こちら、ゲス芸能デスク!

 

 

■元「歌のお兄さん」覚醒剤使用の疑いで逮捕

「歌舞伎町のサウナで使用した」(スポニチ)

 

●コメント

歌のお兄さんは、番組を下りた後も良いお兄さんかというと、

そんなことは誰も保証できない。

いろいろな苦労もしただろうし、仕事がうまくいかない、金がない、

彼女にふられた、行き詰まった…。そんなときに妙な奴から

「楽になるから…」って貰ったのが覚醒剤だったのかも知れないし。

もちろんイケナイ、違法だから彼は捕まったのだが、

元の職業が仇となった。

元芸能人が覚醒剤云々というより、

元「歌のお兄さん」が覚醒剤という一点においてのニュース性が、

この件を拡大させた。

人生がどうにも分からないのは、何処も同じ。

が、良くないよな、覚醒剤は、でこの話は締めたい訳。

 

 

■船越英一郎、不起訴の元妻・松居一代を

「今回に限り宥恕する」 代理人がコメント(スポニチアネックス)

 

●コメント

船越が訴えて、松居一代不起訴!

船越さんは相当モテる方だそうです。

松居さんはそういう旦那に対して、

常に疑いをもっていたそうな。もちろん女性関係。

真偽のほどは私は何も知りませんし、

そんなことはどうでもいい。

ただ、夫婦で親権とかそういうのでなく、

名誉毀損のようなことで争うのは、やはり芸能人ならでは。

松居さんに異常さを感じたのは、私だけではないだろう。

船越の淡々としたとぼけ具合はキャラなのか。

で、今回の船越さんの「許す」というコメント。

そこを「宥恕(ゆうじょ)する」という一点において取りあげた訳。

こんな難しいことば、どっから探してきた?

忖度と同レベル。

 

 

■剛力彩芽は月に行かない?

ZOZO前澤氏との関係に心配の声(女性自身)

 

●コメント

いまノリにノっているZOZOTOWNの前澤さんだが、

米宇宙ベンチャー「スペースX」が、開発中の大型ロケット

「ビッグ・ファルコン・ロケット(BFR)」での月旅行について

発表した。

で、同社が初めての旅行者として契約したのが、前澤さんだ。

推定費用1000億円ともいわれている。

私には、全く縁もゆかりもない数字。

で、月旅行へ飛ぶのは2023年。このとき、

芸術家を7.8人連れて行くという。

太っ腹というか、この前澤という人のスケールが、

小さすぎの私には、なんとも奇妙に映る。

うらやましいとか思わない。

ただ不思議。

恋人の女優の剛力彩芽(26)さんは、

この件に関し「月に行く予定はない」。

この記事の問題は、ずばりタイトル。

一緒に行かないから「心配」なのであるらしい。

ここ、ポイント。

端的に言ってしまえば、誰も数年先の事なんか、

いまの時代にはなかなかリアルにイメージできない。

剛力さんにフツーさを感じる。

前澤さんに桁外れのパワーを感じる、というか、

ホントはちょっと変な奴を感じる。

 

 

■美川憲一、結婚考えた相手いたと告白も…

「子供できたら美川でいられるかなあと」(ライブドアニュース)

 

●コメント

このニュースの見出しをみたとき、私は一瞬考え込んでしまった。

一体このニュースに興味を示すひとがどのくらいいるのだろうかと。

ひとことでいってしまえば、どうでもいい話である。

断りを入れると私にはどうでもいい記事に思えた。

美川さんて、男の人ですよね?

だんだんよく分からなくなってきた。

市井の人は、

皆誰もいろいろなものを抱えて生きている、

生きてきた訳で、しかしよほどの事がない限り語らない、

語る相手もいないのが大半である。

まあ、黙して頑張っている。

その点、芸能人というのはよく語るなぁとつくづく思う。

聞く相手がいるから語るのだろうが、

私生活も金になる、という風潮は、

最近あるにはある訳で、

ここに財力はあっても、

格別の品のなさを感じる訳だ。

 

 

 

東京

 

泣きたくなったら

夜中にひとりで泣く

Y男はそう決めている

 

誰に知らせるものではない

後は微塵も残さない

そして生まれかわるかのように

何事もなかったかのように

朝飯を食い

背広を着て家を出る

 

あまり好きではない会社へ

よくよく分からない連中と

挨拶を交わす

 

お客さんのところで

それなりの大きな売買契約を獲得し

帰りの地下鉄のなかで

Y男は考えるのだった

 

この広い都会で

オレの自由って

一体どんなもんなんだろう

たとえば

しあわせってどういうものなのか

こうして地下鉄に乗っている間にも

オレは年をとり

時間は過ぎてゆくのだ

この真っ暗な景色でさえ

微妙に変化してゆくではないか

妙な焦りとあきらめのようなものを

Y男は自分の内に捉えた

 

地下鉄を出ると

けやきの木が並ぶ街に

夕暮れの日差しが降り注いでいる

(とりあえず今日だけでも

笑顔で歩いてみようか)

 

Y男は陽のさす街並みを

さっそうと歩くことにした

こんがらがった糸を解く間に

過ぎ去ってしまうものが愛おしいからと

 

歩く

歩く

 

いまオレ

太陽をまぶしいって

そして

久しぶりに心地よい汗が流れている

 

徐々に疲れゆく躯の心地

そうして遠くに消えゆく昨日までのこと

 

まずは

そう感じている

こころをつかむことなのだと

 

 

なつ雲 ひかる風 とおい世界

 

 

 

 

 

 

 

 

改編・時代とコピーと普遍性について

 

かつて日本が繁栄を極めた1980年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れた。

 

「おいしい生活」?

いまきくとピンとこないが、

その時代にライブで知った身としては、

当然ピンときた。

 

ロジックで語るには面倒なコピーだ。

おいしい、という何の変哲もない言葉に、

生活というやはり何の変哲もない言葉をつなげると、

とても新鮮なコピーに仕上がった。

 

このコピーが、当時の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、更なる繁栄を信じ、

仕事に精を出していた時代。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という、

アメリカの社会学者が書いた本も、

世界でバカ売れした。

 

日本に、そんな時代があったのだ。

 

で、このコピーの広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターは、やはりあの糸井重里さんだった。

 

いま「おいしい生活」というコピーを、

大々的に発信したとしても失敗するだろう。

「おいしい生活」という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すら漂う。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

あなたの素敵な生活はすぐそこにあります、

とでも言わんばかりに。

 

商品の向こうにあるライフスタイルを提案する―

そうした企業が現れた点で、

この広告は最先端に位置していた。

 

経済的背景、語感からくる意味合い、市場の成熟度など、

いまと全く違う日本が、そこにあった。

それが「おいしい生活」だったのだ。

 

同じ80年代の同時期に、

とても美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告で、

 

「恋は遠い日の花火ではない」

 

このコピーは、当時の中年のおじさんの心を、

わしづかみにした。

世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく

奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのだろうか。

 

忘れかけていた恋というキーワードが蘇る。

もうひと花咲かせようと…

それは不倫なのかも知れないし、

遠い昔好きだった人に、

もう一回アタックしてみようか、などと。

 

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かない。

受け手に伝わらない。

いわゆる不発である。

 

なんせ、コピーが美し過ぎるし。

時代は移り変わっているのだ。

 

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」とか

「テロは…」とすると、

いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

皮肉な事ではある。

 

更に時代を遡ると、もっと分かり易い事例がある。

「隣のクルマが小さく見えます」

というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告主はトヨタ、クルマはカローラだった。

 

最大のライバルである日産サニーに対抗すべく、

できたのがこのコピーだった。

日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式が世界のスタンダードだった。

 

とても分かり易い例。

 

もうひとつ。

この時代に流行ったコピーに、

「いつかはクラウン」というのがある。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現法とも思うが、

この程度で、皆が満足できる時代でもあったのだ。

 

このように、過去のコピーを検証すると、

それは、時代とともに変化する、

いわばナマモノであることが分かる。

 

ヒットしたコピーというのは、

そうした時代を的確に捉えている。

相反するように、時代とズレたコピーはまずヒットしない。

 

しかし、例外的に時代を問わず普遍的であり、

いまでも魅力的に響くコピーがある。

 

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

 

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

 

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した」(キャノン)

 

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

 

 

これらのコピーは、広告という概念を離れ、

時代に左右されない力をもっている。

使い方次第では、いまでも人の心をすっと射貫く。

 

死ぬまで言葉と格闘した詩人の寺山修司に言わせると、

こうしていつまでも古びないコピー(言葉)には、

時代を超越した「実存」が眠っている、

という解説が成り立つらしいのだが。

 

 

 

南佳孝さんのライブへ行ってきた!

     

 

大磯在住の南佳孝さんは、

いつもラフな格好をしていて、

そのまま海辺を散歩していても

何の違和感もないおっさんである。

そんな服装でそんな雰囲気を引きずって、

「よう!」と言ったノリでライブに現れるから、

ファンもみんなよく知っていて、

知り合いと出会ったように「久しぶり!」

とでも返すような拍手を惜しみなく送る。

 

会場は小さい。

100人くらいでいっぱいの地下空間。

そこに折りたたみの椅子をびっしりと並べて、

彼のアコースティックライブを、

2時間めいっぱい聴かせてくれる。

往年のファンは、いつでも何処にでも

彼を追っていくらしいのだ。

私はこのライブは2回目なので、

まあ、にわかファンの部類。

彼とディープなファンとの距離の近さを知るにつけ、

あの会場のリラックスした雰囲気に、

なるほどと合点がいくのだ。

 

南佳孝が初めてヒットを飛ばしたのは、

1979年の「モンローウォーク」あたり。

郷ひろみが大ヒットさせた「セクシー・ユー」が、

そのカバーといえばわかりやすいか。

アップテンポの曲で、当初は彼も少しステップを踏みながら歌っていた。

アイドル歌手になるつもりだったのだろうか?

そんなことを諦めてくれて良かった。

駄目で良かった。

彼は生粋のミュージシャンだから、

妙な逸れ方をして成功でもされたら、

いまの彼はいなかったし……

 

私が彼の曲を深く好きになったのは、

「日付変更線」を聴いてから。

ちょうど、南の島へ行った頃で、

椰子の木の下で、この曲をウォークマンで聴いた。

前日、日付変更線を超えてきたので、

珊瑚礁のリーフに打ちつける白い波を眺めながら

この曲を聴いていたら、

「心底しあわせじゃん」と本気で思えた。

 

そろそろこの人も70歳くらいと思うが、

最近では斉藤和義とか杉山清貴とか薬師丸ひろ子とか、

いろいろな人とコラボって、新しい試みをしている。

 

相変わらず、前を見ている。

 

最新のシングル「ニュアンス」と

「冒険王」を歌ってくれたが、

どちらもかなりGOOD!

「ニュアンス」はメローで年を重ねた大人の歌。

作曲は来生えつこ。

年相応だからか、親近感を感ずる楽曲だ。

「冒険王」はスローだーかつ迫力のあるメロディライン。

さらに詩がすごく熱い。

胸にぐっとくる。

作曲はもちろん南佳孝だが、作詞は松本隆。

やはりね、深く納得しました。

 

「憧れのラジオ・ガール」って、聴いていてなつかしい。

私たちはある時期、ラジオで育ったようなものだから。

 

「スタンダード・ナンバー」は都会的かつ感傷に浸れる。

♪愛ってよく分からないけど、傷つく感じがいいね♪

 

「スコッチ・アンド・レイン」はやはり渋い。

♪スコッチ雨で割れば言葉がいらなくなる♪

♪頬が濡れて、まなざしが濡れて、心まで濡らした♪

ため息の出るほど、その空気が伝わるフレーズ。

 

ひと通り歌い終わっても、拍手が鳴り止まず。

で、アンコールの彼はなんと坂本九の

「上を向いて歩こう」。

皆で歌おうと。

これが盛り上がりまして、その熱をさらに加熱するように、

最後は、彼の最大のヒット曲「スローなブギにしてくれ (I want you)」

で締めくくってくれた。

 

帰って、熱いコーヒーを飲みながら、もう一度YouTubeを聴いた。

思うに彼は全く偉ぶらない。

出たがりでもない。

やり方次第で、

いまも相当の大物感を漂わすこともできただろうに、

そうした事はダサいと信じているフシがある。

 

彼の言いそうな台詞を考えてみた。

「こういう歌って好きだし、

もっともっといいの、まだまだつくりたいね。

まあ、死ぬまで歌っているよ、

…だって好きだからね」

 

そういう人。

 

歌に声に、色気がある。

奏でるものに生気を吹き込む。

物語を歌う人。

 

ビジュアル的にイケてる人という訳じゃない。

しかし歌っている彼を見ていると、

ほんとにかっこいい。

 

きっと彼の生き方がかっこいいんだろう。

 

 

 

 

 

 

日常に入り込む違和感

 

最近、結構アタマにきていることがある。

 

朝メシは私にとって至福のときなのであるが、

今朝の朝ドラの録画を再生しながらさあ今日も頑張ろうか、

なんて、遅めの朝飯をのんきにパクついている。

そんなとき、我が家の上を、

軍用ヘリが必ず飛ぶんである。

毎日ね。

だいたい同じ時間。

 

軍用ヘリってもの凄くうるさい。

あれは、人を威嚇する音でもある。

で、皆は知っているかどうか知らないが、

あのローターが真上に来るとさらに質が悪く、

いわゆるハウリング現象が起きて、

我が家のカーポートなんかをブルブルと震わせる。

余計にアタマにきたね。

 

しかしまあ、米軍だか自衛隊だか未確認だけど、

要するにこれらは戦う武器のひとつであろうよ。

国際的な事情とかいろいろ考えると、

私もまあ仕方がないのかなと、

おおらかに聞き逃すよう、己に仕向けてきた。

 

だがだ!

今度は最近、夕飯の時間になると…

事前に断っておくが、私にとっての夕飯は、

今日一日の疲れを癒やし、栄養を補給し、

安らかな睡眠へと誘う、

ひとつの優雅な流れの序章なのであって、

下らないテレビをぶつぶつ言いながら観るのも、

ストレス発散であり、

まあまあ、至福のときなのである。

とまあ、私が最も大切にしているそんな時間に、

またも狙いを定めるように、

我が家の上空を轟音がとどろく訳だ。

 

当初、私はテレビをガンガンつけていて、

最初はなんかどっか外がうるさいな、

くらいに思ってはいたが、

空の状況はそんなもんじゃなかった。

 

爆音と共に、夜の闇空がウーンと唸っているのである。

それは静かな夜の街に、

怪獣でも近づいてきたような恐ろしさなのである。

こうして我が家の朝晩の平和なひとときは、

あの複数の複数回による軍用ヘリの飛来により、

無残にも破壊されている訳だ。

 

そんなことがあって、

アタマがヒートアップしているときであった。

今度は夕方である。

夕焼けでも見ようと近所をのんきに散歩していて、

夏の木々や葉の茂るのを観察しながら、

おお命よ、自然よ!

などと感慨にふけってちょい笑顔で歩いていると、

またまたまた、である。

今度は夕方なのにである。

 

すげぇ爆音が頭上に迫ってきた。

うわぁなんだなんだと上を見上げると、

いつもの軍用ヘリとは違う、

もっと大型の更に変なものが飛んでいるではないか。

 

恐ろしい!

かついつもの奴より更にクソうるさい。

見上げると、小さなプロペラが付いている、

ヘリのようなものが2機。

………?

ああああっ、あれがかのオスプレイかよ!

と、私は怖い珍獣でも発見してしまったような、

かつてないリアクションをしてしまった訳。

飛んでいる姿は不安定な感じ、

かつ不格好である。

 

で、驚きの次に一息ついたら、

いらいらするなぁ、コイツら!

とようやく怒りがあらわになったのだが。

 

行く先は、たぶん横田基地だろう。

そして完全にアタマにきましたね!

 

でですね、こうした場合、

私の政治観とか右だの左だの、

そんな事はどうでもいいと思った訳。

毎日毎日朝晩、いや夕方もだ。

こうした我が家の平和をかき乱す行為自体が、

すべてに優先し、くだらないイデオロギーなど、

この際、どうでもいいと思ったね。

 

私はかつて横浜の田園都市線沿いに住んだことがあるが、

そのときは、近所に米軍の戦闘機が墜落した。

当然、死者も出た。

記憶では、このときもよく軍用ジェットの爆音が聞こえていた。

とても嫌な記憶。

それが何十年ぶりに甦ってきてしまったのだ。

 

今日もみんなが、この広い空の下で、

それぞれの営みを繰り返している。

しかし、一見平和そうな街の上空には、

絶えず、軍用機がけっこう無神経に飛んでいるのだ。

 

考えたって、回答なんか出ない。

こうしたものの根っこというのは、

多次元的に考えれば考えるほど、

どこまでも底なしに深いのだから…

 

更に最近、日本はついに陸上イージスというものに、

5000億円もの金をつぎこむというニュースをやっていた。

数字のイメージがうまく湧かない金額である。

 

いまという時代情勢と地政学的な見地から考えれば、

日本にとって防衛の強化は欠かせないと私も思う。

しかし、単に防衛費だからといって、

相手の言い値のようにもとれる見積もりを、

こちらの政府も鵜呑みにしてOKなどと即答してもらっては、

これはこれで大問題である。

 

5000億っといったら、いまの日本に最優先すべき事柄は、

他にも山積しているように私は思う。

誰かに、あなたはこの防衛構想を知らないからだ、

とか言われそうだが、そんなことは承知の上だ。

この数字は、極めていろいろな意味をもっていると、

私は思っている。

 

うーん、今回は書いていて、なんか不愉快!

いらいらするよ。

でね、クソ暑い。

今日の最高気温は35度らしい。

 

アタマでも冷やそう!

 

 

伊豆の空はきまぐれで

 

行く宛てもなく車でぷらっと出かける。

そういうのって憧れるが、なかなか実現しない。

たまにやってみると、だいたい都会とは反対方向へ行く。

海か山方面。大磯とか秩父とか。

 

がしかし、今回はぷらっとでなく行く宛てがあって、

西湘バイパスを西へ走っている。

小田原でちょっと遠回りをしてターンパイクをのぼり、

十国峠へ。

 

三島のまちと駿河湾が一望です。

そのまま伊豆スカイラインへ入る。

ワインディングロードの連続でちょっと疲れるが、

爽快に走れる。

 

伊豆半島を南下し、海岸沿いへ出る。

今回は、親戚との集まりで東伊豆へ行かねばならない。

ぷらっと、ではない。

 

ムカシは仕事の範疇の旅行が多かった。

旅行も仕事のうちの職業だったので、これはこれで慣れると楽しいが、

なにしろ行く先々でやることが多い。

そんなに浮かれていられない。

事前の下準備に始まり、行く先では取材、撮影、

現地の感想などをメモしたり。

どんなに腹が減っていても、

まず食事はいただく前に撮影、だった。

 

そうしたしがらみを一切取っ払いたいと、

一度、会社を辞めた直後に、

奥さんとあてどない車旅に出かけたことがある。

10日間ほどかけて日本のあちこちをぷらぷらと、

気の向くまま出かけてみた。

宿の予約などもしない。

夜、着いたところで宿を探す。

 

そのときは中央高速を松本でぷらっとおりて、

信州・安曇野の美しい風景を堪能。

戸隠でそばを食べ、さらに道なりに走って新潟の直江津へ。

今度は海岸線を富山方面へと走らせ、能登半島をぐるりと回り、

甘エビをたらふくいただいた。

そして兼六園、東尋坊……と、

とにかく知っているところをテキトーに回り、

暗くなったら宿を取り、

気がついたら関西にいた次第。

 

今回の東伊豆行きだが、

前述したように気まぐれではないので、

時間通りに目的地に着くことが必須。

宛てもなくぷらっと横道に逸れることは厳禁だ。

 

海岸線を南に下って伊東の手前まで来ると、

墨汁のような雲が山を覆っている。

嫌な予感。

トンネルから出口付近を凝視すると、

アンダーグレーの景色。

といきなり豪雨に襲われワイパーが効かない。

前が見えない。

やっと伊東市内の国道へ出ると、道が冠水寸前です。

 

このままだとちょっと危ない。

視界不良のうえ道路の水かさが増し、緊張状態の運転が続く。

途中のどこかでお茶でも飲んで、雨の様子でもみようと思ったが、

時計をみるとかなり遅れている。

仕方なしに走り続ける。

 

やがて伊豆高原あたりまでくると雨も上がり、

真夏の日ざしがきらきらと海を照らしている。

うーん、よく分からない天気だ。

とにかく海も空も広い伊豆。

 

こうして東伊豆町へ夕刻に到着。

間に合いました。

皆でお茶をすすり、雑談。

どうも豪雨に遭ったのは、私たちだけと判明。

(気まぐれな天気め!)

 

宿は、波打ち際というか、海岸から至近の宿。

波の音が素敵、とかでなく、とにかくうるさい。

その分景色がいい。

伊豆七島の大島や他の島もくっきりと見える。

出迎えてくれた宿の方が、

昨日まではどしゃ降りでしたが今日はホントによく晴れて…

お客さんは普段の行いが良いんですね、とお愛想。

 

一人海岸を歩くと、潮をたっぷりと含んだ風が鼻を突く。

釣り人が、荒波に糸を投げている。

カメラを構えて、沖をじっとみている人がいる。

気温はまだ30度を超えているようで、汗がしたたる。

 

(今夜の食事は海の幸づくしだろうなぁ)

そんなことを考え、夕食の場に向かうと、

案の定、とんでもない量の海のものが、惜しげもなく出てきた。

豪勢な刺身盛り、伊勢エビの活きづくり、イカの躍り食い、

かさごのまるごとの天ぷら等々…

アワビの踊り焼きというのも、

私はこの年になって初めてみたのだが、

炭火の網の上でアワビが踊っている様がなんか駄目。

 

とにかく海のスターが総出演のような豪勢な夕食だったが、

こっちは貧乏性で、居酒屋で出てくるセコい刺し盛りとかが、

やはり自分の性に合っているなぁと。

 

露天風呂は屋上。夜の10時に行くも、もう誰もいない。

メインの灯りは消してしまったのだろうか。

わずかな灯りしかない。

ほぼ暗闇で見えない洗い場もある。

4つあると判明した露天風呂を手探りで移動して浸かっていると、

暗闇から、なぜか湯をかける音が聞こえる。

目を凝らしても誰もいない。

これが幾度となく聞こえてきて、

ちょっと何だろうと不安になる。

これがいまだによく分からない。

ちょっと引っかかっている。

 

寝ている間も相変わらず波の音はうるさい訳で、

学生時代の浜辺のキャンプを思い出す。

海に近すぎる宿というのも考えものです。

 

翌日はピーカンの天気で、昼前から気温は軽く30度を超える。

猛暑の中、帰路を横に逸れて、皆で城ヶ崎海岸へ。

暑いなか、あたりを散々歩いたら皆ぐったりしてしまい、

帰ろうかと誰かが言い出す。

売店でかき氷とかアイスを皆でめいっぱい食べ、

そうして一族解散と相成りました。

お役目全うです。

 

こうなると帰りのコースは自由。

海岸線をそのまま熱海方面へ北上するコースが最短だが、

どうも面白くないなと考え、皆と別れて、

再び伊豆スカイラインを駆け上る。

と、山の天気はまたまた気まぐれ。

ここでも酷い豪雨に遭ってしまう。

洗車機に入っているような凄い雨に降られ、

視界がとんでもなく悪い。

道路が川のようになりかけていて、ちょっと焦る。

 

途中、何台かの車も危険を察知したのか、

ハザードランプを付け停車。

不安で考え倦ねているようにも見える。

こちらは、考えた末に走り続けようと決め、

なんとか十国峠まで辿り着く。

そこで嵐が去るのを待つこととし、

ようやくレストランへ逃げ込む。

(今回はどうもついてない)

そんなことを思いながら食事をしていると、

気まぐれな豪雨もいつの間にか去り、

強烈な陽射しが再び山々に降り注いでいる。

遠く静岡の景色がパノラマ状態で見渡せる。

 

とにかく空は気まぐれ。

私より気まぐれ。

このまま箱根の山を越えて御殿場に下り、

富士五湖方面に行こうとしたが、

やはりこの空の機嫌を考慮して、計画取り止め。

一路家路へ着くこととした。

 

ぶらっと旅はやはりなかなか実現しないでいる。

若い頃は、たいしてやることもなかったので、

始終ぷらっと出かけてばかりだったのに。

もっと遠くへ、さらに知らないところへと出かけたいのに、

どうもいつも思うようにいかない。

 

気持ちは若い頃と同じ。

何も変わっていないハズなのに……

 

 

ジャコウネコのコーヒーってどうよ

 

ジャコウネコのコーヒーを親戚からいただきました。

と言っても、

ジャコウネコとコーヒーの関係性がよく分からないので、

素直にナニコレって聞きました。

と、親戚がニヤニヤと笑っています。

 

んんん? 何で笑うかな?

 

このコーヒー、コピ・ルアクって言うらしい。

インドネシア語。

 

「猫がね、ジャコウネコがコーヒー豆を食べてね、

それが未消化のままウンチとして出るよね。

それをキレイに洗ったのが、このコーヒーなの」

「うん? いまウンチっ言った?」

「言いましたよ」

何でまた、猫がコーヒー豆を食うわけ?

で、よりによってその猫が脱糞したものを

なんでみんな飲むのだろうよ?

 

「ジャコウってあの香水なんかにも使われている

ジャコウだって。ジャコウジカもだけど、

いわゆるムスクとしていちじ流行ったよね?

むかしのサーファーがよくつけていたアレ。

本物はあのシャネルの5番にも使われているらしいよ」

「ふーん」

「でね、これが美味しい訳」

「……そう、それならまあ飲んでみようか」

 

私ら夫婦は疑っている。

埼玉から来た義理の妹夫婦は、海外通である。

今回のジャコウネコのコーヒーは、

そこの娘さんが仕事の研修か何かで

インドネシアに滞在していたときに、

観光客相手でなく、現地の通なお店から買ったという。

聞けば、とても希少で高価なコーヒーとか。

 

信じられないなぁ、と私。

 

仕方がないので、

さっそく我が家のフレンチプレスで4人分のコーヒーを入れ、

しみじみ、いや恐る恐るそれをいただく。

 

うーん、凄い薫りが我が家の居間に充満する。

美味い、というより何というか

南方の匂いと表現したらいいのかなぁ。

とにかくインドネシアっぽい。

(インドネシア、行ったことないけどね)

 

味も薫りも濃いね! (我ながら表現が稚拙だなぁ)

香水の混じった濃いコーヒーをいただいた感じ?

いや違うなあ。

 

不思議かつ不気味なコーヒーであることには違いない。

 

けど、彼らの前で私ら夫婦はニコニコしていたけどね。

ここはしょうがない。

 

後日、我が家ではフツーのコーヒーに一割ほど、

このジャコウネコのコーヒーをブレンドして

いただいています。

だってさ、100㌫のジャコウネココーヒーって、

厳しい訳です。

朝にいただくと、

その日一日がジャコウな一日になってしまう。

なので、一割ブレンドで妥結。

 

アフリカにはモンキー・コーヒーなるものが存在するらしい。

タイでは、ゾウにコーヒー豆を食べさせ、糞から集めたコーヒー豆で作

るブラック・アイボリー(黒い象牙)なるものがあるらしい。

 

うーん、世界はあやしさに満ちているなぁ。

それにしても、

希少かつ高価なものだからって、

それが美味いかというと、甚だ疑問が残る。

 

フカヒレだって、白も黒トリュフも然り。

フォアグラもキャビアもそうなんだけど、

世間で騒ぐほど、そんなに美味いか?

というのが、私の目下の要検討事項。

 

コーヒーは、小川珈琲でいいんじゃん。

 

食い物はそうですね、疲れた夏の朝に食う、

新鮮な大根とわかめの入った赤味噌のおじやとお新香が、

私はこの世で一番うまいと思うけどね。

 

 

雨漏りのする車

 

国道1号線の鶴見あたりを走っていた。

友人が車を運転、僕は助手席で外を眺めている。

窓に飛び込んでくる陽射しとふわっとした風が

とても気持ちのいい春の日。

 

先方に中古車屋さんが見えたので、二人して目を凝らす。

僕はその頃、車を探していた。

以前はトヨタのセリカに乗っていたが、

金が尽きて、川崎の中古車屋に売り払ってしまい、

徒歩生活をしていた。

それから心機一転、無駄遣いをやめた。

 

呑みに行く回数を減らして喫茶店にも寄らず、

たばこの本数を減らし、

必死でトラックの運転手のバイトをして貯めた50万で、

再びマイカーを手に入れようと計画していた。

 

前日、東名の横浜インター近くの中古車屋で、

格好いいワーゲンのカルマン・ギヤを発見。

が、売値が高すぎて手が出ないなと悩んでいた矢先だった。

 

助手席から僕が見たその車は、

陽を浴びてこちらに盛んにアピールしているかのように、

ピカピカに輝いてみえた。

 

オレンジ色のワーゲン・ビートル。

 

「いまの見た?」

「見た、あんな色のビートルってやたらにないぜ」

 

興奮した二人は、途中の信号を左折し、

Uターンして右折して本線に戻り、

その中古屋のビートルを再度確認してから、

次の信号を右折して再びUターンして左折、

もう一度いま来た道を慎重に走る。

 

「行ってみようか?」

「だよな!」

 

国道沿いの小さなその店には、

外車がずらりと並んでいる。

珍しい車ばかりを集めている店らしく、

どれも年式は古いものばかりだった。

クラシックなボルボやベンツ、BMWが、

ぎゅっと固まって置いてある。

 

オーソドックスな車は、

オレンジ色のビートルだけだった。

美しい曲線の車体のあちこちには、

クロームメッキが施され、

魅力的な光を放っている。

 

値札に103万とあった。

(うわぁ、103万か!)

 

その日は結局決断できず、

翌朝、意を決して今度は暇そうな別の友人と、

鶴見の例の中古車屋へとでかける。

 

車を眺めながら、借金はなんとかなるだろうと、

甘い観測を立てる。

しかし、本当はもうこの車を逃したら俺は後々後悔する…

ひとめぼれで、ええぃと勢いで買ってしまった。

 

この車で乗り継ぎは3台目となるが、

初のガイシャなので結構気を使ったが、

乗ってみると外観に似合わず、

内装も計器類も何もかもが素っ気なくできていて、

庶民的という言葉がぴたっとくる。

それがまた良いなどと勝手に思い込み、

楽しいビートルとの日々と共に、

地獄の借金生活が始まった。

 

この車にとんでもないことが発覚したのは、

なんと長野県の蓼科の山中でだった。

中央高速の大雨のなかを走り抜けてきたビートルは、

結構快調に走っている。

 

僕たちはとても満足だった。

カセットテープからは、ジャクソンファイブのABCが流れる。

なかなか快適なドライブ。

 

だが、中央高速の小淵沢インターを降りて、

長い上り坂をのぼっていると、

どこからか、ぽちゃんと言う水の音が聞こえてくる。

助手席にちょこんと座っているガールフレンドに、

「なんか水の音、しない?」と尋ねると、

「うん、するする。変な音するよね」

とすでに気づいているようでもあった。

 

雨上がりの蓼科は、雨雲がいきもののように動いて、

それが山の上へとどんどんとせり上がっている。

それは、ちょうど劇場のどんちょうのように、

ばっと、八ヶ岳山麓の鮮やかな緑と夏空を映し出した。

 

エンジンを止めるとしんとしている。

遠くで山鳥が鳴いている。

夏の雲がぽかんと浮いている。

 

車のまわりをぐるっと見回すも、なんの異常も見当たらない。

初夏の蓼科の景色を眺めながら、

「気のせいか」と笑って車に乗り込んだ瞬間、

躰の重みで、そのぽちゃんという音が再び聞こえた。

 

どうも、後部座席のほうからのようだ。

床をよくよく見下ろすと、なんと、かなりの水が、

後部座席の足元に溜まっているではないか。

 

軽い戦慄が僕の躰を走り抜けた。

この美しい蓼科の景色を眺めていた幸福なときは、

戯言のように一瞬で吹き飛んでしまった。

 

ガールフレンドは驚き、あきれかえり、

かといって僕のショックの表情を目の当たりにして、

どうしようもなくなったらしい。

水をくみ出す作業を手伝うハメとなった。

 

バッテリーが近くに設置してあるので、

僕は焦っていた。

トランクにあった布類をすべてその床に敷く。

とんでもない量の汗をかいていた。

その後の事は、いまでもよく覚えていない。

こうして、夏の初のロングドライブは終わったのだ。

 

後、数回に渡ってこの車は同じ事象を起こす。

水漏れの原因を突き止めようと例の中古車屋へも出かけ、

ホースで水をかけたりあれこれと試し、

果ては、ドアまわりのパッキンをすべて交換したりもした。

 

しかし、結果は芳しくなく、

遂に原因を突き止めることはできなかった。

 

この車をどう処分しようかとも悩んだが、

金銭的にも買い換えも不可であるし…

 

しかし、僕は実はこの車を気に入っていたらしい。

手放す気などさらさらない、

という自分の心境に、ある日、気づいたのだった。

 

雨の日の翌日は気になるが、

そのうち、そんなことはどうでもよくなった。

 

それよりシンプルな運転席まわりに喝を入れるべく、

ワーゲン専門店でみつけたタコメーターを取り付け、

足回りを強化サスペンションへと変更し、

マフラーを交換、高速用のエアクリーナーを取り付け、

タイヤとホイールもスポーツ仕様に交換する。

 

おかげで、とんでもなくユニークなオレンジのビートルができあがり、

バイト代はすべてそれに消え、さらに返済が厳しくなるも、

学生時代の僕の経済状態は、

超低空飛行のまま横ばいを持続していた。

 

一目惚れした女性と一緒になって、

実はその人が欠点だらけだったら

というような事と似ているなぁと、

後に僕はつくづく思ったものだ。

くだらない車の話なんだけど、

例え話として面白いと思った。

 

完璧を求める人にはイラつくように思うし、

最初から新車を買っとけよとか言われそうだ。

 

一目惚れって結構危ない。

 

 

湖の不思議

 

連日暑くて、去年はどんなことをしていたのか、

ふと思い出したのが、カヌーに乗ったときのことだった。

 

7月の中頃だったか、こっち(神奈川県)は暑くて、

いい加減にうんざりしたので、

道志村のある国道413号線から山中湖へ向かった。

 

湖畔は強風が吹いていて、

夏だというのに、少し寒ささえ感じた。

さすが避暑地というべきか。

 

富士五湖の魅力は、おのおのだが、

その親しみ度から考えると、

好みはやはり山中湖に落ち着く。

 

中学3年の夏休みにはじめてここでキャンプをしたとき、

湖畔のスピーカーから流れていた歌は、

カルメン・マキの「時には母のない子のように」と、

森山良子の「禁じられた恋」だった。

だからいまだに好きなのかも知れない。

他の湖もなかなか良いのだが、

好きだった歌から思い浮かべる湖というのは、

他を圧倒してしまう。

そういうものだと思う。

 

さて、その頃は泳いで山中湖横断とか、

結構無茶なことをしていた。

みな水泳部の連中だったので、かなり調子にのっていたと思う。

水中の藻が足に絡みついても、刻々と変わる湖の水温も、

その頃はなんとも思わなかった。

 

しかし、おとなになってから知ったことだが、

湖で泳ぐときは、海や河川とは違った注意が必要らしい。

実際、湖の藻に足を取られて亡くなった方もいる。

湖特有の水温の急激な変化による心臓麻痺というのもある。

 

で、去年の夏。

湖の新たな怖さを知った。

 

湖畔からカヌーを出したが、

強風でどうも思うように進めない。

まあ、こうしたときはななめにジグザグに、

目的をめざすもことにした。

 

相当、沖に出ると、

その風は水面を動かすほどに強くなっていた。

湖だからと甘くみていた私は、

オールを上げ、そうした状況も気にせず、

iPhoneを取り出して、

水面から撮る富士山の景色はいいなぁと、

夢中になっていた。

そして、いま船がどのあたりにいるのかさえ、

確かめるのを忘れていた。

 

と、船体がドンと何かにぶつかり、

その衝撃で私も倒れてしまった。

幸い、カナディアンスタイルのカヌーだったので、

船幅も広く、水面に放り出されずに済んだが、

我に返った私は、

何が起きたのか全く把握できなかった。

 

起き上がって船のまわりをみると、

水面から突き出た木の枝のようなものが、

あたりにびっしりと顔を出している。

座礁した船体には、強い波が幾度も押し寄せ、

船がひっくり返りそうになっていた。

船の縁につかまって水面をのぞき込むと、

濁った水中からにょきにょきと白く太い枝が、

不気味にこちらを向いて伸びている。

 

近くには誰もいない。

いや、離れたところにも、

山中湖名物の白鳥さえいないではないか。

 

山中湖は、賑やかな表の湖岸と、

人影さえまばらな裏の湖岸がある。

私は静かな方で、

ゆったりと浮かんでいようと思ったので、

それが裏目に出てしまった。

 

力任せに水中の白い枝をオールで押し、

そこを脱出しようと試みた。

次々に水中から顔を出す、無数の白い枝。

それらにオールを押し当て、

少しづつ進みはしたが、

しかし強い波によってまた押し戻され、

そんなことでかなりの体力を消耗してしまった。

 

注意深く観察すると、

私が乗っているカヌーのまわりは、

そうした水中林がかなりの範囲で広がっていた。

その真ん中あたりに私のカヌーがあったのだ。

 

強風と押し寄せる波に逆らって進めば、

岸はそれほど遠くはない。

しかし、幾ら頑張っても、

その威力には全く歯が立たなかった。

 

いい加減に力が尽きそうになり、

さっと乾いてしまう汗も尽きた頃、

一艘のボートがこちらに近づいてくるのが見えた。

エビアンのペットボトルの水もほぼなくなっていた。

 

そのボートには、地元の方とおぼしき

陽に焼けた高年のおじさんが乗っていた。

岸から湖を見ていて、

私の船をみつけてくれたらしい。

 

結局、この方にえい航してもらい、

その魔の水域を脱出することができた。

 

この方は地元の方で、

私の状況をすぐに把握したらしい。

結局おおげさにいえば私の命の恩人である。

 

岸に上がって、

開口一番「湖ほど怖いところはないんだよ」と、

この地元のおじさんが

にこにこしながらつぶやいた。

そうして、

湖にまつわるいろいろな話をしてくれた。

 

湖は、先の水温の急変や、

藻が人の足に絡みつくことのほか、

水底に引き込まれる水域とか、

よく分からない生き物が生息している噂とか、

いろいろな話をしてくれた。

 

そして、こうも話してくれた。

「湖には生き物のようなところがある」と。

 

それがどうゆうものなのか、

私もいまだ計りかねているが、

このおじさんは、不思議な人の死を、

さんざん見てきたそうである。

 

例えば、夜の湖畔で、

複数の人がいきなり湖に飛び込み、

そのままいなくなってしまったという話。

この人たちはそれ以前からよく来ていた方たちらしく、

湖に入ることなどまずしない慎重な方たちだった、と。

いま思い返してもつじつまが合わないと、

おじさんがしみじみと話す。

 

ふーむ、

では、湖に意思があるのだとしたら、

それはアニミズムのようなものの進化したものなのか。

超自然的な生命体のようなものなのか。

そして、万物の意思がネガティブに動くとき、

人はだいたい良くないことをしでかしているとか。

 

まあ、幾ら考えても結論は出ないのだが、

またひとつ、私の知らない不思議が増えた。

 

さて今年はまた、

あの怖いほどに魅力的な湖に出かけようか…

と思っている。

 

そう思ってしまうのも、あの湖が放つあやしさなのだろうか。