写真

返答しない写真に話しかけるって

やっぱり俺もやっているじゃん

でも

こうして話すと

昔のはなし

多いよね

だって

思い出しかないもんな

そうそう

帰りに花買ってきたよ

どう

あまり好きじゃない

そういう顔している

そういえば

ドラマも好きじゃなかったし

つくりばなしは嫌いだって

ニュースとか観ていて

世の中いろんなことがあるよ…

そういつも驚いていた

なあ、おふくろ

つくりばなしじゃなくて

オレ

また遠くへ行くよ

海外

いつも言ってたろ

行くって

大丈夫

いつも心配性だった

おふくろだから

今度は

風になって

ついてこいよ

「写真」への2件のフィードバック

  1. 記事、拝読し、自分のおふくろが死んだときのことを思い出しました。
    自分は、とても母親の影響を強く受けた息子で、気質や趣味はほとんど母親のものを受け継ぎました。
    でも、生前はそのことがとても恥ずかしかったのです。
    母親は、明治の生まれのくせに、とにかく突拍子もないファッションが好きだったり、年に合わずビートルズが好きだったりして、時代の流れに乗りながら生きていた女で、周りからも 「個性的ですね」 という言葉をかけられる女だったんですが、でも、子どもとしては、そういう母親って、なんだかすごく恥ずかしくて、母親のことを話題にすることを避けて生きてきました。
    でも、母親が死んでから、「そういう女から影響を受けて成長してきた」 ということと面と向かい合うべきなんだろうな … と悟りました。
    だから、母の葬式で、私は喪主挨拶に少し時間を取り、彼女が何を愛し、何を好み、どんな気持ちで世の中を生きてきたか、ということを、はじめてはっきりと来場者の前に公表しました。
    でも、そのとき、こっちもはじめて、母親がどういう生き方をしてきた女かということを理解したのです。
    不思議なものですね、人前に公表するための言葉にして、はじめて解るなんて。
    親父の姿というのは、生きているときから子どもはその背中を見ることができますが、女親というのは、死後、子どもにメッセージを残すのかもしれません。
    個人的な話で、すいませんでした (汗)。

  2. 町田さん)
    傍観ということばがありますが、私は母を傍観していたように思います。
    というのは、ちょっといろいろついて行けないところが多々あったので、
    それを遠目に見て、我が振りを直そうとか、そんなことしか考えないこともありました。
    が、いなくなってみて思い起こすに、やはり自分が似ていることに、
    どうしようもないおかしさというか、やはりあの人の産んだ子なんだと、
    やっと自分を愛おしくさえ思うようになりました。
    町田さんも、お母様の個性の振り幅を傍観し、そこから自分の立ち位置を考える、
    そんなこともしたと思います。(私はそうでした)
    が、受け継いだDNAはどうしようもないほど自分が継承していて、
    まあ、少し修正しようか、くらいで生きていける年にもなりました。
    喪主挨拶で、そこをしっかり話されたのは、町田さんの正義なのだと思います。
    この正義は不正確とは思いますが、私には正義として受け取れてしまうのです。
    僕が若くて悪かったとき、親父は僕を極道者と言いました。そんな僕に、
    おふくろは黙々とメシを食わせてくれました。
    いまとなっては、どちらの気持ちも痛いほど分かります。
    こちらこそ、個人的な話となてってしまいましたね(汗)

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