ちょっと仕事のこと

今年ももう終わりだけれど(今日は12月31日大晦日)、

この1年は総じてシステム・プログラム系の仕事に

忙殺された感がある。

システムの成功例として挙げられるのは、

なんと言ってもアマゾンだろう。

このwebサイトはシステムの発想自体が優れているので、

すべてに於いて他より優位に立っている。

たとえば或る本を探すとする。

するとその本に関する詳細なデータ、評価、

そして類似本までがズラッと表示され、

訪問者の興味が失せることのないよう

綿密にシステムが組まれている。

更にこのシステムには自分の注文履歴、配送状況、

キャンセルのやり取りも簡単にできる。

想像しうる万全が尽くされているのだ。

このように

webサイトの構築に於いてシステムを組む場合、

その構築には、

脳と神経を全開にしなければならない。

そして、多大な費用と時間がかかる。

その他、検索エンジン対策、PPC広告の検討、

ユーザビリティ等で優位に立つことも前提に、

最善のシステムを考えなければならない。

これはとりもなおさず、

ビジネスの勝敗を左右すると言っても過言ではない。

こうしたシステム系が重要視されるようになったのは、

何も最近の話ではない。

現在、広告をひと口で括ろうとしても、

その裾野は広大過ぎる。

ウチとしてもこれらの状況を念頭に、

勉強と興味の両面から注視・実践してきたのだが、

実際のビジネスの現場では、思わぬ問題点が次々と噴出した。

文化系の自分にとっては苦手な分野だが、

思えば広告のスキルも年々多様化・細分化の道を辿り、

いまひとりの人間がすべてのスキルを手にするのは、

ほぼ困難と言えよう。

これはウチだけでなく、

ほぼすべての同業種企業が抱える問題と言える。

よってウチの場合も、

社員、仲間、協力スタッフの力がなければ、

この道は閉ざされていたに違いない。

こうしたプロジェクトの基礎とも言うべき

総体的な企画・方向性は、

まず絶対に間違えてはならないのが鉄則である。

後は最前線の専門スタッフの力量にもよるが、

基礎がしっかりしていれば、

そのプロジェクトはほぼ成功する。

幸いにしてウチの場合は、

ディレクターとスタッフに助けられ、

幾つか本格始動に至ったが、

現在でもそのメンテナンスに気が抜けない。

そして更なるユーザビリティの向上をめざし、

システムの改良を検討・実行したりしているが、

運用途中で思わぬバグが発生することも多々あり、

こうした場面では冷や汗が出る思いが続く。

要は多大な投資に見合う成績を上げなければ、

それはビジネスプロジェクトとして失敗の烙印を押される。

しかし、ビジネスは端っから成功することが前提の契約なので、

間違いは許されない。

という訳で、ここ数年は、ほぼ休みがなかったに等しい。

旅行はしない。

休日でもパソコンは必需品である。

こうしたサイトを

滑らかかつ快適なユーザビリティで運用してゆくには、

正確にいえば立ち上げから軽く1年以上はかかる。

またこうしたwebサイトは、

システムだけでなく、これまた手間のかかるコンテンツの充実、

SEO的な見地からの検索エンジンに対する施策、

更にいえばテキストの綿密な見直し、

更なるデザインの変更等、

やらなくてはならない事がメジロ押しだ。

私たちはいわゆるクリエーターと呼ばれてはいるが、

現在の広告状況は、

クリエーターという職種だけでは括り切れないほど、

広範な知識と技術が要求される。

そうしないと、今後は更に生き残れない現実がある。

システム構築技術、検索エンジンを理解する、

そして本来の仕事であったハズの魅力的なデザイン、

人を動かすテキスト(コピーライティング)等々…

これだけでも、広範な勉強と知識が要求される。

しかし、これらの力が結集しなければ、

これからの広告の仕事は立ちゆかない。

次々と生まれる新しい知識、

早々と廃れてゆく技術。

普遍的なものは、なにひとつないに等しい。

私事だが、

最近、そもそも広告ってなんだと自問自答してしまう自分がいる。

それでも走り続けなければならない現実があり、

走りながら考えなければならないことが数多(あまた)あって、

いまだ明快な回答は導き出せないでいる。

元々この業界は、文学好きや、

美術好きのアーティスト系の人間たちが集まっていたのだが、

いま振り返えれば、

それは遠い昭和の懐かしい話である。

私自身本当のところ、

現状のこの業界があまり好きではない。

最近、仕事の合間をみてよく山に入る。

夜空を眺めるための双眼鏡を手に入れた。

印象派の絵や外国の書を見に、暇をみては

美術館へと足を運ぶようになった。

旧作と呼ばれている映画を最近よく観る。

気にいった作家の本を集めている。

キャンピングカーで、とにかく何処でも良いから、

でかける計画を無理矢理立てている。

そして運動を欠かさないようになった…

すり減る神経、行き過ぎたユーザビリティ、

追いかけてくるしつこい広告、検索エンジン至上主義。

ああ、便利便利で、

いまにすべてが崩壊するのではないか?

―時代なんかパッと変わる―

私はそう思っている。

ムカシは良かったと言っている訳ではない。

自分のズレ具合があからさまになったからなのか。

いや、本来人間ってそういうもんじゃないだろ?

という根本的な疑問がどうしても消えないんだなぁ。

忙中ハイキング

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初冬のハイキングは

気候もほどほどに寒いので、

汗のかき具合もちょうど良い。

そこが我ながら気にいっている。

今年は気温が高めなこともあって、

軽装で出かけることが多い。

関東平野の冬は晴れの日が多いので、

こうした天候をヨーロッパの人に言わせると

羨ましいらしいのだ。

思えば、私があっちへ行った季節も冬だったが、

来る日も来る日も曇天で、

えらく憂鬱になったのを思いだした。

あれじゃ、メランコリーが多いというのも納得。

紅葉を英語でカラフル・リーフと言うらしいのだが、

なるほど、そう言われればそのようにも思うが、

ホントはカラフルじゃなく、

木々の葉が死してゆく、

日本の哀の色の妙なんだけどなぁ。

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水、食料、カメラその他諸々を詰め込んで、

さて、今日はいきなり急坂の急階段を登ることに。

これはやはり息切れする。

年もいってるし…

が、徐々にカラダも慣れ、登るほどに体調も戻ってくるから、

いつも不思議だなぁと思う。。

この日は汗をかいて風邪を治そうという下心もあったので、

ひどい息切れも折り込み済。

登る途中で、

落ち葉があちらこちらから、

はらはらと音を立てて舞い落ちる。

その絵画的風景のなかを、

枯葉を踏みしめてよいしょよいしょと歩く。

この感覚がたまらないのだ。

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小一時間もすると、

約束通りというべきか、

赤土がむき出しの階段が見えてくる。

タオルで汗を拭い、ようやく頂上に辿り着く。

息が荒いので、

見晴らしの良いベンチに腰を下ろし、

水を補給して、しばし一服。

そしてコンビニのおにぎりにかぶりつきながら、

改めて汗を拭う。

周りの紅葉が目に飛び込む。

双眼鏡でパノラマの景色を観察する。

そこには、

とても穏やかで静かな時間が流れていた。

日射しのきらめき、

山々の稜線。

ふっと通り過ぎる風の囁き、

そして

麓にたなびく温泉の湯気けむり。

どれもこれもが美しく、

呆れるほど単純に、幸せだなぁと思える。

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だがホントはね、

カヌーを積んで秩父あたりの湖にでも

行きたいと思っているのだが、

いろいろあっていまだ実現せず。

湖面に浮かべるカヌーの目線で眺める森は、

日頃と全く違う景色を映し出すから、

これまた格別の美しさを味わえる。

人生は短いなぁと、最近富みに思う。

ああ、

デスクにばかり座っている場合ではない。

早くあちこちへ出かけよっと!

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ああ同窓会

小学校の同窓会に出席のため、

久しぶりに電車で地元へ帰る。

前回から確か約20年くらいの間隔が空いている。

皆の顔が認識できるか、

いや、そもそもこの私が認識してもらえるのか?

ちょっと心配だなぁ。

横浜郊外の廃れた駅に降りる。

ここはムカシから薄汚い街だけど、

私の青春の想い出がギッシリ詰まっている。

駅前は相変わらずゴチャゴチャしていて、

猥雑な感じはムカシと何ら変わらない。

真新しいビルを囲むように、

軒が壊れそうなほど古びた店がズラッと並ぶ。

友人数人と待ち合わせ、合流。

よう!と軽く挨拶を済ませ、目的の店へと向かう。

この連中とは年に数回は会っているので、

お互いに違和感はない。

目的の焼き鳥屋は、

ムカシ良く出入りしていたトンカツ屋の横にあった。

店構えは大きいが、一見して安っぽい造りと分かる。

この街にふさわしい。

2階へ上がると30人位が一同に介せる広さがある。

その方々のテーブルに見覚えのある顔が並ぶ。

しかし、やはり分からない顔がちらほら。

20年ほど会っていないのもいるし、

それこそ40年くらい会っていない顔もいるので、

ここは致し方ない。

「久しぶり!」

知った顔の肩を叩いて声をかけた。

「おっ、○○やっと顔出したな、元気か」

「まあ」

「これからはずっと出席しろよ。

みんないつも集まっているんだぜ」

「うん、そうらしいな」

しかしまわりを見渡すと、

やはりと言うべきか、(コイツ誰だっけ?)と

どうアタマを捻っても思い出せない顔がある。

ちょっと焦るがしかし、笑顔で通す。

そのうち分かるだろう…

どうやら向こうは私を知っているらしいのだが…

戸惑いのなかで飲み会がダラダラと進行する。

こうしてみんなまずムカシ話に華が咲き、

あれ(学生時代)からどうしていたとか、

年齢柄、定年、そして持病の話なんかになる。

同窓仲間の第一印象は

当然のことながら皆老けたな、である。

私もその一人であることを実感する。

いつの間にか、

遊び人グループが同じテーブルに集まるも、

これではイケナイという話になり、

みな再び別のテーブルへと散らばった。

こういうところがムカシと違うなと思う。

そつなくオトナになっている訳なのだ。

そして、そこかしこで

ムカシ泣かした奴と泣かされた奴が、

対等に酒を酌み交わしている風景が、

私にはなんとも新鮮な光景だった。

今日の出席率は低いらしい。

そこら辺の事情がチラホラと聞こえるも、

どうも親の介護が多いらしい。

そういう年だものな、

妙に納得できるものがある。

私は真向かいに座った吉田と話し込む。

吉田とは仲が良かったという訳ではないが、

まあ幾度か何かで絡んだ覚えはある。

なかなかのイケメンだった吉田も顔に疲れが見え、

頭髪は少なく、白髪である。

彼は去年サラリーマン人生を終え、

いまは週に数日、近所でアルバイトをしていると言う。

吉田情報によると、

毎日が暇という仲間がこの地元では結構いるらしく、

皆パチンコ屋でちょいちょい会っては、

集まっているらしい。

この会自体、かなりの頻度でやっていると聞いたので、

やはり地元組は何の緊張もない。

酒もかなりまわった頃、

ガキ時代に全く目立たなかったN君が、

やおらマイクを握って立ち上がり

「ええ」と赤い顔で話し始めた。

「そろそろ自己紹介でも始めませんかね」

そう促され、

席を立ち、一人ひとりが挨拶をすることとなった。

知らない顔の幾人かが自己紹介をする度、

私が忘れていた記憶が目を覚ます。

「あっ、あいつか!」

なんだか急に嬉しくなる。

自分が話す番になり、

思わず「初めまして」と言いそうになってしまう。

そのくらい記憶の奥に眠っていた人間が、

いま一同に介している。

思うに同窓生って何だろうと考えた。

同じ時代を生きてきた仲間

同じ季節を過ごしてきた仲間

よくよく考えると、

ひょっとしてこれは凄いことなんじゃないか、

と思った。

そして、みんなの口から、

いまはもうこの世にいない同窓生の名前が、

数人挙がった。

あちらこちらで、ため息が聞こえるのが分かる。

ちょっと胸苦しくなる。

しかし、もうそういう年なのだなと、

私もうな垂れた。

しかしいま、

同窓生がこの懐かしい街で一同に介し、

屈託なく酒を酌み交わしている。

同じ時代を生きてきたから

同じ季節を過ごしてきたから

なのか?

みんな相変わらず

頑張って生きているではないか…

葬儀屋の山本さんのこと

今年は叔母が亡くなり、

お袋のときと同じ葬儀屋さんにお願いした。

叔母は生涯独身だったので私が仕切ることとなった。

同じ葬儀屋さんに頼んだのは、

ここで働く若い青年の印象がすこぶる良かったからだ。

その青年・山本さんと初めてお会いしたのは、

当然というか、お袋が逝ってしまった日だった。

夜半に逝ってしまったので、急きょ電話を入れた。

病院でもうやることもない私たちは、

長いすにもたれて寝るでもなく、

じっと目をつむって時を過ごした。

やがて山本さんが通用門からそっとやってきて、

「お待たせ致しました。

この度はご愁傷様でした」

と深々と頭を下げ、私たちは挨拶を交わした。

簡単かつ要所滞りない打合せを済ませると、

山本さんは一人霊安室に向かう。

彼はまだ若いのに、言葉、所作なにをとっても

万事慎重で落ち着いていた。

昼間に街で出会えば、どこにでもいる二枚目の好青年

というところか。

霊安室からお袋を乗せた寝台車を静かに押し、

乗ってきた寝台車仕様のミニバンに丁寧に、

そして注意深くお袋を乗せる。

そして私たちに再び深々と頭を下げ、

クルマは冬の夜明け前の静かな街に

消えていった。

そして通夜の夜も翌日の葬儀も、

彼が中心となって取り仕切ってくれた。

火葬場へ向かう霊柩車の運転も、

これまた山本さんだった。

思えば小さい葬儀屋さんなので、

一人で何役もこなさなければならないのかと、

その頃になってようやく気づいた。

あれから4年。

叔母は施設で最後を迎えたので、

前もってお袋と同じ葬儀屋さんに連絡しておいた。

このときも山本さんが担当だった。

彼は例に漏れず、

丁寧な物腰で深々と挨拶を済ませると、

叔母を寝台車に乗せ、

すっと横浜の街中へ、

消えるようにクルマを走らせていた。

叔母の葬儀の日、少し時間が空いた。

山本さんという人が無性に気になった私は、

節操も無く、

「山本さんはなぜ葬儀屋さんになったのですか?」

と尋ねていた。

意外なこたえが返ってきた。

「何というか、こういう仕事が性に合っているんですよね」

首を少しひねって、彼が控えめに笑った。

「人の最後っていうのでしょうか、

ご縁で私が係わった方々をですね、

最善のやり方で見送ってあげたい、

そんなところでしょうか」

「………」

この話をきっかけに彼との距離がだいぶ縮まり、

お茶を飲みながら、

続けて私は失礼な質問をしていた。

「山本さんって、霊とか不可思議な事、

そういう類いのもの、

見たり感じたりしたことってありますでしょ?」

「いや、それが全くないんですよ」

彼が大きくかぶりをふった。

そして真面目な顔つきで話す。

「よく皆様に聞かれるのですが、

私の場合、そういうのが皆無なんです。

霊感とかそういうのですね、

私の場合全くないみたいなんです」

それから数ヶ月後の叔母の納骨の日、

お骨をとりに葬儀屋さんへ伺うと、

相変わらず山本さんが待っていてくれた。

「お忙しいですか?」

「ええ、今年は多いですね…

こういう仕事って当たり前なのですが、

だいたいが突然ですからね」

「今日は大丈夫なんですか?」

と私。

「まあ、ですがこの後が控えております」

「度々、申し訳ございません」

お骨と遺影を奥さんにもってもらい、

その足で墓地へ行く段取りだったので、

私たちが向かうこの日も、

彼は無理して待っていてくれたのが分かる。

帰り際、私が

「山本さんには当分お世話になりたくないですからね」

と冗談めかすと、

「当然ですよ」と、

彼が控えめに笑ってくれた。

そして山本さんは、

また何かありましたら…とは絶対に言わない。

当然と言えば当然な職業なのである。

「ありがとうございました」

とだけ言うと、

彼は例によって深々と頭を下げ、

私たちのクルマが信号を曲がるまで、

丁寧に見送ってくれた。

悪夢「生きながら死んでいる」

嫌なタイトルだ。

まあ、そうした夢を見てしまったのだ。

夢の内容はこうである。

俺はどうも湖面の底に沈んでいて、

そこから上を向いて微動だにできずにいる。

前後関係は不明である。

湖面の上に差す明るさから、

どうも世の中は夕方だろうと察した。

水面にさざ波が立っている。

そこに映る葉のない冬の木立が

わずかに揺れるのが分かる。

俺は湖面の底にいながら、息をしている。

しかし、絶対に動けずにいる。

誰かがどこからか俺を監視しているようなのだ。

そして念のようなものを俺に送っている。

「お前はそうやって生きていけ!」

動けない。

もがいてみるも、全く身動きがとれない。

精神的な息苦しさが体中を巡る。

家族も親友も知り合いも、

俺がこんな所に閉じ込められていることを、

全く知らない。

もはや誰も助けに来てはくれない事が知る。

それにしても言葉が考えられないのだ。

いや、そもそも無音の世界らしく、

声という存在もないらしいと気づく。

辛うじて視覚だけが確保されている。

「お前はそうやって生きていけ!」という念。

………

絶望で全身の力が抜けてゆく。

どうやら風邪の治りかけに見た夢なので、

なんだか自分では納得するのだが、

それにしても、夢が描く想像力には驚いた。

で、覚醒が始まると、

ああ、これは夢なのかと感づくも、

いやまだ分からないと用心を重ねる。

と、鳥の鳴き声が聞こえる。

ようやくこれは夢だったんだとほっとするも、

妙な汗が首のあたりに噴き出していた。

しばし布団の上に座して呆然とする。

以前だが、

枕元に誰かがいる気配であるとか、

いわゆる金縛りとかの経験はあるが、

今回の夢は異次元の恐ろしさで

俺に迫ってきた。

孤独と絶望。

そして誰も助けに来てくれないであろう湖の底で

身動きひとつ取れず、

生かさず殺さずじっと息をさせられる恐ろしさは、

経験した者でないと分からない訳だが、

そういう俺だってただの「夢」であるからして、

こうしていい加減に書き綴っているのだ。

しかし、こんな理不尽な事が、

きっとこの広い世界のどこかに存在していて、

その扉は、

きっと秘密の呪文で

固く閉じられているに違いないのだ!

俺の知らない世界。

みんなの知らない事。

想像は、やはり必要の母である。

いろいろな事象、

さまざまな立場、

辛い事、悲しみ、

そして嬉しい事も楽しい事も…

ここは想像力を駆使して、

その人の身になって、なのだろうな?

いろいろと考えさせられる、

恐ろしい悪夢ではあった。

ラフター(笑い)ヨガは、手ごわい!

半年ほど前にラフターヨガっていうのを知った。

いわゆる笑いヨガ。

いまや、全世界に拡がっているというから、

黙って見ている訳にはいかないのであった。

笑うと免疫力が上がるとかストレス解消とか、

まあ、いろいろ健康に良いらしいことは

以前から知っていた。

また、笑うという行為は、

カロリーも効率良く消費してくれるという。

呼吸もヨガというだけあってとてもよろしい、そうなのだ。

オトナになるとあまり笑うこともなくなる訳で、

こうなると顔面の運動不足でもあるし、

不機嫌そうな顔ばかりで愛想がないのもよろしくない。

で、これは良さそうと喰いついた私です。

とりあえずYouTubeを開いて検索。

と、ほうほう、みんな笑っているではないか!

しかし、じっと見ている私は全然おかしくない。

見つめるほどに不思議な映像だな、と私。

ふん、面白いとも何ともないではないか!

しかしだ、ラフターヨガの説明を聞いて分かったのだが、

笑うという行為自体に意味がある、らしいのだ。

おかしくなくても、とにかく笑うこと。

笑えば、脳が騙されるという。

ふむふむ…

そんなものかねぇ?

という訳で、私はパソコンを前にして全身を動かし、

呼吸を真似、勢いつくり笑いをしてみる。

なんか不自然。

けれど、めげずに続けると、

なんだか少しだけ楽しくなる。

部屋には誰もいない。

映像を真似て、ちょっと大笑いをしてみる。

家人がこないか、ふとまわりが気になる。

このとき、笑い消える 汗!

めげずに、ラフターヨガ再開。

大きく手を拡げて、深呼吸。

息を止める。

で、徐々に息を吐きながら「ハッハッハッ」と笑う。

で、グッタリと体中の力を抜く。

そしてだ、

再び、「ハッハッハッ」と大笑いする。

これで私の脳は完全に騙された!

しかし、

いやぁ、そうはいかない、私は騙されないぞ!

と、もう一人の自分が顔を出してしまった。

「オイオイ、困るな!」

―ホント困るんだよな、こういうときに出てくるなっつうの!―

という訳で、自己との格闘がかれこれ20分ほど続いた。

と、汗だくになっているではないか。

息が上がってハァハァしている自分がいる。

「これはいいぞ!」

と思ったのだが、何故か突然不機嫌になる。

「ふん、こんなもんに私は絶対に騙されないぞ!」

おおっ、気がつくと、

再び私の中のもう一人の私が出てきた。

道理でネガティブ。

こうなると、内なる自己の相反する感情の戦いである。

この戦いはもう自分では止められない。

ラフターヨガを巡る内なる二つの感情は、

果たしてこの先、どんな結果を迎えるのか?

あれから暇をみつけ、

幾度となくチャレンジしてみた訳だが、

その日その日毎に、感情の勝敗が分かれるのが、

私なりに分かった。

楽しかったなぁ笑いヨガっていう日もあれば、

ふざけるなよぉ笑いヨガという日は、

ホントにその日はろくな事しか無く、

ストレス満載という日であった事等。

さて、このヨガをこの先も続けるか否かだが、

正直、結構心身共にしんどいのであるからして、

迷っているのがホントのところ。

とりわけ、私の中の内なる戦いが激しいときは、

更に疲れを倍増させる。

さすがにヨガは深ぇ。

恐るべし、ラフターヨガなのである。

アナログレコードを捨てる

永年眠っていたレコードを屋根裏でみつけた。

レコード5

↑捨てられなかったレコードの一部です。

40年~45前のものばかり。

で、思いっきり捨てようと決心する。

が、一枚一枚眺めている間に気が変わった。

ジャケット写真やデザインに、

そのレコードを聴いていた頃の事が鮮やかに蘇る。

うーん、

こうなると、仕分けとなる。

捨てる、とっておく、その判断に苦しむ。

煩悩…

現在、我が家では「捨てる」が流行っている。

当然、要らなくなった物を捨てる作業だが、

これが積もり積もった塵のように、

そこら中からゴッソリ出てくるではないか。

気がつけば要らない物ばかりの中で暮らしていたのだ。

断捨離というのが一時流行ったが、

こういうことなのかと今更ながら納得。

しかし、断捨離ってもっと厳しいらしい。

断=入ってくる要らない物を断つ

捨=家にずっとある要らない物を捨てる

離=物への執着から離れる (ウィキペディアより)

以前、或る女性有名文化人の本を読んだら、

断捨離という表現では書いてなかったが、

要らない物を処分したら、

最後はボストンバッグ一つになったという。

物への執着を一切捨ると、

身軽かつ爽快な人生が待っているらしいのだ。

ふーん、己は甘いなと自戒。

しかし、シンプルライフってカッコイイけれど、

どこか「この世を去る」準備のように思えて、

いまひとつ寂しいように思ってしまう。

「神さま、まだやりたい事がいっぱいあるので、

レコードさえスパッと捨てられません。

どうしましょ?」

そんな心境です。

実際、我が家は捨て続ける一方で、

毎日毎日、本は増え続けているし、

「今度のクルマはやはり黄色いビートルにしようかな」

などとほざいているのであるからして、

断捨離の心なんぞ全然分かっていないし、

未だ物欲で走り続けているのである。

更にレコードを聴くためにですね、

針付きのプレーヤーの無い事に気づき、

早速アマゾンをチェックする始末。

こうなると己の浅はかさに呆れるばかり。

よくインテリ人種が、

「あいつは俗っぽいね」などと、

上から見下ろすように言い捨てるのを聞いた事があるが、

確かにその通り。

それは「私」です、ハイ!

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レンタルビデオ屋に通い詰める

最近、ゲオというレンタルビデオ屋さんで

怪しい行動をしているのは、私です。

パッケージを手にとってピクリともしない。

帯のコピーとか写真にジッと見入っている。

そして「うーん」とか「ウン?」とか呟くのです。

自ら少し変だなぁと思って周りを見回すと、

ちょっと驚いたんですが、

同じような人って結構いるものなんですね。

そんな訳で、寝る時間を削り、

できる限り映画を観ています。

セレクトは準新作が主ですが、

過去に見逃したものが中心。

範囲はサスペンス、冒険もの、恋愛系と節操がありません。

片っ端から借りてきては、遅い夕飯の後に見入っています。

そもそものきっかけはですね、

たまにテレビを点けると、

これがかなり詰まらないものばかり。

たまげましてね。

面白い番組は事前チェック。

毎週ハードディスクに録ってますから、

大丈夫なんですが。

それ以外にアタリという番組が余りに少ない。

「チロリン村とくるみの木」から永年テレビを愛してきた世代として、

これはかなりまずい状況だと思います。

おまけにコマーシャルまで面白くないものばかりなので、

絶望しまして。

で、映画に走った訳です。

映画はいいですね。

それが愛だろうが死だろうが戯言だろうが、

戦争だろうが、宇宙人だろうが、幽霊だろうが、

とりあえず私は日常を脱出して、

感動したり恐怖したりしている訳です。

エンドロールが流れると、すでに夜半過ぎ。

私はその余韻も去ることながら、

今日のクソッ垂れな出来事をサッパリと忘れて、

寝入ることができるのです。

8月の家族たち

はじまりのうた

プレテターズ

ヘアスプレー

サマータイムマシンブルース

チョコレートドーナツ2

ワンデイ

ニューヨーク冬物語

「8月の家族たち」「はじまりの詩」「プレデターズ」

「ヘアスプレー」「サマータイムマシン・ブルース」

「チョコレートドーナツ」「ワン・デイ」「ニューヨーク冬物語」

etc…

えっと後なに観たっけなぁ…

映画ってホントにいいですね!

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歳をとると忙しい、らしい。

先月72歳の誕生日を迎えたご近所の春枝さんは、

年々、早起きになってしまいましてと、

困り顔で話されました。

「そうですか~」と私。

「若い頃は、昼過ぎまで寝てたんだけれどね」

と懐かしむように笑われました。

で、春枝さん。

まず早朝の薄暗いうちに近所を軽く歩く訳です。

この歩くという行為が、

若者には理解し得ない貴重な習慣とか。

曰く、歩いて少しでも筋力を養おうという意欲も去ることながら、

老化絶対はんた~い!、だそうです。

歩く先々では、アサトモ(朝友)と挨拶を交わしたり、

立ち話をしたり。

これも立派なコミュニケーションですね。

あと、朝陽を浴びるとよく眠れますよ、だって。

潜在的な脅迫観念で歩いていらっしゃるのかなぁ?

春枝さんは週に3日、

午前中は早くから、近所の公民館へ行かねばならない。

そこでは絵手紙教室をやっていて、

僅かな授業料で

懇切丁寧に教えてくれるところが嬉しいのだとか。

ホントは、その絵手紙がうまかろうが下手だろうが、

そんなことはどうでもいいそう。

脳ミソを使う、手先を動かす、みんなと話をする。

これでボケない、友人もできる。

一石二鳥以上の収穫なのよ、と。

さて、授業が終わるとみんなでお茶…なのですが、

そこで皆さんの持病の話に華が咲くのよね。

春枝さんは、まわりの話を聞いて内心ほっとするらしい。

みーんな何かしら患っている訳!

おっと、今日はそんな話をのんびりしている場合ではないわ。

で、春枝さんは「皆様、ごきげんよう!」と小走りに15分程歩いて、

馴染みの医院へ診察カードを出しに行ったらしい。

散々待たされている間に、

「主婦の友」を半分まで熟読してしまい、

今度はうたた寝。

と、看護師さんからいきなり呼ばれまして、

病室へふらふらと。

「望月さん、やはり平均よりかなり高いね、血圧。

下がらないね、うん、飲み続けましょうよ。

もうね、こうなるとこの薬とは一生のお付き合いになるね」

人なつっこい笑顔の先生に促され、

半ばしょうがないといった感じで薬を頂いたのよ。

今度は、病院から5分程引き返したスーパーで買い物。

小松菜、卵、即席ラーメン、夜は独り鍋にしようかしら、

と鍋セットもカゴへ。

で、自宅に戻って簡単なお昼を済ませ、

ちょっと横になる春枝さん。

なんと、自分のいびきで目が醒めてしまいました。

「ひるおび」を見損なって、

腹立たしいったらあらりゃしないのよ!

こうなると、「ミヤネ屋」に釘付け、

ガン見ですから!!

芸能ニュースにゃ目がないんですが、

こういう趣味はいつからなのか、

本人もトンと覚えていないらしい。

なんだかんだで夕方に突入すると、

ユニクロで買い揃えたナウなジャージの上下が、

カッコイイと春枝さん。

傾いた午後の陽を浴びながら、

これで、町内を一回りも二回りもするんですが、

目標は厚生労働省の発表どおり8,000歩をめざす。

春枝さんは、若い頃から几帳面だった。

陽が落ちてくるし、だんだん薄暗くなってくるも、

決してくじけない。

(夕飯は何にしようかしら?)

おっと、汗が化粧を溶かして顔がヤバイ。

が、外も薄暗くなってきたし年も年だし、

ここはもはや気にしない開き直りで

歩き続ける春枝さんでした。

ようやく歩数計が8000歩を示すと、

どっと疲れが出る。

心地良い達成感と同時に、

「生きているんだ」という実感が、胸に迫り来る。

だから止められないのよね…

というか、背後に迫る死神に捕まらないためにも、

頑張るしかない春枝さんには、もはや後がないらしい。

旦那を5年前に亡くした春枝さんは、

独り身ながら元気かつ生きる意欲が旺盛です。

そして、仏壇には毎朝欠かさず手を合わせているのよ。

さて、いまの悩みは、テレビの通販番組で知った、

骨粗鬆症に良いと言われているグルコサミンを買うかどうか。

汗を拭いながら、膝の痛みを考えると…

「やはりあのフリーダイヤルに電話してみましょう!」と

ようやく決心がついたようです。

夜、体操をしながら

大好きなテレビ番組のひとつである

「お宝探偵団」を観ていると、

突然電話が鳴ったのよね。

「こんな遅くに誰かしら?」

知らない電話番号、

思えば一ヶ月ぶりに鳴った電話だった。

恐る恐る受話器を取ると、

なんと小学校時代の同窓会のお誘いだ。

電話の主は名前だけは知っているクラスメイト。

聞けば30人位は集まるとか。

「出席させて頂きます、ハイ!」

嬉しさに久しぶりに胸が高鳴るも、

思えば、前回の同窓会が約30年前だったけれど、

なかには60年ぶりに会うクラスメイトもいると思うと、

懐かしいというより、

なんだかどっと疲れを覚えましてね。

「みんな元気なのかしら?」と

何気なく春枝さんは尋ねたらしいのですが、

それがね…と電話の向こうが言うには、

「だいぶいなくなっちゃったのよ」

(………)

翌朝から、春枝さんの歩くスピードは更に増し、

距離もグングン伸びたようです。

己の生命力にムチを入れるように…

そして顎とウェストの贅肉をそぎ落とすぞ、

と今更ながら明確な目的が設定された為でもある。

「負けませんからね!」

春枝さんに落ち込んでいる暇はないと言う。

「なにしろ私はいま忙しいの!!

死んでる暇なんかない訳よ」

と春枝さん。

私は思わず後ずさりして

「そっそうですよよね、私もそう思います!」

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ネットの時代に、あえてペーパーを推す訳。

ネットの時代、いまやペーパーレスとはいっても、

相変わらず印刷物のオーダーは続いています。

今後はどうなるか分かりませんが、

ペーパーにはそれなりの良さがあると思います。

個人的な事ですが、私はあまり電子書籍は買いません。

なぜ?と問われれば、きっと買ったものの実体が薄い。

実感が薄いと、人はその価値さえ薄れてゆくので軽んじる。

よって買ったものさえ忘れてしまう自分がいます。

こんな考えは古い人間だからでしょう。

若い人にそんな感覚はないのだろうと思います。

それにしても、ペーパーの良さは、あの実体です。

邪魔だろうと部屋が狭くなろうと、

そのように存在する。

存在感はありますから…

で、印刷物のオーダーは相変わらずあるという話ですが、

例えば、パンフレットやリーフレット類の良さというものは、

歴然としてある訳です。

ネット上のPRと較べ、

印刷物は、やはり実体としての存在そのものが、

受け取った人に与える印象として格段に突出していること。

それは、ゴミ箱にでも捨てられない限り、

対象者が目にする度にアピールしている訳ですから、

ネット上のPR以上のツールとして優れていると言えます。

デメリットは、ネットに対して露出が限られていること。

いわば、マーケット規模に於いて、

ターゲットに届く数量が限られていることです。

さて弊社の場合、

お問い合わせ内容の大部分が、

目的はしっかりある、が、

内容がぼんやりとしていると困惑している方がほとんどです。

よって、予算もページ数も、強いては紙質など、

諸々がすべて不安のようです。

これって考えてみれば当たり前でして、

同じ業界内でもネットしか携わっていない会社に尋ねても、

ほぼ皆分からないのがフツーですから。

そうしたぼんやりとした不安を払拭するために

私たちがいます。

利用しない手はありません。

時間の許す限り、という前提条件付きですが、

お気軽にご相談ください。

一応、知恵と経験はありますので…