贅沢な時間

最近、自分で贅沢だなと感じるのは、

たとえば夜、風呂から出て寝るまでのわずかな時間に

古いポップスを聴きながらぼおっーとすること。

聴く曲は、そのほとんどが洋楽。

最近はなぜかカーリー・サイモンが多い。

他は、ジョージ・ハリスンのマイスィートロードとか

ジャニス・イアンの17才の頃とか

パティ・ペイジのテネシーワルツとか。

聴くのはYouTubeだから、音にはこだわっていないし、

曲の頭にPRが入っても仕方がないと思っている。

一体、これらの曲にどんな記憶が刷り込まれているのか、

自分でもホントのところはよく分かっていないのだが…

きっと10代の後半に何かがあって、

そのなかの忘れてしまったエピソードみたいなものと

リンクしているのかも知れない。

そのくらい鷹揚で、のんびりとした時間が過ぎてゆく。

そうすることで、とてもハッピーでいられる。

こうして聴くともなく流れる時間があるということは、

要するに緊急の問題とか心配事がないということ。

いや、あったとしても、必要不可欠な時間だ。

ふと、自分の若い頃の映像がよみがえる。

いま思い返すと幸せな時だったように思えるが、

現実的にその頃なにがあったのか、

冷静に振り返ればロクな事はなかった。

いまは穏やかな気持ちにさせられるから、

夜は、とりわけ遠い過去の記憶は、

私のアタマに巧妙な細工が施されるのだろう。

時間の流れというものは、とてもやさしい。

そして、やれやれとベッドに入って、

昨晩の小説の続きを読む。

ここでも最近のものは読まない。

ジャンルはアクションでも推理でもなく、

主に80年代のある種かったるいものが最近の傾向。

なぜか以前は全く見向きもしなかった片岡義男が、

現在の私の愛読書である。

近々では、「彼らがまだ幸福だった頃」が良かった。

この小説は、時間の流れが丹念に描かれていて、

その空気感のようなものに気づかないと、

この人の小説は結構辛いものとなる。

そしてもうひとつ。

彼の実験的な文が、

実はとても興味をそそるのだ。

「彼らがまだ幸福だった頃」という小説は、

或る男と女がバイクのツーリングで出会い、

夏から秋にかけてを過ごすストーリーなのだが、

主人公の青年が相当なカメラマニアで、

相手の女性が圧倒的に容姿が美しい。

小説全体は、心理的表現というより視覚的な描写が、

ほぼそのすべてを占める。

青年は、知り合ったこの美しい容姿の女性を

被写体として、夏の高原のホテルから

秋までを執拗にカメラに収める。

ストーリーの進み具合はとても細密で、

ひょっとして時間が

このまま止まるんじゃないかと思うくらい、

ある種執拗なまでの情景が描写されている。

最初の読み始めの頃に感じたのは、

この主人公はひょっとして変態なんじゃないかと。

しかし、これがやがて

主人公の絵づくりに対する探究心に変化する。

確信犯的な書き方もこの作家の才能であろうし、

なにより小説による視覚化、映像化に賭けた

片岡義男の挑戦ともいえる書き方には驚かされる。

とここまで書いてきて思うのだが

こうした作品は、或る人にとっては

時間の無駄になるのかも知れない。

冒険ものみたいなワクワクもドキドキもない。

だけど、彼の作品は、

とてもたおやかで贅沢な時間が流れている。

言い換えれば、創造力が作り上げた贅沢、

とでも言おうか。

深夜、疲れた心身をベッドにもぐりこませ、

さてと、こうした贅沢な物語りを読み進めるとき、

こちらも貴重な時間を消費する訳で、

これほどの相性の良さは他にないと、

最近になって心底思うのだ。

テレビもネットも、

ザラザラしたものばかり。

みんなとても窮屈している。

そしてキナ臭い。

やはり時として、

現実逃避的な時間って必要だ。

なにより救われる。

贅沢って素敵だ。

こんな時代、こんな季節に

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忙中閑あり、というより、

こんな物騒な時期とでも言おう。

春の陽ざしはとてもおだやかで、

空中をきらっと光って横切るのは、

小さな羽虫だった。

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ツツジが咲き乱れ、程よい冷えた風が

丘を吹き抜ける。

白い雲が寸分留まらず、体を変えて

私の画面の左から右へと流れてゆく。

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そういえば、こうして竹林を見たのは、

一体いつの事だったっけ。

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中学への登下校時に確かこんな竹林を通っていた。

夏は、部活帰り、自転車を止めて涼んだ。

冬の朝、白く鈍く光るその竹林を抜けると、

一面の田が広がっていて

友達と霜柱を踏み潰しながら登校した。

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日本庭園でよく見るししおどしって、

元は鹿威しとか獅子脅しとか猪おどしとか、

動物よけに考えられたものだそうだが、

水が溢れると鳴るあのカーンという音は、

なかなか風流ではある。

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里山、鯉のぼり、古い民家そして苔…

これらは私が遠い過去に

日常的に接した風景であるハズなのに、

最近では懐かしいというより新しい、

カッコいいと思うようになった。

この変化は、まわりの進化が止まっている、

または私の中の進化が嫌気を指している証拠である。

そんなとき、

時代がひと廻りしたんだなぁと感慨に浸る。

相変わらず、世界は争いなくして物事の解決方法を

見いだせないでいる。

相変わらず、世界は進化という名の退化の道を

歩んでいる。

ミサイルはどうやらこっちを向いてるらしい

かなり、平和な時代を生きてきたように思う。

数年前までは。

遡ればキリがないが、

震災があって、いろいろあって、

結果とんでもない赤字が膨らんだ。

ここ神奈川でも食らうもんだなぁ、

とつくづく思い知らされた。

ここ一週間の間、いやもっと前からどうやら

ミサイルがこっちを向いていて、事が起きると、

飛んでくるかも、という話を見聞し、

ボケていたのか、

ちょっと現実味に欠けた感はあるが、

徐々に緊張めいたものが身に沁みこむ。

ここは厚木基地に近いし、

横須賀と横田基地を直線で結ぶ

その線上にあるらしく、

軍用ヘリは毎日飛んでいるのだが、

戦争というリアルとは

ほど遠い毎日を送っていた。

厚木基地の更に至近にある街は、

ここんとこ軍用機の離発着がかなり激しいという。

ミサイルがどこに飛ぶのかは知らないが、

こっち(日本のどこか)を向いているのは確か。

だって米軍基地があるのだから、

考えてみれば当たり前のことなのだ。

村上龍の小説に「海の向こうで戦争が始まる」

というのがあったが、中身は違えど、

いまさらながら

非常にひっかかるタイトルではあるなぁと思う。

あと「半島を出よ」というのもあって、

どうもこの作家はいろいろと気になる題材を提示してくれる。

そういえばデビュー作「限りなく透明に近いブルー」も、

舞台は米軍横田基地あたりだったように記憶している。

「ダーウィンがきた」(NHK)という番組をよく観るが、

動物は、そのほとんどが食うか食われるかの毎日を送っている。

ライオンもシマウマも戦ってるが、

イワシだってミジンコだって常に戦って生きている訳で、

己の種を残すためなら、

同じ種との死闘もいとわない。

ああ、生きるのって大変だなぁ。

この際、赤字なんか怖くもなんともない、

と思ってしまおうか。

よく言われる、

生きているだけで儲けもの、なのかもなぁ。

サクラサク!

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穏やかな春の陽ざしが、

ここかしこに降り注いでいる、などと言っても、

季節感を尊ぶひともいれば、

全くそういう事を気にも止めないひとがいることを、

最近知って驚いた。

忙し過ぎるのか?

感覚が退化したのか?

心配だ。

一日一回でも空を眺める。

陽光に揺れ動く空気を観察する。

たとえ街中でも沿道とかマンホールの横に

ひっそり咲いている野花に近づいて

一息入れてみる。

ビルにサクッと切り取られた空だって、

高層ビルから見下ろす街の陰影だって、

結構美しい。

新しい季節。

個人的にいい思い出はあまりない。

ただ一度、この季節に入学した中学校で、

とてもいい友人に恵まれた。

その関係はいまでも続いている。

そして素敵なガールフレンドに巡り合えたこと。

一生に一回でもこうした想い出があれば、

なんとか救われるものだ。

辛い人だって悲しい人だって、

もう一度立ち上がりたい。

春も終わりかけの頃、

私はよくそんな事を思っていた。

桜咲く。

いつかはサクラサクって、

やはりホントだと思うよ。

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「食神さまの不思議なレストラン」展とスーパー浮世絵「江戸の秘密」展のお知らせ

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弊社のディレクターYuskeが参加しているイベントが、

去る1月末、茅場町にオープンしました。

昨年後半から今年の年初にかけ、弊社は地獄でした 笑

にしても告知、遅すぎ。もう4月ですね。

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で、このイベントは、東京・茅場町のビルで同時開催

されている。

茅場町ってちょっとなんというか微妙なところで、

普段の私には全く縁がない。

名だたる証券会社のビルが並んでいて、

あとはよく分からない。

コンビニとかコーヒーを飲むカフェもあるが、

数は少ないし、がぜん面白みに欠ける街ではある。

そのビルの一角で、イベントが開かれているのだから、

中に入ると、予定外にいい意味で唖然とさせられる。

どちらもファンタジック&ミステリアスな世界が味わえるので、

茅場町異空間と、私が勝手に名付けた。

「食神さまの不思議なレストラン」展は、日本の食の原点を求めて、

がテーマ。

デジタルアートで彩られた神代の四季の森は、美しくもあり、

見ごたえがある。

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日本の食独自の米や味噌、出汁といった和食のルーツのコーナーでは、

いままで知らなかった身近な食材について、しみじみベンキョーさせられる。

とりわけ、米の山を直に手で掬えるコーナーは、トリッキーな

デジタルアートが、不思議な体験として、後々その残像が尾を引く。

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洋食が常態化した私たちには、ちょっとハッとさせられる

体験ではある。

会場の演出は、「シルク・ド・ソレイユ」やスペインの

サグラダファミリアなどのアートをてがけた、世界的なデジタル

アート集団、モーメント・ファクトリー。

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独自のイマジネーションで日本の自然観、そして食を

表現している。

食神さまの世界を歩いて、最後にたどり着くのは、

やはりレストラン。

そのメニューはどれもが「和食」の原点ともいえる品々。

いくつか食したが、これが結構うまい。

いや、かなりうまい。

特にだし巻きたまごは、初めての食感と味だった。

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和食の監修は、京都・美山荘の中東久人氏。

ここで出されるおいなりさんも、ちょっと他と違う。

ゲストシェフとして、京都老舗、澤ノ井の村田吉弘氏、

さらには、フランスの巨匠、ジョエル・ロブションも参加している。

ちなみに、展覧会で登場するキツネ役「ウカ」のボイスキャストは

乃木坂46の松村沙友理と若月佑美。

詳しくは↓

https://tabegamisama.com/

一方、スーパー浮世絵「江戸の秘密」展は、

アメリカの美術館の秘蔵コレクションである、

膨大な日本の浮世絵アートを完全精細にデジタル化したものを、

この会場にフル展開し、来訪者を圧倒する。

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いわば、江戸の町の再現化空間を我々が歩くことになるのだが、

タイムトリップする私の知らない江戸の町なのに、

妙なリアリティがある、とでもいえばよいのか。

巨大かつ美しい浮世絵の数々には圧倒させられるが、

とりわけ、浮世絵たちが動くという新しい体験に、

私はちょっと驚いた。

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さらに、当時の江戸の最先端のファッションとかおしゃれを知るにつれ、

江戸の住人たちはつくづく流行に敏感だったんだなぁと感心しきり。

生活のここかしこにも、この時代特有の秘密が隠されていて、

それを一つひとつ解明できる楽しさもある。

こちらも映像他一切の演出がモーメントフアクトリー。

彼らが描く江戸の世界はかなり個性的。

魅了されつつ、時代を遡ったような錯覚に陥ったのだから、

やはり、それは成功といえるのだろう。

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ナビゲーターは、歌舞伎界のプリンス・片岡愛之助。

詳しくは↓

https://superukiyoe.com/

以上、ふたつのイベントだが、本格的かつかなり斬新な企画なので、

お時間のある方は足を運んでみてください。

ホテルのバスルームに関する考察

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ホテルといってもビジネスホテルの風呂の話。

端的にいうと、風呂というよりシャワールームか?

昔からあそこの使い方に迷っている。

ずっと迷っている。

ホテルの風呂って洗い場がないでしょ。

が、いつも懲りずに自宅の風呂の調子で入るので、

毎回、ベストな方法はないかと悩んでいる訳。

私は海外生活が皆無なので、

そこんとこ、よく分からない。

気になるのは高級ホテルとかラブホテルに、

果たして洗い場があるのか?

これもよく分からない。

というか、知っていたとしても

ここは知らないことにしないと、

話しがややこしくなるので、知らない。

とにかくビジネスホテルの風呂場なのだ。

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まず、バスタブにお湯を張る。

とにかく湯をいっぱいにする。

でないと風呂じゃないじゃん。

温まると、とても落ち着く。

疲れがとれる。

よく眠れる。

という訳で、まずゆっくりと浸かるのね。

問題はその後である。

なんだろうな? ここから調子が狂う。

身体を洗う段になって、

いつものようになにがなんだか、

よく分からなくなってしまう。

冷静にスタートしても結果的に、

狐につままれたように、

いつもの失敗に終わる。

まあ、ようやく目的を達成したとしても、

ビショビショの裸で

ハーハーしながらバスルームから這い出てくる。

いろいろ改善を試みるのだが、

結果はいつも同じとはどういう訳だ!

ホテルの責任者出てこい、とは言わないけどね。

要は、しっかりシャンプーで頭髪なんかを洗いたい。

   顔面を石けんなんかでしっかり洗いたい。

   身体をボディシャンプーなんかでゴシゴシ洗いたい。

   風呂からあがるときにヌルヌルしたものを残したくない。

以上の目的を達成するために、いろいろ順序を検討するのだが、

あるときは泡だらけで上がるハメに陥り、

あるときは洗う順序を間違えて顔面だけ洗い残したり、

身体を再度洗う結果となったりしてしまう。

どうにもこうにも毎回うまくいかない。

この問題に関し、現在分かっているのはですね、

鍵は唯一、ズバリ洗い場しかない訳です。

洗い場があれば、すべて解決となる。

あと、もうひとつの解決策。

それは、石けんで身体をまるごと洗う、である。

そうそう、もうひとつありましたね。

それは石けんとかシャンプーとか一切使用せず、

ひたすらケミカル類を拒否し、

浸かりながらシャワーを浴びる、であります。

以上が解決策なのは私もずっと承知しているのです。

が、出張とかあれこれ出かけたときこそ、

なんとか我が家にいるときと同様、

気持ちの良いお風呂ライフを満喫しようと考えたのが

事の始まりなのですが、

これは私のわがままか、

つまらない贅沢か?

と己に問いかけもしたが、

いやいやそこは工夫次第だよ、というのが、

己からの回答だったのであります。

よって先日も新宿6丁目のビジネスホテルで格闘したのだが、

やはり結果的に敗北したので、腹がたってこんなものを書いてしまった。

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でそもそもこの問題は、話しを遡ると、

あそこに洗い場がないから、

とんでもないことが起きてしまう、ということだった。

(↑ここポイント)

で何度か、挑戦したのは下記の事。

溜めて入っている湯が泡だらけになってので、

そうだタブの栓を抜けばいいのだ!

と思い立ち、実行したことがあるが、

これはアウトでした。

そもそもビジネスホテルの排水溝って

どこも管が細いらしく、

実行したホテルではどこも失敗に終わりました。

それはね、ちょろちょろと減ってゆく湯を眺めながら、

長時間ぼおっーとしている自分は身体がだんだん冷えてきて、

第三者的視点で眺めるに

裸のバカにみえましたから。

という訳で、

以上の私事重要問題に良い改善案がありましたら、

どなたか教えてくれませんかね?

謝礼は、あなたのキャッチフレーズをタダで考えます!

(時価3万円相当)

すげえラーメン屋

最初、ラーメン屋のすげえ店主とタイトルをつけたら

全然面白くないので、すげえラーメン屋とした。

ネタばらして書くのもなんだが、

このラーメン屋のスープが絶妙にうまい訳ではない。

シコシコ麺じゃないし、チャーシューでもない。

没タイトルの通り、あるラーメン屋の店主の頭脳と

おぼしきものがすげえんである。

まあ、カウンターとテーブル席あわせ、

20数人は入れる店なのだが、週末の昼に入るとほぼ満席。

過去に数回入ったが、なかなかうまいラーメン屋ではある。

しかし、24時間かき回せ続けたスープとか、

純国産小麦に徹底的にこだわったとか、

チャーシューへのこだわりが命より大事とか、

そんなんでは全然ない。

まあ、ほどほどにうまいんである。

「これは時間がかかるなぁ」などとため息まじりに

空いているカウンターに座り込み、

なんとなく、味噌ラーメンなんかを頼んだ訳である。

店内は子供もいてザワザワしている。

鼻をかんでいる爺さんのグループが

笑顔で若いころの自慢話をしている。

ペンキ職人らしい3人組は相当腹を減らしているらしく、

店主の一挙手一投足をじっと凝視している。

基本的にここは腹をへらした奴ばかりなので、

なんだか店内は妙な殺気も感じられるのだが、

店主はそんなことは全然気にしていない風にみえる。

というか、アルバイトの女の子に

ときどき冗談なんか飛ばしてる。

割と広めのラーメン屋なのに、

この店は店主とこの女の子の二人で切り盛りしている事に

ハタと気づいた。

で、これは味噌ラーメン遅いぞなどと思っていたら、

すげえスピードで次々にラーメンができあがるではないか。

ギョーザもひゅーひゅーとできあがる。

以前来たときはまるで気がつかなかった情景である。

よくよく観察すると、

店主の手はすげえスピードで動いている。

しかも次々にお勘定を払うお客と入り交じる。

注文する客も野菜ラーメンふたつ。

で、ひとつは麺かためねぇーとか、

ビール一本くれとか、いろいろ言っちゃうのだが、

店主は、どの席の誰が何を食ったか把握していて、

お勘定するお客に幾らと、微笑みとすげえ暗算で返す。

その間、手はすげえスピードで働いているし、

ささっとお金のやりとりを済ます。

同時に次々に飛んでくるオーダーにも微笑んで「へーい」と応え、

それが全然間違ってない。

で、気がついたのだが、

アルバイトとおぼしき女の子はというと、

この子はとにかく洗い物しかしていない。

ひたすらスローにどんぶりを洗っているのであるからして、

あとはすべて店主がやってのけている。

外見的に、ちょっと昔グレチャッテサ、という風貌で、

歳は40代半ばといったところか?

働きざかりである。

がしかし、この人のあたまのなかはどうなっているのだろう、

とふと考えてしまったのは、私だけだろうか。

過去に私はコーヒーショップでバイトをしていたことがあって、

そこでの注文で記憶できるのは、せいぜい4品だった。

すげえ記憶力が弱いんである。

だから余計にこの店主の技と頭脳に驚いてしまうのだが、

実はこの店主が数学の先生だったらとか、

もっと若いころに東大の受験生であったならとか

アレコレ想像するも、

風貌から醸し出されるるイメージは、

どっからどうみてもラーメン屋の店主が

ピタリと一致するのである。

で、全然関係ないが、昔、あのドイツのBMWの事を

「羊の皮を被った狼」と、みんなが評していた。

いや、宣伝か?

とにかくあの車をみていて、

確かに的を射ていると思った覚えがある。

結構うまいみそラーメンだったなぁなどと、

ごきげんで国道を走りながら、

あの店主をBMWばりに考えてみたのだが、

頭に浮かんだのは、

せいぜい「ヤンキーの皮を被った数学博士」だった。

また、つまんないものが浮かんでしまった。

それにしても、デキル男なのであるよ。

ウェラブルデバイス初体験

僕の手首にはウェラブルデバイスが巻かれている。

いや、正確にいうと、

私が3日前に意を決して自ら巻いてみたのだ。

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このウェラブルデバイスは時計をはじめ、

歩数、距離、消費カロリー、心拍数、血圧、運動の度合い、

睡眠時間とその質、たとえば深い眠り、浅い眠りなどが

すべて記録される。

こうした類いは、他にカメラとかメールとか、

目的別にいろいろ販売されている。

ネット検索「ウェラブル」で、結構この世界がみえてくる。

手持ちのスマホとはBluetooth接続とアプリ連携で使える。

こう書くとすげぇ難しいように思うが、

要は指定されたアイコンを頼りにダウンロードし、

スマホの設定でBluetoothをオンにすればいい。

で、この健康系ウェラブルデバイス。

改めて己の数値をみてアレコレと思うのだが、

これは便利だぞと人にすすめたい半面、

意識するとかなり監視されている感が強い。

昨夜は、嫌気がさして一度外して放り投げた。

スカッとしたね。

が、数時間後には気を取り直して、再度腕にはめてみる。

今度は、このウェラブルデバイスに関する見方を変えてみる。

うーん、なかなかカッコいい。

未来感が全開。

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明日はちょっと目立つよう腕まくりをして街を歩いてみよう。

で、やはりというべきか、外出先ですっかり他の事に目がいき、

付けていることを全く忘れてしまう。

今朝、ようやくウェラブルデバイスを付けていることに気付いて、

iPhoneで己の数値をチェックしてみる。

おお、昨夜は深い眠りと浅い眠りが程よくミックスされ、

眠りの質は「良」と表示されている。

心拍数は少々高めで出ている。

これは最近風邪をひいたらしいのでしょうがない、と自己判断。

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まあ、なかなか面白いデバイスではある。

が、欠点もある。

血圧の測定数値がちょっとあやしいように思う。

なぜなら、そもそも私の血圧が低血圧気味である訳もないのに、

常に低めに出る。

これは血圧高めの私としては、真実を排除して非常にうれしい数値である。

真実など、この際どうでもいいんである。

で、このウェラブル…(なんか長いので嫌気がさしてきたなぁ)は、

半年遅れの誕生日プレゼントとして長男から貰ったものなのだが、

当初は「タバコをやめろ」との要請から

電子タバコのアイコスを貰う予定だったが、

相変わらずどこも売り切れで、ではということで

このウェラブル…にした次第。

アイコスはよくわからないが、このウェラブル…は、

健康に不安のある年代には使える。

とにかくシニアはいろいろと不安なのである。

日常の己の数値の目安を知る上ではなかなか便利であるし、

なにより手軽なのがいい。

しかし問題がいくつかある。

まず数値が甘いこと。特に前述のように血圧に顕著。

あと常に身につけるデバイスとしては、

充電池の使用時間がちと短いように思う。

ついでに取説の日本語がちょっとね…

ちなみに充電はUSBオンリーなので、ココ気にしよう。

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プライスは、確かアマゾンで6000円前後だったように記憶している。

いまさら監視されたいシニアにおすすめです。

絶望のカフカ

カフカといえば「変身」が有名。

私も「変身」しか読んだことがない。

精一杯、苦労して読んだ。

で、以後は読みたいとも思わない。

ほんとは長編の「城」とか「審判」も続けて読むつもりだった。

しかし、やめた。

いや、挫折したのだ。

―ある朝、目覚めると私は巨大な虫になっていた―

「変身」はなんの脈絡もなくこのように始まり、

最後まで希望のないまま終わるのだが、

読後の疲労感だけが残っていたのを覚えている。

しかし最近、ひょんなことから、

再度カフカに関する書物に惹かれ、

ついにそれを買い、読んでしまった。

帯にあった「絶望」という二文字が気になったからだ。

しかし、その本は彼が書いたものではなく、

彼の発言、メモを集めた本、とでもいおうか。

題して「絶望名人カフカの人生論」(新潮社刊)。

著者は、カフカの翻訳や評論をしている、

頭木(かしらぎ)弘樹という編訳者。

「絶望」がなぜ気になったのか?

これは、自分に思い当たるフシがあったからに他ならない。

生涯の絶望は、決して忘れるものではない。

いまとなっては笑える事柄でも、当時のことを思い返すと、

やはりやりきれなさが甦る。

そして絶望は複数でやってくる。

単体の不幸ならなんとか踏ん張れるものも、

そういうときに限ってショックは重なって押し寄せる。

だから人は絶望するのだ。

さて、カフカの著書を読んだときのあの憂鬱感は、

どこから来るものなのか?

なにはともあれ、

彼は近代を代表する小説家でもある訳で、

それはいかなるところが評価されているのか。

さらには、カフカの絶望とはいかなるものなのか。

彼は生涯どの程度の絶望に陥ったのか。

そして世間でいう絶望とはどのようなものなのか。

自分と照らし合わせ、その「絶望」とやらの

本質というか程度というものが知りたかったからだ。

まず、カフカの文学的評価は、おおよそ次のようなものだ。

「現代の、数少ない、最大の作家の一人である」(サルトル)

「カフカは、もはや断じて追い越すことのできないものを書いた。

…この世紀の数少ない偉大な、完成した作品を彼は書いたのである」

(ノーベル文学賞作家エリアス・カネッティ)

「フランツ・カフカが存在しなかったとしたら、現代文学は

かなり違っていたものになっていたはずだ」(安部公房)

私にはよく分からないが、カフカに対する評価は相当なものである。

なのに、彼が生涯抱いたものは「絶望」なのである。

この本には彼の生涯における、絶望的な体験や言葉が、

それこそ洪水の如く溢れ出ている。

それはなんというか、壮絶でさえある。

たとえばこうだ。

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

将来に向かってつまづくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」

なんというか、すごい。

また、カフカは結婚したいと強く願いながら、

生涯独身だったそうである。

これは彼のあまりにネガティブな思考から、

自ら結婚を破談にしてしまったらしい。

彼(カフカ)によると自分は身体が虚弱で、胃が弱く、

不眠症だった。

家族と仲が悪く、特に父親のせいで、

自分が歪んでしまった…

で、彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、

未完である。

彼は嫌々ながら生涯サラリーマン勤めをしたそうだが、

ここでも彼は何事にも成功しなかったそうだ。

彼の特質は失敗からはなにも学ばないこと。

よって彼は常に失敗し続ける人生を送ったそうだ。

こうなると、彼の小説は趣味的にとでも捉えられる。

ようやく死後、世に出ることとなったのだが、

なんと、彼は亡くなる前、

友人に「遺稿はすべて焼き捨てるように」と

遺言したそうである。

しかしこの友人が遺稿を出版し、

結果、カフカの名と作品が世に出た訳だ。

彼(カフカ)は言う。

ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、

費やされてしまった。          ―断片

しかし、ここに人生における価値があるのでないかと著者は言う。

「人生の多くが、むなしく費やされるとしても、それでもなお人は

何かをなしうるということでしょう」

永い人生で、人は何度も絶望する。

そんなとき、

「死ぬ気になれば何でもできる」とか励まされても、

しらけるばかりである。

「追い求め続ける勇気があれば、すべての夢はかなう」

これはウォルト・ディズニーの名言だが、

絶望している人間を救えるかというと、

この場合は適さない。

強い人間、成功者の言葉には、どこかザルのような隙間があり、

そこからこぼれ落ちるものは、まず見えることはない。

カフカは誰よりも弱い人間だった。

心身とも弱い人間だった。

よって、強ければ気づかないことにも気づけた。

たとえば、足が弱ければ、ちょっとした段差にも気づける。

人の心に寄り添うこともできる…

「ぼくの弱さ―もっともこういう観点からすれば、

じつは巨大な力なのだが―」

カフカの言葉です。

(本稿は「絶望名人カフカの人生論」(頭木弘樹:新潮社刊 )を
引用、参考として構成されています)

アメ車とロックとトランプ大統領

トランプ大統領は自動車産業をやたら気にしていますね。

日本車はアメリカで人気、売れていますから。

アメ車は日本ではイマイチ売れません。

アメ車はかっこいいとは思いますが、どうもデカい。

細い道では困るし、燃費も良くない。

過去にクライスラーのジープを買う寸前までいき、

その値段ならもう少し出せばスエーデンのボルボが

買えることが分かり、ジープをやめたことがあります。

いろいろ惜しいアメ車なのです。

東京で仕事をしていた頃は、

フォードブランドのフェスティバという車のプロモーションを

手伝っていました。

フォードブランドとはいえ、エンジンはマツダ製。

一応、アメ車ですが小型でヨーロッパ・デザインの車。

戦略的には面白い車でした。

特徴は、幌製のオープントップが付いていて、ちょっとおしゃれ。

屋根が開く他は、フォードのエンブレムが付いていて、

そこそこ売れたように思います。

しかし、小型車が強い日本市場で生き残るのは難しい。

後にフォードはフィエスタという世界戦略車も出しましたが、

後に衰退しました。

やはりアメ車はあのデカくて押し出しの強いボディが、

特徴というか魅力だと思いますので、

セールスを考えると相反してしまうという、

妙なパラドクスに陥ってしまいますね。

欧州も小型車の作り方は上手く、

(たとえばVWワーゲン、プジョーなどにみられるように)

やはりアメ車が入る余地はありません。

大型車でも、向こうはベンツやアウディ他、

ドイツ車を筆頭に強者揃いなので、なかなか勝てません。

しかし、ピックアップトラック、バン、四駆などは、

ハーレーと同じく、アメリカらしい魅力があるので強いのですが、

市場が限られる。要は市場のパイが小さいのです。

キャデラックやリンカーンもたまに近所の国道で見かけますが、

絶対数は少ない訳で、そこがトランプ大統領の不満なのでしょうが。

トランプ大統領をテレビで見ていると、

あの押しの強いところがアメ車とダブります。

受ける奴にはとことん好かれる、

しかし、癖の強さから敬遠する人間も多い。

良くも悪くも、アメリカのイメージって、

そういうところかも知れません。

戦争も平和運動も、その懐の広さを思うと、

世界一の善と悪が凝縮している国がアメリカという国と

言えなくもない。

アメ車が富の象徴であった頃、

トランプ大統領もまた古き良きアメリカで、

青春をエンジョイしていたのでしょう。

カーラジオからはカントリー&ウェスタンや

アメリカン・ロックが流れ、

ベトナム戦争で疲弊していたとはいえ、

アメリカは依然、世界のナンバーワンであって、

富は集中し、生活のレベルもやはり世界屈指であった訳で、

映画も音楽もアートもアメリカ発が圧倒的に多かった。

(ビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、

名画の映画音楽などは欧州発ですがね)

そんな時代に年頃だった日本の若者もまた、

海外の文化、とりわけアメリカ文化をモロに浴びたので、

老齢にさしかかったいまでもその傾向は拭えない。

よって、アメリカの遺物は依然としてこの日本にも漂っています。

カントリーソング、そしてベンチャーズが日本で流行ったあたりから

ジャズもソウルもフォークも大量に次々に輸入されるようになり、

日本の文化などへの影響は

良くも悪くも計り知れないものがあります。

とりわけ、こちらはなんでも吸収してしまう年頃に、

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのようなグループから

ステッペン・ウルフ、そしてカリフォルニアあたりを舞台にした

ロックを大量に吸収してしまい、

妙に偏ったアーティストが青春の思い出になってしまいました。

なかでも、私的にイーグルスは印象が強く、

名曲のホテルカリフォルニアはもちろん、

それを遡ると、

ジャクソン・ブラウンがつくった「テイク・イット・イージー」が

やはりイーグルスの原点のように思いますね。

さらにその源流を辿ると、

ジョン・デンバーやウィリー・ネルソンなど、

カントリー&ウェスタン系アーティストがごちゃごちゃとでてくる。

こんな時代に流行った歌が、

アメリカという国の原風景なのだと、

今回の大統領選を見ていて感じました。

広大な土地に、ピックアップトラックに、地平線まで続く小麦畑。

それは決してニューヨークやロスなどの都会ではなく、

アメリカの片田舎のガソリンスタンドのラジオから流れる、

砂にまみれたスローなカントリーソングだったり…

トランプ大統領がいま必死に取り戻そうとしているのは、

こんなアメリカの風景なのではないのかと思うのですが。

薫りたつコーヒー、発見!

打合せ先で頂いたコーヒーがおいしくて、

そしてなにより薫りが格別だったので、

仕事の最中とは言え、

思わず銘柄を尋ねてしまいました。

先方は笑みを浮かべ、

やはり聞いてきましたね、と満足げな表情。

聞けば、その方もとある会社でこのコーヒーを頂き、

その薫りに惚れ込んだとか。

しかし銘柄を聞き損じ、

方々を回ってやっと見つけられたとのこと。

自らの足と舌で探すとは、

なかなかの惚れ込みよう、探求者です。

「で、どこにありました」

と私。(図々しい)

「それがですね、カルディにあったんですよ!

灯台もと暗しでした」

「ほう」

「そう、私もよくあそこには行くのですが、

まるで気がつきませんでした」

薫りと味だけを頼りに探し当てたコーヒー。

さて、カルディは分かった。

が、銘柄まで聞いてよいものかどうか、

ちょっと悩んだが、

先方は結構おおらかな方だったので、

「で、銘柄は?」

おずおずと聞くと

「ええ、ライオンです、

ライオンコーヒーのバニラ・マカダミアです」

訳もなく教えてくれた。

翌日、早速カルディに行くも、

ライオンコーヒーのバニラ・マカダミアは売り切れで、

入荷未定とのこと。

こうなるとですね、余計に手に入れたくなる。

帰りに寄った喫茶店で、iPadを開いて検索。

と、あるではないか、このライオンコーヒーが。

アマゾンにも楽天にもあるある…

知らないのは、私たちだけだったのかなぁ。

値段はやはり高い。が、エイやっとアマゾンで買ってみる。

ちょっと調べると、

以前からかなり人気のあるらしい銘柄ということを知る。

原産国はアメリカ。ハワイ産でした。

ここは、本場のコナといきたいが、

私が買ったのは、やはりバニラ・マカダミアのフレーバー。

魅力はバニラですから。

本物のコーヒー通からすれば邪道。

そう思うが、甘いバニラの薫りが何ともいえない。

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で、パッケージがまた斬新。

満艦飾でデザインされた中央には、

やはりライオンでしたね。

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これを、フレンチプレスに入れてざっくり4分くらい待つ。

以前は、コーヒーメーカーを使っていたが、、

あるときからフレンチプレスに交換。

理由はですね、コーヒーを入れる作業が簡単だから。

そしてこっちの方がおいしいと勝手に思っている。

コーヒーメーカーの神経質なフィルターって、

雑味も取るが、コーヒーのおいしい油分まで取ってしまう。

その点、フレンチプレスは良くも悪くも

コーヒーの味を丸ごと味わえるとでも言おうか、そこが良い所。

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ただし、保温は不可なので、さっさと飲まねばならない。

で、ライオンコーヒー・バニラ・マカダミアを

フレンチプレスで入れてみた。

真剣です。

落ち着いて味わう…と、味はまあまあ?

が、やはり薫りが引き立つなぁ。

結論ですが、これはもうバニラさまさまというところ。

なんというか、簡単に言うとこれはアイデアの勝利、

というところか。

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