ニッカポッカで考えた

回転寿司屋で、ニッカポッカに身を包んだグループが、

ひと皿100円のぺらぺら寿司を喰いながら

大声で騒いでいたのだが、

皆、その服に汚れひとつない清潔さが不自然で、

察するに、

どうもニッカポッカファッションが流行っているらしいのであった。

ニッカポッカといえば、とび職さんであるとか、ペンキ屋さんだとか、

そうした職業の方たちの制服のようなものだが、

まあ、あの奇抜さに目をつけた人間がいたのであろうね?

そういえば地下足袋を履いたガイジンさんを見かけたことがあって、

ちょっとカッコイイなぁと思ったことがある。

不思議…

ファッションって不思議(重ねて言うが…)だと思うのは、

例えば警察官だが、かつて私の同級生の警察官姿を見たときは、

なんというか、地元の元不良があーら不思議、

正義の味方にみえてしまったことである。

その元不良は、自分の偽善さに嫌気が差したのか、

しばらくして職を投げ出し、パチプロへと転身した。

それでいいのだ!

横浜の外れの小汚い街の一角のビルの2階に、

或る日、パブ・エアーラインというのがオープンして、

カウンターの中にズラリと揃ったスチュワーデス姿

(いまはこうした呼称ではない)の若い女の子が、

鼻の下を長ーくのばした男どもに酒を注ぐのであったが、

そこが連日押すな押すなと大繁盛となり、

恥ずかしながら私もそこの常連と成り果て、

3ヶ月ほど経った頃だろうか、

なんだかくだらないなと突然気がつき、

通うのをパタリとやめた事を思いだした。

さて、茅ヶ崎市役所は皆アロハシャツ姿だが、

これがなんというか、似合わないんであるからして、

アロハって結構着こなすのが難しいと知ったのは、

どっと時代を遡った学生の頃だった。

伊勢佐木町の裏手のショップで

めざすアロハをやっと手に入れたのだが、

鏡に映る己の姿が、なんか変。

それがサイズ感なのか柄からくるものなのか、

アレコレいろいろ検討するも、

その原因はどうも雰囲気というか、

空気感みたいなものだろうという結論に至り、

アロハをやつれさせて風合いを醸しだし、

くたくたかつ穴のあいたジーパンを用意し、

潮焼けした茶髪と日焼けした全身を用意するに至るも、

これが過剰演出ということでまわりから疎まれ、

遂にそのアロハを着るのを諦めたことがある。

こうなるともはや、

ファッションを語っているのか制服を論じているのか、

私もいまひとつよく分からないのだが、

制服も含め、まあまあ「らしいもの」を皆身につけるのは間違いない、

らしいということは分かった。

言い換えれば、その人の深層心理に則して、

おのずと好みのものを身に付けている、

または、これがおかしいのですが、

服に従ってそれらしくなってゆく、

とか、そういうことなんですね。

かようにファッションとは魑魅魍魎、

不可解、正体不明なものなのだが、

人生にいい加減疲れてくると、

そんなバカなことはどうでもいいとなってくるから、

またまた不思議なんである。

街中で、はて、いま自分は何を身に付けているのか?

と思うほどいい加減になると、

これはしめたもんである。

それが本来の自分らしさだったりするので、

堂々と己のダサさを誇示するのも良し、

斯くなる上は、いっそ裸になって、

一日中温泉に浸かっているのも、

一興。

これも、ニンゲンの初期型ファッションと言えなくもない。

それも自信ナシとあらば、しょうがないね、

流行りのライザップにでもお出かけください!!

夜空を仰いで

ガキの頃、プラネタリウムを見て感激したことがある。

確か、桜木町のとある施設だった。

暗くなったホールの天井を見上げると、

そこに無数の星が瞬いている。

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一同から、ため息が漏れた。

日常でも、

見上げれば当たり前のように空があるのに、

皆忙しく暮らしていたので、

わざわざ夜空を見上げることもなかった。

ニコン写真 254

時たま、流れ星が光ると、願い事を口に出す間もなく、

それが幾度となく続くと、

ああ、願い事というのはなかなか叶わないんだなぁと。

真夜中の夜空、

冬の夜空、

七夕の頃の天の川、

そして満天の星空…

ムカシ、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」という唄が好きだった。

このブログのタイトルは加山雄三のヒット曲。

「銀河のロマンス」という歌もヒットした。

皆、けっこう夜空が好きではないか…

ニコン写真 250

写真家をめざしていたので、高校を卒業すると、

日吉の写真専門学校に願書を取りに行ったが、

その授業料を見て驚いた。

他に機材や暗室の用意などを含めると、

膨大な金額だった。

家に帰って父親に話すも、即却下。

到底バイトで賄える金額ではない。

カメラマンの夢は消えた。

当時、カメラマンは金持ちしかなれなかった。

これ、ホントの話。

結局、大きく進路変更し、

大学へ入り直して編集の道をめざすのだが、

その理由はまずコストパフォーマンスの良さだった。

コピーライターへの転向も、

機材に頼らない、

更に独りでやりたい、

そんな勝手な理由からだった。

後に仕事の関係上、

結局カメラマンとはよく仕事で絡むこととなったが、

私の進路変更は正しかったという他ない。

彼らの作品の出来を見て、

やはり凄い奴が何人もいた。

同じものを見ていても、

何かが違う仕上がり。

それが数値だけではない、

何か得体の知れないものが介在しているような

魅力ある作品。

それを才能とでもいうのだろうか?

ようやく最近になってその魅力に取り憑たので、

晴れた日、裏山から夜空を撮ったりしている。

程々が良い、というのも分かり始めた訳で…

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森を歩く

朝、ベランダから鳥のさえずりがきこえると、

あっ今日は晴れだなとさっさと目が冴える。

(我ながらゲンキン!)

やり残しの書きものとかデスク仕事だとか、

そういう野暮なものは後回しにして、

どこへ出かけようかとウズウズしてしまうのが、

最近の晴れた休日の朝の傾向。

居間からキラキラとした朝の日射しがまぶしい。

ソワソワと朝食を摂る。

とにかく歯を磨いてヘアスタイルを整え、

出かける支度を急ぐ。

水のボトル、シリアルバーなどをザックに入れ、

帽子を被り、トレッキングシューズを履くと、

なんだか晴れ晴れとした気になる。

今日は、最近オープンした自然公園へと出かける。

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麓の坂を歩いていると、

途中の小径に切り通しがあって、

そこは意図的に地層がむき出しにしてある。

ある箇所の地層の色が、他と異なる。

説明の看板を読むと、

それは富士山の噴火でできた地層らしい。

こうしたものから歴史を探る仕事って、

結構面白そうだなと思う。

振り返れば、若い頃の就きたい仕事のひとつに

考古学者というのがあったのを今更ながら思い出す。

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森を進むと奥地に水田が広がる。

アメンボがスイスイと水面を滑っている。

沢山の蛙がゲコゲコと鳴いている。

これは幼い頃と同じ景色、

同じ風景だ…

あの頃は一年中半ズボン。

いつもナイフを手に何処へでも入っていった。

そういえば竹ヤブに丸一日いて、

親に怒鳴られたことも幾度かあった。

ナイフ使いはその頃に覚えた。

竹と笹をうまく組み合わせて、

刀のようなものをいつも夢中でつくった。

山から下りると手も足も傷だらけで、

オキシドールをかけると、これがとにかく痛い。

傷口から泡がボコボコと噴き出していた。

いま、その消毒薬は使用禁止らしい。

うっそうとした木々の間から、

野鳥があらん限りの力を振り絞るようにさえずる。

どこでそれをきいているのか、

呼応するように鳴き返すから、

森じゅうがカン高く美しく響く、

コーラスのステージと化す。

春だなぁ、森はいま恋の季節だ。

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強い日射しが新緑に照り返り、

それが風に乗って揺れるので、

刻々と彩りが変化するその様が美しい。

この視覚効果は、最新のCG技術なんかもかなわないだろうと

確信をもつのだが、いま思うにちょっと自信はない。

「山ガール」という言葉ができるほど、

最近はハイキングブーム。

「ランドネ」という山登りの本が売れているらしい。

アウトドアショップに行っても、

閑散としていたムカシと違い、

いまは老若男女の人でいっぱいだ。

バーベキューにハイキング、

カヌー遊びに焚き火のどれもが、

いまの若い人には新鮮だろうが、

田んぼの蛙を焚き火で焼いて喰い、

石油の一斗缶を紐で繋いでイカダをつくり、

それに乗って川遊びをしていた私には、

これらすべてがノスタルジーの再現だ。

が、すべてがスタイリッシュでカッコ良くなり、

いちいち金がかかるようになったなぁと思う。

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そういえば、都会のコンクリート・ジャングルも、

なんだかんだと過ごしているうちに金がかかる。

皇居のまわりや多摩川べりを走っている知人、

横浜の本牧埠頭で釣りを趣味にしている友人に聞くと、

アレコレと金がかかると言う。

面倒なのでその明細を聞いた訳ではないが、

なんだか世知辛い。

「ムカシは良かった」と実感するのは、

やはりそんな時だ。

終息しない危機

熊本地震が起きてからというもの、

どうも落ち着かない。

考えがまとまらない。

そんな症状に悩まされる。

個人的に抱えている問題は山積だが、

それにしてもテキパキと処理が追いつかないのは、

自己内に沈殿している不安が足を引っ張っているのだろうと

推測する。

熊本と大分の県境あたりに古い友人がいる。

未だ連絡できないでいる。

あいつも不安な毎日を過ごしているに違いない。

お互いずっとアナログな付き合いできたので、

連絡はいつも電話のみ。

あとはフェイスtoフェイス。

メールとかそんなものはお互いに知らない。

こういうときには困るなぁと実感する。

今週のうちに電話を入れるつもりだが、

向こうのことを思うといつ連絡してよいものか、

それさえ迷う。

結局、自分になにができるのか?

それも不明だが、

できる限りのことに応じたい。

昨日は、とりあえず赤十字を通して寄付。

それしかいまの自分に思いつくことがない。

それにしてもこの日本という国は、

多角的に考えるといろいろ問題があるが、

それはどこの国でも差異こそあれ、

同様の問題を抱えている訳で、

私的にとても良い国と思っているが、

それにしても、地震のリスクが大き過ぎる。

多大なダメージが人々を襲っているのだから。

これらがすべて他人事でなく、

そのどれもが対岸の火事ではない。

誰の身にも迫っているのが、

この日本列島に暮らす人の現実だ。

時に恐ろしい一面を覗かせ、

人を恐怖に陥れるのがこの国の裏面であり、

原発のことなど人為的なことを鑑みても

それは思うことなのだが、

平時のこの国の表顔が本性なのかどうかは、

それぞれの考え方の違いによる。

これは私にも分からない。

いずれ、いまの危機である。

現在進行形で危機は続いている。

誰もが、難題を突きつけられている…

そのように思わざるを得ない。

働く、についての考察

60歳も過ぎたきょうこの頃、

「あんあ、じじいになったなぁ」と鏡を見て実感。

シワがメッキリ増えたなぁ、

あれ、こんな所にシミができている!

で、改めて己の事をまじまじと考えた訳だ。

アタマに浮かんだのはリタイアという言葉。

この言葉に、己は良いイメージがない。

しかたなく将棋なんかを打っていたりね。

挟み将棋しかできないので、コレはパス。

時間はタップリとあるので、

図書館でじっと新聞なんかを読みふける。

幾ら読み続けても、2時間余。

喫茶店に入って、今日のオススメのコーヒーなんかを注文する。

顔なじみになってしまったこのこの店のねーちゃんも、

清楚な笑顔で対応してくれるものの、

つくり笑顔が引き攣っている、

お互いにバツが悪い。

と、こんなのは嫌だなぁと思ったが、

よくよく考えるとこうした暇人には、

そもそも金がある、という前提があることに気がついた。

年金は65歳にならないと原則支給されない。

己は自営なので、そもそも年金も少ない。

己はやはり働かねばならない!

という事で現役続行という結論に至ったのだが、

このとき、なんだか暇人というのも

なかなか大変そうな事に気づいた。

ポジティブな暇人というのを

幾度かテレビで観たことがあるが、

豪華客船なんかに乗って、

世界各地を巡る船旅などというものに

夫婦揃って参加したりしている。

もうエンジョイしているんですね!

が、これが己的にどうしても羨ましくないですね?

それが何故なのか原因が全く掴めない。

有り余る財産、有り余る時間…

まあ、そうゆうものに全く縁がない。

他人事と端っから興味がないのか、

どうもそのあたりが原因らしい。

更に考えるに、働くという行為に対して、

己の人生観が喜んでいるフシがある、ということ。

これに気づいてしまった。

そもそも好きで始めた仕事なので、

働かされているという意識もない。

定年もない。

勤め人は30歳くらいで見切りをつけたので、

いま思えば良かったと思う。

誰に文句も言われないし、肩叩きにあう訳でもない。

が、これからも仕事を続けるには、

相当メンタル的な強さが要求される。

きっと、己が自分の肩を叩かねばならない日が、

いつの日かくるのだろう。

その日まで、仕事に対して常にチャレンジしなければ、

己の恥となる。

廻りに迷惑をかけてしまう。

そういえば、数人の占い師さんに、

「あなたは一生働きますよ」と言われた己であるからして、

筋金入りの労働者なのである。

ムカシ、お袋さんからよく言われたのが、

「働かざる者、食うべからず」という

古い伝説のような呪文で、

これがいまだ己に取り憑いていて、

その呪縛が解けないでいる。

嫌々働いている訳でなく、

いまのところは、

たいそうな病気もしていないことを、

神さまだか仏さまに感謝!

今日も働かせていただいていると思うと、

「ありがたい、ありがたい」と頭を垂れる、

己なのでありました。

こうした考え方が、

いわゆる日本人の詰まらない人生観らしいことは、

海外からよく指摘されている事は知ってはいるが、

そんな事は大きなお世話。

人生観など、廻りに揶揄される筋合いのものではない。

グループサウンズの頃

私の中学時代はほぼ60年代後半だったので、

あの頃やたらと流行っていたのが、

グループサウンズである。

それまで聴くものといえば、

舟木一夫とか畠山みどりとかの歌謡曲ばかりで、

少年だった私にはそのどれもフィットしない。

というか、ピンとくることもドキッとすることもなく、

たいして面白くもなかった。

唯一、ベンチャーズブームというのがあって、

エレキギターの音楽に、それは驚いたものだった。

同時期、ビートルズが初来日。

彼ら4人が羽田空港に降り立ったときは、

テレビのニュースはどれもトップ扱い。

日本中が大騒ぎしていた。

が、小学生の私にその音楽はいまひとつ

よく理解できなかった。

で、グループサウンズだが、

この音楽が、ようやく中学へ進学した思春期の私を

ガッチリ捉えた。

ベンチャーズやビートルズに較べれば、

グループサウンズの音楽性とやらは、

それほどのものではない。

歌詞をいまながめても

結構こっちが恥ずかくなるようなものが多い。

しかし、当時の私はスッポリハマった。

さてグループサウンズとはなんなのか?

その系譜を辿ると、

ビートルズやローリングストーンズのパクリ系、

ヨーロピアンポップスを焼き直したもの、

アメリカのR&Bをこちら風にアレンジしたもの、

アメリカンフォークの流れを汲んだもの、

そして日本の歌謡曲を進化させたものなどなど、

多岐多彩だ。

アップテンポな曲はどれも

初めて聴く私には斬新だったし、

ボーカル、そしてリードギターサイドギター、

ドラムというバンドスタイルがカッコ良く映り、

当時の私たちを熱狂させた。

ザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」を皮切りに、

ジャッキー吉川とブルーコメッツは

「ブルーシャトー」をヒットさせ、

ザ・タイガースが「シーサイド・バウンド」で、

ザ・テンプターズが「エメラルドの伝説」で、

当時の日本の音楽シーンのトップに躍り出た。

その他にもザ・カーナビーツ、ザ・ワイルドワンズ、

ザ・ゴールデンカップス、ヴレッジシンガーズ、

オックス、ザ・モップス、ザ・サベージ、

ザ・ジャガーズ、シャープ・ホークス、

パープルシャドーズ、ザ・ダイナマイツ………

いやいやキリがないなぁ。

とにかくどのグループもヒット曲を生み、

日本の歌謡界にはとにかく

グループサウンズという嵐が吹き荒れた。

当時の雑誌はどれも

彼らのうちの誰かが表紙を飾っていたし、

人気者になったバンドが主人公の映画は

何本もつくられていた。

音楽番組の多さもいまと比較にならないほど多く、

ヒット曲の多さも去ることながら、

レコードの売上げも群を抜いていたようだ。

私はそんな音楽を聴きながら勉強をし、

街へ出かけ、テレビを観、

要するに浴びるようにその音楽と共に

中学生活を送ったのだ。

それは絶え間なく流れるサウンドとして

逃れられるハズもなく、

グループサウンズを全身どっぷりと浸かった、

という表現がふさわしい。

が、それほどパワーのあったグループサウンズも、

その瞬間最大風速の強さも去ることながら、

大型ハリケーンのように現れ、

足早に過ぎ去ったのだった。

70年に入って嘘のようにその鳴りを潜めたグループサウンズは、

その渦中にいた私たちだけの年代を

狙い撃ちするかのように、

あっいう間にその姿を消してしまった訳だ。

要するに、

上の世代はもっと高級な?本場の音楽に親しんでいただろうし、

下の世代は、その多感な時期に、

ユーミンとかオフコースとか、

もう少し洗練されたものに

触れていたような気がするのだ。

だから団塊でもなく、

新人類と呼ばれた世代でもなく、

その狭間の世代にしか分からない世代の想いが、

このグループサウンズというあだ花に

熱く注がれてたように思う。

あれから何年経っても何十年が過ぎても、

私の音楽の原点は、

やはりグループサウンズなのではあるまいか?

そう思うことがある。

いま思えば割とダサい音楽、

そして超個性的なスタイルを引っさげ、

私たちの胸を射ったと思ったら、

さっと消滅していったグループサウンズ。

それは、

調度つむじ風のような不思議な感覚であったし、

特異な音楽シーンであったように思う。

そこに、私たちの世代しか分からない、

青春の原点のようなものも詰まっている。

悪玉と呼ばれて

悪玉と言われていい気はしない。

私は割と大きな声で「○○さんは悪玉だな」

と言われてしまった。

「………」

所は病院内、言い放ったのは医者だ。

ちょっと笑いながら意地悪く言われた。

まあ、この先生とは同年代で、

20年来の付き合いなので、ただの悪ふざけだ。

「奥さんは善玉ですね」

なんか腹が立つなぁ~

たかがコレステロールなのに、

こちらの人間性まで否定されているような、

そんな名称って良くないと思うのだ。

第一、悪玉コレステロールの意味がよく分からない。

医者の説明によると、動脈硬化とか心臓病とか、

いろいろカラダに良くない作用を及ぼすらしい。

だから、悪玉なんだな!

が、どうにも私自身が悪玉と言われているようで、

納得がいかない。

看護師の方達もクスクス笑っていたしなぁ。

で、悪玉といえば、

腸も悪玉っていうのがいる。

コイツはやはり悪い奴で、便秘、下痢、

癌なんかも引き起こすというから、

相当な悪党だな。

コイツと戦うのが、正義の味方の善玉。

やはりいい奴、善玉菌。

そしてここにもう一つ、

どうも納得のいかない奴がいまして、

そいつが日和見菌。

どっちが勝ちそうか様子を見ていて、

勝ちそうな方の味方をするというから、

この日和見菌って奴は、

見方によっては、一番の悪党である。

話を戻そう。

コレステロールの話でした。

じゃあ、悪玉を減らすには?

善玉を増やすには?

このあたりをネットで調べたのだが、

実はちょっとよく分からない。

というか、なんとなく分かるのだが、

決め手がないように思える。

まあ、要するに良質な油分の摂取。

これはオメガ3とか呼ばれるエゴマ油とか亜麻仁油のこと

なのだろうと検討をつける。

あと適度な運動をする。

そして、ストレスを貯めない。

奥さんとはだいたい同じものを食っているので、

「俺だけ悪玉」の原因はストレスなのだろう。

でなければ、俺のカラダの構造とでもいうのか。

ここまで書いていて気づいたのだが、

どうもストレスが原因の病気がやたらとても

多いのではないか?

ストレスって万病の元だなぁと、

いまさらながら納得する。

そこで思い立ったのだが、

いつもニコニコしている、

なんていうのはどうだろう。

だって笑いって、

かなり免疫力が上がるというではないか。

これを味方につけるという発想。

で、いつもニコニコしている。

嫌なことがあっても

とりあえずニコニコしている。

辛い事があっても

負けずにニコニコしている。

こうして、脳を騙すのだ。

脳を騙すとは最近仕入れた最新情報なのだが、

脳は割合騙されやすいという。

笑っていれば、とりあえず脳は、

ストレスをストレスと認識せず、

免疫力のある物質を放出する、らしいのだ。

いかがだろう?

始終笑っていればストレスも減り、悪玉も減り、

コレステロールも善玉へと変わるというシナリオである。

完璧!

さあてこうなると、外見的に、

訳もなくニタニタしている、

薄気味の悪いオヤジが一人できあがる訳だが、

まあ、しょうがないではないか。

これも健康の為。

かなり不気味だろうが、

一応明日より実行することにしたので、

そんな私を見かけても気にせず、

シラッと無視して頂きたい。

元町、そして中華街の占いのこと

元町の端、元町プラザビルのなかにある老舗レストラン、

「フィシャーマンズワーフ」は、安くてうまい。

ここでメシを食って通りをぷらぷら歩いていると、

バッグの「キタムラ」、パン屋の「ポンパドール」、

トラッドファッションの「フクゾー」と、

次々に懐かしい店が顔を出す。

この街も年輩の方が圧倒的に多い。

それも一見、生活にゆとりのありそうな方ばかり。

ケータイで話している高年紳士の会話が

すれ違いざまに聞こえてしまった。

「私はあの例のビルを買おうと思っているんですよ」

「…」

私たち夫婦は無言で歩き、程なくして「いまの会話聞いた?」

「うん、ビックリした!」

この街は、学生時代からちょっと敷居が高いとは思っていたが、

それはいまも変わらないんだなぁ。

先ほどの会話がそれを象徴している。

元町商店街の裏通りに入ると、このあたりも店が増え、

表とは異なった個性的な雰囲気を醸し出している。

おっと、空き地に真っ白のロールスロイスが鎮座する。

ここは、ベンツなんかより小洒落たミニクーパーなんかも多い。

なんだか居心地が悪くなってきたので、元町散歩中止。

「中華街に行こう」

元町を外れ、川を渡ると

中華街の南に位置する朱雀門に出る。

元町とは打って変わって人通りが多く、

うるさいというか賑やかというか、

ちょっとほっとするが、

あの中華街独特の色使いは強烈で、

もうなんだか、街全体が赤い絵の具をまき散らしたようだ。

目がチカチカする。

朱雀門近くにあるパワーストーンの原石が置いてある店をチェックし、

ヒマラヤ水晶が気になるも、また買いに来ようと出直しを決める。

で、数年ぶりに歩いて気になったのは、占いの店が更に増え、

おおげさに言えばだが、ここ中華街が占いの街と化していたことだった。

どの店も、若い子が列をなしている。

(どこかのテレビとか雑誌にでも取り上げられたのかな?)

一時は、肉まんブームみたいのがあり、

中華街はどこもかしこも

豚まん○○チャンピオンの店とか、

そんなのばかりだった。

それはいまも健在だが、

肝心の中華レストランの影は薄く、

どうも占いの店ばかりが目立ってしょうがない。

皆、そんなに悩み事や相談事があるのか?

などとつぶやきながら雑踏を歩いているうちに、

ふと自分もその気になっていた。

魔が差したというべきか、

呼び込みのオバサンに誘われるまま、

めずらしく暇そうな店の中に入る。

暗い店の奥から

怪しそうな中国人の親爺みたいのが現れる。

結局、この親爺は怪しい日本人だったのだが、

コイツが私の手相を観るなり、

「おっ、社長さんだね」とほざいたので、

第一関門クリアとした。

「社長、これからの4年はイケイケです、

ガンガン行ってくださいよー!」

もうなんだかよく分からないが、

運が乗ってきている時期らしい。

しかし、ホントの事は過ぎてみないと分からないのだ。

で、ウチの奥さんの番。

「なななんと、奥さんの手相、

アイドル線が出ているじゃありませんか!

明日からダンス踊りましょうよ、ダンス!

あのね、このアイドル線がないとね、

AKBには入れないんですよ!

分かります?」

「………」

打って変わり、後ろの席では、

先ほどから暗い話が聞こえてくる。

年輩の奥さまとおぼしき方が、

どうも離婚の相談らしい。

「奥さん、いましかないと思うのよ、

キッパリ別れちゃいなさい!」

「………」

「奥さん、人がいいから…」

(聞こえちゃうんだよなぁ)

だいぶ間があいた。

そして奥さんが力のない声で

「そうしますわ」

「………」

おいおいおい、

そんな大事なことは自分で決めろよと、

思わず後ろを振り返り、

突っ込みを入れようと思ってしまったのだが、

考えてみれば、この人はもうすでに散々思い悩み、

最後に肩をそっと押してもらうように、

この店に足を運んだのかも知れない。

それにしてもスピリチュアルな街だなぁと、感心しきり。

こちらは楽しくストレスの解消も済み、

怪しい占いの店を出ると、

すでに陽が傾いて中華街に長い影が差す。

お土産屋さんで月餅をいくつか買って街を出る。

そして行き交うクルマの波をみながら、

さきほどの街を振り返り、

思わずうーんと唸ってしまった。

いくら占いがブームとはいえ、

割とディープな悩みにも占いはこたえている訳で、

それだけ世の中は複雑・深刻化しているのか、

いや、自ら考えることを放棄しているのか、

最後のひと押しを誰かに求めているのか?

そのあたりの整理がつかない自分がいる。

そもそも自分の行動指針の司令塔は、

己の思考と勘であるハズなのだが、

どうやら世の中には、もっと違う、

何か大きな存在を信じている人達もいる。

歴史を振り返っても、シャーマン、陰陽師、

呪術師、いたこ、祈祷師、霊媒師…

いやいや切りがないなぁ。

思うに、実は私もそんなことを信じる質である。

がしかし、

そこには当然、節操というものがあるなぁ、などと、

アレコレ考えたところで結論が出る訳でもない。

で、相変わらず中華街は元気な訳で、

それにしても思考する、勘を働かせるというのが、

如何に人にとって難しい作業になってしまったのか、

などと思うに至ったのである。

迷える善人の悩みにこたえようとする街、

横浜中華街はいま、人の業が渦巻いている。

きっとあの街は、

イマという時代に生きる人たちの

裏側をあぶり出すにふさわしい、

楽しくも悩ましい解放区なのだろう。

逆上がりができない!

散歩で立ち寄る公園に鉄棒があって、

あるときふと「やってみるか」と思い、

軽い気持ちで逆上がりをやろうとして、

なんとこれが、できなかったんですね。

これには私自身がエラく驚いてしまい、

こんなハズじゃなかったと

つくづく悔しい想いをしまして、

それからこの公園に立ち寄るたび、

ポケットからiPhoneと小銭を出してベンチに置き、

エイっとチャレンジしているのですが、

いまだにできない訳です。

思い返せば、ガキの頃から鉄棒に親しみ、

連続10回逆上がりとか、

鉄棒に両足を踏ん張って飛ぶコウモリという技とか、

我ながら自慢の運動だったのだが、

なんだよ、最近の自分の体たらくは!

にしても、年をとるとは恐いものであり、

来る日も来る日も、

何事かを1つづ諦めていかなくてはならないのだ。

それがじじいなのか?

重ねて腹が立つのはウチの奥さんで、

同年なのになんとか逆上がりができてしまうのだ。

これには驚いたね。

彼女は日頃からカラダを鍛えているとか、

ムカシからバリバリのスポーツ女子であった訳でもなく、

フツーのおばさんなのだ。

なのに「あら、できたわ」とか言って、

意味不明な笑顔でこちらを見るのである。

これにはライバル心がメラメラと燃え上がり、

ふと思い立つと独り公園へでかけ、

鉄棒の前で「よーし」と力み、手のひらの汗を拭い、

勢い、鉄棒に挑むのだが、いまだできない。

あまり言いたくはないが、

私は若い頃、彼女に水泳を教え、

スケートの楽しさをサポートし、

あとから始めたにもかかわらず

スキーもメキメキ上達し、

彼女をことあるごとに指導し、

パラレルまで滑れるようにしてあげたのだ。

なのにいま私は逆上がりさえできず、

彼女から意味不明な笑顔で見られている訳だ。

思い当たる原因は老化の他にもある。

奥さんに聞いたら、若い頃といまと、

体重の変化がないとのこと。

それに較べ、私はだいたい10㌔以上は太っている。

ふーむ、それにしても納得がいかない、

消費税増税とマイナンバーと、

逆上がりなのだ!

「チェ」というタバコ

ゲバラ4

所詮はタバコだが、

されどこのタバコなのである。

チェは、ゲバラの姿がデザインされている。

なかなかイケテイルなというデザイン。

葉は、無添加・無香料だし、

妙なフレーバーも入っていない、らしい。

中にキューバ産の葉がブレンドされていて、

ちょっと他のタバコとは違い、

いい味わいがある。

チェ・ゲバラのチェは、「よう」とか「やあ」という

南米の言葉だそうで、親しみのこもった呼び方である。

それだけゲバラは、皆に親しまれていたともいえよう。

事実、民衆は、いつもゲバラに味方した。

ゲバラは、常に民衆の事のみを考え、行動した。

で、彼はお馴染みキューバ革命を成功させた人物。

見てのとおりなかなかのイケメンである。

そして時代は流れ、いまや政治的イデオロギーも、

なんだか境目が曖昧になってきているフシがある。

あのアメリカにも、遂に社会主義者の大統領候補が現れた。

中国は相変わらず経済に躍起な共産国であり、

やはり人民も国も「金」なのであった。

もう革命など縁遠いのだろうか?

いや、ゲバラ的に解釈すると、

実はそもそもイデオロギーなど、

どうでも良かったように思えるのだ。

たとえば、一時期、ゲバラと毛沢東は、

世界中の若者を虜にしたが、

毛沢東の文化大革命を見て、

皆、毛沢東を疑うようになった。

一方、ゲバラは依然純粋な革命家であり続け、

医者でもあり、

自身が幼少期より持病を抱えていたので、

当時の弱者に対するまなざしはやさしく、

奴隷・搾取といった制度を転覆させることに、

生涯を賭けた。

これはもはやイデオロギーというより、

純粋に弱きを助け強きをくじく性格が

彼を革命へと誘ったのであり、

あの激しい生きざまの発露も、

そのあたりにあったように思える。

よって、チェなのである。

ゲバラは世界各地の革命に関わり、

自身は最後、アメリカCIAの指令により射殺されたが、

彼はいまだに世界中で人気がある。

それは彼が革命家として、つとに純粋だったからだろう。

権力や名誉ではなく、まして金でもなく、

世界のすべての社会の矛盾を心底憎んだのだ。

かのジョン・レノンも、

ゲバラを世界で一番格好良い男と評した。

―バカらしいと思うかもしれないが、

真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。

人間への愛、正義への愛、真実への愛。

愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ―

(出典チェ・ゲバラの名言)

このタバコは、いまもって世界中で人気が高い。

たかがタバコ。

なのに、時代と男のロマンがギッシリと詰まっている。

そこに崇高な物語があった。

それが「チェ」なのである。

ゲバラ3