「コクリコ坂から」は、なかなかと思う。

スタジオジブリの作品は結構観ている。

初めは子供のお付き合いだったが、

観続けていて良かったと思っている。

「丘の上のポニョ」は、正直よく分からなかったが、

この「コクリコ坂から」は私にも充分理解できた。

強いて挙げれば「耳を澄ませば」のストーリー流れに、

ちょっと似ていなくもない。

宮崎駿は、いわばファンタジーアニメの大家だが、

息子の吾朗氏のこの作品は、方向性が少し異なる。

原作から見え隠れするのは、古き良き時代を描いただけ、なのか?

私の中で、この作品に出てくる生活や風景は、

自身の遠い記憶の中のノスタルジーでもあるし、

その世界そのものがメルヘンのような気もする。

舞台は昭和30年代後半の、横浜の本牧か根岸辺りだと思う。たぶん…

海の見える緑の多い丘に、ごく自然に古びた洋館が建ち並ぶ町。

ここで、主人公のメルは毎日懸命に生きている。

物語は、メルの起床シーンから始まるが、その淡々とした描写から、

彼女の高校生としての実直な性格が見て取れる。

この主人公の性格は、私の中で「となりのトトロ」に出てくる

さつきという女の子とダブってみえる。

宮崎アニメに欠かせない女の子像である。

が、この作品は他の宮崎ワールドと違い、ストーリーがかなりリアル。

そこが好きか嫌いかは、観る人の好みの問題だと思う。

高度成長期の日本の風景や、戦後を引きづった背景、

そして東京オリンピックに沸き立つ街の様子も、

つぶさに描かれている。

挿入歌の「上を向いて歩こう」が懐かしく素敵だし、

なにより、この時代の空気を端的にあらわしている。

なにしろ、この時代は誰もが上を向いて歩いていた。

涙がこぼれないように、ではなく、下を向かないという意味で…

主人公メルが通う高校にある建物カルチェラタンは、

歴史を感じさせるこの物語の重要なモチーフだ。

ここを舞台に彼女の淡い恋が始まるのだが、

事情は複雑かつリアルなもので、ラストに向かって感動の波は高まる。

特に、船に飛び乗るシーンで、

一瞬メルと風間君が抱き合うシーンがあるが、

このカットが、今回のこの作品のキーなのかとも思う。

当時の日米安保条約に反対する学生達の機運や、

その無骨さ、そしてクソまじめに討論したり、

哲学を語る奴が出てきたり…

いまでは見かけない、愛すべき当時の若者達でいっぱいだ。

ひとことで言えば、絵に描いたような青春群像。

それが、このストーリー全体を、とても爽やかなものにしている。

猥雑でにぎやかな街の様子、そして、当時の桜木町の駅や山下公園、

京浜東北線沿いの風景も、昭和らしさがリアルに描かれている。

私はこの頃小学生で、この舞台の街からかなり近い所に住んでいた。

なので、この目でこの辺りを見たり歩いたりした記憶があるので、

そこが私的にリアルであり、

ノスタルジーと言えばそうかも知れない。

さて、

主人公と同じ世代の方々に、この映画はどう映っているのだろう?

また、いまどきの若い人たちは、この映画をどう捉えるのだろう?

懐古の機運は、いまや世界的らしい。

アメリカでも、ヨーロッパでも、

60~70年代の音楽やファッションに、再び注目が集まっている。

また、ベトナム戦争の検証も、今更ながら、再び始まっていると聞く。

この映画は、ノスタルジーなのかファンタジーなのか。

時間の流れの中で、誰もが抱いているものが想い出となるとき、

それは記憶という名の物語になる。

物語はいずれ事実とは異なり、

都合勝手の良い記憶に書き換えられる。

だからこそだと思うが、

物語が独り歩きを始めたとき、

それはこの世界にふたつとない秀逸な作品になるに違いない。

そういう意味で、このストーリーは、

私にとって、

朽ちた宝石を磨くように、観るほどに輝きを増し、

忘れられないものとなった。

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