ホーリー・ナイト

真夜中の

ラジオからこぼれる

クリスマスソングの

メロディに乗って

ひょこっと飛び出だしてきた小人たちはみな

色とりどりの派手な衣装を身にまとい

列をなして

テーブルを

ゆっくりと通り過ぎる

緑の帽子を被った小人が

ちらっとこちらを向いて

おどけた笑顔でフルートを吹く

真っ赤な太鼓の小人はバチを高く挙げて

どんどんと叩いて

大きな腹を突き出して

(おや

これはパーティー?)

にぎやかな行進はやがて

つめたい窓の隙間から冬の風に乗り

夜空へとのぼってゆく

そして音は徐々に遠のいて

きらきらとした階段が

やがて雲を掴み

小人たちが

そのふわふわのなかを跳ねて転んで

遠い星の光へと

消えてゆく

(神さまの処へ行くの?)

冬の空のきらめきに

静けさが戻り

ラジオからはとても素敵な賛美歌が聞こえてきて

あたりは次第に

祈るような夜となる

一人ぼっちの僕への

イヴのプレゼントは

夢の時間

誰も知らない夜話

「ホーリー・ナイト」への2件のフィードバック

  1.  
    メリークリスマス!
     
    なんか、遠い昔、母親の膝の上で、クリスマスの絵本を読んでもらっているうちに、いつのまにか寝てしまい、そして、夢のなかに …。
    そんな感じの、楽しい、… でも、どこか物悲しいメルヘンの世界ですね。
    きっと、この 「どこか物悲しい」 という雰囲気は、たぶんまだ若くて、元気で、愛情たっぷりに子供を育てたくれた “母親の膝の上” のぬくもりの気配があるからでしょうね。
    それを大人になって思い出すとき、こういう感じなのかなぁ … と思います。
    「愉快な小人たちの行進が、やがて冷たい窓の隙間から、夜空にのぼっていく」
    というのは、楽しく美しい “子供の時代” がすでに遠くに去ってしまったというノスタルジーの表現であるかのように感じました。
    クリスマス・イブというのは、そういう失われた記憶をプレゼントしてくれる夜、というようなことなのかもしれませんね。
     

  2. 町田さん)
    クリスマスっていうのは、なんというか、
    ホントに実体がないんですね?
    もちろん、お盆も正月もそうかも知れないんですが、
    クリスマスは当日になっても、よくわからない。
    お盆や正月は、お寺に行ったり神社へ行ったりでして、
    私の場合は、いろいろとあります。
    で実感が沸くんですが、クリスマスはそれがない。
    若いときは、レストランで洒落てみるとか、
    年がいくと家族でパーティーとかありますが、
    どこか他人のお祝い事のようで浮ついていまして。
    で、こうなったらメルヘンです。
    幼い頃を思い出してみたら、町田さんの言われるように、
    クリスマスの頃の記憶って沢山あります。
    ここをヒントに、思い出を頼りに、
    いまのテイストでひねり出してみました。
    その分、表現に甘さがありまして、そこは
    愛嬌ということで、
    「そういう失われた記憶をプレゼントしてくれる夜」
    がクリスマスなのでしょう。
    町田さんのおっしゃる通りの〆となってしまいました(笑)

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