2016年最後の仕事は、
いや、仕事になるのか否かはまだ分からないが、
私とディレクターは神奈川県のとある重度障害者施設にいた。
それまで、こうした施設の依頼は幾度かあり、
それぞれに仕事をさせて頂いたが、
今回の施設は、とびきり大変な仕事と分かった。
それでもお子さま方への愛情が充分過ぎるほど伝わる
私たちを呼んでくれたその女性が、
天使のように思えたのだった。
そんな直感は、いままでにないものだった。
なんとか安くて良い記念誌をつくってあげたい。
話は変わって、大晦日だったか、たまたま観たテレビに
懐かしいイエモン(THE YELLOW MONKEY)が出ていて、
再結成のいきさつを話していた。
リーダーの吉井が、
イギリスで70才のミックジャーガーのコンサートをみたとき、
とても感動したそうである。
そして閃いた。
解散していた自分がこれからなにをやるべきかが。
歌、そしてロックが好きだから、もう一度バンドを再結成しよう、
70才になっても頑張ろうと。
要するに見えたのだ。
イエモンは紅白に出ていた。
宇多田ヒカルも良かったけれど、
同じようにイエモンも良かったなぁ。
年は変わって、元旦。
近くの神社へ初詣にでかけた。
午後遅くだったので、盛大に燃やしたと思われる焚き火も、
もう消えかかりそうで、誰ももう薪をくべない。
そのフツフツと灰色にくすぶる最後の薪が、
なんだか自分に被る。
でふと思ったのだ。
このままでは違和感は拭えないなぁと。
地続きのように何も変わりなく、
今年も仕事を続けていく、ということ。
いまからでも遅くはないのでないか?
あの天使のような女性もイエモンも、
私の知らない何かを知っている。
掴んでいる。
見逃さず見過ごさず、自分に問うことは、
やはり勇気のいることではあるのだが…
ある大晦日の記憶
西條八十
その夜は粉雪がふっていた、
わたしは独り書斎の机の前に座って
遠い除夜の鐘を聴いていた。
風の中に断続するその寂しい音に聴き入るうち、
わたしはいつかうたた寝したように想った、
と、誰かが背後からそっと羽織を着せてくれた。
わたしは眼をひらいた、
と、そこには誰もいなかった、
羽織だと想ったのは
静かに私の軀に積もった一つの歳の重みであった。
(一部現代仮名遣いに変えました)
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。