銀行でケーサツを呼ばれた件

駅前の○×銀行は、月末の金曜日ということもあって、

店内は混雑している。

なにもこんな日にとは思ったのだが、他に時間がないので、

嫌々行くこととなった。

まとまった金といえばそのような気もするが、

アレコレと滞っていたものを一気に動かそうとすれば、

それなりの金額を動かすこともある訳で、

その日が一掃する実行日だった。

送金、振り替え、口座の移動、手元に下ろす金等々、

合計としては結構な金額を出金することとなった。

散々待たされ、やっと呼ばれてカウンターに行くと、

ベテランとおぼしき行員の女性は見事な手さばきで、

次々と仕事をこなしている。

で、私の差し出した雑多な用紙に目を通すと、

ちょっとお待ちくださいといって、

一瞬ためらうのが分かった。

と後ろの女性となんだかヒソヒソ話を始め、

再び、こちらへむき直すとおもむろに、

「このお金の送金先ですが、どういうお方ですか?」

呆気にとられた私は知り合いですがとこたえる。

では、下ろす現金は何にお使いですかと再び問うのだ。

これは、いろいろ入り用でしてね。

そうですかと何の感情も示さない彼女が、

私の免許証の提示を求めてきた。

これはよくあることではある。

が、次に吐いた言葉に驚いた。

「ちょっとお巡りさんに来て頂くので…」

「うん?」

何を言われているのかよく分からない。

その女性が席を立つ。

と、しばらくして恰幅の良い目つきの鋭い女性が奥から現れた。

この女性は他の行員とは明らかに雰囲気も違えば、

そもそも皆と同じ制服ではなく、

黒の地味なものを纏っている。

この人が、こっちをじろっと見た。

というか、冷淡に睨んでいるようにも思えた。

まあいい。

彼女がこちらへと私たち夫婦を誘導する。

振り返ると、他のお客さんが私たちをジロジロ見ている。

奥さんがなんか感じ悪いわねとつぶやく。

なんだか雰囲気がおかしくなってきたぞ、と私。

銀行のソファがズラッと並んだそのすぐ横、

ついたて一枚の席に私たち夫婦は座らされた。

その間、お茶の一杯もでるでもなく、

手持ちぶさたでまんじりともなく座っていると、

どこから見ても警察官という出で立ちの年輩警察官が現れた。

「どうもどうも」

なんか気安いなぁと思う。

「あのいまね、振り込め詐欺って多いでしょ。

で、こういうことになっているんですけれどね」

「フムフム…」

でですね、と延々と、

自宅の住所やら電話番号やら、

送金先の人物の詳細やらをアレコレと突っ込んで聞いてきて、

いちいちメモっている。

(職務質問ってこんな感じなのかね?)

振り込む理由を明快にこたえると、

警察官はフムフムと考え倦ねている。

まあここまでは、振り込め詐欺の被害を防ごうとして、

皆さん頑張っていらっしゃるなぁと思うことにしたのだ。

が、どうも風向きが変わったのは、

警察官の次の質問からだったのだ。

「ところで、隣にいらっしゃるのは、えっーと奥様?

のご様子ですが…どうでしょう?」

これで、いろいろな謎が解けてきた。

我々が金融詐欺だかなんかしらないが、

そんな犯罪者ではないかと疑われているのだ。

で、このあたりから奥さんがカッかとしてしまい、

あぁもうこれはかなりまずいなぁと思いましたね!

「お巡りさん、ひょっとして私たちがアベック詐欺とでも

思っているのかな?」

こうなると私も腰を据えるしかない。

「いやいやとんでもない!」

気安いお巡りさんが更におどけて、

加速するように、余計に尚も砕けはじめたのだった。

いま何が起きているのか、

察しというか、置かれている立場というか、

そんなものをいち早く察知した奥さんの怒りがおさまらない。

おお、顔が上気している。

「何がふざけているって、ついたて一枚で、

ケーサツが来て散々問い詰められて、

あたし達ってどう見られている訳?」

「なあ…」

私は元来、勘は良いのだが、

ときどき察しが悪いとよく言われたりもするので、

奥さんの様子を見ていて、

そうだ、俺も怒るぞ!

とスイッチを入れることにした。

で、おいおい支店長を呼べよ、

とは思ったのだが、それは言わず、

プンプンしてさっさと店を出ると、

おいしいコーヒーでも飲まないかと奥さんを促す。

と上の件で私たちはグッタリとしてしまい、

後はほぼ使えない一日と相なった訳だが、

一度だけ私が銀行で吠えたのを、

翌日の朝に思い出した。

それは俺の金だぞ!

東京村

築地市場の移転問題で揺れていますね、東京都。

たまにニュースや関連記事を読んで思うのは、

世界最大の都市・東京なのに、政治・行政は

田舎レベルだとバレてしまった、ということだろうか。

代々、都知事になるのは実力はさておき有名人ばかりで、

議会は親分・子分の関係が絡み合った寄り合いレベル。

利権がないといえば嘘になるだろう。

こうして次はオリンピック・パラリンピックの開催である。

きっと誰かが一稼ぎをする、しているのだろうことは、

誰もが思うこと。

で、気づいたのは、こんだけ大きな都市だから、

予算は膨大なのだけど、

そこは無尽蔵の如く結構適当だということ。

難しい事、面倒な事は専門家に丸投げし、予算は言い値。

あとはなんとかなってしまうのが東京都だ。

税収が多いし、まあ、たまに失敗しても

誰も責任をとらないところが太っ腹である。

そもそも、リスクを伴わず責任もとらない仕事というのが

イマドキ存在すること自体、私には驚きであるが、

そんな曖昧な集団は、きっと腐る、いつか腐る訳で、

よくよく考えれば、こんな人達の塊は

いまでも日本の何処にでも存在しているのだから、

思わずため息が漏れてしまうのだ。

こうなると、経営という側面のみで考えるに、

花の都・大東京の政治・行政を動かすのも、

それほど大変なことのような気がしないから、

こちらも親近感が湧いてくる。

零細企業なんかを経営するほうがよっぽど難しいのではないか。

これは半分皮肉だが、半分は本気である。

かつて東京に住み、東京の企業に勤め、

更に友人たちと会社を立ち上げたときのことではあるが、

この頃は当然、夢と希望もあった訳だが、

それに沿うように先行きの不安が始終ついて回っていた。

いくら零細とはいえ、潰してしまっては大変な事になる。

常に危機意識が拭えない。

コスト、創意工夫。

そんな言葉がいつもアタマを駆け巡っていた。

とまあ、これがフツーなんだけれどね。

さいわい、東京と言うところは企業数がずば抜けて多く、

よって仕事も大量に発生するので、

営業力とツテとそこそこの仕事をこなしていると、

経営はなんとか維持することができたのである。

事務所の家賃など固定費等の維持費は高いが、

それを上回るメリットがあるのが、東京なのである。

よってリスク覚悟でビジネスをするのに、

東京はかなり面白いマーケットではある。

で、肝心の仕事の質・レベルだが、

凄い仕事をする会社や人間がいるのも東京だとしたら、

逆に低レベルでもなんとか喰えてしまうのも、

東京という所ではある。

才能と実力がなくても、

ツテでなんとか凌ぐことができるのが、

東京のおおいなる包容力といえるのではないか。

こうした感想は私の勝手な経験則で、

皮肉でもなんでもない。

が、こうした事情がクリエーターに限ったことなのかどうかは

私にはよく分からない。

よって、この話は広告業界限定である。

そしてやむを得ない事情で東京を離れて実感したのは、

仕事の仕方、そしてマーケットとその構造が全く異なることだった。

この場合のマーケットとは、

東京以外というマーケットという定義にしておくと分かり易い。

仕事の規模も小さく数も少ない非東京マーケットは、

当然、クリエーターの数も少ない訳だが、

なんというか、そこにハッキリと生存競争の原理が働いているのが

手に取るように実感できるので、

ひょっとしたら東京以外のほうが、

厳しい環境下なのかも知れないということだ。

非東京マーケットはおおむね、

媒介として、大手広告代理店が介在しない。

よって、経営者と直にやりとりする。

ときに厳しい言葉を投げかけられる。

おまけに予算が少ないことのほうが断然多いのが、

非東京マーケットである。

そこには、仕事のレベルも関係するようにも思うし、

営業力も影響するのだが、

更に難しいのは、経営者の志すところを察知し、

それを共有しないことには

仕事が立ちゆかなくなることである。

こうした環境下において、非東京という仕事場には、

あの大東京市場のような包容力もなければ、

無駄とか余力というものは一切存在しない、

ということである。

よって各企業の切実さも直に伝わるし、

経営者が決断して身銭を切る分、

当然のようにこちらに要求するハードルも高くなる。

翻って思うに、

東京にはそれなりに過酷な何かが存在するのも確かである。

その過酷が何かは、それぞれの人によって違うような気がする。

それを分かった上でなお、

ビルとか混雑だとかの見た目とは裏腹に、

あんなに住みやすい、いや生き易いところもない。

それが東京のように思う。

だから皆、東京を出るのを嫌がる。

そして怖がる。

逆説的にモノを言うようだが、

東京には「村」のようなやさしさがあるように思えてならない。

これが一極集中日本の光と影の現実である。

だから誰も東京をめざすのだ。

だからみんな東京に居続ける。

だから東京はいつも人がいっぱいなのである。

東京という村を一歩出ると、

そこには喰うものもなく山姥がいて、

カッパが出て、熊に追いかけられて、

おまけに真っ暗で…

おっと、またひねくれてしまった、

ヤメとこっと!

立ち止まる季節

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空は高く

そして広がって

季節が移ろうとしている

乳白色の突き放す光りが

オレンジがかった陰りあるものへと変化し

皮肉なことに

まるで世界が突然

穏やかにでもなってくれたかのようだ

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誰もいない公園

都会の交差点

ビルの窓から

こんな日だから

人は久しぶりに

哲学なんぞを準えるのだろう

ススキに赤トンボ

生きている儚さとか

胸いっぱいにひろがるやすらぎとか

人の想うことって

大きな空に吸い込まれるから

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秋の日は

道行く人の視線さえやさしく

誰も内面をなぞるように

コツコツと歩いてきた道を

これから歩くであろう彼方を胸に抱いて

冷えた風にシャツの襟を立て

ふと思い出したように

通りの隅で

ちょっと立ち止まるのだ

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閉所恐怖症

閉所恐怖症の身として、まず困ってしまうのが、ビルなどのエレベーターだ。

なんというか、あの上下に移動するときのわずかな時間が問題なのである。

たかが数秒か数十秒なのか知らんが、毎回手に汗握ってしまうから、

非常に疲れてしまう。

これは妄想なのだが、あの四角い箱がどんどん狭くなって、

壁がどんどんこちらへ迫ってくる感覚が、なんたって息苦しい。

現代なのか都会生活なのかよく分からないが、

いまはどこでもエレベーターが欠かせないのはよく分かってはいる。

が、どうも全然慣れないなぁ。

そこがそもそも閉所恐怖症なんだけど…

似た部類に地下鉄がある。

最近では、新宿駅から乗る丸ノ内線に辟易、というか、

恐怖さえ抱いてしまったのだから、当分あの地下鉄には乗りたくない。

続いて後日、横浜へ行く際にみなとみらい線にも乗ったのだけれど、

この時も、やはり掌から汗が噴き出していた。

己の人生を振り返って、この原因は一体どこから来るのだろうと、

私なりに探ったことがある。

で幾つか思い当たる節があった。

まずガキの頃だが、横浜にもまだ戦争の傷跡が残っていて、

学校の裏山にポッカリと大きな穴があいていたのだが、

それが防空ごうだった。

柵も立て札もなにもない。

いまと違って、出入りは自由であった。

私たちはよくその穴に潜って遊んでいたのが、

そこがあるときいきなり落盤し、

運悪く、私は落盤した土に埋まってしまった。

と、その様子を遠くで見ていた大人が駆けつけてくれて、

私は助かったのだが、そのとき、

口の中にはいっぱい土が入っていたことをいまでも覚えている。

あの圧迫されたときの身動きのとれない怖さと苦しさは、

何年経っても忘れられるものではない。

次に、もうひとつ思い当たる節があった。

それは、やはりガキの頃だが、

いたずらをするとよく親父が私を押し入れに閉じ込めた。

これはよくある話しではある。

が、私の場合、一度閉じ込められると、

最低3時間くらいは出してもらえなかったので、

これには暗闇の恐怖というのも加わってしまった。

ところで最近、

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ際、

主人公が東京の地下深くの洞窟を延々と進むシーンがあって、

寝しなにそのあたりを読んでいた私はハアハアとなってしまい、

安眠を妨害された覚えがある。

なかなかタフな人間というのは、こんな主人公のことをいうのか、

と感心した次第である。

その点、まあ私はへなちょこではある。

更にいま何故か流行っているアドラーという心理学者に言わせると、

トラウマなんていうものは言い訳に過ぎない、というのだ。

アドラーといえば、彼の考えを前面に打ち出した

「嫌われる勇気」が有名だ。(彼の著書ではない)

街の本屋でよく平積みしてある、あのベストセラー本である。

そのアドラー曰く、

『人は過去に縛られているわけではない。

あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。

過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう』

そしてアドラーは、こうも言う。

いろいろな病因の深層心理にあるのは、

社会に出るのが嫌だという共通因子。

よってトラウマなんていうものは、

ただの言い訳に過ぎないらしい、と。

アドラーという人は、なんと強い人であろうか。

そしてとてもパッションがあって、

人生に常に前向きな方向性を示す。

私の場合、社会に出るのが嫌だったのは確かではある。

が、なにを今更の年代でもあることだし、

いい年をして、今頃になって社会の出入りもクソもないのである。

で、人生に前向きか否かは、比較対象となる判断基準がないので、

現時点で己を考察するのはちょっと難しい。

まあ、とにかく閉所恐怖症の原因はトラウマではなさそうだと。

しかし、この際アドラー流に解釈を加えるとすれば、

私の場合は社会に出たくないという根本原因を、

今後は「死にたくない」といった潜在的要因に置き換えることで、

説明が立つような気がしてきたのだ。

かなりねじ曲がった解釈ではあるのだが、

死んだらあの狭い棺桶に閉じ込められてですね、

しっかりこんがり骨になるまで焼かれるんですね。

こうなると、もはやトラウマなんてもんじゃない。

おっと、書いていて、すっげぇ怖いんですが!

台風一過

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しばし夕焼けが輝いていました

一斉に鳥も蝉も鳴き始めました

草のにおいがぷ~んと鼻を突きます

ここで近々

いきものがかりがコンサートをやります

のどかな所

息抜きによくこの公園を歩きます

コピーライターって何?

私の職業を友人たちに尋ねられた娘が、

「コピーライターよ」というと、

一同口々に「知らないなぁ」と言ったとか。

時代遅れだよと言わんばかりの娘に向かって、

私は、「そいつらはみんなバカか」と言い放った。

しかし、そうは言ったものの、

そうかもなぁと思う自分もいる。

よくよく考えるに、コピーライターって職業は裏方。

そうそう表に出るものでもないのに、

なぜかムカシ騒がれたことがあって、

そのブームが去った後というか、

日本が不景気になって久しく、

それでもコピーライターの残党が、

息も絶え絶えに生き抜いて現在に至っている―

といったイメージなのかなぁと、

我ながらしみじみ思うのだが、

たとえば江戸の提灯を細々とつくっている職人がまだいる、

というテレビを観たりすると、

いいなぁあの頑固さと、不気味に笑う自分が

いまの職業にピタリとくるように思うので、

やはりこれで良しと考えている。

さて、いまから約30年前の名コピーで、

サントリーのバレンタインギフトの広告はこんな感じでした。

―ハートをあげる。ダイヤをちょうだい―

ちょっといい。

ちゃっかりしているけれど、

しっかりハートをあげると宣言しているあたり、

いまでも通用する。

さて、ダイヤを買う金はないけれど、

俺はまごころで返します…と。

だって若い頃って、金もないしね。

ハートをあげる。ダイヤをちょうだいって、

ひょっとしたら、結婚もOKとも受け取れる。

かなり意味深な威力も秘めている。

蛇足はともかく、コピーライターって言葉を駆使して生活している。

なので、一発必中の矢を放つことにかけては、比類無い力を発揮する。

次は、新潮社の新潮文庫のコピー。

― 一冊、同じ本を読んでいれば、 会話することができると思うの。 ―

さりげない女性の話し言葉の美しさ。

気になる女性にこんなことを言われたら、

たとえ百科事典でも岩波の国語辞典でも完読しますね。

1027ページの花の写真はキレイだったね、とか、

○○の五段活用について、君の意見を聞きたいとか…

上記のコピーも80年代と記憶しているが、

いまだ色褪せない。

一瞬のブンガクというか、

一行小説と言っても過言ではない。

で現在では、こうしたコピーはほぼ見かけない。

テレビもネットもこうしたコピーは、

もはや威力がないと考えているのか。

もてはやされているのは、

かなり幼稚で言葉尻だけ捉えたコピーづくりとか、

ヤンキー言葉なんかを使ったりして、

そこはとても自然のようなのだけれど、

後に何も残らない。

そして少し嫌な気分だけが残る。

他は安いのみの強調とか、

奇抜な映像のみでガンガン押してくるから、

押しつけがましい事この上ない。

だからつまらない。

果てはコマーシャルがウザいとなる。

そしてまた、いまはテレビのコンテンツも面白くないから、

問題は一層根深いものとなっている。

こうした負のラビリンスって、

もはや止めることのできない時代の流れでもある。

よって、コピーライターの力量が発揮される出番がない。

いや、受け手がそれを欲していない、または理解しない。

そこに曖昧さが残っているのも事実ではある。

自分の実感として、

まず先方の要望が言葉より他をめざしている場合がある。

たとえばカッコイイデザイン第一主義。

これはこれでアリの場合もあるにはある。

デザインでモノは売れる時代ではあるが、

言葉の強さを信じていない、という点で、

現在の風潮はちょっと寂しい気がする。

総じて皆忙しいから文字なんか読まないんだよなぁ、

という思い込みが蔓延している。

これは一部正解で、他方大きく間違っている。

私は一発で相手を射貫くようなコピーはつくれない。

が、どんな仕事でも最大限それに近づくよう、

努力をしている。

まあ、仕事を受けた時点で、総合的な判断、

次に企画の概要、デザインのアウトライン、

そしてコピーも同時に考えるのが我々の仕事なのだが、

いろいろとサンプルテストを繰り返して分かる事がある。

それは、やはりコピーの出来不出来により、

反響に大きな差が出ること。

これは事実。

目立たないポジションではあるが、

やはりコピーライターの仕事って、

かなり重要だと自覚している。

そしてやがてまた、

言葉なりコピーの時代が来るように思う。

何故って、結局時代は常に巡っているからです。

独りって…



独りってなんだか自由で、

ひどく寂しいときがある

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時代とコピー感覚

かつて日本が繁栄を極めた80年代、

「おいしい生活」というコピーが巷に溢れ、

このコピーはまた、当時の時代の空気を的確に表していた。

都会も地方も皆元気で、ほぼ横並びの中流意識は、

更なる繁栄を信じ、遊びに仕事に精を出していたのだ。

この広告主は、西武セゾングループ。

バブルと共に頂点に達した企業である。

コピーライターはあの糸井重里。

さて、いま「おいしい生活」と聞いても、

現在の私たちにはピンとこない。

それどころか、おいしい生活という語感から想像する生活は、

ちょっと怪しい気配すらある。

何かを誤魔化す、ちょろまかす…

そうした行為の上に成り立つ生活とでも言おうか。

しかし、当時のこのコピーの響きは、

希望に満ちたよりよい明日への提案として、

皆に受け入れられたのだ。

今日より明日、

更に素敵な生活はすぐそこにあります、とした提言、

それが「おいしい生活」だったのだ。

同じ80年代、別の美しいコピーがヒットした。

サントリーが発信したウィスキーの広告だった。

「恋は遠い日の花火ではない」

このコピーは、当時の中年のおじさんの心をわしづかみにした。

当然のことながら、世はバブルである。

おじさんたちは、右肩上がりの成績を更に伸ばすべく奮闘していたのだが、

やはり、ふと気がつくともの寂しかったのか。

コピーにつられ、もうひと花咲かせようと…

前向きでポジティブな時代の空気のなかで、

このコピーは何の違和感もなく受け入れられた。

総じて、或る側面から光りをあてれば、

夢のあった時代だったといえる。

しかし、例えばいまどこかの広告主が、

恋は遠い日の花火ではない、と謳ったとしても、

いまひとつ響かないだろうし、

受け手は、そうなのかな?程度に終わるように思う。

いわゆる不発である。

過去に優れたコピーでもいまではヒットもおぼつかないほど、

時代は移り変わっているのだ。

では、このコピーを少しいじって

「戦争は遠い日の花火ではない」

とか

「テロは…」

とすると、いきなり迫真めいてくる。

いまという時代にフィットしてしまうから、

それが辛いし、皮肉な事である。

では、更に時代を遡り、

「隣のクルマが小さく見えます」というコピーが流行ったのが、

バブル期よりずっと以前の70年代初頭。

広告はトヨタ、クルマはカローラだが、

日産サニーに対抗すべく、できたのが、

このコピーだった。

まだ日本に、いや世界のどこにもエコなんていう発想もなく、

でかいクルマ=裕福という図式の世界だったのだ。

よって、こうした時代に流行ったのが

「いつかはクラウン」であり、

「羊の皮を被った狼」のBMWだった。

当時のクラウンは、いわば成功者の証しであったし、

いま思えば、幼稚で下らない自己実現の方法だが、

当時はこの程度で皆が満足できる時代だったともいえる。

コピーを広義に「言葉」として捉えると、

言葉というものもまた、

時代とともに動くナマモノであるし、

なるほど人の世界ってまさしく、

刻々とうごめいているという形容がピタッとくるから、

やはり不思議という他はない。

コピーは、その時代を的確に表しているし、

また相反するように、時代とズレたコピーはヒットもしない。

しかし、例外的に時代を問わず普遍であり、

いまでも魅力的に響くコピーも存在する。

例えば、

「時代なんてぱっと変わる」(サントリーのウイスキー)

「あっ風が変わった」(伊勢丹の企業広告)

「少し愛して長く愛して」(サントリーのウイスキー)

ついでに、

「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した。」(キャノン)

「恋を何年、休んでますか。」(伊勢丹)

こうした例は、

もはやコピー・広告という概念を離れ、

時代に左右されない人の心を射貫いているのだろうし、

こうしたコピーは、もはや名言・格言の域に達しているのではないか。

ポケモンGo、村上春樹は蚊に刺されやすい生命体?

「風の歌を聴け」から

―完璧な文章などといったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね。―
村上春樹の比喩は独特だ。例えが難しい。というか、
よく理解できないまま納得させてしまうようなテクニックが、
この人の文には多分に潜んでいる。
彼が小説家で良かった。でなけりゃ詐欺師だ。

やたら蚊に刺される

キャンプに行くと真っ先に蚊にやられます。
いつも一番です。ポリポリやって気が散ってしょうがない。
蚊に刺されやすい人って体温が高い、呼気の二酸化炭素が多い、
乳酸の分泌量が多い等、諸説あるようですが、
特に最近言われているのが、O型の血液特殊糖存在説。
これが蚊を引き寄せるらしい。
私はO型ですが、特殊糖っていうのがどうも引っかかるなぁ。

若さとは

工学博士の竹内建さんがBLOGOSに書いていましたが、
若さとは将来に期待すること、自分がまだ成長できる、
何かをなす事ができると信じられること。だそうです。
これには考えさせられました。というのも、
やる気はそこそこあるのですが、自分のやることを
信じられるかと自問自答しましたが、いまひとつ確信がない。
というか最近では心配事ばかりが増えているようで、
そういう自分に懐疑的。年喰ったなぁ。
このあたり、「胆力」が左右するのでしょうかね?

ポケモンGo

最近、みんな表に出てやたらウロウロしていますね。
世の中こんなに人がいっぱいいたんだと改めて驚きました。
しかし、ポケモンGoで遊んでいる姿ってちょっと異様。
先日行った、あんなに眺めの良い丘でさえ、みんなうつむいている。
ほらっそこの君、雄大な景色、キラキラしているおひさま、流れる雲…
なんで見ない、興味ないかね? 野暮な年寄りの感想か?

生命体がいそうな惑星が4つも

地球から40光年という距離感がそもそも分からないのだが、
どうもいきものがいそうな星が、チリの天文台で発見されたらしい。
これって凄いこと。我々と同じような奴?がいるのかね?
いや、アンモナイトのレベルか、はたまた恐竜レベルなのか?
となると、あのUFOってどこから飛来してくるのかを考えてしまう。
案外、至近の月の裏側とかに隠れているのかも知れない。
いずれ、ロマンか驚異か、どう処理して良いのかが分からない話。

ビリー・ジョエル…誠実ということ

ボクは暇さえあればオネスティを聴いている。

この曲はビリー・ジョエルが1978年にヒットさせたものだが、

なんと言っても詩が良いですね?

オネスティは直訳すると誠実さとでも訳すのでしょう。

古い言葉です。

誠実であることはかなり難しい。

誠実であろうとしても、結果的に相手に誤解されることもあれば、

反感、非難を浴びることもある。

だから人は、ちょこちょこと、

そしてアレコレと誤魔化すのですが、

この歌は違う。

直球で相手に誠実さを求める。

まあ、そう言うからには

当の本人も愚直で真面目である訳だし、

そこにはかなり窮屈な人間関係が求められる。

この歌詞に、作者であるビリー・ジョエルは、

一体何を込めたのだろう。

彼は現在も現役で、以前は日本公演もやっているが、

「桜」とか「上を向いて歩こう」とか日本の歌も披露してくれる。

真面目であるしサービスにも富んでいる。

彼は大都会ニューヨークでヘラヘラになりながらも、

ヒットを連発していたのだろうし、

前述の講演のことでも分かるように、

彼は相手のことを一番に思うから、

期待に応えているうちに苦しくなる。

そして繊細な彼の神経が徐々に崩壊していった。

別のヒット曲「プレッシャー」を聴いていると、

彼の哲学的な歌詞とその思考の行方に、

かなり窮屈ではあるが、

人生に対する真摯な姿勢とでも言おうか、

ある種の狂気を感じてしまう。

過去、彼は神経衰弱で精神病院に入院したり、

アルコール依存症、鬱を患ったりしている。

しかし、彼は立ち直る。

繊細、だけど復活する力も持ち合わせていた。

最近流行りの言葉でいうところの「レジリエンス」、

復元力が強いのだろう。

彼はいま、ニューヨークから離れ、

海辺の田舎町に住んでいるらしい。

そこで誠実に暮らしている、のだろうか。

ああ、

誠実に生きるって難しいんだなぁと、

つくづく思う訳です。