野辺に咲く花は
何を想う
それが分からないから
私は悲しいのか
空に浮かぶ雲は
何処へ行くのか
私はそれが知りたいのに
誰も教えてくれない
浜辺の波は
なぜ寄せては返すのかと思うのだが
そこに答えなどないと言われると
切なくなる
遠い遠い記憶が
語りかける
私は一体誰なの
あなたはこれから
なにを描くの
だから
くる日もくる日も
私は
途方に暮れる
野辺に咲く花は
何を想う
それが分からないから
私は悲しいのか
空に浮かぶ雲は
何処へ行くのか
私はそれが知りたいのに
誰も教えてくれない
浜辺の波は
なぜ寄せては返すのかと思うのだが
そこに答えなどないと言われると
切なくなる
遠い遠い記憶が
語りかける
私は一体誰なの
あなたはこれから
なにを描くの
だから
くる日もくる日も
私は
途方に暮れる
奥が深い詩ですねぇ!
フランスの後期印象派の画家ゴーギャンが、悲嘆に暮れながら書いた大作に 「我々はどこから来たのか。我々はどこに行こうとしているのか。我々とは何者か」(…だったかな) というタイトルの絵があるのですが、そいつを思い出しましたねぇ。
自然が一定の秩序を保ちつつ動いていくこの宇宙に、何かの法則があるのだろうか。
だとしたら、その法則を司っているのは何者か。
すべての哲学と宗教の原点はそこにありますよね。
こういう問には、実は答がないんですよね。
答がないからこそ、哲学も宗教も何千年という命脈を保っているように思います。
スパンキーさんのこの詩には、そういう人類に共通した深い感慨が凝縮しているように感じました。
素晴らしい詩ですね。
ゴーギャンの話は初めて知りました。そうなんですね。私は悲嘆に暮れてませんが、ポカンとした空いた時間に、ついこんなことを考えてしまう癖(?)がありまして、町田さんの言われるように、いつも辿り着くのは、哲学や宗教、果ては宇宙へと飛んでいってしまいます。
妄想族? そう、町田さんにもそういう傾向、あるでしょ?
コメント、ありがとうございます!