100円の運勢
ダイソーとかキャンドゥとかをうろうろしていて、なんかないかな?と。
いや、買うものがあって「ヒャッキン」なるものへ
行ったことがあります。
私ははじめ、ああいうところはロクなものがなく、
つまんない金を使ってしまうと、
バカにしていました。
が、最近違います。充実しています。
えっ、これが100円って、驚くものばかりです。
茶碗とか湯飲みも100円。絵の額も100円。えーい、まな板も100円です!
なんでも100円。
「これいくらですか?」って店員に聞いているじいさんがいましたが、
この勘違い、分かります。
で、あるとき本がずらっと並んでいまして、もちろんすべて100円。
私はひぃひぃ言って、このなかの運勢の本を買い、
家へ帰って読んでみました。
普段は、年の始めか年末に、高島易断みたいなものを
買っておくんですが、今年はこれでいいだろうと…
で、読むと何を言いたいのか分からないような箇所が多く、
文章も怪しい。
で、今年は吉か凶かというデリケートなところも、ほぼ曖昧。
ま、こういう運勢本は、曖昧ななかにも
「○○はいいぞ、だが○○に気をつけろ」的な表現がある訳ですが、
この本の場合は、そこがわかんない。
このとき、ついでに星座の本も買ったんですが、こっちは更にひどく、
ぺらぺらやって、数分後には投げ捨てていました。
どうです? 100円で知る運勢。イケマセン。
今年は、安っぽい運となってしまいました。
宝くじ売り場の前を通ると
以前、私は宝くじなるものを、やはりバカにしていまして、
あんなものは当たる筈はないと…
が、サラリーマン時代に、宝くじ部長みたいな人がいまして、
この人が宝くじを熱く語るので、彼のまとめ買いに付き合いました。
で、何回目かに当たったんですね! 私はこのとき、
ホントに当たるんだと、感心しまして、
みんなに1万円ずつだか分配されまして、それで飲んだ記憶があります。
しかし、それからずっと宝くじは買わず、人間はやはり地道だろうと!
働く対価としてお金を頂くんだろうと考えておりまして、
ああいうもんに夢中になる奴はけしからん的に見ておりました。
が、あるとき、街の宝くじ売り場の前を歩いていると、
この売り場から1億円出ました!!!って書いてある張り紙を見て
驚きまして、うわーって、3000円買ってしまいました。
で、結局なにも当たらない。が、最近またまた、
「宝くじが気になる病」が出て参りまして、
あの売り場の前を通ると、じっと立ちつくし、
張り紙を眺めている私がいるんですね?
で、100万円か、ちっ安いな、とかエラソーにやってるんですね。
結局、震災復興宝くじにハマリまして、というか妙に気になりまして、
宝くじ売り場の前を通るときは、いちいち時間がかかる私でした。
「これいくらですか?」そういうじいさんに憧れます。今まで無縁だったのでしょうか。
きっとハマッテいるかも?
そして、その価値を認識したりして・・・
運勢の本ですかぁ~~~中島さんのような危険はないから安心かも。
宝くじが当たる運勢の本はなかったですか?
当たったらどうするか?
それを想像するのも面白い。
売り場では、一番運のなさそうな人から買うのもいいかも!
無欲っぽい人。
作り笑顔をして微笑んでいる人の方がハズレかも!
今日は彼岸の入り。
我に返って現実です。
ぼた餅を供えたら、たなぼたがあるかも(笑)
ももさん)
宝くじが当たる運勢の本ですか?
こういう本があったとしてもですね、
たとえ1万円とか10万円しても、私は
買わないでしょうね?
ヒャッキンに売っていたら買います(笑)
中島さんま話は厳しいです。
ああいう方、よく聞きますが、なんというか、
凝り性なのかな?
そんな入り込めませんよ、ね。
分かりそうで分からない方たち、と思います。
宝くじが当たったら、私は他言は致しませんよ。
割と陰気。黙って普通のビンボーな暮らしを続行します。
お金は、床下に壺に入れておきます。
で、或る日遠ーくへ引っ越して勝手なことをやる。
これでしょうね!
コメント、ありがとうございます。