フリーになるとはどういう事なのか?

 

いまどき、どの分野でもフリーは溢れるほどいる。

割と気楽に独立できるらしい。

とにかく、フリーの時代に突入したようだ。

 

しかし、フリーってそんなに簡単になれるものなのだろうか?

 

フリーになったら自由になった、

なんて話はまず聞かない。

勤め人時代からあらかじめ収入が約束された、

お客様付きの保証型フリーは別として、

だいたいがまず、経済的に貧することとなる。

あてもなく無計画に独立したりすると、

大やけどを負ってしまう。

羅針盤もなく航海するのと、同じである。

 

私が経験者なので、間違いない。

ここはしつこく念を押してしまおう。

 

―清水の舞台から飛び降りてしまった―

当時、私にはそんな自覚はなかったが、

後々、あの独立は無謀だったなぁと、幾度となく述懐した。

 

フリーになると、まず慣れない営業活動をしなくてはならない。

金銭の管理なども自分でしなくてはならない。

営業は未経験だからとか、

私の専門はクリエーターだから営業はできないとか、

そんな悠長な事は言ってられない。

金銭の出納記録も、地味な作業ながらついて回る。

 

とここまで書いて気づいたのだが、

ここで述べる事は、

潤沢な資金を持って独立する人には無関係なので、

その限りではないことを、一応断っておく。

 

話を戻そう。

勤め人クリエーターは、社内の営業が仕事を持ってきてくれる。

経理に領収書を出せば、金銭は戻ってくる。

仕事が面白くないと、同僚と文句のひとつも言い放ち、

テキトーに流す仕事もあるだろうが、

フリーとなるとそうはいかない。

 

私も勤め人時代は、

会社の業績に関する事を多々耳にしたが、

そのことは全く気にならなかった。

私とは関係がないと考えていたフシもある。

それは、要は他人事だったからだ。

そもそも経営なんていうものもよく分からないし、

責任もなにもなかった。

よって無頓着でいられたに違いない。

 

私がフリーになるとき、

それは嬉しくて意気揚々としていた。

独立の記念にと、なけなしのお金をはたいて、

自らにオーダーの机を新調した。

黒の天板で脚がステンレスの、

いまどきはめずらしくもない机だが、

私にとっては、とても愛すべき机だった。

そこにワープロとプリンターを設置し、

来たるべき仕事の注文に胸は膨らんだ。

 

しかしだ、仕事はいっこうにこない。

 

私の家ではすでに長男が生まれていたので、

日に日にお金がかかるようになっていた。

おむつ代、ミルク代だけでなく、

みるみる成長してくれるのはとても嬉しいことではあったが、

次々に新しい子供服も買わねばならない。

 

そして、預金残高がみるみる減ってゆくのが、

なにより恐ろしかった。

 

来る日も来る日も新聞の求人欄をみるのが、

習慣になっていた。

そのなかで、外部スタッフの募集をみつけると、

即電話をかけ、作品をもって東京中を駆け回った。

業界の知り合いや、そのまた知り合いにまで、

いろいろな頼み事をしたこともある。

 

思えば、プライドも何もない。

そこに残っていたのは恥以外、何もなかった。

 

ときは80年代中頃。

 

世間は金余りでバブルだったが、

私はやっと、どうにかこうにか食える状態になろうかと、

わずかに光明がさしかかった程度の経済状態だった。

ただ、この頃のコピーライティング料や広告の制作料は、

現在のようなアドメニューのデフレ化がなかったので、

私みたいな者でも救われたと思う。

 

思い起こせば、当時のフリーになった人たちは、

それなりに知名度も実力も兼ね備えている、

一握りの一流人ばかりだった。

そうでなければ、先に述べたように、

当時のフリーは、あらかじめお客様を抱えている

保証型フリーとでもいおうか、

まあ、食える見込みがある人たちのみに許された、

職の形態だったように思う。

 

一介の無名な私がやるような事柄ではなかったのだ。

まあ、元々いろいろと無謀な勘違いをする気性なので、

いまでは笑える事ではあるのだが。

 

では、なぜフリーをめざしたのか?

 

そこを考えると、かなり面倒でややこしい事になるのだが、

一言で済ますとなると、

それは性格なのだろうと言うしかない。

 

生まれもったものであるとか、

家庭環境、幼児・思春期に受けた影響などが、

きっと多分に作用しているのだろう。

 

私の家庭は、ほぼ放任だったので、

勝手に何でもやってなさいというところがあった。

おかげさまで、勝手に思うがままに育つ訳で、

そこに歯止めなどは一切なかったし、

それが自由だと信じて疑わないところはあった。

 

よって人から束縛される事を極端に嫌う性格だった。

 

また、父は典型的な公務員だったので、

その姿を幼い頃から観察していた私は、

或る年頃になって感づいた事だが、

父が本来もっていたであろう個性が、

全く私からは見えなかったことだ。

とにかく始終難しい顔をしている。

すべてが時間どおりに過ごす窮屈さ。

幼い私から話しかけられない、役人特有の奇妙な威厳。

そうした印象も、

少なからず私に影響を与えているのかも知れない。

 

あと、これは私独自の性格からくるものだが、

勤め人時代、タイムカードを通して出社する訳だが、

私はあのタイムカードという存在に、

なぜか毎日いらいらしていた。

 

目に見えない束縛とでもいおうか。

あの管理のされ方は、

いまでも嫌な記憶として残っている。

 

しかし、永くいたい会社もあったし、

ユートピアのような会社もあった。

なのに、どうもそのぬるま湯的な雰囲気が、

いつか自分を駄目にするような予感がした。

 

とんでもない会社を転々とした事もある。

それは代表の愛人が社内にいて、

社内の雰囲気が極端におかしい会社だったり、

人を人として扱っていない会社だったり、

専門職として採用されたにもかかわらず、

全く違う部署の手伝いばかりをさせられたり…

 

ちょっと長くなってしまったが、

いろいろな事が重なって、

結局、私は独りを選んだのだろう。

 

そうした傾向をある意味、

社会不適応とでも言うのだろうか?

そこは、いまもって分からない判断なのだが。

 

さて、職業的フリーとは何かだが、

不自由この上ないフリーという名のこの形態は、

いまも社会に増殖している。

 

それは、リスクを取ってでも得たい、

危うく魅力的な何かがあることだけは、

確かなことなのだ。

 

不安定な経済状態を覚悟で臨むフリーという形態。

そこには、金銭を超えるものがなければ、増殖するハズもない。

 

金銭に置き換えられない何か…

その価値がその人にとって大きな存在であればあるほど、

その若者は、そのシニアは、

やはりフリーをめざすのだろう。

 

独りはとてもしんどい。

辛い、苦しい。

けれど、

喜びも愛しさも織り混ざった幾年月なのである。

 

私は遠い昔にフリーからはじめていまに至ったことを

ほぼほぼ良かったと、いまでも思っている。

 

そこには、金銭ではまず解決がつかない何かが横たわっている。

 

―己の船の舵を、人任せにしてはならない―

 

そう、人生観にまで関わる秘密が眠っているからだ。

 

 

おやつの問題

 

最近は、昼メシにみんなは何をくってるか、

興味あるらしい。

よってそんな番組が複数あって、

ちょっと観たけど、すぐ飽きてしまった。

まあ、だいたい想定内のものを食している。

果物だけとか、ケーキのみ食いまくってる人って、

いないのか?

虫を食っている人とか。

だと面白いんだけど。

いや、問題はおやつなのだ。

私の場合は間食と呼んでもいいだろう。

昼メシと夕メシの間って結構長い。

腹が減るんだよね。

あるとき、ポケットのお金がみるみる減るので、

おやつをやめたことがあるが、

結果、身も心もヘラヘラになってしまい、

目の前が暗くなったことがある。

(ホントに暗くなるんだって)

で、おやつ続行と相成った。

原因はどうも血糖値の低下にあるらしい。

ちょっと病的ではあるな。

これって、現代人に多いらしいのだ。

知っている医者に聞いたことがあるが、

高血糖の症状はよく問題になるけれど、

低血糖の問題はあまり扱われないとか。

飽食の時代の飽食の国の問題なのである。

どちらもインシュリンが関係している。

それをコントロールするのは膵臓だが、

現代人はここがかなりやられている、

ということもその医者から聞いた。

話を続けよう。

あるときから炭水化物だけでも減らそうと、

セブンイレブンとかファミマのチキンばっかり

摂取していたことがあった。

が、これは連日同じものばかりを食い過ぎたのだろう、

或る日吐き気がきたのですっぱりやめた。

次に米に照準を合わせた。

で、鮭のおにぎりばかりを食ってたこともある。

この場合、コーヒーが合わないので、

「おーい、お茶」とかを飲んでいた。

これはまあまあだったが、

しかし、なんでか飽きてしまう。

在宅時は、冷凍のたこ焼きとかチヂミとかを、

ずっと食い続けた。

で、案の定飽きてしまい、いまはパスしている。

次回は生協の肉まんにすることにした。

(きっとすぐ飽きるけどね)

また、街のパン屋で惣菜パンばかり

食していたこともある。

が、指から流れる油がすげえんで、

これもやめることにした。

惣菜パンって、以外に油過多。

おいしいんだけどね。

喫茶店で「今日のブレンド」なんかをいただきながら

いろいろなサンドも試したが、

これも、かなり飽きがくるのが早かった。

ハンバーガー類もいろいろと試したが、

いまはチーズバーガー以外はあまり見たくもない。

とまあ、要するにあれこれと食ってるうち、

どいつもこいつも飽きてしまったのだ。

この場合、個人的に飽きっぽいというのが

明快な理由なのか否か、そこが分からないのだ。

いろいろと振り返って気づいたのだが、

おやつは圧倒的にパン系が多かった。

パンはうまいものはうまいのだが、

油が過多。

で、パンでもまずいのは、ホントにまずいよ!

そして、よーく分かったのは、

パンはすぐ飽きる、ということ。

どうしてだろうよと、己に尋ねるも、

原因は不明なのだ。

で、米系でもコンビニのおにぎりって、

なんでか飽きるんだよね。

先のチキンにしてもやたらに柔らかくて、

変にジューシーさが過ぎる。

あやしいとさえ感じる。

そこで思い出したのが、

ガキの頃のおやつだった。

味噌のみ付けたおにぎりとか

塩だけのおにぎりくらいだった。

夏休みなんかは、

まるごとトマトに塩をふってかぶりつくとか、

ゆでたトウモロコシに水で冷やしたスイカとか。

こういうのって全然飽きなかった。

そして格別にうまかった。

飲み物は、煮出した麦茶。

あとは砂糖水。

貧乏くさいといえばそのような気もするが、

その質素さが、いま思えば、

とても贅沢だったような気がする。

食材はすべてメイド・イン・ジャパンだったろうし、

地産地消が当たり前。

砂糖水もサトウキビから採ったものだったろうし、

塩だって天然物しかなかった。

要は食材。

そういうことだったのだろうか?

いやいや、己が毎朝いただく朝メシは、

なんたってうまい。

なおかつ飽きない。

一応、食材には気を使ってはいるが、

それが理由なのか。

手づくりだからか。

しかし、家の内外を問わず、

うまくて飽きない食いものというのは、

確実にあるにはある訳で、

そこにどんな秘密が隠されているのか、

それが解明できれば、

俺の問題はきれいに解決するのだがね。

 

 

内田と田口とアイドルを探せ!

 

 

日大アメフト問題

あの内田監督という人は、なんだか酷い人ですね。

私と同世代というのがひっかかる。

あるブロガーが、この世代にはろくな人間がいないと書いていた。

記事に安倍首相も含まれていた。

そうですね、何も言えないね。

としておこう。

あるブロガーとは、リクルート出身の40代のやり手なのだが、

この人の「この世代……」というのが、

「いまの若い者は……」のつまらない発想と同根。

なんの新鮮さもない、目立つ事を追求するブロガーは、

今日もアクセス増のみをめざす、

かわいそうな人に思えてくる。

で、先の話。

権力を手にするということがどういうことなのか、

私はそうした立場にないので想像し得ないが、

上り詰めた人間にしか見えない、

よほど熱狂してしまう魔物みたいなものが、

彼らを惹きつけるのだろうよ。

 

 

田口コレクション

田口という実業家がいて、いい絵を収集している。

それを見に平塚市美術館へ行ってきた。

一応、現代アートというかそうしたカテゴリーの絵なので、

ちょっと興味があった。

一方、横浜美術館はいま、「ヌード」という企画が大当たりらしく、

連日満員だとかで、6月の24日最終日前あたりに行こうと思っている。

こちら、ロダンの彫刻がメイン。

私はよく分からないけれど。

で、平塚市美術館。

私的に、主だったアーティストは

アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、

モリーン・ギャレース、ジョナサン・モンク。

デビット・ホックニーをオマージュして描かれたモンクの絵は、

夏のプールなのに、全く動的なものが何一つない静けさがなんとも良い。

水しぶきひとつない。人の気配もない。

絵の中の時間が止まっている。

そこには、ホックニーと似て非なる静止画の情景が描かれている。

私は複製のポスターを探そう。

 

 

シルヴィ・バルタン

夜、なにげにテレビを付けると、

NHKになんとシルヴィ・バルタンが出ているではないか。

最近、夜ごとYouTubeで昔の歌を聴いていて、

そのなかにシルヴィ・バルタンの若かりし頃も含まれていたので、

ちょっと驚いた。

もう70を過ぎた彼女は、相変わらず美しく、素敵だった。

同時に、当時のツィッギーの活躍も、グリコポッキーのCMも、

雑誌「an・an」の創刊号の表紙も、ふわっと頭に浮かぶ。

レナウンの「イエイエ」のかっこいいCMなんか、

私のガキの頃の記憶として永久保存されている。

彼女のヒット曲「アイドルを探せ」は50余年を経て、

いま聴いてもまるで色褪せない。

アメリカンポップスを聞き慣れた耳には、

なんか新鮮なんだよね。

そういえば、やはりこの頃活躍していた歌う詩人というか、

シャンソンのシャルル・アズナヴールはどうしているのだろうと

気になって調べてみると、まだご健在だった。

「帰り来ぬ青春」がもの悲しい。

いまの私の心情とオーバーラップしてるし。

 

 

カラオケ30年

工夫のないタイトルだが他に思い浮かばない。

カラオケに4時間いて、古い順に唄ったら、

30年分唄ったという話なので、

カラオケ30年なのである。

 

私の記憶に残る1960年代から唄ってみた。

この頃のヒット曲は、私もおぼろげなものもある。

「僕は泣いちっち」(唄・守屋浩)は、

親戚のおじさんがよく口ずさんでいたので唄ってみた。

東京に憧れている青年の歌だ。

なんかさみしくて泣いているので「泣いちっち」らしい。

いま、泣いちっちって言わないよね?

流行らなかったのか。

 

「東京ドドンパ娘」(渡辺マリ)は、

私もよく覚えていて、小学校でもみんな唄ってた。

激しいリズムと独特なテンポ。

それがドドンパらしい。

日本発のドドンパ、ちょっと南米っぽい。

ウッ!なんてみんなで駆け回っていた当時が懐かしく甦る。

そういえば、あの同級生だった子も、

いまはおばあちゃんになってしまったのだろう。

いや、そもそもこの世にいるのか?

そこが分からない。

 

「夕陽が泣いている」(ザ・スパイダース)

「いつまでもいつまでも」(ザ・サベージ)

「バラが咲いた」(マイク眞木)

 

グループサウンズとかフォークとか、

日本の音楽がどんどん新しく入れ替わる時期だった。

私も、舟木一夫ファンをやめ、新しい音楽に便乗。

中学に入ってからはギターとかドラムを始めましたね。

卒業間際に、中学校で、いまでいうライブを許可してくれたので、

私は友人と3人でフォークグループを結成。

ザ・リガニーズの「海は恋してる」を熱唱しました。

 

60年代の後半は、ヒット曲がものすごく多くて、

ここを歌いきるのに相当時間かかりました。

息もゼイゼイしたのでありました。

ちなみに、この頃のヒット曲を羅列すると下記の通り。

「ブルー・シャトウ」(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
「虹色の湖」(中村晃子)
「この広い野原いっぱい」(森山良子)
「バラ色の雲」(ザ・ヴィレッジ・シンガーズ)
「恋」(布施明)
「君に会いたい」(ザ・ジャガーズ)
「帰ってきたヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)
「恋のハレルヤ」(黛ジュン)
「世界は二人のために」(佐良直美)
「好きさ好きさ好きさ」(ザ・カーナビーツ)
「モナリザの微笑」(ザ・タイガース)
「花と小父さん」(伊東きよ子)
「いとしのマックス」(荒木一郎)

あと、加山雄三とか石原裕次郎とか

もうキリがないんです。

 

ヒット曲は、続く70年代もとても多い。

中島みゆきとかユーミンも出てきます。

アリスも井上陽水もデビューしました。

百恵ちゃんもキャンディーズも全盛でした。

とこうして思い入れのある歌を連続してガンガン唄うのです。

その一曲ごとに想い出が甦るので、いちいち感動してしまう。

よってすげぇ楽しくて、心身が極端に疲れます。

途中、コンビニのおにぎりに食らいついて、

ジュースをごくごく飲んで、

炭水化物と糖分を補給。

もう、こうなるとスポーツです。

 

ノンストップで歌って、

せいぜい30年しかいかない。

よって、1990年代は歌えない。

フリータイム終了は夜の8時なので、

新記録樹立ならず、80年代で終了とあいなりました。

 

過去に、では新しい順から歌おうと歌い始めましたが、

新しい歌がぜんぜん分からない。

GLAYの「グロリアス」が一番新しかった 笑

これ、1990年代か。

ミスチルも、安室ちゃんも90年代までしか分からない。

よって、私のなかでは最新の歌は、2000年を超えていない。

我ながら、古いいきものであることを再認識する。

 

が、なぜか締めはいつもサザンの「ホテルパシフィック」か

柳ジョージの「青い瞳のステラ」となる。

この2曲は、神奈川県人会推薦。

ウソです。

両曲とも、なぜか2000年代にリリースされているが、

私も知っている。

それだけ名曲なのであると勝手に思っている。

 

修学旅行

受験勉強

恋愛

就職

離職

独立

結婚

子供

倒産危機etc…

 

4時間で我が人生を振り返る。

悪くない。

駆け足の30年だったし。

 

 

七輪であじを焼く

嵐の過ぎた夕刻。

日差しが戻ってきて、風が庭の葉を揺らしている。

ベランダに置いてあった七輪を出し、庭に設置。

物置きにストックしてある炭を引っ張り出して、

小さめのものをセレクト。

それを七輪に入れ、セット完了。

 

なんてったってはじめての七輪なので、

わくわくします。

バーナーで炭をあぶり、点火を促すも、

なかなか着火しない。

イワタニのバーナー、頑張れよ。

この七輪遊び、

いきなり思いついたように始めたので、

さざえはないし、たこもいかもない。

が、前に買っておいた冷凍あじが2枚ある。

電子レンジで少々解凍して、

いざ網の上にのせてみる。

おお、なかなか感激する。

まあ、バーベキューで肉をガンガン焼く

というのはときたまやるが、

今日は地味な七輪とあじである。

場所も自宅のセコい庭とあって、

昭和の風情が漂う。

これぞ和風。

 

さかなの油がじゅーじゅー暴れている。

ちょっとつまむと、なんかうまい。

ガスとぜんぜん違うではないか。

スーパーの冷凍あじが、採れたて高級魚に変身だ。

身がほくほくしている。

面倒くさそうに夕飯のメニューを考えてた奥さんが、

私の焼いているあじをみて、

すかさずマイタケを皿にもってきた。

なんでも焼いちゃおう。

そうした勢いが感じられる。

といっても今日はこの二品で終了となった。

めぼしい材料もないし、

なんといってもまだ夜は寒い。

風が身に沁みた訳だ。

で、永年の目的は完了した。

 

奥さんのつくった味噌汁となんとかのアヒージョと

ブロッコリーのでかいのと、そんなのを組み合わせて、

あじをメインディッシュに

居間で夕飯を食う。

なんか質素!

質実剛健。

テレビを観ている間も、

炭はまだ赤々と燃え続けています。

炭は灰になるまで頑張ります。

就寝前に再度確認したら、

ようやく鎮火していました。

 

灰になるまで燃え続けるって、頑張るな。

かっこいい。

人の恋心も、その身が灰になるまでとか。

人間もけっこうすごい。

全身全霊、ロマンチックないきものなんだなぁ。

 

 

夏の少年

半ズボンのポケットの

ビー玉がじゃらじゃらと重くて

手を突っ込んでそのひとつをつまむと

指にひんやりとまあるい感触

陽にそのガラス玉を照らし

屈折の彩りが放つ光と色彩の不思議に魅せられて

しばらくそれを眺めていた

 

猛烈にうるさい蝉の音が響き回る境内

 

水道水をごくごくと飲んで頭から水をかぶり

汗だか水だか びしょびしょのままで

境内の脇道を抜け 再び竹やぶに分け入る

そんな夏を過ごしていた

 

陽も傾いて 気がつくと猛烈に腹が減っている

銀ヤンマがすいすいと目の前を横切っても

のっそりと歩く葉の上のカミキリムシも

もう興味も失せて

空腹のことしか頭にないから

みんなトボトボと家に向かって歩き出す

 

道ばたの民家から魚を焼く煙と匂い

かまどから立ちのぼる湯気

とたんに家が恋しくなって

疲れた躰で足早になる

 

あの頃の僕らの世界はそれだけだった

 

きのうとかあしたとか そうしたものは

どこかよく分からない意識の外の時間で

きょうだけがいきいきと感じられる

 

町内あの山あの川までという範囲が

僕らの信じられる広さの認識だった

 

 

あの頃の僕らの世界は

それだけで完結していた

 

 

「眠い」の真相

この前、我が人生ではじめて

歯医者で治療中に居眠りをしてしまった。床屋でも寝てしまったのだ。

歯医者では、自分のいびきではっとする。

歯科衛生士さん、気がついたかな?

床屋ではマスターの「疲れてるね」のことばで起きる。

おかしいな?

元々、私は歯医者とか床屋が大嫌いで、

小さいときから緊張する場所であったハズなのに。

私たちの小さい頃の歯医者さんは、

元軍医が多かったし、

とても威張っていたので、

どんなに痛くても泣いてはいけない。

泣けば、そう、怒鳴るんだよねぇ。

または、顔を押さえつけて、治療続行。

機嫌が悪いと「帰れ!」といって患者を追い返す。

これっ、ホントだよ。

床屋も、かなり緊張する場で、

特に、仕上げに前髪を一直線に揃えるという、

その頃流行っていたのかどうかよく分からないが、

そういう髪型であって、

とにかく一瞬たりとも動いてはいけない。

じっとしていないと、

その一直線切りが上手くいかなくなり、

床屋の親父が舌打ちなんかして怒ってしまい、

もうそこで終了なんていうこともあった訳で、

いま振り返ると、ヒドい時代であったのだ。

で、いまはどこも優しいですね。

みんなにこにこしてくれる。

ソフトな時代になったものです。

それが成熟した文化というものなのか、

民度が高いというのか、

私にはよく分からないが。

とにかく己の場合、

小さい頃から何十年も続いたトラウマが、

じじいになってようやく解消された。

リラックスするにもほどがあると自戒するも、

ゆっくり呼吸して宙をなんとはなしに眺めていると、

やはりすっーと眠くなってしまうのだ。

ちょうど、催眠術にかかったように眠くなるのだ。

(私、退行催眠の経験アリ)

うーん、トラウマが解消された、

あるいは疲れがたまっていたからとか、

いろいろ理屈はつけられるのだが、

どうも釈然としない。

そこで、同世代の仲間幾人かに、

この話を振ってみた。

で、私は驚くべき事実を掴んだ。

彼らは一様に「あるある!」と誰も否定することなく、

回答する。

「そんなもんだよ」と、

いともあっさりと肯定する訳なのである。

ほほう、誰も気にしていないところが、

更に凄いところだと私は思ったね。

さて、この所構わず眠い眠いが、

果たしてじじい特有の症状なのか、

見知らぬ病の知らせなのかと、

私は気を揉むのだが、

そんな情報はいまのところ皆無である。

うーん、謎は深まるばかりだ。

 

江ノ島のさざえ

4月8日に、横浜市緑区にある

父母が眠るお寺に墓参りに行くと、

ちょうどお釈迦様の花祭りだったので、

ちょっとだけ本堂に上がらせてもらい、

お釈迦様の像に甘茶をかけ、

甘茶をいただいた。

花祭りは初体験だったので、

この事を書こうと思っているうちに、

幾日も時が過ぎてしまう。

で、後日、横浜の港南区にある母方の、

これまたお墓参りで、

去年が祖母の没後50年ということで、

ようやく手をあわせることができた。

ほっとして、帰りに鎌倉へと下る。

この付近も人の波。大混雑。

材木座を右折し、海岸沿いの134号線を西へ。

江ノ島あたりでちょっと休もうということで、

日没前の江ノ島をのぼってみる。

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参道は、夕方でも相変わらずの混雑で、

どうも気になる店のものがゆっくりと見れない。

際だって混雑しているのは、蛸せんべいの店。

ここは、半年前もやはり行列していた。

江島神社は弁天様なので、私たちの若い頃は、

カップルで来るところではない、とよく言われた。

それがいまでは縁結びの神社になっている。

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思うに、寺社仏閣のこうした効能?って、

全国津々浦々にまでいろいろありますが、

私は懐疑的。

なんだかなぁと思っている。

特に、パワースポットとかいうものが、

いまひとつよく分からない。

と書いたが、堅く考えても面白くもないので、

この話はスルーさせてもらう。

頂上を急ぐので、はじめてエスカーというのに乗る。

エスカーは、要するに江ノ島の山をのぼるエスカレーター。

もちろん有料である。

その空間だけ、冴えない古びたデパートの空間に似ていて、

結構面白い。

突風が吹きすさぶ江ノ島灯台下のサムエル・コッキング苑は、

いつきても花がいっぱいできれいだが、

やはりクリスマス前後の夜にライトアップされる頃が

一番雰囲気が盛り上がる。

気温の高い日だったが、強風でぐんぐん身体が冷える。

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タイ人とおぼしき女の子のグループのひとりが、

急降下してきたトンビにホットドックを奪われる。

みんな空ばかり見ることとなる。

どこでも構わず自撮り棒でポーズをとっているのは、

やはり中国からの観光客が圧倒的に多い。

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まあそんなことはともかく、

この高台から眺める夕方の景色はいつも美しい。

富士山、伊豆半島、長く伸びる海岸線。

空の色は刻々とその明度を落としてゆく。

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再び参道を下ると、人は相当数減っている。

やっと静かな江ノ島が味わえる。

海沿いの道を照らす車のヘッドライト。

立ち並ぶ店の灯り。

海面に照り返す人工の光。

寄せる波の音も聞こえる。

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店が閉まる前にさざえを食おうと、

その店をのぞいて、

やはり「今日はいいや」とやめる。

大きくもないさざえがふたつで1400円。

このプライスが高いか安いか、

これは各自の価値観によるのは確かだが、

なんだかこの店の軒先にデンと座って、

さざえを食っている図が、

併せてかっこ悪いと私は判断した。

後日、近所のスーパーで、

同じような大きさのさざえが、

ふたつで500円で売っていた。

で、その足でホームセンターに行き、

やっすい七輪を買う。

五月の連休の一日は、

庭でふたつ500円のさざえを焼いて、

たらふく食う、ついでにいかもたこも、

というイベントを思いついたからだ。

鐵馬厩 (テツマヤ【旧店名】鐵馬舍)というお店

降り出した雨で焚き火を中止し、

河原を後にした。

天気予報で事前に分かっていたのだが、

途中でちょっと日差しが出たので、

もしかしたら、と甘い判断をしてしまった。

車の後部座席とトランクには、

薪やコンロ、椅子、テントなどなどが、

結構びっしり積んである。

このまま帰るのも、なんか悔しいなぁ。

走る国道沿いで見かけた看板を頼りに、

道を逸れて小道を進むと、

山あいの静かなところに、その店はあった。

こういうムッときたときは、寄り道にかぎる訳。

雨に佇む…という形容詞がふさわしい。

大屋根の古民家を改造したお店は、

なかなか時代がかっていて風情がある。

 

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平日、しかもランチの時間も過ぎている。

店内は私たちだけだった。

 

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天井の太い梁が、この建物の歴史を物語る。

黒い炭でいぶされた内天井は、そのままいかしてある。

 

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店の若いご夫婦にいろいろとお話を伺った。

お二人とも揃ってハーレー乗り。

普段も晴れた日などは、東京などから、

続々とハーレーな人たちが訪れるらしい。

私も東京にいた頃はバイクを愛用していた。

渋滞ばかりの道では、バイクのほうが断然有利だし、

四輪に較べれば維持コストも安い。

が、その頃からハーレーは雲の上の存在だった。

まず私の免許が限定解除ではないので、

そもそも1200㏄もあるハーレーには乗れない。

またがる機会もなかった。

さらに金銭的に縁が無かったので、

ハーレーは眺めるもの、と決めていた。

元々、馬を繋いでおく場所に、

いまはハーレーが2台納まっている。

いわゆる馬と人間が同じ屋根の下に暮らす、

曲り家という特徴的な家だった。

岩手県の南部曲り家を取材したことがあるが、

確か曲り家は

あの地方独特のものだったように記憶しているが、

神奈川県にも昔はあったのですね。

ハーレーにちょっとまたがしてもらった。

初めての体験だが、

なんかしっくりくるなぁ。

ほどよい着座位置、握りやすいグリップの感覚。

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これを操って、暇な日などは、

山梨までドドッとツーリングに出かけますと、お二人。

よってお店は「鐵馬厩」の名が付けられた。

以前、「鉄騎兵、跳んだ」というモトクロスの小説を読んだことがある。

傑作で、なかなか興奮させられた。

やはりその中でもバイクが擬人化される。

マシンというのは、まああれこれと生き物に例えられる。

BMWは、狼に例えられるし、

アメリカのロックバンドであるC・C・Rは、

蒸気船のメアリー・エリザベスを、

「プラウド・メアリー」という歌にして、

全米ヒットチャートのトップに躍り出た。

もっともC・C・Rのジョン・フォガティは、

実在する船など知らずにこの歌をつくったというから、

当時の優雅な蒸気船を生き物に例えると、

気位の高いメアリーだった…

というところだろうか。

船は女性名詞だし。

で鐵馬厩は、やはり擬馬化か?

ハーレーは馬なのである。

いまでもこのハーレーという乗り物は、

勝手な想像だが、アメリカでは、

南部に集中しているように思えてしまう。

しかし映画「イージーライダー」のなかで、

よそ者として扱われ、自由を求めてさすらって、

遂にライフルで撃ち殺された若者が乗っていたのも、

チョッパーに改造されたハーレーだったし。

向こうでのハーレーの評価とか立ち位置というものが、

いまの私にはちょっと分からない。

 

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雨の降る山の木々の風景が美しい。

春で色づき始めている。

新芽が吹いて風に揺れている。

山桜がまだ残っているが、

道沿いのソメイヨシノは散り始めている。

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マグロの餃子、出汁巻きたまご、

格別の味噌汁に、生クリームがイケるシフォンケーキに、

和の器でいただくカフェ・ラテ。

うまいものを、たらふく腹に収めたので、まあ満足。

焚き火は、またの日の仕切り直しということで、

早々の帰宅となった。

↓食べログ

https://tabelog.com/kanagawa/A1408/A140802/14062837/

泣きたくなったら

泣きたくなったら

夜中にひとりで泣く

誰にも知られることなく

微塵も残さない

そして鳥のさえずる朝に

生まれ変わろう

(そういうことにしておくんだ)

さあ、とりあえず笑顔で

歩いてみる

歩みをやめない

陽のさす方へ

どんどん歩く歩く

意味なんて考えない

本質なんてどこにもないのだから

こんがらがった糸を解く間に

過ぎ去ってしまうものが余りに多いから

歩く

歩く

朝陽をまぶしいって感じる

汗が流れる

疲れゆく躯

遠くに消えゆく昨日までのこと

そう感じている君のこころ