心のキャロル・キング

ありがたいことなのだけれど、

プレス原稿、スローガン、ランディングサイト他が重なり、

頭が忙殺されているうち、ブログの更新が止まってしまった。

相変わらず世の中は忙しく、

トランプとかプーチンとかで世界はめまぐるしく動いている。

或る夜遅く、

そうだボブ・ディランを聴いてみようと思い立ち、

アプリを開いてみた。

      「風に吹かれて」

  どれほどの道を歩かねばならぬのか
  男と呼ばれるために
  どれほど鳩は飛び続けねばならぬのか
  砂の上で安らげるために
  どれほどの弾がうたれねばならぬのか
  殺戮をやめさせるために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど悠久の世紀が流れるのか
  山が海となるには
  どれほど人は生きねばならぬのか
  ほんとに自由になれるために
  どれほど首をかしげねばならぬのか
  何もみてないというために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

  どれほど人は見上げねばならぬのか
  ほんとの空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない

(壺齋散人さんによる歌詞の日本語訳より引用)

彼の音楽はやはり素朴だなあ、

それにしても、小節にことばが詰め込まれている。

そして音符に彩られたことばが呼びかけるのだ。

溢れるのは詞なのか、

いや詩だな。

これがノーベル文学賞なんだと思うと、

そうだろうなと納得した気持ちと、

いや、と思い、

そこは村上春樹だよとは思ってはいないが、

やはり私はキャロル・キングが頭に浮かんだ。

私の世代は、あまりボブ・ディランに馴染みがないのか、

彼の歌を聴くと、

中学校時代に耳にした、

日本のフォーク・ソングと被ってしまう。

―岡林信康とか高田渡とか、

吉田拓郎とか泉谷しげる―

みんなボブ・ディランに憧れていたんだと改めて納得。

最も、日本で歌われたフォークに、

それほど政治の色彩はないのだが。

初めてギターを手にしたとき、教本は「ガッツ」、

曲はジョーン・バエズの「ドンナドンナ」だった。

ジョーンバエズもボブ・ディランも同時代だと思うが、

なぜかジョーン・バエズのほうが記憶に残っている。

有名になる前のボブ・ディランを、

公の場で紹介したのもジョーン・バエズと聞いた。

当時はベトナム戦争という無慈悲が進行していた時代。

メッセージ色が強い。

(最もジョーン・バエズの歌は公民権運動の色合いとも言われている)

メロディーに包み込まれた詩に、

当時のやるせなさが綴られている。

そのことばひとつひとつが浮いていない。

♪風に吹かれて♪のフレーズに、

そのもどかしさまでもが、届いてしまう。

だから、ボブ・ディランなのだろう。

最も、詩の成り立ちは、

思えば小説などよりその歴史も古いから、

文学の礎ではある。

彼のノーベル賞受賞は、

なんら不自然ではないと思う。

しかし、前述のように、この時代のアーティストで、

私を掴んだのは、やはりキャロル・キングだった。

「君の友達」という歌は、こんな感じ。

あなたが困っているとき、

辛いとき

そして私を必要としているなら

すぐに呼んで!

私はすぐにでもあなたの元へ行く

それが冬でも春でも夏でも秋でも

ただ私の名を呼べばいいの

わたしがどこにいようと

あなたに会うためなら

走ってゆく

だって友達だもの

友達がいるって素敵なこと

そう思わない?

みんなとても冷たくなってしまって

あなたを傷つけたり見捨てたりする

あなたが油断すれば

それこそ魂までも奪ってしまう

だけど私はそんなことはさせない

私の名前を呼んで!

あなたには友達がいるのよ

ボブ・ディランの詩は他のものとは格が違うというか、

ことばがダイナミックな放物線を描いて、こちらにズシンと届く。

一方、キャロル・キングのこの歌は、

一見身近でやさしい言い回しだが、

これは、この時代の空気を纏った、

一種のレトリックだろう。

勝手に私的にだが、

やはりノーベル心の文学賞はこちらなのだろうと…

freepasport

無粋な広告

こんな広告はイケナイナと思う代表が、

YouTubeに入れ込んだ広告だ。

あれは、なんというかTVCMより腹が立つ。

所詮、TVは受け身の姿勢で観ることの多い媒体だから、

そんな場合はしょうがないねぇ、となる。

別の言い方をすれば、TVCMの歴史は永い。

こっちも体にしみついているから、

まあいいだろう、となる。

一方、YouTubeを聴く場合、

「あっ、あの歌が聴きたいなぁ」などと、

かなり能動的なアクションを起こしている。

なのに、聴きたい曲の前や途中に、

動画広告が挟んである。

最低5秒は我慢しなくてはならない。

これってかなりイライラする。

こんな場面で登場する広告なんぞ、

まずいい印象など残らないだろうと想像するのだが、

しかし、この手のデータの専門家に聞くと、

ソコソコ視聴されているらしい。

が、そのパーセンテージはやはりというか、

俄然低調であるとのこと。

やはりね。

では、すべてアウトかというと、

成功例はしっかりある。

一例をあげるとフォードのCMで、

頭から5秒で、シートベルトをカチャッとしめるCM。

これは好評だそう。

要はシートベルトは5秒あれば締められる、

とアピールしている。

こうなると社会的意義もある。

これは無粋ではない。

ただ、難しい。

YouTubeをしっかり研究しないとつくれない。

ひょっとすると、TVCMを制作するより難しい。

だから、無粋なのが多い。

ひどいのになると、

5秒でスキップすることもできないものもある。

こうなると、私の場合、YouTubeを終了します。

あと、リマーケティング広告と呼ばれるものだが、

これは通称追っかけ広告と言い、

こいつも用もないのに過去にみた広告とはいえ、

いつまでもパソコンのIPアドレスを頼りに出現するいやらしさがある。

当然、成約率(コンバージョン率)は極端に低い。

リマーケ、嫌いだなぁ。

よって、ウチの場合は、リマーケはお客にはすすめない。

やめましょう、と。

その点、検索結果画面に出てくる広告、

いわゆるリスティング広告は、なんだか許せる。

しっかり「広告」とも書いてあるし。

というか、リスティング広告の場合は、

訪問者もかなりの情報を欲して検索してくるので、

そのマッチング度は高い。

有用である場合が多いし、

コンバージョン率も前記した広告に比べ、

飛躍的に数字が上がる。

また、フェイスブック等にみられる広告は、

個人情報、趣味、嗜好に合致したもののみ展開されるので、

そのマッチング精度も高く、

ユーザーの気を惹くものが多い。

(だけど私はなんだか嫌いですがね)

と、ここまで書いて気がついた。

世の中はうまくできたもので、

成約率の高い広告媒体というのは、

やはり広告料金も高い。

そこがなんというか、

世の中甘くないですよ、という訳。

ネット広告で気になるのは、

TVCMのように、まず内容ではなく、

それ以前の問題が多いように思う。

内容はその後の問題で、

そこはTVCMとなんら変わらない。

ネット広告の良し悪しは、

まず、いつ、誰が、どんなときに、という

タイミングなのだと思う。

「こんなときに広告かよ」と思われるタイミングは、

質の良くないTVCM以上に、

ユーザーの広告に対する、

いや、広告主に対する印象が悪化する。

無粋な広告というのは、

広告主も制作側も実はそうとは気がつかず、

お金を使ってまで流している。

これはもう悲劇であり、喜劇でもある。

では、こんなタイミングに、この広告って、
どうでしょうね? ↓

ヨコハマへ逃走してみた!

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ひところ、

浅田彰の「逃走論 スキゾキッズの冒険」がヒットしたことがあるが、

あのときはよく分からなかった。

なんで逃げるのかが。

そしてどこへ逃げるのか?

本のなかで、人を大きくふたつに分類して、

スキゾ人間とパラノ人間に分類。

まあ偏執的・定住型のパラノより、

これからは分裂的・移動型のスキゾの時代だぞ、

と書いていたように記憶している。

ピンとこないなぁ、自分はどちらの人間だろう、

そしてスキゾはどこへ逃げるのかだが、

要は移動=逃走なんだろうと勝手に単純化してみた。

時代は変わり、いまではパラノ型(オタク)も定住でなく、

結構、外に飛び出して楽しんでいるように思う。

何はともあれ、一時避難的移動は必要だなと、

最近になってつくづく感じる。

それは、現在の立場から、環境から、イデオロギーから…

いやいや仕事でしょ。

逃げるのは、なにも卑怯ではない。

そんなことが理解できるようになったのは、

つい最近のこと。

「男は逃げるな!」

それしか教わっていない世代は、

常にメンツばかり気にして、

結構、冷や汗かいてきたもんなぁ。

―男は黙ってサッポロビール―

こんなコマーシャルが流行った時代に、

我々は育ったのだから、言い訳などはもってのほか。

黙することが男だぞ、と教えられた。

こうした精神論って一見カッコイイが、

イマドキどこかで破綻するように思う。

まさに、男は辛いよでは済まない、

世の中の厳しさがヒシヒシと身に沁みる。

最近では、女性のほうが逃げないのではなかろうか?

結構、みんなたくましい。

で、仕事も「デキる」人が多い。

でも逃げたほうがいい。

男の立場が危ういなんて呑気な時代ではなく、

ここはひとつ、男女分け隔てなく、

全人類みんなで逃げちゃいましょう、

そんな感じがするのだ。

ワーク・ライフ・バランス

火星脱出計画

どちらも方向性は違いますが、

ある意味、同根だと思います。

心身の危機、地球規模の危機。

そういったものがどんどん迫ってくる、

またそっと近づきつつあるように感じます。

さて、今回の逃走はヨコハマでした!

午後に仕事を放り出しての逃走です。

夕刻、山下公園や中華街を歩いていたら、

ヒマ人でいっぱいでした 笑

それでいいのだ、と思います。

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ホテルニューグランドは開業157年だそうです。

中庭では、

すでにクリスマスのイルミネーションが点灯。

クラシックな空間がムード満点に演出されていました。

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前の山下公園前の街路樹は木枯らしに揺られ、

黄色の葉がひらひらと舞っていました。

この公園から眺める夜のベイブリッジは、

まるで天空にのびる救いの道のように、

不思議な絵となっておりました。

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中華街で担々麺とか、その他ちょっとをつまんで、

ぷらぷらする。

やたらと焼き栗を差し出される。

占いの呼び込みが激しい。

この平和さ、賑やかさがたまらない。

ここって、私が高校生の頃は、

すっげぇ怖い街だったのになぁ…

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翌日はというと、断れない用ができてしまい、

関内駅近くの会社とPRの打合せ。

タイミング的にちょっと疲れたので、

気分直しにみなとみらいへ。

ここみなとみらいの全景は、

万国橋からの夜景が、やはり一番。

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その先に鎮座するワールドポーターズは、

その名の通り、世界のいいものが集まっているので、

私はいつもここへ寄る。

買わないけれど、寄る。

特に家具を見るとベンキョーになる。

赤レンガ倉庫はおみやげ屋だし、

クイーンズスクエアもランドマークタワー内も、

マークイズもなんだかいろいろなファッションだとか

グルメだとかで食傷なので、

行かない。

ザ・海鮮丼を喰って、寝る。

翌朝は、早朝の馬車道をぷらぷらしていると、

早々に出勤してくる皆さんに出くわす。

胸中、今日もガンバってください、と。

反対方向へと歩いていると、

懐かしい関内駅舎に到着。

ここで、JRに乗り、次の桜木町で下車。

歩く歩道にのっかつてランドマークタワーの下を過ぎて、

めざすは、横浜美術館。

コレクションを見てまわっていると、

スーパーなものはないものの、

その時間と空間がやたら落ち着く。

やはりイマドキは超人気の若冲ですかね?

アレ、東京のどこかの美術館でやっているなぁ。

そういえば、撮影可のスペースが、

どんどん増えている。

そこらでカシャカシャとやっている。

にしても、じっと見入っているときに、

ケータイが鳴る人がいて、これは興ざめ、

気が散りました。

で、ずっと話してる中国マフィアのようなおっさん、

職員に注意され、退場。

(ざまぁみやがれ!)

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↑港の見える丘公園より横浜港を臨む

帰路、徐々に現実に引き戻されてゆくのが、分かる。

横浜駅の雑踏で、現実に引き戻されました。

あーあ、

近場、しかも超短い逃走だったなぁ。

幻の遊園地

ちいさい頃、近所のぼうずっくりが言うには、

なんでも横浜のどこかにすげぇ遊園地ができたらしい。

「なんていう遊園地?」

「ドリームランド」

それを聞いて、わくわくしたのは私だけはない。

みんなで集まってドリームランドについて想像は膨らんだ。

「観覧車があるらしいよ」

「へえー」

みんなが一様にためいきを吐く。

ディズニーランドという遊園地が

アメリカにあるという話は知っていた。

なんかすごいらしいが、よく分からない。

毎週テレビで「ディズニー劇場」というのをやっていて、

白雪姫だとかダンボとかミッキーは知ってはいた。

しかし、なんといってもあの西洋のお城には驚いた。

ディズニー劇場の冒頭に、すごいお城が出てくるので、

私は驚嘆したのだ。

ぼうずっくりが言うには、ドリームランドというのは、

アメリカのディズニーランドにそっくりらしいのだ。

それは私たちにとってまさに「夢の国」だった。

それからいくら経っても近所では誰も行かないので、

ドリームランドが一体どんなところなのか、

誰も知らない。

そんな状態が何年も過ぎた。

私は中学生になり、横浜の反町公園とか東京の多摩川園とかへ

よく行くようになり、少しは遊園地に対する耐性もできつつあった。

ジェットコースター、マジックハウス、コーヒーカップ…

なんだかどれも初めてなので、妙に緊張し、感動したのだが、

その後、結局というか遂にドリームランドへは行かなかった。

クルマに乗るようになって、

初めてドリームランドの近くを通ったとき、

五重ノ塔のようなものが見えたので、

ちょっと感動したが、それだけだった。

その頃はもう誰も「ドリームランドすげぇ」なんて言わず、

そもそもドリームランドなど話題にものぼらないほど、

世の中にはいっぱい楽しいところが増えていた。

ドリームランドは過去のものとなっていた。

同時期、時代はどんどん移り変わって、

多摩川園や二子玉川園は閉鎖してしまい、

よみうりランドや向ヶ丘遊園が頑張っていた。

多摩テックも人気で、よくでかけた。

ドリームランドがなくなると聞いたのは、

一体いつの事だったのだろうと回想するも、

そこの記憶が飛んでいて覚えていない。

そして後年、ウチの奥さんとドリームランド跡地?の近く、

国道一号線の原宿の交差点の渋滞の最中に、

この幻の遊園地の話題になった。

そこで初めて分かったのは、

奥さんは親父さんのクルマで、

毎年ちょいちょい、この幻の遊園地である

ドリームランドへ出かけていた、

という衝撃の事実だった。

「えっ、ドリームランドって一体なかはどうなっていたの?

なにがあったの? ディズニーランドに似ていた?

あの五重ノ塔は一体なんだったの?」

もう、一気に質問攻めである。

時代を遡ると、

当時の道路事情はかなり寒いものだったのだが、

彼女の家にはクルマがあったそうな 驚

私の家には中古の自転車が一台ありまして、

毎日一生懸命磨いていました。

家の前を、よくリヤカーが通っていました。

この時代、まだ日本にカローラもサニーもなかった。

ヒルマン、日野コンテッサとかフランスのルノーの小型車とかが

たまにのんびり道路を走っていて、まだのどかだった。

一番台数が多かったのがオート三輪車というもので、

あれはなんというか、カーブでひっくり返りそうなので、

幼い私にも危なっかしく思えた。

そんな時代のドリームランドである。

私の近所はみんな貧乏人ばかり集まっていたので、

誰もドリームランドなんか行けなかったのだ。

後付けの感想ではあるが、ドリームランドは

どう考えても時代が早すぎた代物であったように思う。

時代の先駆けでありフロンティアであるのは確かなのだが、

その頃の日本はまだまだ貧しかった。

クルマがめずらしい時代に、

最寄りの「大船駅」から歩いていくことができないのが、

横浜ドリームランドだった。

(確かモノレールは不人気だったように思う)

園内はとにかく広大。

特大の観覧車が鎮座し、

ゴンドラが行き交い、

五重ノ塔の「ホテルエンパイア」がそびえ、

ジェットコースターでは歓声があがり、

アメリカのディズニーランドのジャングルクルーズを摸した

「冒険の国巡航船」が水路を巡り、

お伽の城が建ち、そのまわりをおとぎ列車が走り、

スワンボートが池の上をスイスイと浮かんで、

その上を飛行塔がまわっていた…

さらに園内ではヨーロッパの宮廷の庭園を模して、

そこかしこに四季の花が咲き乱れていたそうな…

(以上は悔しいけれど、最近調べて分かったことばかり)

いまさらだけど、なんか腹立たしいなぁ。

憎きはウチの奥さんである!

仕事を放り出して…

ときに、仕事は拒否ったほうがいい。

体にも精神的にもいい。

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仕事がないのは、これは困る。

が、ある場合でも、ソコソコちょうどいいという分量が

なかなかない。

仕事って、なんだか固まってやってくるのだ。

だから、とても疲れるし、心身の疲れもストレスもMAXになる。

私はよく仕事を放棄する。

勤め人の頃は、なんだか適当な用事をみつけて、

街へ出た。

品川に勤めていた頃は、品川宿の古い町並みをプラプラした。

ついでにずっと海を眺めたりしていた。

赤坂で働いていた頃は、附近に適当な所もないので、

高台にあるカレーのおいしい喫茶店でずっと都会の景色を眺めていた。

これはなかなか癒やされた。

表参道にある制作プロに移ってからは仕事がMAXの日々が続き、

逃走もできない日々だったので、

よく屋上で裸になって甲羅干しをした。

この会社は勤務中でもアルコールOKだったので、

よく飲みながら仕事をしていた。

そういえば、隣のデスクにいたコピーライターの○上君は、

妙なインドの音楽を鳴らしながら、よくお香を焚いていたなぁ。

あの会社は、仕事はキツかったが、他はすべてユルかった。

で、結局潰れたんだけど…

納得!

最近の職場逃走は、山ないしは川である。

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なんてったってトカイナカに住んでいるので、

逃げる先はそういう所になる。

トカイナカでもいまの時代はストレスが溜まる。

なんてったって情報化時代とかネット社会とか、

ストレスはどこへでもやってくる。

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この日は、山道で野生のリスを発見。

木を登ったり降りたり、キョロキョロとせわしない。

写真に収めることはできなかったが、

初めて野生のリスを見れたことが

なにより嬉しい。

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露天風呂に浸かって夕涼みをしていると、

そろそろ陽が傾いてきた。

ついでに二八蕎麦を優雅に摂取してから帰ったのだが…

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要するに、恐ろしいのは、夜、スマフォの着信履歴と、

iPadでメールを開く儀式である。

後は、仕掛かり中の仕事の段取りの組み直し。

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いつもそうだが、仕事を放り出すのは高リスクである。

後が怖い。

ここんとこは、

依然いまもムカシも変わらない訳。

さあ、マジックアワーだ!

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光りと影の波間に漂う

あの乳白に映る空気が街の空を覆うと

そろそろと陽が暮れるのだろう

まわりでこの景色を眺めている人間が

意外にも数えるほどしかいない

みんなボケGoで俯きながらウロウロしている

もったいないなぁと思う

…今日が地球最後の日だぞ!…

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冬めいた空気が格別に心地いい

公園の坂道をトボトボと歩いて下ると

駐車場の広場にモノクロームのとばりが降りる

なぜこれほどマジックアワーが気になるのか

自分でも分からないのだが

あの美しさがひょっとして人間に似てやしないかと

ときどき思うのだ

最後に一瞬だけ輝いて、そして死んでゆく

その年頃に更に近づくと

もっと見えてくる美しい何かがあるような気がして…

死を意識することは

だって、よく生きることに違いないのだから

広告業界裏話

電通ブラック

いまさら、ですが、

広告業界はほぼブラックでした(一応過去形)

しかし、現在は働く環境改善がどこも進む中での

この事件ですので、私たちも考えさせられます。

工場のように、キッチリ計れない仕事。

これがいろいろな問題の根源にあるのも確かなこと。

電通だけじゃありません。

私の知り合いで、

電通系の制作を請け負っている会社のボスをやっていた人間がおりますが、

私見ですが、下請けの状況はさらに厳しいと感じました。

私は当時、独立系の制作会社にいましたが、

やはり一週間のうち、2日は会社に泊まり込みで仕事をしておりました。

夜中の3時頃に、事務所の椅子を集めてそこで寝る。

寝付けないときは、近くにあった青山ラーメンで餃子を食い、

事務所に戻って再び寝転がる。

しかし、いいアイデアがでないとき、

締め切りが迫っていると、むくっと起きてデスクに向かう。

そうして夜が明けてしまい、

今度は近くの喫茶店のモーニングを食いながら、

更に状況は悪くなり、憂鬱になる。

そんな日々を過ごしていると、だいたい麻痺します。

アイデアのパクリ

オリジナルの定義がそもそも難しいのだけれど、

明らかにパクられると結構アタマにきます。

コピーテキストは、それ自体に著作権がつきますが、

いざ争いになったとき、その証明が難しいらしい。

まあ、少額訴訟が多いので、まず簡易裁判所扱いとなりますが、

簡易裁判所って行ったこと、あります?

あまりやる気が感じられないこと、この上ないので、

こっちもしらける。

勝てる気がしない。ついでに手間がかかる。

簡易ですまない場合は、地方裁判所。

地裁経験はまだ経験がありませんが、

まああまり行きたいところではない。

しかし、この先は何があるかは分からない。

万が一、行かねばならぬ案件が出たら、

そんな折りは、帰りには近くの中華街で、

うまい飯を食うと決めている。

でないと、人生が暗くなる。

制作費への無理解

カタチのない成果物に全く理解のない方が、

かつてはいっぱいおられました。

そんな経営者がモノを頼んできた場合、

私たちは戦々恐々とした訳です。

どう理解してもらうか。

私たちもアタマに汗して働いているのですが…

しかし、それが分からない。

まず、えいっとひねり出したアイデアとか企画が、

いいか悪いかが分からない。

デザインとかの判断基準が皆無。

コピーライティングに関しては更にひどく、

「日本語なんか誰でも書けるだろ」

ま、最近になってこんなケースはないのですが、

あまりにえげつない価格のダンピングを要求されたりすると、

早々にこちらからお断りです。

もう意地です。

猫に小判ですから。

しかし、こうしたケースでも、

会社に体力がないと媚びてしまいます。

で、そんな仕事を続けていると、こちらが空しくなるばかりか、

同じ仕事で生計を立てているまわりにも影響を及ぼすので、

ここはもう崖っぷちでも頑張るしかない。

割と体力も使います。

出版業界からみると…

自身が出版社からの転職組なのでよく透けて見えるのですが、

出版業界の方々と話をしていると、

そこはかとなく広告業界を見下しているのが分かります。

まあ、この業界はいい加減で軽い奴が多いのも確か。

対して出版関係の方々はインテリ、気難しい系が多い。

で、一体、広告業界のなにを見下しているかというと、

人の金で宣伝をしているとか云々…

ふむふむ、これはね、確かにおっしゃるとおりです。

私も最近では少々疲弊していまして、そのあたりに

何か違和感がありまして脱出口を探しているのですが、

まあ、達成まであと5年はかかりそうです。

内容はいまは言えませんが…

いや、言いたいことはそういうことではなく、

ちょうちん記事ばかりを粗製濫造している出版業界。

あなた方は質が悪い。

人は広告と記事とをしっかり分けて読んで、情報を取り込んでいる。

そしてジャッジする。

だから、これは広告ですと宣言しているものより、

意図的な記事でも人は信用してしまう確率が高い。

こうした記事のなんと多い事か。

これはこれで、自滅。

出版社が沈んでゆく一因かと思います。

賞にまつわる話

若い頃は賞を取ることをかなり意識しまして、

広告の講座などへも頻繁に通いました。

いつか必ずヒットを飛ばすぞと、息巻いていました。

あるとき、広告学校という講座で知り合い、

何度か飯を食った○通に勤める友人が言うには、

参加作品を提出する前に審査員の先生がみてくれると。

うん?

これに私は異常に反応しまして、

よくよく話を聞くと、これはこの会社ではよくある慣習らしく、

だから彼は何の悪気もなく私に話したのですが…

予定通り彼は新人賞みたいなものをとり、

さらに後年、彼はなんとか大賞というのもモノにしました。

こうなると、何が実力かコネか訳が分からなくなる。

私はというと、一応純粋に賞というものを信じ、

目標にしていたので、そのショックは相当なものでした。

以来賞というものに全く興味がなくなり、

全く違うベクトルで仕事をしてきました。

誰かの役に立つ、という行為は、

いわば人の幸せの定義でもあるらしい。

ささやかでもいいので、そんな目標が最善ではないかと…

碧く晴れた日々

かつて僕は野党一辺倒だった

アナーキストを気取ったこともある

いや ただの不良だ

父は公務員

規則正しい仕事と生活を繰り返していたように思うが

ものごころつくようになった頃から

彼の粗(あら)がぼんやりみえてきた

彼は始終僕をうっとうしい目でみていた

そんな父が僕に初めて中古車を買ってくれた

20万円の疲れたクルマだったが

僕はいつもそのクルマを撫でるように磨いた

父がクルマを買ってくれたのは

ストライキのときは必ず父を乗せて川崎の職場まで送ること

そういう条件だ

そんな動機はそのときどうでもいいように思えた

父は選挙のとき野党に一票を入れたぞ 

と必ず発表する

父は戦争中はソ連にいたので

日本に帰ったらどこも働かせてくれなかったそうだ

向こうでマルクスを叩き込まれたので

きっと誰もが敬遠したのだろう

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ああ

気持ちのいい秋晴れの朝

僕はクルマでバイパスを走る

もうワクワクするでもなく

ドイツ製の手堅い小型車で

安全が第一だと念じている

あの頃より僕は少し利口になって

確実に太って 皺だらけになって

後ろに年頃の娘を乗せている

この子の未来に何があるのか

この空から続く世界は

これからどうなっていくのか

僕は確実に臆病になってしまって

僕はもはや野党など信じていなくて

このつまらない世界でも

相変わらず

素敵な秋の日はくるのだ

銀行でケーサツを呼ばれた件

駅前の○×銀行は、月末の金曜日ということもあって、

店内は混雑している。

なにもこんな日にとは思ったのだが、他に時間がないので、

嫌々行くこととなった。

まとまった金といえばそのような気もするが、

アレコレと滞っていたものを一気に動かそうとすれば、

それなりの金額を動かすこともある訳で、

その日が一掃する実行日だった。

送金、振り替え、口座の移動、手元に下ろす金等々、

合計としては結構な金額を出金することとなった。

散々待たされ、やっと呼ばれてカウンターに行くと、

ベテランとおぼしき行員の女性は見事な手さばきで、

次々と仕事をこなしている。

で、私の差し出した雑多な用紙に目を通すと、

ちょっとお待ちくださいといって、

一瞬ためらうのが分かった。

と後ろの女性となんだかヒソヒソ話を始め、

再び、こちらへむき直すとおもむろに、

「このお金の送金先ですが、どういうお方ですか?」

呆気にとられた私は知り合いですがとこたえる。

では、下ろす現金は何にお使いですかと再び問うのだ。

これは、いろいろ入り用でしてね。

そうですかと何の感情も示さない彼女が、

私の免許証の提示を求めてきた。

これはよくあることではある。

が、次に吐いた言葉に驚いた。

「ちょっとお巡りさんに来て頂くので…」

「うん?」

何を言われているのかよく分からない。

その女性が席を立つ。

と、しばらくして恰幅の良い目つきの鋭い女性が奥から現れた。

この女性は他の行員とは明らかに雰囲気も違えば、

そもそも皆と同じ制服ではなく、

黒の地味なものを纏っている。

この人が、こっちをじろっと見た。

というか、冷淡に睨んでいるようにも思えた。

まあいい。

彼女がこちらへと私たち夫婦を誘導する。

振り返ると、他のお客さんが私たちをジロジロ見ている。

奥さんがなんか感じ悪いわねとつぶやく。

なんだか雰囲気がおかしくなってきたぞ、と私。

銀行のソファがズラッと並んだそのすぐ横、

ついたて一枚の席に私たち夫婦は座らされた。

その間、お茶の一杯もでるでもなく、

手持ちぶさたでまんじりともなく座っていると、

どこから見ても警察官という出で立ちの年輩警察官が現れた。

「どうもどうも」

なんか気安いなぁと思う。

「あのいまね、振り込め詐欺って多いでしょ。

で、こういうことになっているんですけれどね」

「フムフム…」

でですね、と延々と、

自宅の住所やら電話番号やら、

送金先の人物の詳細やらをアレコレと突っ込んで聞いてきて、

いちいちメモっている。

(職務質問ってこんな感じなのかね?)

振り込む理由を明快にこたえると、

警察官はフムフムと考え倦ねている。

まあここまでは、振り込め詐欺の被害を防ごうとして、

皆さん頑張っていらっしゃるなぁと思うことにしたのだ。

が、どうも風向きが変わったのは、

警察官の次の質問からだったのだ。

「ところで、隣にいらっしゃるのは、えっーと奥様?

のご様子ですが…どうでしょう?」

これで、いろいろな謎が解けてきた。

我々が金融詐欺だかなんかしらないが、

そんな犯罪者ではないかと疑われているのだ。

で、このあたりから奥さんがカッかとしてしまい、

あぁもうこれはかなりまずいなぁと思いましたね!

「お巡りさん、ひょっとして私たちがアベック詐欺とでも

思っているのかな?」

こうなると私も腰を据えるしかない。

「いやいやとんでもない!」

気安いお巡りさんが更におどけて、

加速するように、余計に尚も砕けはじめたのだった。

いま何が起きているのか、

察しというか、置かれている立場というか、

そんなものをいち早く察知した奥さんの怒りがおさまらない。

おお、顔が上気している。

「何がふざけているって、ついたて一枚で、

ケーサツが来て散々問い詰められて、

あたし達ってどう見られている訳?」

「なあ…」

私は元来、勘は良いのだが、

ときどき察しが悪いとよく言われたりもするので、

奥さんの様子を見ていて、

そうだ、俺も怒るぞ!

とスイッチを入れることにした。

で、おいおい支店長を呼べよ、

とは思ったのだが、それは言わず、

プンプンしてさっさと店を出ると、

おいしいコーヒーでも飲まないかと奥さんを促す。

と上の件で私たちはグッタリとしてしまい、

後はほぼ使えない一日と相なった訳だが、

一度だけ私が銀行で吠えたのを、

翌日の朝に思い出した。

それは俺の金だぞ!

東京村

築地市場の移転問題で揺れていますね、東京都。

たまにニュースや関連記事を読んで思うのは、

世界最大の都市・東京なのに、政治・行政は

田舎レベルだとバレてしまった、ということだろうか。

代々、都知事になるのは実力はさておき有名人ばかりで、

議会は親分・子分の関係が絡み合った寄り合いレベル。

利権がないといえば嘘になるだろう。

こうして次はオリンピック・パラリンピックの開催である。

きっと誰かが一稼ぎをする、しているのだろうことは、

誰もが思うこと。

で、気づいたのは、こんだけ大きな都市だから、

予算は膨大なのだけど、

そこは無尽蔵の如く結構適当だということ。

難しい事、面倒な事は専門家に丸投げし、予算は言い値。

あとはなんとかなってしまうのが東京都だ。

税収が多いし、まあ、たまに失敗しても

誰も責任をとらないところが太っ腹である。

そもそも、リスクを伴わず責任もとらない仕事というのが

イマドキ存在すること自体、私には驚きであるが、

そんな曖昧な集団は、きっと腐る、いつか腐る訳で、

よくよく考えれば、こんな人達の塊は

いまでも日本の何処にでも存在しているのだから、

思わずため息が漏れてしまうのだ。

こうなると、経営という側面のみで考えるに、

花の都・大東京の政治・行政を動かすのも、

それほど大変なことのような気がしないから、

こちらも親近感が湧いてくる。

零細企業なんかを経営するほうがよっぽど難しいのではないか。

これは半分皮肉だが、半分は本気である。

かつて東京に住み、東京の企業に勤め、

更に友人たちと会社を立ち上げたときのことではあるが、

この頃は当然、夢と希望もあった訳だが、

それに沿うように先行きの不安が始終ついて回っていた。

いくら零細とはいえ、潰してしまっては大変な事になる。

常に危機意識が拭えない。

コスト、創意工夫。

そんな言葉がいつもアタマを駆け巡っていた。

とまあ、これがフツーなんだけれどね。

さいわい、東京と言うところは企業数がずば抜けて多く、

よって仕事も大量に発生するので、

営業力とツテとそこそこの仕事をこなしていると、

経営はなんとか維持することができたのである。

事務所の家賃など固定費等の維持費は高いが、

それを上回るメリットがあるのが、東京なのである。

よってリスク覚悟でビジネスをするのに、

東京はかなり面白いマーケットではある。

で、肝心の仕事の質・レベルだが、

凄い仕事をする会社や人間がいるのも東京だとしたら、

逆に低レベルでもなんとか喰えてしまうのも、

東京という所ではある。

才能と実力がなくても、

ツテでなんとか凌ぐことができるのが、

東京のおおいなる包容力といえるのではないか。

こうした感想は私の勝手な経験則で、

皮肉でもなんでもない。

が、こうした事情がクリエーターに限ったことなのかどうかは

私にはよく分からない。

よって、この話は広告業界限定である。

そしてやむを得ない事情で東京を離れて実感したのは、

仕事の仕方、そしてマーケットとその構造が全く異なることだった。

この場合のマーケットとは、

東京以外というマーケットという定義にしておくと分かり易い。

仕事の規模も小さく数も少ない非東京マーケットは、

当然、クリエーターの数も少ない訳だが、

なんというか、そこにハッキリと生存競争の原理が働いているのが

手に取るように実感できるので、

ひょっとしたら東京以外のほうが、

厳しい環境下なのかも知れないということだ。

非東京マーケットはおおむね、

媒介として、大手広告代理店が介在しない。

よって、経営者と直にやりとりする。

ときに厳しい言葉を投げかけられる。

おまけに予算が少ないことのほうが断然多いのが、

非東京マーケットである。

そこには、仕事のレベルも関係するようにも思うし、

営業力も影響するのだが、

更に難しいのは、経営者の志すところを察知し、

それを共有しないことには

仕事が立ちゆかなくなることである。

こうした環境下において、非東京という仕事場には、

あの大東京市場のような包容力もなければ、

無駄とか余力というものは一切存在しない、

ということである。

よって各企業の切実さも直に伝わるし、

経営者が決断して身銭を切る分、

当然のようにこちらに要求するハードルも高くなる。

翻って思うに、

東京にはそれなりに過酷な何かが存在するのも確かである。

その過酷が何かは、それぞれの人によって違うような気がする。

それを分かった上でなお、

ビルとか混雑だとかの見た目とは裏腹に、

あんなに住みやすい、いや生き易いところもない。

それが東京のように思う。

だから皆、東京を出るのを嫌がる。

そして怖がる。

逆説的にモノを言うようだが、

東京には「村」のようなやさしさがあるように思えてならない。

これが一極集中日本の光と影の現実である。

だから誰も東京をめざすのだ。

だからみんな東京に居続ける。

だから東京はいつも人がいっぱいなのである。

東京という村を一歩出ると、

そこには喰うものもなく山姥がいて、

カッパが出て、熊に追いかけられて、

おまけに真っ暗で…

おっと、またひねくれてしまった、

ヤメとこっと!