異界が交差する時間

 

夜中の2時にとつぜん目が覚めて、

「んー、なんだ?」とまわりを見渡した。

 

深夜…

しーんとしている。

 

トイレにいきたい訳でもない。

心身はやけにスッキリしている。

勢い起きようかと思ったが、

ああ例のあれかとハタと気づいた。

 

寝たのはつい2時間前だ。

スッキリしているハズがない。

ボクはなるほどと納得し、

いつものように静かに目を閉じて

ふたたび眠りにつくのだった。

(いつもは朝まで爆睡なのに)

 

こんなことがおおよそ年に2回ほどある。

時間は深夜の2時~2時半の間。

そこはきっちりと決まっている。

 

むかし風に言えば、丑三つ時(うしみつどき)である。

そう、妖怪や幽霊が出るという恐ろしい時間なのだ 汗

彼らが最も活発に動くのがこの時間であるらしい。

 

この時間に初めて目が覚めたのはかなり前のこと。

そのときはもちろん初めてなので驚いたけれど、

とても不思議な体験だった。

だってお袋が訪ねてきたんだから。

 

そう、お袋です。

そのときすでにお袋がいなくなってから、

数年はたっていたような気がする。

 

枕元に近づく何ものかの気配。

畳をすーっすーっと擦る音が近づいてくる。

 

意識は覚醒していた。

身体が硬直している。

振り向こうとしても、

首がまったく動かない。

 

小さい頃からお化けとか幽霊とか、

そういう怪しいものには人一倍臆病だったのに、

ボクはそのとき全く怖さを感じなかった。

直感でお袋だと確信したからだ。

 

お袋はボクの枕元ですっととまり、

そしてボクを背後から見下ろしている。

首がまわらないので見たわけではないが、

お袋は笑みを浮かべてボクの髪に触れた…

そんな気がした。

 

「お袋だろ?」と声を発しようとするも、声が出ない。

 

その現象はそのときのたった一回きりだった。

以来、お袋は二度と出てきてくれない。

 

あとで枕元の時計をみると、確かに2時半ごろだった。

以来、ボクは丑三つ時に目を覚ますようになった。

 

いまはもうすっかりと慣れてしまって、

翌朝には忘れてしまうような

ささいな出来事になってしまった。

 

だけどお袋は相変わらず飽きもしないで

ボクを訪ねてきてくれる。

 

なにか話したいことでもあるのかな?

言い忘れたとても大事な話?

ひょっとすると、あちらの世界で再会した

親父へのちっとも変わらない不満かな?

 

小学生だったボクがどこかへでかけるとき、

お袋は必ず忘れず「お天道様はいつもみているよ」と

真顔で言い放つのだった。

 

素朴で信仰心のあついお袋がまたきてくれた…

 

まぁとにかくボクは、そのたびに感謝している。

 

 

夏のうた

いくつもの夏が過ぎて。

 

若かったボクは年をとって、
思い出だけが積もり積もって心身がおもくなり、
だけどキミはしわの美しいおばあちゃんになり、
そして今年もあいかわらずに、
なんら変わることなく暑い夏がきた。

夏の早朝はそのすべてがうつくしい。
そう思うようになった。

(そういえば母は夏の似合う女性だった。
夏の早朝から丈の高い竿いっぱいに、
白い洗濯物を吊るしていた)

暑い夏でも、
朝は熱いコーヒーなんだ。

(アイスコーヒーなんて…)

なんだかきょうもやれそうな気がしてくる。

早朝は昨夕のメモから。

それを見返し、調べものをしたりする。

そうしているうちに窓の外の明るさに気づく。

「きょうも暑くなりそうね」

「そうなる前に歩きたいけれど、きょうも間に合いそうもない」

パソコンを閉じると、だいたい陽はもう高くなっていて
外は気温30℃に届きそうなようす。

いつも早朝に歩く算段を考えるけれど、
やることは相変わらずで、
まいど同じ後悔をくり返している。

夏はなんといっても
朝がうつくしいのに…

 

 

 

いくつもの夏が過ぎて。(その2)

 

今朝はとくべつに早起きをして、
さっさと戸外へとでかけた。

木々の間を抜けるとき
夜明けを告げる鳥が「生きている印なんだ」と

いっせいに鳴いている。

それはやがてオーケストラの森となった。

田園地帯に出てそこからながめる山なみは、
まだ黒い影を落としていて、
山体をまとわりつくように、
淡くて蒼い気流が流れている。

足元では、
朝つゆをころがす小さなむらさきの花がほうぼうに開いて、
それが途方もなくうつくしい。

夏の陽射しは早朝から
万物をめざめさせるに足る、
それはあふれるほどに、
生命の息吹に満ちている。

ボクは遠い青春のときを想った。

 

スパンキーの時事放談

 

岸田さんは無能か

この人、去年の広島サミットで核廃絶、世界平和を唱えたけれど、ただの常套句。その道筋を示すこともない。ウクライナ紛争においても停戦を呼びかけるのではなく、ウクライナを応援しようと演説している。金も出すとほざいた。戦争の継続だ。広島の地でそんなことを言うか? 相当ズレている。何か裏事情でもあるのかと勘ぐってしまった。現在に至るまでも数々の悪行を働いてくれた。後世に語り継がれる希有な政治家だ。

 

バイデンに次期大統領は無理

この人が岸田さんに何事かを頼んでいるのか命令しているのか? 日米の歩調は根っこのところでピタリと一致しているし。先日海外メディアでバイデン大統領の演説の様子をチェックした。時折変なことを言う。まわりが固まっている。演説の最中なのにとつぜん黙して固まったりする。不自然極まりない。そんなアメリカ大統領っているかね?  誰かがこの人を操っていると推測する。

 

NHKにやる気はあるのか

大事なニュースが満載の昨今なのに、テレビをつけるとおや、今日もたいしたことなかったね、というニュアンスで番組は淡々と流れる。意図的な偏向報道とか報道しない自由とかまでは言わないけれど、ニュースの扱いにはかなりの作為が感じられる。にしても連日の大谷翔平の連呼に何の意味が隠されているのか?

 

東京都知事選挙にうんざり

先日、諸用で目黒から広尾あたりを歩き回っていた。とにかく選挙演説カーがひっきりなしに通る。で絶叫している訳だ。駅前は特に酷いので裏通りに逃れた。けたたましさは追っかけてくる。ボクは神奈川県民なので関係ないのだけれど、都民だったら誰に投票するかかなりアタマをひねらなくてはならないだろう。だって消去法、減点法でしか絞れないほど、くせものの候補者ばかりでしょ?

 

戦争の正体

ボクも長いこと生きているけれど、その間、世界のどこかで必ず戦争をやっていた。それは現在も何も変わらない。これはおかしいと思った。最近、改めて近代史・現代史の本をいくつか読み直しているが、そこでひとつ気づいたことがある。戦争って正義のためにはじまることはまずない。戦争の種をつくる奴がいる。戦争で儲かる人がいる。莫大な利益を上げる企業がある…そこが謎解きのポイントだった。構造があまりに単純かつ巨大過ぎて気づかなかった。

 

 

追悼「フジコ・ヘミング」

 

ピアニストのフジコ・ヘミングさんが、
去る4月に亡くなりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

数年前にようやくコンサートチケットが手に入り、
直にお聴きできる機会を得ました。
足が悪く辛そうで、歩行器につかまっての登場でした。

が、彼女がピアノに向かうと、会場の空気が一変しました。
それは不思議な体験でした。
一瞬で別の空間に連れていかれたかのような、
疑似トリップとでもいうべきものです。

聴衆が最も期待している「ラ・カンパネラ」。

右手が奏でるそのピアノの音は、
題名にふさわしく、まさにヨーロッパの古い教会の鐘の音
そのものでした。

この音は彼女にしか出せない…
それは技術やテクニックでは届かない、
他の何かなのだろうと。

きっと彼女には神様がついているに違いない━
そんな気すらさせるのですから。

そしてピアニストになるためにこの人は生れてきたんだと
思うに至りました。

フジコヘミングはスウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれ、
幼少期からピアノに親しんで育ちました。
彼女はまた生涯をつうじて多くの困難に遭遇しましたが、
それでも音楽に対する情熱を失わずに歩んできました。

彼女はまず若くして片側の聴力を失うという
大きなハンディキャップを抱えました。

が人生の中ほどで、
人生最大のチャンスを掴むのです。
あの世界的指揮者であるバーンスタインに認められ、
将来を約束されたのです。

しかしヨーロッパデビュー本番の数日前から
彼女は原因不明の高熱におかされ、
反対の耳の聴力も失ってしまいます。
(その後60%くらい聞こえるようになるのですが)

こうして二度とない大きなチャンスを逃してしまいます。

のち彼女の不遇は長く続き、
ようやく世界に認められたのは、
60代の半ばからです。

そして怒涛のオファーが舞い込むのです。

その多忙は、90才前半のつい最近まで
途切れることがありませんでした。

彼女の演奏するものはどれも人々の心を揺さぶり、
深い感動を与えました。

彼女の奏でる音色には、
苦難を乗り越えた自身の強さと繊細さが感じられ、
聴く人々に勇気と希望を与えてくれます。

このように彼女の生涯は、
音楽を通じて人々に感動を届けるという使命を
全うしたものでした。

ボクがとりわけこの人に好感を抱き、
身近に感じるのは訳がありまして、
彼女が稀代のピアニストである以前に、
なにしろボクの伯母にそっくりだからなのです。

外見、顔の表情、そしてことばや服装のセンスまで、
ことごとくふたりは似ています。

伯母は服飾デザイナーだったので、
ボクにいろいろな服を縫ってくれました。
横浜の高島屋の特別食堂で、
よくチョコレートパフェをごちそうしてくれました。

その伯母のやさしさが彼女に重なってしまうのです。

伯母もまたフジコ・ヘミングと同様、生涯独身でした。

そして彼女(フジコ・ヘミング)がタバコを吸う姿はまた、
まったく嫌味がないばかりか、カッコよささえ漂うのです。
時代の風を超越した彼女自身の強い生き方を、
その姿で示しているような気がするのです。
(伯母はタバコを吸いませんでしたが)

「私だってよく間違えるわよ。だって機械じゃないんだから」
彼女がよく口走るせりふです。

演奏のできばえの良かった後のインタビューで、
彼女はこうこたえていました。

「神様も今日の私の演奏をきっとほめてくれているわよ」

━神に愛されたピアニスト━

フジコ・ヘミングは、これからも多くの人々の心に
響き続けることでしょう。
そして彼女の残した音楽の遺産は、
ボクたちの心に生き続ける━

そう思いませんか?

 

 

 

ビルボード横浜「南佳孝」ライブへでかけた!

 

南佳孝さんのライブはもうかなり行ったけど、
今回はサイコーでした。

文句なし!

 

↑(撮影禁止なのでこれで勘弁!)

 

なんというかいつもよりさらにパワフルっていうのかな?
演奏ものっていたし、選曲もgood。

アーティスト自ら楽しんでいるのが、
観ている側からも分かる。

こうしたタイミングって重要だと思う。

にしても、うたう南さんの音域の幅には、
改めて驚きました!

特にあの高音はフツーの歌い手さんでは無理。
ソフトできれいにのびるから、
ボサノバに溶けるようにして響く。

 

 

だから彼のうたの多くがそうであるように、
あのメローな空気感は、
きっと彼にしか出せない。

他の人がうたっても再現はできない。

(いまの時代、個性ってとても大事です)

ベースギター、ピアノ、サックス、ドラムも、
それぞれに良い癖があって好感。

知れた仲間だから呼吸もみな心得ている。

ライブは茅ヶ崎の海で先日聴いたばかりだけど、
あれはあれで、これは別物という感じ。

みんなで屋外で食べるバーベキューと
焼き肉屋で食べる違いとでもいうべきなのか?

いずれ、相当にうまい。
いや聴いていてどちらもとてもハッピー。

いつもものぐさなのに、
こうした時間を確保した自分に、
「エラい!」とほめてやりました 笑

 

 

初夏の山は生命力にあふれている!!

 

山で暮らしていると、季節の移り変わりに敏感になる。

といっても標高100㍍そこそこの住宅地なので、

丘とか台地と呼ぶのがふさわしいような気もする。

 

早朝、あくびなんかしながら窓をあけると、

鋭角な陽射しが目の前にスッとのびる。

戸外の空気はひんやりしている。

気温は街中より3度以上は低いと思う。

 

遠くにそびえる連山を望むと、

中腹から上のほうが朝日で光っているのが見える。

 

いまでは見慣れた景色なんだけれど、

ぜんぜん飽きることがない。

 

最近になって気づいたのだけれど、

人って暮らす環境、とりわけロケーションによって、

心の有りようやライフスタイルに

かなりの影響を与えるのではないか?

ということ。

(当然ことなのだけれど)

 

先日でかけた茅ヶ崎のライブでも、

地元のおっさんおばさんたちがみんなおおらかで若い。

陽に焼けた笑顔が印象的でした。

 

横浜の街中で生まれ育って、

社会に出てからずっと東京のマンション暮らしだった身としては、

自然や四季の移り変わりを身近に感じられるところで暮らすことは、

贅沢としか言いようがない訳で、

もう都会に戻ろうなんてぜんぜん思わない。

 

毎朝、出勤する必要もないので、

駅チカであるとかタワマンとか、

どこか遠い価値観のように感じてしまう。

 

東京から引っ越してきた当初は、

毎日のように「不便だなぁ」を連発していた。

(当時は酒呑みだったので、繁華街と盛り場が至近にないと

生きてゆくことができなかったのだろう)

 

いなかはクルマの運転が必須なので、

酒を飲む機会もめっきり減り、

終いにはやめてしまったが…

 

おかげでそれまで医者に指摘されていた肝臓の数値の他、

いろいろな数値が少しづつ正常化してきたし、

時間の使い方も変化し、戸外に出る時間も増えた。

 

山を歩いたり、河原で焚き火をしたり、

近所の農家の畑を見に行ったり、

クルマをいじったり、

そして空いた時間に仕事をしたり…

夜は夜で、映画を観たり本を読んだりと、

実は毎日がけっこう忙しい。

 

話がかなり逸れてしまった。

 

そんな訳で、初夏の緑が目に痛いほどに、

山は生命力に満ちているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重いぞ、村上春樹!

 

寝室の横の棚にずっと放っておいた本を、

ようやく最近になって開いてみた。

1年近く放っておいた気がする。

 

過去に幾度か読もうと思ったのだが、

その本の外見からして、なんとなく拒絶していた。

 

かなり分厚い。だから当然重い。

これを寝床で読むことを考えたら、疲れる。

だからのびのびになっていたんだけどね。

 

この本をキッチンにあった計量器にのせてみた。

700グラム近くある。

フツーの文庫本がだいたい100グラムだから、約7倍。

片手で文庫本を7冊持つとかなり重いでしょ?

 

 

 

という訳で、ここ数日この本で読書しているんだけど、

すげえ気が散る。

フツー読み進むうちに、

内容が良いと物語のなかに入れる訳。

なのに、中身がなかなかアタマに入ってこない。

 

ボクは左右どちらかを向いて読むんだけど、

片方の腕で、いや手首だろうなぁ、

そこに700グラム強の重さがかかると、やすらぎなんかこない。

就寝前なのに、本と格闘しなければならない。

 

そもそも寝る前の読書はボクのなかのサイコーの時間、

しあわせのひとときのハズのだけど…

なのにサイコーの時間なんか訪れない。

 

そのむかし、やはりベッドで藤原新也の「東京漂流」を読んで

ムッときたことを思い出した。

この本も重かったなぁ。

 

「他の本を読めばいいじゃん」との声が聞こえる。

 

だがしかしだ、

読み始めた以上、途中での挫折は許されないのだ。

これは個人的な掟なのでやめる訳にはいかない。

男の意地と言っても良かろうよ。

 

なので、最近ではそろそろ寝ようかなと思う頃、

チラッとこの本がアタマに浮かんで、

「チッ」とやったりする自分がいる。

 

きょう現在で、p103まで読み進めた。

が、先は霞がかかるほどに遠い。

だってp661もあるんだぜ!

 

当分、憂鬱な夜が続きそうだ 涙

 

 

 

 

 茅ヶ崎ライブ(南佳孝・ブレッド&バターetc)へ行ってきた!

連休の5月5日、快晴。

久しぶりに海へでかける。

途中、車窓より富士山がかすんでみえた。

うん まだ雪をかぶっている?

平地はご覧のとおり、もう夏なのになぁ…

 

そして茅ヶ崎の浜の日差しも強烈だった。

さらに強風。

砂が、目に口に入ってひどい状態に。

サングラスは絶対必須でした。

あとマスクも…

 

 

会場に近づくとかなりの人混みとなる。

ステージから風に乗ってゆるい感じで、演奏が聞こえる。

みんなもゴロンとリラックスしてビールなんか飲んでいる。

パラソルやテントがあちこちにひらいて、

海にきたなぁと実感できる。

 

 

砂浜を久しぶりに歩くと、かなり足が重い。

歩きづらいけれど、

ロケーションの良いところを探すために、

あちこちをウロウロする。

 

にしても風がうるさくてすべてが聞きづらい。

マイクに風の音が混じっている。

まだ知らないバンドが演奏しているので、

寝転がって久しぶりの海をずっとながめる。

 

このイベントは、情報通の知人が教えてくれた。

あまり大々的に宣伝もしていないので、

ボクも以前は知らなかった。

 

今日のトリは、ブレッド&バター、

そして大トリが南佳孝さん。

全国区だけど、とりわけ湘南の人気ミュージシャンとあって、

年齢は高めの根強いファンが目立つ。

 

タトゥーを入れた70過ぎと思われるおばさんが、

ビール缶を片手にステージに上がって踊っているし、

不思議なレゲェのような服に身を包んだサングラスのおっさんが、

ムームーをひらひらさせたおばさんと抱き合っていたり、

なんだかよく分からない空気の中で、

ボクは「自由」というキーワードがアタマに浮かんだ。

 

あいかわらず富士山がかすんでみえる。

遠く伊豆半島のほうまで見渡せるロケーション。

沖に烏帽子岩、トンビが強風をコントロールして、

私たちの頭上でホバリングしながら、

会場を見下ろしている。

 

空も海もとても良い色をしている。

とにかく、いまここでボクは、

少なからず、自由を満喫しているのではないか。

そして、自由についてのつまらない定義みたいなことを

考えるのをやめた。

 

待ち合わせた知人とは、

ステージはそっちのけで話し込み、

時間は刻々と過ぎて、

そろそろという時間になる。

昼にきたというのに、あっという間にもう夕方。

日が傾いている。

そろそろトリがあらわれる頃だ。

 

ボクたちは場所を移動し、

ステージが垣間見える場所を確保するため、

ステージ裏の垣根の隙間をゲットする。

 

会場から異様な熱気が伝わる。

 

 

ブレッド&バターのふたりが登場した。

地元茅ヶ崎の仲間たちとおぼしき、

個性的な面々が最前列に集まる。

(とても不思議な雰囲気の湘南の方々…)

 

ボルテージは最高となり、

やがてはみんな総立ちとなり、

踊り出す人も。

 

彼らの人気は絶大で、

いつまでもアンコールが鳴り止まず。

(会場の気温が急上昇 笑)

 

そのうち、

楽屋裏に南佳孝さんの姿がちらちらと見え始めた。

で、ブレッド&バターがステージを去ると、

場の空気を一新するためだろうねぇ、

会場のスタッフが興奮した観客たちを座らせ、

最前線にコーンを置いたりしている。

 

南佳孝さんがステージにあらわれる。

全く違う空気感が会場に漂うんだよなぁ。

 

彼がギターのチューニングを神経質にはじめた。

 

で、ステージの雰囲気も一新したところで、

ボサノバ風の「日付変更線」からスタート。

 

このうたを聴いているうちに、

この会場が海岸にあることに、なんだか感激する。

 

 

そして、ウォークマンが発売された当時、

ボクはグアム島からパラオに飛ぶ飛行機のなかで、

まさにこの曲を聴いていたことを思い出した。

 

南佳孝さん自身も、街中のハコのライブより、

こうした海のロケーションが大好きなのだろう。

いつものクールで抑揚を効かせた、

そしてシャイな一面もみせながも、

最後はみんなにスタンドアップOKと、

かなりのってくれた。

「モンロー・ウォーク」「スローなブギにしてくれ」まで

披露してくれたのだから…

 

秀逸な曲、心をさらわれるうた、

海に溶けていくようなメロディー、

風に乗って消えてゆくボーカルの響き。

そして五月晴れの茅ヶ崎の砂浜。

 

舞台装置は完璧だった!

 

「いまこの瞬間、ボクは間違いなく自由だ!」

そう感じたボクの感覚は、間違っていない。

 

いまもそう確信している。

 

 

老化についての考察

 

最近、歩くのが遅くなった気がする。

気がする…とのあいまいな言い回しは、

自分以外はそんなことはないのか、とも思ったからだ。

 

先日、早朝に横浜の官庁街を歩いていたとき、

後ろから来る人にドンドン追い越されていくことにハタと気づいた。

(年取ったのかなぁ)

けっこう嫌な気分になりましたね。

 

新宿駅でも以前、同じような経験をした。

がしかし、これは年のせいではなく、場所が悪いのではないか?

 

思うに、最近の歩く速度って、むかしよりスピードアップしていないか?

(競技の速歩のような気がするなぁ)

 

とこの話は他人のせいにしておくとして、

それでもなお老化に気づくことがある。

 

たとえば最近、どうも飲み込みが良くないなぁと気づいた。

さらにすぐむせたりする。

原因はよく分からないが、老化なのだろうと思う。

我ながら腹が立つ。

 

で、飲み込みというのは、

理解するとかそういう場合に使われることもあるけれど、

そのあたりはまだなんとか大丈夫のような気がする。

 

で、飲み込む力だが、これを嚥下力と言うらしい。

年をとると、この力が低下してくる。

よって、食いもんの摂取も真剣であらねばならない。

 

だって、命がけなんだぜ!

 

で、嚥下力向上のための方策などをいろいろと調べた。

結果、なんとカラオケが良いとか。

(ほんとかよ?)

 

という訳で、先日カラオケに出かけました (単純思考)

 

カラオケ専用のiPadのようなものをのぞくと、

懐かしのヒット曲というジャンルがあって、

年代別にヒットした懐かしい歌がずらっと出てくる。

 

「この順番でいこう!」とスタート。

初っぱなは1950年代に流行った坂本九の

「上を向いて歩こう」から歌いはじめた。

 

各年代の代表的なヒット曲を3曲熱唱。

そして順に年代を上げてゆく。

 

勢い西暦2000年まで歌い続けようと、

休むことなく歌い続けてみた。

 

途中、歌いながらパンをかじり、

アイスコーヒーを流し込み、

踊り始めて汗が噴き出し、

ソフトクリームを摂取する。

(なんか体に悪そう)

 

演歌、グループサウンズ、フォークソング、

ニューポップスとか懐かしい歌ばかりを、

その頃を思い出しながら歌っていると、

なんだか若い頃に戻ったようで、

不思議と心身が絶好調となり、

そのまま湘南に出かけても

泳げそうな気がしてくる。

 

が、しかしだ、

調子にのり過ぎたのか、

連続で30曲くらい歌ったころから、

疲労と酸欠でふらふらになってしまった 笑

(やりすぎるのも老化の特徴)

 

でかえって憂鬱になり、

やはり年をとるとなんか面白くないな、となる。

さらに心身のリスクもどんどん増えてゆくから危険なのだと、

この嚥下力向上企画を反省した。

 

で、あれから嚥下力がアップしたかどうかは、

まだ分からないけれど、

さっきの夕食のとき一回むせた。

 

あと、眼力も低下してきた気がする。

眼力とはいっても物事を判断する能力のことではない。

単なる老眼なんだけれど。

いや、判断力も落ちてきているかも?

 

いずれろくなもんじゃない。

 

で老眼だが、端的な症状として

たとえば文庫本を読もうとするも、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと気持ち悪い (おおげさかな)

 

いっぽう老眼のいいところも、あるにはある。

見たくないものはそもそも目を凝らしても見えないので、

さっさとスルーできる。

読みたくないものは読まないで済む。

 

聴力にしても同様で、

面倒な話なども聞こえてこないと良いのだが、

耳はまだ衰えていないので、

けっこう雑音が多いのがたまに嫌になる。

よって聞こえないふりをしたりしている。

 

あと年をとるとですね、

自然とアタマが光ったりする訳です。

(ああ、これはただ禿げてくるってゆうこと)

 

ある日、鏡を見てあっと驚いたとか、

家人に指摘されたとか、

禿げと薄毛は、或る日の午後、

稲妻のようにとつぜん訪れるのだった。

 

そして意識は額やツムジに集中するのだ。

これってある意味、老化する己の確認でもあるので、

これだけで、或る人は意識しすぎて

頭痛持ちとなってしまうらしいのだ。

(これは嘘です)

 

だかしかし、年々ひどくなる物忘れが幸いして、

己の禿げているのも忘れて、

他人の禿げアタマを冷静に眺める自分がいた。

(これも嘘です)

 

いずれ、つい最近まで他人事だったことが、

ある日とつぜん我が身に起こるのが老化である。

 

老化は対岸の火事ではない。

いつか己に確実に降りかかる災難のようなものなのだ 笑

 

君にも必ず訪れる老化。

よって老化をバカにしてはいけない。

これは誰もがいつか通る道なのである。

老化からは何人たりとも逃れることはできないのだ。

 

それは「死」とて同様…

 

老化も死も生命の単なる循環のひとつなのであり、

たとえば季節が巡るような自然なものごとだと思えば、

客観視でき、かつ冷静に受け入れることができる。

 

どうだろう?

このような思考が、

いわゆる年を取った者の

「智恵」なのではあるまいか?

と机上では言えるのだがね!

 

 

世界の片隅で

 

陽が昇ると

太陽神は世界を見渡して

誰それが何処で何をしているかを知ることとなる

 

そして海神と世間話をするうちに

つい愚痴をこぼしてしまい

夕方にはまた

深刻顔になってしまうのが

中世からの日課のようなものだった

 

やがて星々が笑い始めるころ

月神が山神と話し込んでしまい

遠い銀河系の噂を小耳に挟んだりして

ときどき夜明けは遅くなったりするものだから

「困ったものだ」と朝つゆがぼやく

 

世界の営みはいつも

危ない綱渡りで成り立っている

 

消えない放射能が神々を悩ませ

 

あの山は削られ

この川は濁り

海には毒薬が垂れ流されていた

 

世界の酸素と二酸化炭素と窒素のバランスは

果たしていつまで保たれるのか?

(気持ちよく昼寝をしているウミガメの足には

ビニールのながい紐が固く結ばれていた)

 

ミサイルや爆弾が

誰に何をしたのか

よくよく問うてみたことがあるというのか?

 

大統領が偉い訳ではない

将軍が勢力図を動かしているのではない

 

では国境を取っ払って

人類をシェイクして

世界を平均化したところで

問題はより深刻になるばかりだった

 

(人は神に似せてつくられたのに…)

 

陽が昇ると

太陽神は世界を見渡して

誰それが何処で何をしているかを知ることとなる

そして海神と世間話をするうちに

つい愚痴をこぼしてしまい

夕方にはまた

深刻顔になってしまうのが

中世からの日課のようなものだった

 

やがて星々が笑い始めるころ

月神が山神と話し込んでしまい

遠い銀河系の噂を小耳に挟んだりして

時々夜明けは遅くなったりするのだから

「困ったものだ」と朝つゆがぼやく

 

宇宙の意志はいま

本当に困っているに違いない