千年の眼

語りぐさになるほどの

あの強者どもが

足元の草を這う虫となり

夢を語る頃

家々のやれ夕げに忙しく

子供は勉強に忙しく

足早のターミナルも

言葉少なく

夢もなく

高層ビルの

その一升で

ひとはなぜひとを追い込むのか

ひとはなぜひとから逃げるのか

サンドウィツチを土のように

コーヒーを苦々しく

いや売上げだ利益だ

数字を語る

笑顔に光なし

眼に力もなく

その頃

あの強者どもは

足元の草を這う虫となり

月に照らされ

さも

墓などなかったかのように

夢を語る

命は尽きないかのように

酒杯の酒を煽るように

露と戯れる

男であれ女であれと

その声は語るのだ

生きることにのみ

幸あるように

喜びに満ちるように

世界をみるのだ

ひとと交わるのだ

ひとはひとらしく

生きてくださいと

利益に先んずるものなどないと

笑わせるようなことを

知ったような分かったように

生きることを語るなと

ひとは愛らしく

ひとはまっすぐに

ひとはひとらしく

決して世界を縮めるな

墓など探して安堵するなと

かの声は

家々に語りかけるのだ

「千年の眼」への2件のフィードバック

  1. 本当に、いったい人はいつから喜びを忘れて、生気を失って、それでもバタバタと忙しげに生きるようになってしまったのでしょう。
    いつの間にか、私たちはそれを当たり前のように生きてきちゃいましたけど、 「千年の眼」 を通してみると、その悲惨さと滑稽さが浮き彫りになってきますね。
    「千年の眼」 とは素晴らしいタイトルですね。
    千年前に、雄雄しく生きていた人たちの「眼」ということなんでしょうけれど、「千年」 というロングスパンでモノを見る力のある人の 「眼」 ともとれます。
    千年という単位で見たときに、はじめて見えてくる 「真実」 というものがある…ということなんでしょうね。
     

  2. 町田さん)
    自分も含め、冷静に考えると、やはり現代資本主義の凄さと可笑しさは、色々な所で、人を歪にしているな、と感じる訳です。
    経済と時間の加速は何処まで行くのか?人はそれに耐えられるようにつくられているのか?
    金と効率だけの世の中にはうんざりですが、こんな姿を私たちの遠いご先祖さまはどう見ているのか?
    もっとやさしい時間と、どんと構えた人間こそと思うのですが、巻き込まれないようにと、常に危機感を抱く次第です。
    コメント、ありがとうございます。

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