イマニクラスト、と書くと、何だろうと思う。
スタイリストのような職業名だろうか?
いや、
フェミニストとかロマンチストとかと似ている。
ちょっとカッコイイ。
○○ストは、文化の薫りがする。
が、エクソシストもいるではないか。
あれは怖い。
でですね、イマニクラストとは、
実は、居間に暮らすと、である。
下らないでしょ?
私は5年くらい、
ずっとイマニクラストを経験したことがある。
ふーん、なんで?
と思うだろうが、居間が便利だったから…
それだけだった。
そもそもイマニクラストになった原因は、
ひょんなことだった。
夜が更け、夕食後にウトウト寝てしまう。
で、家人に起こされても、起きない。
当初は私も2階のベッドで寝ようと思い、
必死で頑張ったが、気がつくと朝になっている。
こんなことが続くと、
本来のものぐさな性格がしゃしゃり出てしまい、
まあいいかと思ったら気が楽になり、
そのまま居間に居着いてしまった、という訳だ。
イマニクラストになるのは、簡単だ。
居間には、一年中付けっぱなしのエアコンがあった。
夏は快適。冬は暖かい。
台所に近いので、つまみ食いができる。
飲み放題。
パソコンもテレビもある。
音楽も自由に聴ける。
で、イマニクラストである。
だから、居間で暮らした5年間は、
布団とかベッドに寝たことがない。
いつも電気カーペットの上でゴロゴロしていた。
「身体壊すわよ」と、しょっちゅう奥さんに叱られていたが、
私は頑なにこのライフスタイルを固持した。
わりと頑固。
で、思い出すに
その頃はいつも起きていたし、いつも寝ていた。
そんな曖昧な感覚。
夜中に家人が起きてくると、寝ていた私も「よう」と起きる。
朝、家族がみんなで飯を食っていても、横で寝ている。
簡単に言うと、すげぇ迷惑な奴だったのである。
たとえば、喧嘩しても仲直りなんかしていなくても、
絶対に顔を合わすハメとなる。
だって私はいつも居間にいる、イマニクラストだったから。
普通の生活に戻ったきっかけは、震災だった。
いろいろなことを考え、自分の人生とかも考え、
エコを考え、健康も考えて、
イマニクラストをやめた。
イマニクラストは生活にメリハリがない。
ファジィだ。
常に仕事、常に休憩、常に寝ているのだが、
なんというか、
一日、一日という刻みが曖昧な上に、
時間の連続性に、いい加減うんざりするのだ。
翻って、ケジメのある生活というものは、
寝る前に、一日が無事に過ごせたことに感謝して就寝する。
朝、今日もベッドで爽やかに目覚められたことに感謝する。
となる。
ケジメのある生活は、再起動ができる。
ここんとこ、大事。
だから辛いことがあっても、一晩寝れば、
なんとか再び立ち上がれる。
心機一転という心境の変化も期待できる。
メリハリの利いた生活というのは、
要は、生きているありがたみが実感できるのだ。
私はイマニクラストを経験して、
やっとそのことに気がついた。
面倒臭い、便利だ、だけの物差しで、
人生のすべてを計っていると、
そこに大きな落とし穴が口を開いている。
イマニクラストが私に教えてくれたことだ。