丹沢の秘湯とたたかう

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連休の中日、神奈川・丹沢の秘湯へと向かうも、

最初の温泉は泊まり客優先ということで断られた。

かぶと湯温泉。

この宿の露天風呂は、川にせり出すような位置にある。

ちょっと熱いけれど、下に流れる渓流のせせらぎが良い響きで聞こえる。

木々の揺れる音も相まっていいんだよなぁ。

鳥のさえずりもなかなかいい。

残念!

まあ、こういうことには慣れているので、次をめざす。

広沢寺温泉。

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ここの宿は、泊り客とは別に湯場がもうひとつあるのですっと入れる。

夕方に行ったので、気温がだんだんと下がってくる。

さっさと湯に浸かろうと思ったが、

やはりというか、すげぇ熱くてどうしても浸かれない。

元々ぬるい湯が大好きで、熱いのが苦手。

着替えも外の吹きさらしなので、早く浸かりたいが、

どう頑張っても入れない。

体温がかなり低下しているのが分かる。

風がさらに冷たくなってきた。

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頑張って腰まで浸かったが、肌が痛い。

湯が痛い。

かっぷくのいいおっさんが目をつむってじっと浸かっている。

顔が上気している。

その姿はまるで修行僧のようにもみえる。

他のふたりの中年もなんとか肩まで浸かっている。

こちらからは我慢しているようにみえる。

しかし、こういうときの自分がなんか許せない。

気合を入れても入れない。

しょうがないので洗い場でシャワーをずっと浴びる。

かなり危険なシチュエーションだなぁ。

身体がやけに冷えている。

そういえば、と思い出す。

今年の初めもここへ来て同じ目に遭っていた。

同じ過ちを繰り返すとは…

学習機能が働いていない己にあきれる。

シャワーをずっとかけていたら、

身体が慣れてきたのか、再チャレンジで胸まで浸かれた。

余裕。

外の笹の葉のすれる音に気づく。

近くの川の流れる音が聞こえてくる。

なかなかいいではないか。

見上げると、夕刻とはいえまだ青空が残っている。

ここで、ふーっと気が抜け、

いまさらリラックスですよ。

体温が徐々に上がってきたようだ。

己に笑顔と余裕の表情が戻る。

にしても、いい年をして熱い湯にも入れないことを、

自問自答する。

思えば、

自宅の風呂においても奥さんの後は熱くてそのままでは入れないし、

水をがんがん入れると後で娘に怒られるしなぁ。

丹沢山塊がシルエットになる頃、

湯を出て中庭でコーヒーをいただく。

やはり水が違うとコーヒーもひと味違う、

などとちょっと優雅かつ満足なひとときを味わう。

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しかし、それにしてもである。

先ほどからまだあの熱い湯に浸かっている

修行僧のようなおっさん、

なんかかっこいいんだよなぁ。

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若い奴にはわからない格言

年をーとると…

年をとると、

歩くのがどうも遅くなるようだ。

ようだ…との曖昧な言い回しは、

たまたまビジネス街を歩いていて、

気がつくとまわりのみんなにドンドン追い越されていくことに、

後になって気づくのだが、

ビジネス街のあの人たちって、どうも速歩のような気がするなぁ、

という訳。

飲み込みが悪いというのは、理解するのが遅いの意でなく、

文字通り口にほおばる食品類を嚥下するのが遅いということである。

嚥下力の強さは、若さの象徴である。

年をとると、この力が低下する。

ときにむせたりもするから、食品摂取は命がけだ。

嚥下力のUpにはカラオケが良いということで、

先日カラオケに出かけるも、連続して歌ったら酸欠になる。

いずれ、危険!

老眼っていうのは簡単に言ってしまえば、

たとえば文庫本を読もうとするも、

眼鏡なしの裸眼だと、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと憂鬱。

だけど、いいところもある。

見たくないものは見ない、読まないで済む。

年を取るとは、いらぬ話を持ち込まないこと。

老眼の効用なんである。

禿げるとは、鏡を見てあっと気づいた時から

額やツムジに強烈な自意識が集中する。

これってある意味、老化する己の確認でもあるからして

或る人は頭痛持ちとなるも、

年々ひどくなる一方の物忘れが幸いして、

そのうち他人の禿げ頭を冷静に眺めるようになる。

これは嘘である。

では性欲はとなると、

3ヶ月前の忘れ物を何かの拍子でふっと思い出すようなもの―であるからして

若い頃のように毎日いっときも欠かさず意識するような面倒な事態に陥ることなく、

イキノイイ若い奴のように、

息荒くあからさまに、焦って忘れ物を取りに帰ったりはしないものである。

 

↓若い頃大好きだったゾンビーズの「ふたりのシーズン」
 歌詞の内容はヒドイけど…

怒涛の船上結婚式

素人タクシードライバー

問題は台風直撃の予想のなか、船上結婚式に行かねばならない、

というプレッシャーにあった。

ほぼ決行というので、行くしかないね。

どしゃ降りの霞ヶ関からタクシーを探せど、

週末の土曜なので、官庁街は人気もなくがらんとしている。

当然、行き交う車も少なく、

たまに通り過ぎるタクシーも「迎車」の赤いライトばかり。

そこへモサッと走ってきたタクシーをやっと捕まえた。

「浜松町まで!」びしょ濡れの服をわさわさと拭いていると、

「浜松町ってどこですか?」とこのタクシードライバーが驚くことを聞いてきた。

車はすでに走り出しているではないか。

「うーん、いまあなた何て言ったの?

山の手線の浜松町駅。知らないってホント?」

まっすぐ前を直視している彼は、見たところ働き盛りの40代と踏んだ。

「ええっ、知らないんですね」

「だってナビがあるでしょ?」

結局、このタクシードライバーはナビの使い方も知らないらしく、

私が「次の交差点を左! で、○○を過ぎたら右ね、そうそう、でね…

おっと、そのあたりをゆっくり走って」

気が気じゃない。

そんなやりとりでぐったりびしょびしょのまま、

浜松町の海沿いの通りで降りる。

このタクシーをよーく思い返すと、彼の日本語がたどたどしい。

地理をよく知らない。

タクシー会社の名は忘れたが、ドライバー名は確かに日本名だった。

ビジュアル的には日本人にみえた。

あいつホントに2種免許持っているのかな?

うーん、よく分からない!

大雨の湾岸国道

明日の結婚式の会場となるシンフォニーとかいう船が停泊する

日の出桟橋あたりの道路に私たちは突っ立っている。

雨は相変わらずどしゃ降り。

(問題はホテルだよな、予約してあるホテル)

「確かこのあたりだと思うんだけど…」

スーツケースはずぶ濡れ。

午後9時。ほぼ人っけなしの国道に車が水しぶきを上げて走り抜ける。

iPhoneでグーグルマップを出して目的のホテルをマーキング。

結局トボトボと15分も歩いてめざすホテルに辿り着いたときには、

服はベッチャリ、身体ぐったりで、もう船上結婚式の前にバテる。

ホテルは山手線やら京浜東北線、

新幹線がまとめて通過する横に建っていたので、

絶対に終電までは眠れませんでした 笑

と同時にテレビでは首都圏に台風直撃間違いないという予想、

選挙報道もがんがんやっている。

あー憂鬱。

朝食はめちゃくちゃ美味かったけどね!

嵐の日の出桟橋

姪の結婚式当日は日曜日。

鬱陶しい東京の景色は重たく、冷えているなぁ。

超大型台風はどうも関西あたりを通過している模様。

話はそれるが、この日は弊社ディレクターは大阪でイベント運営の最中だったが、

電車は止まるはなんだかんだで相当ひどかったらしい。

前日にホテルに前乗りしたのは、

奥さんのヘアセット他が早朝予約してあったからだが、

式は午後3時からと待ちが長い。

久しぶりにホテルのテレビをザッピングしたりして時間を潰す。

午後2時乗船。親類初顔合わせ。式、披露宴、なんだかんだで

下船は午後7時頃の予定となっている。

100%暴風圏内での船上結婚式。

これって無事に終わるのかね?

昼過ぎに日の出桟橋に向かおうとホテルにタクシーを頼むと、

全く繋がらない、または1時間待ちという回答。

またしてもひどい降りのなかをテクテクと歩いたね。

礼服びしゃびしゃ。冷たーい!

しかーし、日の出桟橋待合室には人人人で溢れかえっていた。

待合室前には、はとバスがずらり。

東京湾クルーズの予約客の一群はどうやら台風なんぞ関係ないらしい。

乗船前とあって皆ニコニコ興奮気味。

老いも若きもポテトチップスとかビールとかを摂取しながら

満面の笑顔なのである。

ほほう、こっちの常識と真逆の一団をついに発見した。

そうこうしているうちに親戚の連中がパラパラと集まり始めた。

一様に濡れた礼服の水滴を払いながら「大丈夫かね」と口々につぶやく。

やはり不安かつ難しい顔を皆しているではないか。

思うに、あの楽しそうな一団はいまから東京湾クルーズを楽しんで、

まあ午後2時には下船。で、さっさと家路を急ぐのであろうと。

こっちは、その後の夕方、暴風圏のなかを乗船。

で、わいわいなのかどうなるのかよくわからないが、

夜まで宴会のようなものが続く訳なのである。

雨降って地固まるか

乗船して、まず親類写真の撮影となったが、

どうも岸壁に停泊していると結構揺れるので、

なかなか皆一様にポーズが決まらない。

なんだか皆緊張気味に足を踏ん張っている。

当然私も踏ん張る。

ずっと震度2という揺れ状態が続く。

この揺れに逆らうと余計に疲れるし酔うのであろうよ。

早速、海底で揺れる海藻を思い出し、

なんとなく揺れるがままにしていると少し体が楽になることを発見。

以降、そのスタイルを貫くことにした。

東京湾のクルーズ路線は台風のため変更・縮小され、

お台場あたりをふわっと進行している。

高層ビルが霧でかすんでいる。

どこも灰色がかったモノクロームな景色一色である。

が、船内はというと若い連中で盛り上がっているではないか。

酔っぱらって気分が悪くなって甲板に出ようとしている若者をみかける。

その蒼ざめた顔をみてなんだか笑ってしまう。

こっちも次第に、嵐のなかを楽しむのもなかなかのもんで

なんか悪くないんじゃないかと思えてくる。

シャンパン、ワイン、ビール、フォアグラ、ローストビーフ。

ガンガンと食いまくる。

久しぶりにアルコールを摂取してみる。

窓の外を眺めると、嵐はさらにひどくなるも、

船内の熱気はさらにヒートアップ。

歓声の連続が響き渡る。

みんな心底からふたりを祝福しているのがみてとれる。

こうなると若い連中に乾杯ですね。

やはり若いってひとつの特権だと思う。

この世知辛い世の中だけど、まあそのくらいのパワーがないとね。

誰かが例のつまらないスピーチをしていた。

「雨降って地固まる…」

頼もしいふたり

新郎のスピーチでも今日という台風の最中の結婚式を、

皮肉ではなく一生思い出に残ります、

そして今日のように嵐のような状況から出発するのも悪くないと、

かなりポジティブな発言をしていた。

彼は本気でそう思ったのだろうよ。

姪よ、幸せになってくれ。

下船は夜の7時を回っていた。

待合室には誰もいない。

昼間の喧騒がうそのようだ。

風雨がさらに激しくなる。

みな満足げに下船してきたものの、

あまりの激しい雨に呆然としている。

やはりタクシーが全く捕まらない。

しかたなく、誰もが覚悟を決めて、

暴風のなかを燦々囂々散ってゆく。

港では作業員がせっせと建物を囲むように土嚢を積み上げている。

やはりギリギリの船上結婚式だったらしい。

秋の雨の日に想うこと

人の背丈のほんの少し上のあたりを

とてもやさしいことばが流れるように浮かんでいるのを感じて

僕の呼吸はなんだか楽になり

首筋から肩から力がすっと抜けて

知らぬ間にちょっと笑えるようになったら

雨音も穏やかに軒に落ちてきて

濡れた葉一枚一枚が妙にいきいきとして映り

知った顔が何人も笑っては消え

世界が突然色づいたんだ

こうして僕の世界と僕を取りかこむ世界は繋がり

ああ もう一度やってみよう 歩いてみようと思ったんだよ

スローなブギにしてくれ

キザな台詞のような、いや、この素敵なフレーズは、

かなり昔の角川映画のタイトル。

覚えています?

80年代の幕開けにふさわしいというか、

ちょっとイカしたタイトルだと思った。

僕は社会に出て、真新しいウォークマンを身に付けて品川まで通勤。

学生時代によく聴いていたソウルミュージックを聴く機会はメっきりと減り、

この頃から山下達郎、YMO、エボ、南佳孝など、

ニューミュージックと呼ばれるものを聴くようになっていた。

━音楽を連れて街へ出る━

そんな新しいライフスタイルが定着したのが80年代の初頭。

「スローなブギーにしてくれ」という映画の出来に、僕はあまり興味はなかった。

ただ、原作者の片岡義男がとても気になった。

この作家の書くものは都会的で、

そこには、いままで僕の全く知らない洗練された世界があった。

以前のブログにも書いたので、

いまこの人の書く世界というものは端折るが、

後に続く村上春樹の作品の幾つかがどこか片岡義男に似ているなと思った。

村上春樹が片岡義男を意識していたこと、

そんな事を書いたものを僕はいままで読んだこともないが、

ほぼ間違いないと勝手に思っている。

どこが…と言われるとこたえに窮するが、要はその空気感とでも言おうか、

ひとことではあらわせないような何かが、共通項としてある。

あえてあげるなら、このふたりの作家は、

共に英語に堪能であり海外の作品を数多く、

それも原書で解釈していたのではないか。

文体が日本語のそれとは違い、翻訳的とも思われる文体を駆使すること、

僕がまず気がついたのは、そうした箇所からだが。

音楽に話を戻すと、

僕はとりわけ南佳孝の歌い方と歌詞が好きで、

彼の「日付変更線」という作品においては、

遠くパラオの名もない小島でほぼ半日くらいの間、

ヤシの木の下に寝そべって青い海を眺めながら、

ぼおっと浸ったことがある。

もちろん、ウォークマンと一緒に。

ニューミュージックなんて軽めに書いたが、

彼の楽曲にはジャズに精通したものもかなりあるし、

詞には早くから松本隆も参加している。

やはりそうなると大御所なのかねって。

で、今年の夏、なぜか南佳孝への興味が急速に再燃、

それではということで急きょライブへ行くことにした。

32度超えの8月の初旬、私と家内は早めに家を出た。

そして、会場近くのパーキングに車を止め、

レストランで軽めの食事とアイスコーヒーをとる。

で、ネットで調べた住所を頼りに、

目的のビルの地下のライブ会場へと急いだ。

これは失礼な話になってしまうが、

客観的に考えて、

いまどき南佳孝ライブなんて私たちのマニアックな趣味であり、

もうみんなは忘れているアーティストという認識だった。

会場もかなり空きがあるものだと勝手に想像していた。

が、ライブ会場は満席、というか当日もライブを聴きたくて来た、

という人もかなりいて、開場前からすでに熱気に包まれていたので、

私たちは面食らってしまった。

やはり南佳孝って根強いファンがいる。

まわりを見渡すと、僕とほぼ同年代のファンが多数を占めているが、

若い人もかなりいるではないか。

という訳で、認識を新たにした次第。

さらに驚いたことに、彼はいまもラジオ番組ももっていること、

相変わらず楽曲をあれこれと歌い手たちに提供していることを知る。

ああ、知らぬは僕たちだけだったということが判明した。

いまさらながら恥ずかしい思いをしたのは、

私が好きなアーティストをしっかり見守っていなかった、

そうした薄情さに由来するのだろうと思う。

ここ30年の間、私はなにをみて何を聴いていたのか。

彼のピアノが響き渡り、あの独特のハスキーボイスが会場に広がると、

思わず心の中でうわああと叫んでいた。

モンロー・ウォーク、憧れのラジオ・ガール、

風にさらわれて、涙のステラ、羅針盤、SCOTCH AND RAIN…

どれも想い出がいっぱい詰まった素敵な曲ばかりが続く。

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当然、見た目はおじいちゃんになってしまった南佳孝だが、

それはお互いさまのことである。

しかし声に張りがある。

ギターの指使いの切れも相当いい。

そして音楽が好きで好きでたまらないという、

エネルギッシュさに溢れている。

湘南の大磯在住。早朝に目覚めてしまう。

趣味は散歩ととぼける。

いや、杉山清貴と新曲もリリースしているし、

斉藤和義とも仕事がらみか親交があると話していたし、

バリバリの現役じゃん。

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その後数日、僕の心身には快い余韻が残って、

相当浮かれていたと思う。

過去の忘れ物を取りに行くのも、

たまには悪くない。

地下鉄13番B出口

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地下鉄13番Bの出口を出ると

ひゃっとする風が首筋をなでて僕は覚醒する

そういえばずっと寝ていたんだっけ

ぼおーっとするような生暖かい車内では

誰もが居眠りをしていた

僕は角がくすんで折れた文庫本をずっと読んでいたんだけど

いつの間にか寝てしまったんだ

ふと目が覚めたときも車内は僕以外みんな寝ていた

その古い本はとても面白い物語で

世界が突然消えてしまうという

恐ろしいけれど

最後の最後にヒーローが現れて

僕らをユートピアへ導いてくれる…

いや いまはまだその結末は分からないけれど

きっと助けてくれる

そう信じていままでこの本を読んできた

地下鉄13番Bの出口は

以前は大通りの角にあって賑やかだったけど

いまはもう驚くことにすべてが草原になってしまった

一体なにが起きたのだろう

なにがあったんだっけ

地下鉄13番Bの出口

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そのことはもう誰も知らないし

誰に聞くこともできない

まわりを見渡しても誰もいない

みんなどこかへ消えてしまった

そういえばあれから3度目の冬だ

凍るような風がひっきりなしに吹くので

僕の体温はみるみる低下している

見わたすとあたりに高い建物はなにもない

葦(あし)が群生するその向こうには寒々とした草原が広がり

その遙か先に煙がのぼる火山がみえる

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僕はあの約束どおり

約束の年 決められた日に

地下鉄13番Bの出口に辿り着いたんだ

息を整える

拳をぎゅっと握ってみる

そして僕は

角がくすんで折れた文庫本をぎゅっと握りしめ

葦のなかを歩きはじめた

めざすはあの遠い火山の麓のまち

いま僕がいくところはそこしかない

ところどころがかすれた文字

あやうい物語

なのにいま頼るものはそれしかない

この結末はまだ分からない

けれど僕がこれからつくるストーリーは

きっとやさしいに違いないのだが…

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夏の夕暮れのウスバカゲロウ

ある夏の夕方のどしゃぶりのあと

新しくオープンしたホームセンターへとでかけた

天候のせいか、店内は人もまばらで

広大な建物のなかはがらんとしている

巨大ホームセンターの周辺はまだたっぷりと水田が広がっている

確か以前ここは見渡す限りの水田だった

店はその真ん中に鎮座する

蛍光灯の強い光りのもと

広い売り場をとぼとぼと歩くが

溢れる商品の多さに

目的の探し物が何だったのか忘れてしまった

誰もいない膨大な商品棚の通路を

なにを間違えたのか

ウスバカゲロウがひらひらと浮遊している

不安定で頼りないその飛行は

徐々に高さを失う

心許ない命の終さえ予感させる

ここはもう水田じゃない

そして君の帰る場所などもうないのに…

ウスバカゲロウは

プラスチックのキッチン用品にとまり

次第に飛ぶ力も果てて

テカテカに光っているタイルの上ほぼ10㎝あたりを

彷徨っていた

あれから僕もいろいろなことがあって

季節はすとんと

まるで手品みたいに移り変わる

あちこちに赤とんぼが現れたススキの頃

涼しい風に吹かれて

高い空に吸い込まれるように

心地よく歩いていると

やはり秋は思索を誘うから

あの夏の夕暮れに遭遇した

巨大ショッピングセンターのウスバカゲロウの行く先を

つい考えてしまうのだ

「人間なんて所詮は

この世の窓辺にとまるウスバカゲロウみたいなもの」

作家ケストナーが放ったことばが刹那的だ

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空萌ゆ。

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夕焼け評論家の冬景色宗助です。

昨日は朝から雨、そして曇天の重たい空。

街も憂鬱そうでした。

夕方の打ち合わせが終わり、外へ。

と、雲が切れ始め、その隙間から

溶けて流れ出したミントアイスみたいな薄水色の空が徐々に広がり始め、

街にも薄日がさすほどになりました。

9月も半ばなのに、まだ暑い。

皆汗をかきながら、しかしなんだか気が晴れたようにみえます。

車を運転しながら、見晴らしを求めて山のほうへ。

刻々と日暮れが近づいています。

途中、空を眺めながら、薄水色のそれは、

やがて透明な空気を見透かすように濃度を上げ、

鮮やかなブルーへと変色し、

やがてオレンジの絵の具が混じるようになりました。

夕焼けは、こうしてぱぁっと空一面に広がり始めたのです。

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月影、日陰、夕焼けの陰影。そして影絵…

これらはどれも美しい。

━陰はその実体を消し、

カタチとしてのみ認識される不思議な存在であるし、

だからこそ光あるものを浮かび上がらせ、

実体を実体として強調し知らしめる役割を果たす━

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昔、ある占星術の方に、

「太陽よりも月がいいですね」と話したところ

「陰」なのですね、と言われた覚えがあります。

ふむふむ、陰気な性格とでも言いたかったのでしょうか。

ホワイトホールにブラックホール。

太陽と月。

洋歴と陰暦。

光と影は常に「対」の存在であり、

この世の真理としての象徴なのかも知れません。

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さあ、明日は晴れだ!

箱根―ピカソとシャガールと…

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先々週、行ってきました。

箱根はいまとにかく混んでいます。

特に、湯本と芦ノ湖。

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観光地の起点と終点と考えれば当然でしょう。

日、月曜と行ったので、初日は当然混雑に渋滞です。

いや、月曜日も混雑に渋滞でした。

いまは平日も混んでいますね。

大涌谷付近は一部通行止めがあります。

その後噴火がどうなのか知りませんが、

晩夏の箱根は気持ちがよくて美しい。

今回の目的は、まずポーラ美術館。

そしてガラスの森美術館。

あと芦ノ湖の成川美術館でした。

仙石原にあるポーラ美術館はいま

「ピカソとシャガール」やってます。

ピカソは過去数回観ていますので、

おおっという感激はやや薄れました。

シャガールは新鮮だったので、

ほほぉという驚きと魅力の交錯です。

ポーラ美術館は、国立公園内にあるので、

付近の景観を損ねないよう、とても低く、森に沈み込むように、

しかし純白に光り、かつ個性的なフォルムでたたずんでいます。

ここは幾度となく足を運んでいますが、

今回は鑑賞のあと、

美術館の裏手の森を歩きました。

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ちょっとひんやりとした遊歩道をゆくと、

ヒメシャラの木々からの木漏れ日が、

きらきらしている。

ふっと肩の力が抜けるのが分かりました。

そうそう、

ピカソとシャガールって、友人同士だったらしい。

私は初めて知りました。

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ピカソの初期の絵はとても好きですが、

キュビズムに入ると、うーん理解しようとすると難しくなる。

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シャガールはとにかく夢のような絵を描く。

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そうした作品がたくさん展示してあるので、

まさに夢遊病者のように絵のまわりをうろうろしてしまうのです。

期待どおりでした。

ポーラ美術館には、モネ、ルノワール、セザンヌ、

マティス、ゴッホなどの作品も所蔵されてるので、

鑑賞後は怒濤のような感情が押し寄せ、

胸いっぱいお腹いっぱいになってしまいます。

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一息吐かないことにはと思い、

館内のカフェをのぞくとやはり混んでいました。

という訳で、アイスコーヒーを諦めて、森を歩いたのですが…

クールダウンにはうってつけでした。

ここからガラスの森美術館へは、車で10分ほどの近さ。

ここもやはり混んでいました。

館内はどこも絵葉書のような風景がひろがります。

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ここへ来た目的は、ずばりヴェネチアン・グラス。

所蔵の数は、きっと東洋一ではないかと思います。

クラシックなものから現代のものまで、

ズラッと展示されている。

園内の木々にはスワロフスキーとおぼしきガラス玉が惜しげもなく飾られ、

陽光と風を受けてあちこちでキラッと光る。

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レストランではイタリア人歌手によるカンツォーネのライブ。

私は初めて生で聴きましたが、嫌いじゃない。

なんというか、日本の歌謡曲のようなものでしょうか。

私は過去にも一度経験したことなのですが、

食事中にテーブルに近づいてくる生歌・生演奏って、

まあとても疲れますね。

食しながらアーティストに気の利いた笑顔と拍手を送る―

どっちか一方にして欲しいですね。

この前日には芦ノ湖の成川美術館に行ったのですが、

ここはここで素晴らしい。

特に、平山郁夫の絵がいいんです。

芦ノ湖を見下ろす景勝の地に立地しているので、

やはりガラス張りのカフェは人気でしたね。

さて、感想として連日の美術館巡りは、

やはり疲れます。

もっとじっくりと

もっとゆったりと

さらに味わうと

描いたひとも観るひとも本望なのではないか。

そういうのをホントの贅沢というのでしょう。

紅葉の頃にまた尋ねたいと思いました。

マグロ少年

イルカにのった少年、

オオカミ少年ケンときて、

マグロ少年という流れで書こうかと思っている。

鳥になった少年というのもあった。

この歌はファンタジックなとてもいい歌だった。

いつでも少年は お祈りしたのです

大空自由に 飛べる羽根

ぼくにも下さいと

父も母も どちらもいない

とてもさびしい 身の上だから

いつでも少年は 夢見ていたのです

地上の悲しみない空へ 自由に行きたいと

1960年代にヒットした歌。

とても素敵な歌詞です。

で、少年つながりで、

まずイルカにのった少年ですが、

これは昔よく聴いていました。

歌うは、城みちる。

そこそこのヒット曲だった。

城みちるも人気があったなぁ。

最近、どこかの番組で観たが、

童顔が裏目に出て妙な爺さんになってしまった。

で、この歌はいつもあちこちで流れていたので

かなり聴いているハズだが、

いま思い出しても、なんで少年がイルカにのっていたのか、

それが分からない。

いまも分からないが、調べようとは思わない。

ただ頭に浮かぶのは、

イルカっていつも濡れてツルツルしているじゃないですか?

イルカにのった少年って、

座ってしがみついていてもキツイ。

立っては絶対に乗れないと思いますがね。

狼少年ケンは日本の初期のアニメで

狼に育てられて大きくなった少年の物語。

勇敢で困った人を助け、正義の味方を貫く。

そのキャラに心酔したね。

日に焼けた顔に長い髪がトレードマーク。

腰みの一丁の半裸姿で沢山の狼を引き連れているヒーローである。

テーマ曲は、ボバンババンボンボンバボンバボン…

この曲は、最近では佐々木希、佐藤健、渡辺直美が出ているロッテのCM

フィッツという商品に盛んに使われていたので、やはり名曲なのだろうか?

きっとCMプランナーだかクライアントに私と同世代のおっさんがいたのだろう。

じゃなきゃ、こんな古い曲を知る訳もない。

きっとその人も狼少年ケンが永遠のヒーローなのだろう。

幼い日に刻まれた記憶は生涯色褪せない。

という訳で、ちょっと話の似たジャングルブックと話を被せたかったが、

そんな知識もないのでやめようと思った。

しかし気になったのは、狼に育てられた少年だか少女だかが、

海外にいた、というテレビを過去に数回観たこと。

うーん、嘘だと思う。

ただ、ジャングルブックの冒頭だったかに、

 ―ジャングルの掟は青空のように古い真実―

というフレーズがある。

この一節はとても素敵だ。

さてこの話、前の話と前振りが長かったが、

ようやくマグロ少年の話である。

マグロ少年は、いまからざっと20年前に見た、

当時小学生のガキである。

元気なら、現在は30才くらいの若いおっさんに育っているハズだが、

とんと見かけない。

というか、見かけたところでいまさら判別もつかないが。

彼は当時、ぷくっとした肥満したお腹を抱え、

父親に連れられてウチの近所のこじんまりとした回転寿司屋に現れた。

かんぴょうだかセコい寿司をコネコネしながら食っていた私の横に

彼はどすんと座ると、突然せっつくような力のない声で、

「おじさんマグロ!」とカウンター越しの板さんに、

お願い事のように声を絞り上げたのだった。

うーん、こいつ相当腹が減ってバテているなぁと、

私はこの少年を本気で心配した。

それは他の客も同様で、

一瞬寿司屋店内がしーんと静まりかえったのを覚えている。

そうだ、この少年の腹を満たしてあげることを優先しよう、

我々は少しオーダーを控えて静かにしていよう、

どうしても食いたいのなら

ベルトで流れてくるカッパ巻きとか玉子でも食っていようっと…

ガキは、それから「おじさんマグロ、おじさんマグロ、おじさんマグロ

………これをずっと繰り返して、

ざっと10皿くらい食った後だったか、

突然「おじさんイクラ!」とオーダーしたのだ。

この頃にはその少年も正気を取り戻したようで、

さらに悠然となりつつ、どんと座っている。

目も座っている。

おお元気が出たのかと、

ずっと押し黙っていた私や他の皆さんも、

血色が戻った余裕の少年が、

「イクラね」と偉そうにオーダーをしたのを機に

だんだんとイライラとしてきたのだった。

一方、その少年の父親はというと、

華奢な細い体で肥満した少年の横にちょこんと座って、

なんだか薄ら笑いを浮かべているだけ。

でこの二人、なんだか全然似ていないのである。

が、少年は彼のことをパパと呼んでいたので、

それに従って親子として話を進めるがね。

エヘン!

で、この父親は終始何のオーダーもしないで、

我が子の食いまくっている姿をみては目を細めている。

なんだか店内に妙な空気が漂ってきた。

そろそろウニの軍艦巻きを食いたいなぁと思っていた私も、

連続で板さんを拘束しているその少年にムカつき始める。

思えば、そもそもの話になるが、

私の小学生時代なんぞ、寿司は年に一回のみの摂取だった。

正月しか食えなかったんだぞ!

あとは、誰かが死んだときに寿司が振る舞われる。

いわゆる精進落としのときだけしか食えなかったのになあ、

と考えると、さらに頭にきた訳だ。

これは他の客も同様らしく、

皆さんもみるみる不機嫌そうな顔になっていくのが分かった。

ああ、寿司食って不機嫌はよくないなぁと私は思ったね。

なのに少年がイクラを頼んだあたりから雰囲気最悪。

父親はというと相変わらずなんも食わないでニコニコしている。

これには輪をかけて頭にきたね。

しびれを切らしたか、客の一人である職人風の兄さんが、

「中トロ3皿握ってよ」と捨て鉢に言うが早いか、

その少年が後追いでデカくてパワフルな声で

「おじさんマグロ3皿ね!」と発した途端、

店内には凶悪な風がビュービューと吹きましたね。

さて彼は今頃どこでどうしているのだろう?

地元のジュース工場で働いているのだろうか?

いや、良い大学を出て、東京の商社にでも勤めているのだろうか?

あれから恋なんかして、少しはスマートになったのだろうか?

あの華奢で痩せたお父さんはいまもご健在なのであろうか?

気になるなぁ、

いろいろと下らない事を思い出しては想いを巡らせる、

今日この頃ではある。

ひょっとして私は年を取ると発症するという、

あの過去完全再現型妄想心配症候群なのであろうかね。