きょうの短歌

 

 

この国は右も左も抜け目ない政治屋跋扈(ばっこ)革命前夜

 

↑ここ最近の政治動向をみるにつけ、政治屋さんの発言・やっていることにはかなり失望しておりまして、あとは明日の選挙に期待するしかないですね。とても淡い期待ですが…

 

 

 

 

 

自由への道を歩いたこの道は鬼さえ出るが天が見守る

 

↑会社つとめが性に合わず、いろいろと試行錯誤の連続でしたが、最終的には自分を信じるしかない訳です。自分を信じることは、すなわちこの世界を是認することだと思うのですが。

 

 

 

きょうの短歌

 

 

令和にて檸檬(れもん)ばくだん教室に置いて立ち去れ見上げよ空を

 

 

 

きょうの短歌

 

 

 

政治家がえがおを振りまき手を握り心にもあらずもあなたのためと

 

 

天地荒れせかいの民がめざめると丙の午が世を駆けめぐる

 

 

 

正月は茅ヶ崎の海へ

 

 

茅ヶ崎の海をみるのは久しぶりだ。

自宅から小1時間なのに。

 

 

僕は山沿いに住んでいるので

窓を開けると、まず山を眺めて、

天気だとかの見当をつける。

海沿いに住んでいる人は、空はもちろん波の具合とかで、

その日の見当をつけるのだろう。

 

 

 

正月の4日は快晴で、海も山も風は強いけれど、

陽はさんさんと照っていて、雪化粧の富士山もみえた。

早朝の気温は1度だが徐々に上昇。

が、二桁までは伸びず、

風と相まって海岸沿いはかなり寒い。

 

この海岸から烏帽子岩がよく見える。

茅ヶ崎漁港付近をうろついていると、

地元の方たちが仕事に精を出している。

それが釣り船だったり漁だったり、

年初から忙しそうだ。

 

 

 

近くの店でサンドイッチとコーヒーをいただき、

クルマを辻堂へと走らせる。

休日とあって、なかなかしゃれたクルマが突っ走っている。

ときおり、バリバリバリと騒音をまき散らした

バイクの一団が爆走していたりする。

 

辻堂海浜公園は、サーファーがクルマを停め、

この寒いなか、海へ出ている。

「このクソ寒いのに…」

若いひとはすごいなぁって感心してしまう。

 

 

ここからあとひと息で江ノ島なのだが、

あそこはむかしと違い、

いまでは一大観光スポットなので、

近寄らないことにする。

 

 

で、この日の海を巡るドライブは終了。

帰路も行きと同様、

寒川神社付近で大渋滞に巻き込まれる。

この道を避けるのを忘れていた。

 

やはり年をとったなぁって、

新年早々ぼやいてしまう。

 

 

 

きょうの短歌

 

 

地球って人の心を受け止める泣いて笑って大地を揺らす

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

 

きょうの短歌

 

 

ボクたちはまばたきほどを走りゆく切ないほどの時の旅人

 

 

この風のにおいあの日の君がいた僕らはいつか遠い人となり

 

 

 

 

きょうの短歌

 

 

令和の世天地不和にて荒れ狂い

宇宙の果てへニュース流るる

 

 

 

 

 

ゆれ動く死生観

 

さんざん働いてきたので、

最近では残りの人生を意識し、

時間を爪に火を灯すのごとく

無駄なく有効に使いたいとか、

そんなことを意識しているのではないかと

思えてくる。

 

自分の深層心理は不明なのだけれど、

なにかを急いでいるふしがある。

 

自分は不可解だ。

 

たとえば、夜更けの僅かな時間に、

往年の女優、グレタ・ガルボを観る。

ハービーマンのフルートを聴く。

 

他人からみればくだらない事柄でも、

こっちは譲れないなにかに突き動かされている。

 

昼間は、仕事の合間をみて、

河原へ焚き火にでかける。

写真を撮りにあちこち歩き回わる。

 

夜はジャズを聴きに横浜へ。

 

はちまた書家の先生に教えを請うため、

たびたび目黒へでかけたり。

 

が、こう書くと、

人生は暇つぶしなのか?

とも思えてくる。

 

真剣な暇つぶし。

 

この一連の暇つぶしは、

いまから10年前に検討し始めた。

 

いちおう真剣なのだ。

 

うすうすだが、

死を意識するようになったことが、

そのおおきな要因なのかも知れない。

 

ながい人生でそんな場面には、

幾度となく遭遇したけれど、

最近ではその死さえ確実に近づいてきた訳で、

いよいよ腹を据えての暇つぶしとなる。

 

人生って実はとても単純そう、

と思える記述や映像によく出くわす。

やりたいことをやれなどと、

あちこちで吹聴している人たちがいる。

 

渦中にいるとなかなか

やりたいことなんてやれない。

かつ入り組んでいて、

一見浅いようで、

やはり人生ってどこまでも深遠だ。

 

そして生と死は

一見、こちら側、あちら側と分けることができそうだが、

実は混在していて、

同じ世界の表裏に、または同じ場所に、

いやそれさえ曖昧なまま、

すでにいずれも在るのではないか。

 

なんだか近頃では、

その境界さえこちらの思い込みなのではと

この世の中の成り立ちをあやしんでいる

自分がいたりする。

 

親しい友人ふたりがいなくなってから、

そうした思いはよりつのる。

 

彼らは、どこかにいそうだ。

電話にも出そうだし、

メールさえ返してきそう。

まだ解決していない話がいくつもあるじゃないか。

手を尽くせばなんとか話せそうだ。

死して、相変わらず生きている。

そう感じて仕方がない。

 

さて、今夜はマレーネ・ディートリヒの歌でも聴こうか。

そのうち時が満ちれば、

グレタ・ガルボとも話せそうだし。

 

そして思うのだ。

この生きているっていうこの感覚さえ、

ホントかどうかも分からない。

すべて妄想だったりしてと。

 

きょうの短歌

 

父の海はじめての町いにしえを歩く朽ちた軒先ときは止まって

 

 

 

 

 

きょうの短歌

 

 

手をとめてクルマを飛ばし湘南へ水平線にときは流れて