苗を探しに

再び森へ出かけるようになった

何日目かの朝だったろうか

それは黄色く淡く咲く野辺の草花を

みつけたときだった

それが幻想だったのか

いま思い出してもよく分からない

花をのぞき込むと

白いワンピースを着たとても小さな少女が

花弁につかまり

必死で私になにかを叫んでいる

叫ぶ少女に耳を近づけ

私は何度も息を凝らした

「私のおじいちゃんが

あなたを待っています」

「………」

「約束を忘れましたか?」

その瞬間、私ははっとし

そして、耳を疑った

いままで私は何をしていたのだろう?

私は軍隊に入って

一体何をしていたのだろうと

薄暗い記憶が鮮明に蘇る

私は殺人者だ

私は人殺しだ

私は再び狂乱し

その場へ卒倒した

そして再び気がつくと

私は森のなかの小屋にいた

季節は秋から春に変わっていた

私を助けてくれた森の小人は

或る老人から私を助けるよう

頼まれたと言う

木の切株でできた小人の家

テーブルの下には

その老人がくれたという

金貨が5枚置いてあった

小人は私に木の実だけのスープを

毎日欠かさず飲ませた

そしてそのスープは

私が正気を取り戻すまで

根気よく続けられた

(つづく)

花伝説 (その2)

私は店を閉めざるを得なくなり

山ひとつ向こうにある兵器工場で

働くこととなった

あれから数年戦いは続き

その戦いに

私と家族は疲れ果てていた

そして

街にも火の手が迫った頃だった

私は家族を連れて街を出たが

いく宛もなく途方に暮れていた

飢えをしのぐため

食べ物を探しに森へ入ると

木陰から

白いものをまとった老人があらわれたのだ

ふいに私が身を引くと

「やはり来たか」

と私の名前を呼んだ

老人は、手にパンを持っていた

老人は、このとき

私がここへ来ることは分かっていたと言った

私はその老人に尋ねた

「あなたは…

まさか…予言者ですか?」

「うん、そう言う者もおるな」

「ではこの酷い戦争が

いつまで続くのか

私に教えて頂けませんか?」

「よかろう」

と言って渋い顔になった

「ずっとじゃ、ずっと続くのじゃ」

「それは酷いことです」

「そうじゃ。酷いんじゃよ、人間はな」

「私は争いは嫌いです」

「そうじゃろうが戦争は続くのじゃ、だが

この争いを終わらせる方法はある」

そう言うと、老人は一切れのパンを

私の手に渡した

私は思わず老人の顔をのぞき込む

「その方法とはなんですか?」

「おまえじゃよ」

と笑った

「えっ、この私が…」

私はパンを入れた麻袋を手に

家族の元へ戻った

飢えは回避されたのだ

そして老人との事の顛末を話すと

他に望みのないもない家族は

老人の話を信じた

が、恐ろしい事が起こったのだ

或る日

母が食べるものを探しに

森へ入ったが

帰らぬ人となってしまったのだ

私たちは必死で何日も探し回った

が、見つかったのは

餓死した母の姿だった

戦火はいよいよ迫ってきた

みなは移動を開始していた

私はといえば

母を捜し回ったときのひょんな傷が元で

毒でも入ったのだろうか

ついに

歩けなくなってしまった

(つづく)

タブレットの先にみえるもの

アップルの新しいタブレット端末iPad miniと

AmazonのKindle Fire HDは、どちらが買いか、

割と悩むところである。

現在、私が使っているのはiPad。

そもそもiPhoneでなくiPadにしたのは、やはり年のせい。

目がついてゆかない。

iPhoneは、とにかく私には小さすぎた。

で、タブレットという選択。

中高年に、iPadは優しい。

ディスプレイが大きい上に、タッチするだけで拡大縮小が自在。

ある意味、ノートパソコンより便利なこともある。

Android系のものより感覚的に覚えられるので、

やはりアップルは良いなと。

しかし、iPadを常に持ち歩いている私にとって、

如何せんまだこのiPadは重いと思っていた。

だって、ずっしりくるもんね。

で、先の新製品のふたつが、

私の次期買い換え候補となった。

幾つかチェックしてみたが、現在値では、

意外にもKindleがやや優勢。

決め手は、やはり価格となる。

KindleとiPad miniとの価格差は1万円以上。

ブックリーダーのKindle Paperwhiteに至っては、

8,480円という値付けがなされているから、

その安さに驚く。

こうして比較していみると、

AmazonがリリースしたKindleシリーズは、

とにかく安価。

聞く所によると、AmazonはこのKindleシリーズを、

ほぼ儲けなしの値付けをしている、とのこと。

ちょっと不思議でしょ?

儲け抜き、というところが。

では、一体Amazonは何を考えているのかだが、

Amazonだけでなく、今後こうしたデバイス群は間違いなく広がるので、

価格競争はさらに激しくなると思う。

その先手を打ちたいのがAmazonなのだ。

Amazonの狙いは、或る意味、革命的なものを狙っている。

その気配は常々語られていたことだが、Amazonは満を持して

Kindleストアをオープンした。

もちろん狙いは電子書籍。

その裾野を広げるためのKindleなのである。

Kindleが何故そこまで安価なのかが理解できるだろう。

要はインフラの拡大に躍起になっているということ。

後はKindleストアでじっくり電子書籍を売り、

収益に加速をつけたいという思惑がみえる。

繰り返すが、

設備投資を後に回収すると考えるAmazonは、

この際、儲けは後にまわして、

デバイスを一気に拡散させたいと考えている。

これが大きな目的のひとつ。

で、他何が革命的なのかといえば、

Amazonのこうした動きは、

日本の出版業界を一変させるパワーをも秘めて

ということである。

いうまでもなく、日本の出版業界は、

さまざまな規制や仕組みで固められている。

ここは、関係者以外誰も口を出せない鉄壁の流通組織なので、

この流れを変えられるものは、

いまだいないに等しい。

が、Amazonはこの構造をも変革させようとしている。

その影響は制作現場にもあらわれるだろうし、

当然、書籍のコストや流れも変える。

勿論、作者の顔ぶれや印税などの配分も変わるし、

そもそも取り次ぎや出版社の状況や立場も大きく変化する。

要は、本を取り巻くすべての状況が変わると言っても過言ではない。

要は、Amazonがその先人を切るという、

ある意味、革命なのではないだろうか。

その先兵が、電子書籍リーダーなのであり、

KindleでありKindleストアなのだ。

たかがタブレットだが、

その背景を考えると、

されどタブレット…なのだ。

花伝説

No.1

峠でひと休みしていると

一匹の子ギツネが

草むらからノロノロと出てきて言うには

この森を抜けた先に

あなたの探している老人が待っている、とのこと

腰をおろして食べかけのパンをかじる私は

やはりこの道に間違いがなかったと安堵した

赤い鳥が二羽、洋松の枝で鳴いている

キキキキッッっと、鳴き声が山を越えてゆく

森を抜けると

遙か峰の重なりが見える

中腹まで下ると池が見えた

傍らに、人影があった

木の幹に腰をおろしている

あのときの老人だ

背を向け、池を眺めている

私が近づくと

すでに誰だか分かっていたかのように

話し始めた

「やはり来たか」

老人は立ち上がると

こちらを向いて微笑み

白い衣をたぐり寄せると

杖を空にかざした

「しばらくぶりです」

私が言うと

「うん」と

分かっている風に

老人は背筋をピンと張り

歩き始める

薄暗い森をふたつ通り過ぎる

やがて視界がひらけ

次第に急斜面に広がる丘が見える

その丘から更に上を見上げると

反ったように天に伸びる

断崖のようなものがそそり立っていた

目を凝らすと崖の遙か遠い中程に

大きな穴のようなものが空いている

遠くに見えるその穴からは

絶えずヒューヒューというごう音が

ここまで届く

不気味としか言いようがない

その辺りの空気は

遠目に白じれて

突風が吹き出ているのが分かった

老人は再び杖をかざして

「あそこがそうじゃ」

と私に振り返る

「はい」

そう言い、私は背負っている大きいリュックに触れ

再度中身を確認した

崖の洞穴までは粗く削った階段のようなものが刻まれている

私の決意に変わりはない

「では」

「うん、気をつけるのじゃぞ」

私は老人に会釈をして階段を上り始める

「決して引き返してはならん」

「はい」

雲が低く垂れ込めてきた

上に登るに従い高い峰のつづらが見えてくる

それは緊張からくるものなのか

足はガクガクと震える

そして次第に息が上がってきた

私が背負っている荷物は20㌔はあろうか

そして不気味な音だけが次第に近づく

雨がポツポツと降り出してきた頃

ようやくその巨大な穴の真下へと辿り着く

洞窟の入り口は思ったより広く

飛行船位は飛べそうな大きさだった

中を覗くと暗闇が続き

どこまでも底なしのように思えた

ゴーゴーと吹き上げる風は

私を拒むように凄みを増し

それは地の底から吠えるような

人々の叫びのようにも聞こえた

私はふと

ここまでの道程を振り返ってみた

思い起こせば、私は以前

ふもとの街で

何の変哲もない花屋をやっていたのだ

この頃までは平和なときだった

しかし、あの戦争が始まったのだ

(つづく)

モーレツなコマーシャル

Oh! モーレツ

その昔、小川ローザという素敵なモデルさんがいて

クルマが通り過ぎるとスカートがまくれ上がった。

軽快な音楽に乗って、Oh! モーレツ

となる。

このCMは60年代後半に大ヒットして、

それは幼少(?)の頃の私の記憶にも残っている。

商品は、ハイオクガソリン。

丸善石油のCMで、確か「ダッシュ」というハイオクを入れると、

クルマが格段に速くなる、というもの。

それがホントなのか否か、真偽の程は不明だが、

当時はそんな広告が多かったたように思う。

広告表現も途上だったが、このTVCMはインパクトがあった。

当時の日本は高度成長の真っ最中で、景気も年々良くなるばかり。

文字通り、どこのお父さん方の誰もが、猛烈に働いていた。

そこには明日への夢があり、よりよい未来が約束されていたように思う。

きっと現在の中国の景気に似ているのかも知れない。

当時のサラリーマンは、憧れの職業。

みんな自信に満ちていて、数多くの猛者サラリーマンが、

世界に繰り出していた。

そして、日本で売れそうなものを世界の果てまで探しに行って仕入れ、

また、日本の製品を地球の隅々にまで売りに行ったりしていた。

こうして後、この国は世界から、

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるまでに成長したのだ。

まさに日本の経済事態がモーレツに急伸していた時代だ。

「モーレツ」のコマーシャルは的を射ていた。

時代背景をも、的確に表現していたと言える。

私と同世代のサザンの桑田さんも、

このコマーシャルの印象が強かったらしく、

小川ローザの白いミニのワンピースとヘルメット姿がアタマから消えないとみえ、

茅ヶ崎の実在したホテルの思い出を歌った「ホテルパシフィック」で

当時の彼女と同じ格好の女性を登場させている。

これぞ、印象に残るモーレツなコマーシャル。

昔のテレビコマーシャルが如何に影響力があったかという、

典型的な例だ。

※この記事は、オールアバウトプロファイルコラム及び弊社ビジネスブログを転載したものです。

ラブソング

いつだって僕は

自由だった

思うがままに振る舞い

世界の中心はいつも自分でね

だけど

ホントはずっと孤独だったんだよ

独りだった

そんなとき

すれ違いざまに

君の涙をみたんだ

その憂いた横顔

僕が惹かれないとでも?

孤独のなかに

やがて

君は棲んでくれた

だから僕は思うんだよ

振る舞いなんていうものは

いつだって変更可能だし

僕の自由なんていうものは

どれほどものでもない

だから

ちょっとした違和感なんて

気づかないほどに

分からないくらい

すっと躰に馴染むのさ

ホントは

ずっと誰かを待っていたんだ

ずっとね

それは

僕の自由を捨ててもいいくらいに

ああ

なぜこんな話をするのかって

変なことを言うねって

だからさ

僕はいま君に

こうして告白しているつもり

なんだけどね…

モノではなく、物語を売る

少々前だが、

日産のセレナというクルマのテレビコマーシャルは、

「モノより思い出」というコピーで締めくくっている。

セレナはクルマ。当然モノだが、このクルマを買うと、ファミリーで

楽しい思い出がつくれます

ーーーそんなメッセージが込められている。

セレナの売り上げに関して、私は資料を持っていないので

分からないが、悪くはないと思う。

というのも、街中を走っていて、よくセレナをみかけるので、

そう思っているだけではあるが…

最近、モノが売れなくなっている、とはどこでもよく聞かされる話だ。

不況というモノサシで計ると、なるほどと理解できる。

だが、その逆の事例も数多くある。

曰く、商品の売り方を変えたら売れるようになったという化粧品や

健康食品、観光地のおみやげまで、

そうした現象は、現実に起きているのだ。

では、その売り方とは、どのようなものなのか?

それが今回のテーマである。

例えば、スーパーにキャベツがズラッと並んでいるとする。

あなたはどれにしようかと迷い、アレコレ手にはするが、決め手がない。

が、ひとつ、早起きの朝どりキャベツ! というカードのついたキャベツに目が止まる。

よくよく見ると、栽培した農家のおじさんの顔写真が添えられ、

このキャベツは柔らかい歯ごたえの品種で、

その良さを引き出すために、

私が早起きして収穫し、

さきほど私が直接納品致しましたーーー

というメッセージが書かれている。

あなたは、すっとこのキャベツをカゴに入れ、

さっさと、次の買い物に精を出すことになるだろう。

モノをセレクトする際の基準は、こうした工夫にある。

この仕組みはすでに使われてはいる手法ではあるが、

こうしてモノの背景を語ることにより、

売り上げを伸ばす方法は、他でも転用可能である。

まず商品ではなく、その背景を語ることに終始するということ。

いま、消費者は、商品の向こうにあるなにかに期待している。

それが物語であり、いわゆる付加価値なのかも知れない。

今後、商品にまつわる背景、物語のニーズは、

より重要になってくるだろう。

※この記事は、弊社ビジネスブログより転載しました

娘よ

恋の悩みに

なにも応えてあげられず

とれたマスカラと黒い涙が

カッコ悪いから拭きなさいと

そんなことしか言えなくて

他の事柄なら

なにを置いてもやるだけやってあげようと

だけど

頭を撫でてあげることくらいしかできないよな

この話は…

いろいろと傷ついて

思い通りにはいかず

おまえは仕事でもいろいろあるだろう

この先

不安もいっぱいだよな

だけど

きっとそういうものなんだよ

世の中は

「おとなになって俺もね…」と言いかけたところで

もう2時だね

寝ろよと

切なさが伝わり

無力だなと

自らに

今更そんなこと分かっているつもりだったけれど

娘よ

私はよく言うだろう

幼い頃から

おまえの笑顔は

それは

まわりも巻き込むほどに素敵だったし

いまのおまえも変わらないよと

笑顔は人を幸せにするんだよ

娘よ

明日の朝

私はこう言うだろう

「おまえならきっと乗り越えるよ」

だって俺の娘だろうと

素っ気ない素振りの内に

いつも守っていてあげたい

抱きしめてあげたいけれど

娘よ

やはり

おまえもおとなになったら

独りでなんとかするんだ

独りで歩きなさいと

私には

それしか言えないけれど…

日本のメシ

外出が続くと、ついパンとコーヒーとかで

軽く済ませている場合が多い。

が、これが続くとなんだか違和感が出てくる。

体が、違うぞと言っているように思う。

で、ご飯とか蕎麦が無性に食いたくなる。

飯系はおにぎり、蕎麦系はたぬきそばとなる。

なぜおにぎりとたぬきなのか、そこは判然としないが、

この2種を摂取すると、

なんだか体がリセットされた気になる。

不思議。

西洋に行くと(表現が古いな)、朝食は、パンだ。

安宿に泊まると、朝食に出されるパンもかなりまずい。

まず堅いし、なにより素っ気ない味。

シンプルといえばそうだが、私には馴染めない。

紅茶もティーバック、で薄いのばっかり。

運んでくれる女の子も、なんだかふて腐れているから、

余計にまずい。

日本で食う安い食パンのほうが、よっぽどうまいのだ。

で、東南アジアはどうだろう。

私はまだ東南アジアへ行ったことはないが、米系はありそうだ。

が、辛かったり香辛料が入っていたり、汁物の飯のイメージ。

きっと味噌汁もお新香もないんだろうな。

ムカシ、南の島へ行ったときも、数日で米が食いたくなり、

日本から持って行った農協の温めて食えるご飯と

即席の味噌汁に救われたことがある。

あっ、梅干しもね。

これから海外を考えている私にとって(?)、

食い物の問題はかなり深刻だ。

最低、数日に一度は、正しい日本の飯でなければならない。

向こうの日本食をいくつかチェックしたが、

かなりの高額。

全然お財布にさやしくない。

うーん。

向こうの言葉とか気候とか習慣とか、

まあクリアすることはいくらでもあるが、

私の場合は、まず飯なのである。

飯の問題をクリアすると、だいたい大丈夫。

生きていけそうな気がする。

そこんとこのみ、柔軟性に欠けるな。

特に、朝の飯にはこだわるね。

まず、寝起き。

うまい緑茶を一杯飲みたくなる。

コーヒーは後ね。

で、味噌汁は、味噌と具のコラボに期待する。

海苔でも卵焼きでもうまいのが食いたい。

魚はアジの干物だろう。

佃煮はどうだ。

濃すぎず、薄すぎずがご飯に合うんだよな。

とまあ、私の場合は面倒くさいのです。

いっそ向こうで日本食の朝飯屋をやるか。

と、これはやけくそ的ビジネスの発想。

閑話休題

以前は我が家も、朝飯はパンの時代がありました。

しかしです。もう、朝からバターだのジャムだのと、コテコテ。

もっと遡ると、ケロッグとかそういうもの。

シリアルしか食わないときもありましたね。

が、年がいくと米です。

米に戻ります。

米はいいですね?

なんといっても味噌汁とのマッチングが素晴らしい。

これは、日本人の知恵ですね。

皆さん、日本のメシ、食ってますか?