森の時間、海の時間

冷えた躰は

無骨な木の階段を踏みしめるたび

徐々に上気し

汗も滲むほどになると

おおげさにいえば、

「ああ、生きているんだなぁ」という

素朴な実感

自分の足で踏みしめる

進む、登る

しまいに息継ぎが荒くなって

晩秋の森のなかで

一個の人間が無意味に汗を流している

内蔵も全開で動いているんだろうな

自分という存在が

森という大きな存在に溶けてゆく

木々の葉が無作為に

ある不文律に沿って

ひらひらと遊歩道に落ちてゆく

やがて視界がひらける

やれやれと思うと

鳥があちこちで

鳴いていることに気づかされる

木も鳥も虫も

静かに生を営んでいるんだなぁ

ペットボトルの水のひとくちが

格別にうまい

丹沢山塊の端の展望台から

湘南、横浜、東京を望む

あそこに住んでいた頃のことが

あれこれと思い浮かぶ

良いことも苦い想い出も

この森のなかでは

無色透明に浄化される

視界の爽快感

山歩きの何が心地良いって

それはいろいろありすぎて…

山2

山1

さきほど見えた海が気になって

後日クルマで海をめざす

小一時間で海に出る

若い頃は山なんて興味がなくて

海ばかり来ていた

海ばかり見ていた

海って端的にいえば

くるくるとめまぐるしく

その表情を変えることだろうか

それは若い頃の不安定な心と同調する

若さと海は相性が良い

この日は

遠く霞んで

雲と波の隙間を縫うように

伊豆大島の輪郭がぼんやりと見えた

めずらしくゆったりとした海

凪いでいる表情

こんな海だったら

海沿いに住むのも悪くないと思う

けれど、ゆっくりしっとりと

四季のうつろいを教えてくれる山あいが

いまの自分のリズムにフィットする

時のうつろい

若い頃は分からなかった

いや気にも止めなかったような…

いま愛おしいのは

時間なのだと気づいた

海2

海1

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

幾つになっても…

誕生日に花を頂きまして、

それが結構長持ちしています。

しょぼい玄関に飾りました。

花

白いゆりの花も入っていまして、

最初つぼみだったのですが、

これがいま見事な大輪です。

白百合

赤い花の名前は知りませんが、

気にいってます。

毒々しい色が自分と被っていて、

親近感を覚えます。

で、なんたかうれしくて、

だいぶ前にスケッチしました。

対象物にまるで忠実でないところが、

私的には好きです。

1の絵

そういえば、いま平塚美術館で、

「画家の詩、詩人の絵」を開催しています。

平塚

11月8日までやっています。

私は先日観てきましたが、

心に残る作品が幾つかありました。

詳しくは、↓をクリック!

できない場合は、URLをコピペしてください。

http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

なぜ太るのか、不思議

なんだか最近太ります。

たいして喰ってないのにですよ。

運動もそれなりにしていますが、効果は低いです。

年をとると代謝が悪くなる、なんて言いますが、

それですかね。

あと、心当たりは食後のチョコレートです。

酒をやめてから、甘党になりました。

まんじゅう、ケーキ、あんぱんといろいろ喰いましたが、

最後まで喰い続けているのがチョコレートです。

お陰で、歯医者通いも増えまして、踏んだり蹴ったりです。

チョコは、世界中のを喰いました。

一番美味いのは、やはりオーストリアのチョコです。

おっと、太る話でした。

数年前にかなりスマートになった時期があります。

往年のGパンもすっとはける。

我ながらカッコイイ 汗

Tシャツ一枚でも腹が出てないのでカッコイイ 汗

しかし、そんな良い時期は、人生で一瞬です。

脂肪が黙っていませんから…

で、息子が毎日ジョギングをやっているので、

私もその気になりまして、

ここはまずウェアからだろうと、

まずスポーツ用品店に見にいきましたら、

ウェアって結構な値段するんですね。

ついでに、どうしても似合わない気がする。

何というか、変なんです。

自分的にオカシイ!

カッコ悪いんですよ、私には。

ではということで

「お父さん、じゃあ泳ぐのがいいよ」

と再び息子に促され、

またまたスポーツ用品店に。

で、水着というか海パンですね、

アレ、最近の物ってやたらピチッとしている。

すげぇ密着感が全然慣れない。

気持ち悪い。

おまけにカッコ悪い事、この上なし。

私の場合ですよ。

格好を付けている場合ではないのですが、

かなり悩みまして、

アタマに浮かんだのがライザップのCMでした。

なにしろライザップは

「結果にコミットする」とハッキリ断言している。

で、ネットを幾つかチェックすると

費用としてまず30万円は下らないだろうということで、

即却下。

結果にコミットしなくてもいいだろうと、

いい加減な結論に達したのでありました。

とここまで書いて、

奥さんに何で俺って太るんだろうと話しましたら、

意外な答えが返って参りました。

「何でって、あなたいつも何かたべているじゃない」

「えっ、そう?」

「夕食前からアレコレ結構食べています!」

オオッ、なんと最近太ってきた原因が

やっと分かりました 汗

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

ささやかだけど…(しあわせの定義って?)

ろくなもんじゃねぇ、なんて言いたくもなる今日この頃。

仕事、家庭、その他せっこい事柄も織り交ぜると、

生きてゆくとはかなりしんどい事だなぁと感じる訳で…

毎日が楽しくて楽しくて仕方がない、なんていう方が羨ましい。

恋でもしておられるのでしょうか。

健康そのもの。

自動的に大金が舞い込んでくる。

こんな感じか?

どうか一度、楽しく生きるコツを聞いてみたいものである。

でもホントはね、

こういう方たちに対し、私は懐疑的なんです。

何故なら、神さまは私たち人間に、

そんな楽な生き方は与えないから…

ただ、なんというか、死んだら終わりだから、

それならいっそのこと楽しくと、

享楽に走るのも良いかと考えてもみる。

しかし、よくよく思索するに、

こうした場合は享楽でなく、哲学だな。

哲学。

例えば、

貧乏ながら楽しく生きる知恵

愛がなくたって大丈夫という孤独の哲学

人の死にも己の死にも正面から向き合える強さ

己の生い立ちの悪さ、環境をすべて許す寛容さ

そして

―生きるとは何かを悟っている―

こういう方がたまにいらっしゃいます。

いや、

世界情勢も経済も収入も、そんなのカンケーねぇー

働こうが道端で寝ていようが、そんなの気にならねぇー

はたまた、

絵を描いていればそれだけで幸せ

電車に乗っていればそれだけで幸せ

世間にはいろいろな方がいらっしゃるもんだ。

うーん、コツはね、

己のハードルを低くする?

いや、開き直る事?

この話を進めると、いつも泥沼にはまってしまいそうなので、

やはりこの辺でヤメにします。

少し分かったことがあります。

楽な人生はどのみちないってこと、

どのみち苦労はついて回るってこと。

やはりキーワードは

「ささやかな何か」なのだと思います。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

ありふれた恋

約3年前

あの砂浜に落とした

18金の涙のカタチをしたごく小さなペンダントを

最近になってやはり探しに行こうか

そんな事を考え

久しぶりに海へと出かける

その砂浜は扇形に遠くまで広がって

向こうの端が遠く霞んでいる

風の強い日だ

流れついた木の枝を適当な長さに折り

砂を突っつきながらボチボチと探し始める

うつむき加減に独り砂浜を歩く僕の姿を

他人の目にはどう映るのだろう

もうすぐクリスマスだというのに

僕に祝う相手はいない

集まる仲間はいるけれど

やはり今年は独りでいよう

コートの襟を立てても

首筋を通り過ぎる浜風の痛さが

身に沁みて

その冷たさに悔恨の念が少しづつ膨らみ

そんなペンダントはとっくのムカシに

他の誰かに拾われたか

潮がさっさと持ってったと

やはり浜風が笑いながら

そして耳元で囁くのだ

子供のようだった僕は

よく人を傷つけ

それに気づくこともなく

ただ通り過ぎてゆく人間だったのだろう

それは悪意のない分

余計に質の良くない事なのだが…

そしてそのありふれた恋も

結局相手の意を汲むことなく

僕のなかではひとつのゲームとして

それなりに楽しめたのだが

やはりゲームセットが近づくと

僕はいつもの通り

次のゲームに夢中になっていたのだから

この砂浜のなかのペンダントは

きっともうみつからないだろう

そしてこうして夕暮れまで探し続けて

夜は冷え切った躰を

どこかの店の安いコーヒーとハンバーガーで

癒やすのだろう

ひとつづつ

少しづつ

オトナになってゆく

失ってゆく

忘れがたいものに変わってゆく

年をとる

そしてどうでも良くなって

すべてを忘れて死んでゆく

夜の海の沖の遠く

黒い空と混じり合うあたりに

きらりと光る灯りが見えて

それが果てしなく遠く思うのは

思えば

あのありふれた恋のひとつと

なんら変わらない事なのに…

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

記憶の風景―1969

村上龍の「69」という小説を読んでいたら、

当時の自分は何をしていたのか気になった。

「69」とは1969年の意。

かなりムカシの話だ。

私はまだ幼い中学生だったが、

1969年という年はよく覚えている。

確か大きな事柄がふたつあった。

万博、そしてベトナム戦争である。

1969年。

翌年に大阪万博を控えた日本は高度経済成長真っ盛り。

誰もが「平和」を享受していた。

日本中のみんなが大阪万博を盛り上げていた、

そんな感じだった。

翌年、大阪万博が開催され、

学年の金持ちの同級生はみんな家族と大阪へとでかけた。

貧乏な友達に悔しがる奴もいたが、

だいたいこういうものは下らないと即断した僕は、

毎日水泳部の練習に明け暮れた。

しかし、家へ帰っても誰もいない。

我が家は共働きだったので、当然お袋もいない。

いつものように即席ラーメンをふた袋分まとめて鍋にぶっ込み、

それを平らげると、居間で独り汗だくで寝た。

テレビをつけると「長崎は今日も雨だった」と

「ブルー・ライト・ヨコハマ」ばかりが流れていた。

しかし、ウンザリした覚えがない。

幾ら見ても聴いても、退屈しない。

当時のテレビの魔力は相当なものであったと思う。

その頃

海の向こうのベトナムは戦争のさなかだったが、

日本にその危機感は薄かったように思う。

グローバル以前の時代の感覚のなかで、

戦争はまだ対岸の火事のように感じられた。

その5年後、ようやくベトナム戦争が終結する。

この戦いは旧ソ連とアメリカの代理戦争であり、

ベトナムという国が割を喰ってしまう。

ベトナムは焦土と化した。

この戦争は結局、

ベトナムにとって約15年という大切な時間と、

多くの命を無残に葬っただけの、

大国のエゴの犠牲でしかなかった。

世界中で反戦運動が一気に広がったのも、

このベトナム戦争がきっかけだった。

平和な日本も例外ではなかった。

ベトナム戦争が始まった頃といえば、

私はまだ小学生だった。

授業では、この戦争の話を幾度となく教えられたが、

担任がバカで、幼ごころに下らないと、

その腹立たしさを抑えるために、

そっぽを向いて窓の外を眺めていた覚えがある。

要するにバカ担任はどっちが勝つとか負けるとか、

そんな話ばかりをしていた。

戦争の本質を何も語らない、

そこが腹立たしかったのだ。

ビートルズが「カム・トゥゲザー」をヒットさせたのが、1969年。

同じ年、ローリング・ストーンズが

「ホンキー・トンク・ウィメン」をリリース。

横浜にもフーテンと呼ばれる若い奴等がウロウロしていた。

皆ラリっているので恐かった覚えがある。

お姉さん方は皆、ミニスカートかパンタロンという出で立ちで、

街を颯爽と歩いていた。

VANに代表されるアイビールックが流行ったのも、この頃だ。

映画「イージー・ライダー」は、

病めるアメリカの一端を映し出していた。

僕の大好きだったロックグループ、C・C・Rは、

「雨を見たかい」でベトナム戦争の悲惨さを告発したと、

私は解釈している。

村上龍は「69」のなかで、

佐世保という地方都市の高校生ながら、

学校でバリケードを築いた首謀者であったことを告白している。

すでに時代の風をいち早く感じていたのだと思う。

まあ、較べるべくも無いことだが、

その頃の僕は、

横浜のどこにでもいる平凡な中学生で、

毎日が平和だと信じ、

いや何も知らぬまま、何も感じることなく、

毎日毎日泳いでいるだけだった。

しかし、1969年という年は、

何故かよく覚えているのだ。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

ヘタヘタ画廊

仕事柄、サムネイルは良く描きますが、

コピーライターが描くラフって、

誰もムカシから皆下手です。

デザイナーさんたちに企画意図を伝えたい、

要は理解して頂ければ良いのです。

ヤシ最終

学生時代何を思ったのか、

彼女をモデルにクロッキーで描いたことがあります。

仕上がりを見て、私も彼女も驚きました。

全くの別人の横顔が出来上がりまして。

月

最近、100均で画用紙を買ったのを機に、

やっすい絵の具とか色鉛筆でいろいろな絵に挑戦。

出来上がりはともかくとして、楽しいったらありゃしない。

葉

私はよくまわりから、

性格的にテキトーなところがあると指摘されることがありまして、

そうゆういい加減さが、これらの絵にも反映されています。

構想3分、制作30分。

いやぁ、大作揃いです! (汗)

風車

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

夕焼け

こうして、夕焼けの空の下を歩いていると

母を想い出す

遊び疲れ

泥で汚れた服を叩きながら家路へ着くと

薄暗い台所で、いつも煮物を煮ていた

腹が減って疲れてゴロゴロしていると

母は振り返っていつもこう言うのだ

「楽しかった?」

夕げは粗末なものばかりだったが

僕は腹いっぱい喰った

恐いけれどやさしくて丈夫で

剛気な母だった

その頃の母の辛さや苦労を

僕は知る由もないから

ただ毎日が平和で幸せで

それが永遠に続くように思えた

夜中に

父と母が別れ話をしているのを聞いてしまった僕は

ひどく動揺した

布団の中で微動だにせず

脂汗をびっしょりとかいたのを

いまでも鮮明に覚えている

僕は突然の出来事に情緒不安定になってしまい

それから予定外の変な成長をしたように思う

結局両親はその後も別れることはなかったが

後年ずっと僕を励まし

物心共に支えてくれたのも母だった

秋の空の夕焼けをみると

幼い頃を想い出す

それが懐かしくて悲しくて

結局母へと繋がっている

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

星野源さん!

情報としてはちょっと古いけれど、

単純にこうした耳あたりの良い歌って久しぶりです。

星野源の「SUN」。

このリズムラインがアタマに残るから、ついもう一度と聴いてしまいます。

あえて言えば、

70年代後半にヒットしたエポの「ダウンタウン」にどこか似ていると言えなくもない。

歌詞もメッセージ性は低い。

こうした都会的かつ妙な軽やかさと明るさって、

最近のこねくり回す歌より、よっぽどいい。

星野源って多才な人。

だけど、一度倒れているんだよね。

結構重い症状だったらしい。

そこからの開き直りというか、よほど深く考えた末の、

「SUN」です。

彼の覚悟が見えるようでもある。

マスクが特別いい訳でもない。

スタイル抜群でもない。

背伸びしない。

そして、ユーモアは抜群です。

やはり、センスの勝利。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

創造と追憶のホテル

南洋の幻覚

まだ成田からの直行便がない1970年代の後半。

パラオ・コンチネンタル・ホテルは遠かった。

羽をばたつかせた727が、

グアム、ヤップ、トラック、ポナペの各島を経由、

空の各駅停車で辿り着いたパラオの空港はバラック建てで、

屋根がヤシの葉の平屋。

ここが税関兼ロビーということで、かなり面食らった。

滑走路は珊瑚と貝を砕いたものを敷き詰め、

白くゴツゴツとしていたから、かなり不安だった。

さて、現地のガイドさんが運転する日本製のポンコツで辿り着いた、

イワヤマ湾の絶景を見下ろす丘に建つ同ホテルは、

一応、五つ星ホテルで、すこぶる快適。

フロントとレストランのある大きなメイン棟の他は、

すべて斜面に立ち並ぶコテージで構成され、

インテリアはすべて手作りの籐製。

やたらにデカいベッドとその上を回るシーリングが目を惹いた。

朝のコテージからの眺めは、私としては楽園の感があり、

一度だけワニがひと筋の波を引いて泳ぐのが見えた。

当時、この辺りにくる日本人観光客は希少で、

太平洋戦争で戦死された方たちの遺骨を探すため、

遺骨収集団の方々がここからペレリュー島をめざし、

セスナ機が頭上を飛んで行くのを幾つも確認した。

浅瀬に沈むゼロ戦。

その波間から伸びる竹の棒に、

おびただしい千羽鶴が、南の風に揺れる。

コテージの一室で存分にくつろぐも、

あの鮮やかな折り紙の鶴がアタマを離れない。

そこには空間、そして時代も定まらないような、

酔ったような時が流れていた。

ヨコハマの追想

ホテルニューグランドを右手に、山下公園を左手に、

初夏の気持ちのいい並木道をゆったりと走り抜けると、

正面のみなとの見える丘公園の山裾に張り付くように、

そのホテルはあった。

―バンドホテル―

かなり古めかしいホテル。

なのになんだか敷居が高い。

当時、大学生だった僕は、この通りを好んで使っていた。

その度、このホテルには自分と全く異なる、

いや、凄い金持ちだとか芸能人とか、

そんな人達しか入れないんだと勝手に思っていた。

ある先輩から聞いた話では、

このホテルの中にシェルルームというクラブがあって、

夜ごと有名なミュージシャンが来て派手なパーティーをやっている、

らしい…

そんな先入観があってか、僕は余計に怖じ気づいた覚えがある。

結局、このホテルは90年代の終わりに取り壊され、

現在はMEGAドンキ・ホーテ山下公園店となってる。

(ウンザリ)

最近になって、このホテルが気になり、ちょっと調べてみた。

と、やはり一筋縄ではいかないホテルだったことが判明した。

1.戦争中は、ドイツ軍専用ホテルだった

2.五木ひろしの「よこはま・たそがれ」は、

 このバンドホテルが舞台だった

3.シェルルームには、ブレンダ・リー、プラターズなど、

 世界の名だたるミュージシャンが出演していた

4.いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」のブルーは

 シェルルームのネオンサインからヒントを得たと言う

5.バンドホテルが日活映画「霧笛が俺を呼んでいる」のロケ地だった

6.後年は若手のアーティストの場として、ゴダイゴ、桑田佳祐、

 尾崎豊などが出演していた

ああ、若気の至り、

はたまた勢いだけで行かなくて良かった、

とつくづく胸をなで下ろした。

この頃、バンドホテルとホテルニューグランドの間の

ちょっと引っ込んだ角に、イタリアンレストラン

「ローマステーション」があって、

当時としてはイタリアン・レストランはめずらしく、

結局、バンドホテルより少し敷居が低いこのレストランで、

僕と彼女は飛び切りのピザをいただいた。

文学の妄想

いるかホテルは正式にはドルフィンホテルと言うらしい。

北海道の札幌にある、という設定。

架空のホテルにしては、行ってみようかなと思わせる辺りが、

村上春樹の凄いところだと思う。

小説「ダンス・ダンス・ダンス」は、

このホテルに滞在してしていた「僕」が、

いるかホテルの夢を見るところから始まる。

×××以下「ダンス・ダンス・ダンス」より転載×××

よくいるかホテルの夢を見る。

夢の中で僕はそこに含まれている。

つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに

含まれている。

夢は明らかにそういう継続性を提示している。

夢の中でいるかホテルの形は歪められている。

とても細長いのだ。あまりに細長いので、

それはホテルというよりは屋根のついた長い橋みたいに

みえる。その橋は太古から宇宙の終局まで細長く延びている。

そして僕はそこに含まれている。

そこでは誰かが涙を流している。僕の為に涙を流しているのだ。

ホテルそのものが僕を含んでいる。僕はその鼓動や温もりを

はっきりと感じることができる。

僕は、夢の中では、そのホテルの一部である。

そういう夢だ。

×××以上「ダンス・ダンス・ダンス」より転載×××

いるかホテルがどういうホテルなのか?

最初は表現が観念的に過ぎて、私には全く分からない。

しかし頑張って読み進むと、

かなり具体的にこのホテルの様子が見えてくる。

そして更に読み進むと、

そこにこのホテルの数年後の変貌ぶりが描かれている。

その辺りから作者の意図するところがほんのり理解できてくるのだが、

まだまだ上巻の序の口である。

「ダンス・ダンス・ダンス」は上下刊の大作であるからして、

私も現在進行形にて読書中。

いるかホテルを解明している真っ最中なのである。

村上龍の「ラッフルズ・ホテル」よりは確実に面白そう。

そんな予感がする。

砂漠のかげろう

さて音楽は、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」。

この作品は謎な歌詞が幾つも出てくるので、

そこに多彩な解釈が加わることで、更に魅力が増すこととなる。

ホテルカリフォルニアは、砂漠の中に忽然と現れるホテル。

その正体は、実は刑務所か、精神病院か?

はたまた麻薬の園か?

物質文明への皮肉、

強いてはロック産業への警鐘とも解釈が加わることで、

更に謎は深まる面白い作品。

ギターのアルペジオワークは、かなり聴き応えがある。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村