この先、
一体、自分はこのままでいいのか?
20歳になろうとする悟は、
最近、自問自答するようになった。
冷凍食品の配送が、いまの悟の仕事だが、
ルートセールスは毎日同じ客筋を延々と繰り返して廻り、
カチカチに凍ったコロッケとか海老の箱詰めを、
肉屋やスーパーへ届けている。
しかし、
高校を卒業して最初に就いたバーテンダーよりマシだと、
悟は思っていた。
酔っ払いの相手はいい加減に馬鹿臭いと思ったからだ。
昼夜逆転の生活も、悟に暗い将来の暗示と映った。
途中、関東一円に荷を運ぶトラックの運転手もやってみたが、
夏の暑い日に、延々と田園が続くアスファルトの道を走っていると、
このまま海へ続けばいいなと、よく思った。
この仕事も日雇いと同じで、日給月給だった。
人生で初の正社員として採用してくれたのが、
いま働いている冷凍食品の会社だったが、
悟の自問自答は、日増しに膨れあがり、
避けて通れない難問となって立ちはだかる。
思えば、この問題は、高校時代まで遡るとことに気がついた。
悟の選んだ高校は私学で、
入学して分かったことだが、
すべてにスパルタが徹底していて、
何事に於いても、個人の自由は削がれていた。
そうした情報を知る術を、
当時の悟には知る由もなかった。
校内では、竹刀を手にした体育会系の人間がうろつき、
ちょっと気に入らない態度の生徒を、
規律を乱すとの理由で容赦なく叩いていた。
悟は、高校に息苦しさを覚え、
2度ほど辞めようと思ったが、
もう少し続けてみようと思ったのは、
担任の先生との関係だった。
その先生が何度も悟を説得してくれたのだった。
「悟、もう少し頑張ってみようよ」
悟は退学届けは出さず、
無断で高校を何日も休んだ。
その行為はいろいろと問題とされたが、
担任の先生の計らいで、難を切り抜けた。
その私学は大学の付属校だったが、
悟はその大学へも、勝手に失望してしまった。
学校へ行かない日は、
地元の配管工をしている友人の家で、
寝泊まりを繰り返した。
昼間はその遊び仲間のアパートで過ごし、
よくフォークソングを聴いた。
みんながいいという井上陽水をどうしても好きになれなくて、
悟は、吉田拓郎ばかりを聴いていた。
「人間なんて」という歌がステレオから流れると、
悟は心底その歌詞に共感した。
誰もいない日は、
そのLPレコードの「人間なんて」の部分を、
何度も繰り返して聴いた。
結局、高校はなんとか卒業したものの、
トコロテン式に上がれるその大学への進学は、
早々に辞退していた。
悟以外は、クラスの全員が、その大学へ進学した。
他の大学をめざしたクラスメイトも、
学校の内申書の意図的な操作で、
結局その大学へ行くしかなかったと、
後に噂で聞いた。
こうして、
高校時代から悟の軸は少しづつズレが生じ、
荒れた生活へと傾いた。
そして、
地元の遊び仲間たちとの行動が、
いろいろな歪みを生んだ。
警察の世話になるようなことも、
一度や二度では済まなくなっていた。
自問自答の原因は、
こうしたズレの集積であることに、
悟自身はようやく辿り着く。
悟は考えた末、
冷凍食品の会社に辞表を出した。
突然の辞表に驚いた所長は、
「お前は一体何を考えているのか?」と問われた。
「いまはまだ分かりません」
悟は中学校時代に親しくしていた友人を、
久しぶりに訪ねた。
しばらく会っていなかった友人は、
大学の法学部で、
法律の勉強に勤しんでいると話してくれた。
悟は思い詰めたように、
或る想いをその友人に話した。
「俺さ、なんだか分からないけど、
いまの自分が自分でないようで、
いたたまれないんだよね。
本当は、何かをつくりたい。
たとえば、新聞とか雑誌とか…
そういうものに携わりたいんだ。
才能とかって自分でもよくわかんないけど、
ただやりたいなって…」
「………」
「いや、いまの俺に必要なのは、
時間なのかも知れない。
要するに、
もう一度、やり直したいだけなんだ」
友人はためらった後、
そうした仕事に就くには、
まず学歴もないとな、とも話してくれた。
悟の最も嫌いな学歴という経歴が、
やはり現実の世界では、依然幅を利かせていた。
そして友人はモラトリアムという言葉の意味を、
悟に教えた。
大学の願書も偏差値も赤本も、
そして中学からの勉強のやり直しが最も有効だということも、
その友人が教えてくれた。
秋の気配が広がる頃、
悟は家に籠もって勉強を開始した。
両親は悟の行動を訝しがったが、
特に触れることもせず、
生活費をよこせとだけ、小言を繰り返した。
試験は翌年の2月14日。
友人もときどき徹夜で応援してくれた。
正月の元旦を除いて、
悟は受験勉強に集中した。
1974年の春、
とりあえず悟は自らの人生を再起動させた。
クルマの借金返済と生活費に学費か…
先に何が待っているかはよく分からないが、
悟は、なにより執行猶予期間を手に入れた。