1974/モラトリアム(ショートストーリー)

この先、

一体、自分はこのままでいいのか?

20歳になろうとする悟は、

最近、自問自答するようになった。

冷凍食品の配送が、いまの悟の仕事だが、

ルートセールスは毎日同じ客筋を延々と繰り返して廻り、

カチカチに凍ったコロッケとか海老の箱詰めを、

肉屋やスーパーへ届けている。

しかし、

高校を卒業して最初に就いたバーテンダーよりマシだと、

悟は思っていた。

酔っ払いの相手はいい加減に馬鹿臭いと思ったからだ。

昼夜逆転の生活も、悟に暗い将来の暗示と映った。

途中、関東一円に荷を運ぶトラックの運転手もやってみたが、

夏の暑い日に、延々と田園が続くアスファルトの道を走っていると、

このまま海へ続けばいいなと、よく思った。

この仕事も日雇いと同じで、日給月給だった。

人生で初の正社員として採用してくれたのが、

いま働いている冷凍食品の会社だったが、

悟の自問自答は、日増しに膨れあがり、

避けて通れない難問となって立ちはだかる。

思えば、この問題は、高校時代まで遡るとことに気がついた。

悟の選んだ高校は私学で、

入学して分かったことだが、

すべてにスパルタが徹底していて、

何事に於いても、個人の自由は削がれていた。

そうした情報を知る術を、

当時の悟には知る由もなかった。

校内では、竹刀を手にした体育会系の人間がうろつき、

ちょっと気に入らない態度の生徒を、

規律を乱すとの理由で容赦なく叩いていた。

悟は、高校に息苦しさを覚え、

2度ほど辞めようと思ったが、

もう少し続けてみようと思ったのは、

担任の先生との関係だった。

その先生が何度も悟を説得してくれたのだった。

「悟、もう少し頑張ってみようよ」

悟は退学届けは出さず、

無断で高校を何日も休んだ。

その行為はいろいろと問題とされたが、

担任の先生の計らいで、難を切り抜けた。

その私学は大学の付属校だったが、

悟はその大学へも、勝手に失望してしまった。

学校へ行かない日は、

地元の配管工をしている友人の家で、

寝泊まりを繰り返した。

昼間はその遊び仲間のアパートで過ごし、

よくフォークソングを聴いた。

みんながいいという井上陽水をどうしても好きになれなくて、

悟は、吉田拓郎ばかりを聴いていた。

「人間なんて」という歌がステレオから流れると、

悟は心底その歌詞に共感した。

誰もいない日は、

そのLPレコードの「人間なんて」の部分を、

何度も繰り返して聴いた。

結局、高校はなんとか卒業したものの、

トコロテン式に上がれるその大学への進学は、

早々に辞退していた。

悟以外は、クラスの全員が、その大学へ進学した。

他の大学をめざしたクラスメイトも、

学校の内申書の意図的な操作で、

結局その大学へ行くしかなかったと、

後に噂で聞いた。

こうして、

高校時代から悟の軸は少しづつズレが生じ、

荒れた生活へと傾いた。

そして、

地元の遊び仲間たちとの行動が、

いろいろな歪みを生んだ。

警察の世話になるようなことも、

一度や二度では済まなくなっていた。

自問自答の原因は、

こうしたズレの集積であることに、

悟自身はようやく辿り着く。

悟は考えた末、

冷凍食品の会社に辞表を出した。

突然の辞表に驚いた所長は、

「お前は一体何を考えているのか?」と問われた。

「いまはまだ分かりません」

悟は中学校時代に親しくしていた友人を、

久しぶりに訪ねた。

しばらく会っていなかった友人は、

大学の法学部で、

法律の勉強に勤しんでいると話してくれた。

悟は思い詰めたように、

或る想いをその友人に話した。

「俺さ、なんだか分からないけど、

いまの自分が自分でないようで、

いたたまれないんだよね。

本当は、何かをつくりたい。

たとえば、新聞とか雑誌とか…

そういうものに携わりたいんだ。

才能とかって自分でもよくわかんないけど、

ただやりたいなって…」

「………」

「いや、いまの俺に必要なのは、

時間なのかも知れない。

要するに、

もう一度、やり直したいだけなんだ」

友人はためらった後、

そうした仕事に就くには、

まず学歴もないとな、とも話してくれた。

悟の最も嫌いな学歴という経歴が、

やはり現実の世界では、依然幅を利かせていた。

そして友人はモラトリアムという言葉の意味を、

悟に教えた。

大学の願書も偏差値も赤本も、

そして中学からの勉強のやり直しが最も有効だということも、

その友人が教えてくれた。

秋の気配が広がる頃、

悟は家に籠もって勉強を開始した。

両親は悟の行動を訝しがったが、

特に触れることもせず、

生活費をよこせとだけ、小言を繰り返した。

試験は翌年の2月14日。

友人もときどき徹夜で応援してくれた。

正月の元旦を除いて、

悟は受験勉強に集中した。

1974年の春、

とりあえず悟は自らの人生を再起動させた。

クルマの借金返済と生活費に学費か…

先に何が待っているかはよく分からないが、

悟は、なにより執行猶予期間を手に入れた。

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