キボウ

そのオトコは

腕の傷を隠して町から出て行った

妻に別離を言うことなく

友に挨拶をするでもなく

腕の傷は

自らの過去から現在に至る

朽ち果てた己を悔いる

自傷行為だったのだが…

当て処ない草原を歩く彼の上に

星が瞬いていた

月がまるでオトコを庇うように

クッキリと影を描く

皮のコートにくるまって

枯れ草の上に寝転がると

ひんやりとした感触が

背中を覆う

躰を丸めて

今夜はここで寝ようと

そして

何も思わないように

すべて見ないように

目をつむると

涙が溢れて

それが

草に沁み入る

そうして

月に照らされた涙がつぶやいた

「お前はな、

何も悪いことはしておらん。

悔いることなどなく働いたじゃないか。

運がなかっただけなんじゃ。

それだけのことじゃよ」

陽が昇る頃

オトコは傷の痛みで目覚めた

ふと見上げると

まわりを

妻と友が囲んでいる

オトコはハッとして

再びうつむいてしまった

そしてまた涙が溢れた

朝の光が

皆の影を長く伸ばす

陽を受けた涙の精が

「お前はもう大丈夫、

大丈夫じゃて」

と呟いた

「お腹が空いたでしょ」

妻がサンドイッチを手渡す

友が

「もし俺が死んだなら、

弔ってくれるのはお前しかいない。

だからさっさとお前がいなくなると、

俺が困るんだよ」

と笑って

オトコの帽子をめくり上げる

陽が高くなった

オトコはいままでのすべてを

ようやく受け入れることにした

町に戻ったそのオトコが

人生の成功といえるカケラを掴んだのは

それから15年の後だった

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小舟

小舟に揺られて

白い浜辺に辿り着いた

刺すような日射しで

頭がクラクラする

肌が焼けただれ

水筒の水も切れて

船では

数度、嵐にも遭った

しかし

もう駄目だ、とか

僕は決して思わなかった

だって

僕は産まれてから

ずっと奴隷だったんだ

そこを逃げ出したんだよ

僕にとって

そんな希望に充ちていることはないと

君はそう思わないかい?

8日目の朝

憧れの島影が見えたとき

その美しい島から吹く風が

僕を森へと導いてくれたんだ

白い砂浜へ船を着け

奥へ奥へと僕は進む

青い森さ

「おーい」といくら叫んでも

誰も応えない

なのに

丘にせり出して建っている

小さな宮殿に

やはり

眠り姫と財宝は眠っていたんだ

伝説が目の前にある

そこには

水や果物もたっぷり

溢れるようにあるんだ

こうして僕がみつけた

地図にない

南の果ての

伝説の島だが

もう僕の事は誰も知らないし

このことを教えてくれた老人も

もう死んでしまっていた

だから

この島の事は

誰も知らないのさ

僕はね

ここから

新しい物語をつくろうと

そう思ってね

相変わらず

眠り姫は起きてはくれないが

魔法を解く方法は

必ずいつかみつかるハズさ

僕の自由は

きっといつか

世界を変える

少しづつだけれどね

さあ

だから今度は

君が君の小舟を

探さなきゃね

広告の普遍的手法

いまでは広告も日々進化し、

正直、専門の私たちも追いつかない所があるのが現状だ。

特に、ネットメディア手法の移り変わりは早く、

最新の情報が半年で陳腐化することも、ままある。

が、そうした事例はさておき、

広告が、常に人相手であることに変わりはない。

そこには、当然のように感情がつきまとう。

ではなぜ感情なのかだが、

総じて人の心を動かすのは理屈ではない、というのが、

広告の歴史から得られた答えである。

例えば、クルマなどはスペックが重要な要素を占めるが、

ならばスペックの優れたクルマが一番売れるハズ。

だが、実際はそうではない。

それはデザインかも知れない。価格の可能性もある。

いや、メーカーで選んでいるのかも知れないし、

ひょっとすると広告や販促物で決めた場合もあるだろう。

選ぶエレメントは、実に多彩だ。

ただの理屈だけで、人はモノを買わないのだ。

人の感情が介在する限り、

広告が一筋縄ではいかない難しさがここにある。

話は変わるが、先日NHKのクローズアップ現代を観ていたら、

NPOに携わる方たちの苦悩が語られていた。

曰く、寄付金が集まらない、人が集まらない…

志高く、困った人たちをサポートすることを旨とする彼らにも、

やはり或る特定の手法が必要と、

アメリカで活躍している現役のプロが語っていた。

彼の名はマーシャル・ガンツ博士(ハーバード大)。

アメリカで人種差別撤廃に向けた活動や、

数多くの草の根運動を成功させ、

オバマ大統領の再選にも係わった人として名高い。

そして、その彼が日本の活動家に語るその手法は、

実にシンプルなものだった。

そのアウトラインを話すと、まず「物語」を語れ、

ということであった。

ここでいう物語とは、

例えば差別された経験やいじめられた過去を躊躇なく皆に披露し、

まず自らがオープンになること。

そして、その経験から、話は「あなた」へと移行する。

あなたもそんな経験のひとつやふたつありませんか?

と、共有を図ってみることだと言う。

そして、私とあなた方と共有するものがあれば、

これは他人事ではなく、一緒に問題解決に向けて、

動きませんか、と。

こうして物語は、次第に人の心を揺さぶり、

そして徐々に広がってゆくというのである。

このテレビを観いて感じたことだが、

内容が実に古典的な広告的手法であるということだった。

ゲストの糸井重里さんも、やはりそのような内容の話をしていた。

思うに、広告の手法とは、

なにもモノを売るだけの手法ではない、ということ。

いかなる場面でも、転用が可能なのだ。

「人は感情で動く」

そこに普遍性がある訳だ。

そのことを理解していれば、後はトライ&エラーを繰り返すのみ。

それしかない。

なぜなら、広告を学ぶことは、よく人間というものを知る、

ということに他ならない。

だからタチが悪い、

終わりがない、

いや、だから面白いではないか。

辛いときは、カレーを喰え!

落ち込んだら、カレーである。

なんでかというと、香辛料がセロトニンをドバッと出す…

からである。

セロトニンというのは、「しあわせ」を感じるホルモン。

だからカレーなのである。

では、なぜカレーがセロトニンを出すのか、

詳しいことは忘れた。

出所を忘れたので私が書くとウソ臭いのだが、

これは事実だ!

では、いつもカレーを喰っているインド人がどのくらい幸せなのか?

それは私も知りたいところだが、

あいにくそうしたデータもない。

私にはインド人の知り合いもいない。

かなり信ぴょう性に欠けてはいるが、

では、カレーの香辛料が内臓にどのように作用するのか?

知ってのとおり、カレーを喰うとカラダがあつくなる。

これは内臓が温まって、発汗を促すからだ。

そして、なんとセロトニンは腸から出ているのであった!

これって、大事。

ここまで良し。

ハアハア…

要は、香辛料が胃腸を刺激し、活動を活発にするからだ。

胃腸が活発であるということは、内臓温度も高いということで、

内臓温度が高くなると、健康になるという理屈である。

この理屈は諸説あるが、カラダを温めると健康になるという理屈は、

現在ではかなりの研究者に指示されている。

また、腸は第二の脳と呼ばれていて、感情を司るとも言われている。

いわば、腸が元気であれば、健康体、

そしてメンタル的にも強くなれる、という訳である。

腸といえば、いま話題のヤクルトのシロタ株やR1-ヨーグルトの他、

ナノ乳酸菌というのも話題になっている。

乳酸菌が風邪やインフルエンザの予防に有効であることは、

ご存知の方も多いと思う。

こうなると、やはり腸なのである。

キーワードは、腸である! (キッパリ)

ハアハア…

腸を温める、腸を元気にすることは、

健康への近道と捉えても良いだろう。

そして腸が元気になると、カラダだけでなく、

メンタルも丈夫にするという点が、新鮮な発見ではなかろうか。

きっと乳酸菌の類いも、

カレーに入っている香辛料も、

同等の力を秘めているのだろう。

そしてだ、ついでに言うと、

インド人はカレーを喰った後、ヨーグルトを食すという習慣があることだ。

うわぁ、凄い!

インド人はなんでも知っている。

すべてお見通しなのだ!

インド人、恐るべし。

インド人、バンザーイ!

ハアハア…

今日はカレーだ!

↓インド人、元気

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君に捧げるサンバ

年またぎ案件

12月決算としている弊社は、

毎年、年末になるとバタバタとしているので、

常々決算月を変えようと思ってはいたが、

もう己の変革のなさを諦めた。

で、年またぎ案件が10案件ともなると、

売り掛けも多く、処理の仕方も難しい。

双方の見解の相違もあるし、

決算書も見栄えが必要だし…

が、なにより正月にふっと思い出すのが、

この年またぎ案件。

興ざめだ。

陽のあたる暖かい部屋にスッと入ってくる隙間風のように、

ゾッとくるから、きっと心底休んではいなかったのだろう。

君に捧げるサンバ

久しぶりにサンタナを聴いたが、

やはり彼のギターはいいなぁ。

花をあげるのもロマンチックだし、

チョコをプレゼントするのも、

なんだかほのぼのとしている。

が、君にうたをあげるって、

なんてカッコイイのだろう。

サンタナは、アメリカのラテンロックバンド。

日本ではブラックマジックウーマンで有名だ。

独自の道を拓いたバンドだが、

そのやさしい音色という点では、

この曲が一番!

短歌

年初に短歌の本を購入。

以前から気になっていた俵万智さん。

サラダ記念日しか知らないが、

あの方って、実はかなり凄い人でした。

ずっと短歌の人である。

いろいろ難しいことも書いてある。

が、句を詠んでいると、なるほどと…

どれも味わいがあって奥が深い。

俳句は五七五だが、

短歌は五七五七七。

うーん、コピーとまた違った制約が。

で、私も一句。

年賀一枚

お元気ですか?の

走り書きに

今年こそ会おうと

心動いて

●君に捧げるサンバ

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新春の句

元旦、国道を馬がパカパカと、お前ばかばかと聞こえる

顔色の悪い日本猿に同情する、養命酒をあげようか

おっ天下統一の手相だ、と占い師、いやアカギレですと

値段で選んでしまった、風通しのよいダウンジャケット

思わず会釈したほどの、キリッとした顔の牛、凜々しく

爺さん、サクッとした歯ごたえの餅だから喉は詰まらんよ

遂に日本列島東へ移動、中国・韓国・北朝鮮・ロシアに囲まれちゃあね

焼く手間を省いたような、陽に焼けたシャケ弁当のシャケ

下着のようなスラックスの下に、サーフパンツ、ごわごわするな!

林家ペー・パーは、果たしてピンクのクラウンを買ったのかな?

総理になりたかった橋下さん、夢破れ、アイムソーリー

どうも、お粗末さまでした!

あけましておめでとうございます。

kinga-wak1

なんだかんだ、年が明けました。

元旦は近くの神社へ初詣。

願い事はですね、まずは家族の健康、

そして事業の繁栄ですね。

これ、毎年変わりません。

天照大神のお札と交通安全のお札を買いまして、

甘酒をいただきました。

春のような陽気に誘われまして、

そのまま公園へ。

凧を上げている家族連れがチラホラ。

もう汗だくで走っているおっさんもいました。

気合いが違います。

空は快晴。

平和な風景です。

遠く、丹沢の山並みが美しく光っておりました。

こういうのを、美しい国、日本というのでしょうか?

最近はベタな正月が続いております。

そういえば朝、久しぶりにお雑煮をいただきました。

和食も、無形世界文化遺産となりました。

今年はいい加減、セブンのホットドッグを食うのをやめ、

おにぎりにしようと思います。

夕方のチーズケーキ買いもやめて、ぜんざいにしよっと。

で、今年は午年。

午年生まれの人間は働き者と言われます。

ちなみに私も午年生まれです。

で、働き者かどうかはよく分かりませんが、

振り返るに、若い頃からずっと借金に追われて、

何かしら働いておりましたので、

きっとそうなのでしょう。

我を突き動かすのは、常に借金です!

なので、サラブレッドのような優雅さも美しさもなく、

考える自分像は、農耕馬でしょうか?

そういえば、いつの頃か、

占い師さんに観てもらったところ、

「あなたはうまはうまでも、

駄馬のほうだね」と言われたことがあります。

なぐってやろうかと思いましたが、

よくよく考えるとそのような気もしていたので、

なかなか当たるなぁと。

ああ、今年こそウマいこといかないかな?

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良いお年を!

住まいの価値

住まいって棲み処、ですよね?

新築、中古、

大きい家、こぢんまりとした家。

マンション、長屋とかいろいろありますが、

誰と話しても、駅近。

これしか言わない。

この物差しでしか、住まいの価値を語らない。

通勤、通学、そして買い物でしょ。

私の場合は、まず景色。そして自然の眺望。

できたら、海の幸と山の幸が同時に味わえるような場所に、

居を構えたいって考えています。

ズレていることは重々承知の上なんです。

また、賑やかな所に住みたいっていう人もいますね?

私は、夜になるとシーンとした所が好みです。

あと、平坦な所にしか住まない友人がいますが、

聞くと楽だから、自転車が使えるからと。

確かにそうですね?

私はですね、山の中腹あたりが好みです。

で、金があったらログハウスを建てたいと思っています。

畑があれば、なお結構。

週に何回か下へ降りていって、漁師さんと物々交換。

こんな生活を夢見ています。

で、お前さ、どうやって喰ってゆくのよ?

との突っ込みが入るのは分かっております。

いまそれを思案中なんですがね。

アップルの質問

先日、気に入ったアプリがあったので、APPで買おうとしたら、

妙な質問がかえってきまして参りました。

IDとパスワードはキッチリ分かっていますが、

突然、あなたの中学校時代の親友は?

とくる訳です。

続いて、あなたの育った場所は?

うーん、親友の名を入れたのですが、

それがフルネームなのか、○○君なのか、

あだ名なのかすっかり忘れてしまい、アウト!

育った場所も県名なのか市なのか町名なのか…

最初の登録時にメモし忘れた私の不手際なのですが、

これって復帰にかなりの手間がかかるそうで、

結構憂鬱です。

それにしてもやるなぁ、アップル。

休みになると…

盆とか正月とかの休みに入ると、

必ず私は不調になります。

疲れがどっと出るのか、気を抜きすぎるのかは、

はなはだ不明なのですが、

歯がうずいたり、原因不明の頭痛に悩まされたり、

普段の耳鳴りが更に悪化したりと、ホント困っています。

ちなみに今日は頭痛ですが、

ブログを書いていたら少しづつ治ってきました。

一昔前の事ですが、

金曜の夜、仕事場からグアムやスキー場へ行って、

そのまま遊びまくって、月曜の早朝に職場へ直行、

なんていう人が結構いましたが、

凄いというか、さぞ楽な仕事をしているのかな、

なんて皮肉のひとつも言ってやりたいと思いましたね?

いま、そんな楽な職場ってありません(キッパリ!)

ザ・タイガース

ウチの奥さんは、大のタイガースファンでして、

それも野球のタイガースではなく、

グループサウンズのザ・タイガース。

ジュリーのいるアレです。

最近、年配の間でタイガースが再び盛り上がっています。

今年は、都合で行かせてあげられませんでしたが、

一応ヤフオクをチェックすると、2万円位の値がついていました。

NHKの紅白でもタイガースにオファーを出したそうなのですが、

断られたそうです。

ふーん。

沢田研二の太りすぎが原因か?

そういえば、テレビのコマーシャルを観ていて思うのですが、

往年のヒット曲がかなり使われていますね。

ここ数年リバイバルブームです。

というか、新曲が全然売れないそうです。

今夜は紅白ですが、観るかどうかって、

どうでもいいようなものになってしまいました。

私としては、拓郎でも聴いていたい気分なのですが…

では皆さん、良いお年を!

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マイ・ディスコ時代

横浜に生まれ育って、年頃になって、

さあ将来何になろうかと思案したが、

いろいろな誘惑が近づいてくるので、

一途にベンキョーしていた僕も、

急遽、路線を変更することにした。

で、とりあえず夜の街に繰り出し、

社会ベンキョーに熱中する。

ヨコハマ

時は70年代。

いつものように、横浜駅西口のソウルトレインへ。

スーパースターやパープルフィッシュが肌に合わず、

結局ここに通い詰めることとなる。

ここでソウルバンプを習得し、

踊りながら目当ての女の子へと近づくことを覚える。

まあ、駄目で元々だし、

こっちもたっぷりアルコールが入っているので、

フラれても全然平気。

即座に目標を切り替え、

仲間と一列に横並びでステップを踏んだりする。

だが、万が一うまくいったりすると、

そういう奴だけ、本牧へ移動。

ホントはゴールデンカップで踊りたい、

いや、リキシャルームで口説きたいのだけれど、

金は高いし店はお兄さんお姉さんばかりなので、

まだガキの僕らは、リンディで朝まで踊り明かし、

夜明けのコーヒーは関内のコーヒー屋で、となる。

熱々のホットドッグとでかいカップのミルクコーヒーを飲みながら、

これからどうする…?

ヨコスカ

横須賀サンタナⅡは、悪の巣窟のようなところで、

横浜からも遠い。

が、あっちの友達の熱いオファーもあり、

何度か通ったが、やはり横浜と勝手が違う。

場所柄、米兵も多い。

が、奴等が皆踊りがうまいかといったら、

そんなこともなく、

やはりそこは国や人種がどこだろうと、

うまい奴がうまい。

おっと、地元の奴等が固まっているぜ!

暗闇では、黒人の兄ちゃんの目だけが異様に浮かんでみえる。

ちょっと雰囲気、違うな…

長居は無用。

人でごった返すどぶ板通りをすり抜け、

愛車に戻ると、

見事にボンネットが凹まされている。

やはり浜ナンは狙われてるなぁ。

クソ~と思うが、雰囲気がヤバイ。

遠くから数人がこっちをじっと観察している。

さっさとR16を全開で北上。

磯子辺りまで戻ると、まあ無事に帰れたなとなる。

ヤマト

R246を西へ。

数台の薄汚いシャコタンがつるんで走る。

近くて遠い大和へ仲間と遠征することと相なった。

浜ナンが相模ナンバーの地域で爆走だ!

そっからしてかなりまずい予感がするが、

僕らの目的は、厚木基地横のシルバースワンで踊ること。

暗がりにクルマを止め、

みんなでゾロゾロと店内へ。

一挙に店の空気が変わるのが分かる。

予想どおり、地元の兄さん方が固まっている。

で、横須賀と同様、米兵さんもズラリ。

さあ、これから何が起きるか分からないが、

まあそこは、しらばっくれるのに慣れている我らが、

まわりに愛嬌を振りまいてステージへ。

おお、懐かしのゲットレディがかかっているのに、

誰も踊っていない。

楽しもうぜとの暗黙の決め事があったので、

何かを仕掛けられるまで、とにかく踊って楽しむ。

が、敵も慎重なのか、我らのステップにじっと見入っている。

だいたい拮抗した同士ってぶつからないんだよね。

汗と冷や汗と…

やれやれとみんなで地元に帰り、

真冬にもかかわらず、ほてったカラダをビールで冷やした。

P.S

いま、お茶を飲んでいます。

やはり緑茶っておいしいですね。

今日は仕事納めということもあり、とりあえずほっとしています。

今年は夏から体調を崩し、皆様には多大なご迷惑をおかけしました。

この場を借りてお詫び申し上げます。

さて、今年もあとわずかとなりましたが、

年内にやるべき用は済ませそうですか?

年賀状は? 手帳の書き換えは?

そして、来年の抱負は?

最近は世の中を見回しても、

ムカシの時代状況とを比較しても、

厳しい時代を生きている感がある私たちですが、

元々私たちには、平坦な道は用意されていないと思います。

辛いから、楽しい。

嬉しいから、悲しい。

悔しくて、だがやがて春がくる。

そんなイメージでしょうか?

来年こそ!

みんなで夢を引き寄せましょう。

よいお年を…

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スパンキーの近未来批評・極論

だいぶ寒くなってきた。

我が家は、居間のエアコン他、

トイレや洗面所に電気ストーブや電気パネル、

寝室にはオイルヒーターを使っているが、

こう寒いと必殺技として、石油ストーブを出す。

当初はガスか石油か迷ったが、

ランニングコストを考えて石油に決定。

で、2年前にアラジンの石油ストーブを買った。

ブルーフレームというこのストーブは、

名の通り、炎の青い色が特徴。

見ていて、とても落ち着くのだ。

が、芯の手入れが良くなかったり石油が古かったりすると、

途端に赤い炎に変わり、不調ですよとヘソを曲げる。

そこでアレコレ手入れをするのだが、

その手間と言ったら、面倒なことこの上ない。

今年は芯の交換とやらで、

マニュアルを見ながらゴム手袋をはめてチャレンジ。

おかげでめっきりカラダが冷えてしまった。

このアラジンのストーブは、元々イギリス製で、

基本設計はなんと70年前から変わらないという。

これをいじっていて思い出すのが、

若い頃のクルマいじりである。

いまは皆どのクルマも電子部品の塊でブラックボックス化しているが、

当時は、エンジンルームの中もメカニカルなもので構成されていたので、

時間がたっぷりあった私には、興味が尽きなかった。

1973年型のビートルのリヤを開けると、

コンパクトなエンジン、プーリー、ファンベルト、

そしてキャブやエアクリーナーなどが、

むき出しで見える。

勉強もせず、バイトだけに全力を出していた当時の私は、

いまよりずっと暇な人間だったので、

どうしてもこういうものには手を出してしまう。

で、働いた金をすべて注ぎ込み、

足回りはショックしか変えなかったが、

エアクリーナーを吸い込みの良いオープン型に変え、

電圧が落ちないように、

ディストビューターからの配線をすべて新品に交換。

そしてキャブを調整する。

ここが、実は一番面白い。

ドライバー一本でガスの吹き出しを変化させ、

空気との混合比をみながら、

最適と思われる位置を探し当てる。

また、エンジンを回しながらライトを照らし、

その点火時期を見て、タイミング調整を行う。

これは寒い冬にはこたえる作業だったが、

キャブ同様、クルマの好・不調が決まる、

なかなかデリケートな作業だった。

ビートルはドイツ製だが、先のアラジンのストーブはイギリス製。

まあ、どちらも理屈っぽい造りになっているが、

そこに欧州の人間が考えた面白さが詰まっているように思われる。

しかしである。

最近はなんでもメンテナンスフリー化している。

もう少し経てば、クルマの運転も自動化になるらしい。

こうなると、メカに強い奴とか運転がうまいとか、

そんな価値は一蹴される。

そして、人間の持ち場がますます狭くなる。

極端な未来予想をすると、暇な人間が増える。

暇な人間は、当然余暇に進むだろうが、

きっとその余暇というのが、どうした矛盾からか、

カラダを動かしたりアタマを使ったりして時間を潰すこととなる。

例えば農業体験だったり、アタマを捻るクイズの類だったりと、

労働が余暇という名の消費に変わる訳だ。

だから、お金を払って…となる。

さて、皆がそれぞれ経済活動をしなければ、

行く先さえ、生きてゆくのもままならない。

このままだと、さまざまな作業の自動化は更に進むだろうし、

人工知能もまた進化し、人間の領域を脅かす存在として加速してゆく。

医学の進歩などは、あらかた人を幸せに向かわせることと思うが、

寿命が伸びが、この社会をどう変えるかは議論の余地もあるだろう。

そして、職業の選択肢も相当狭まるだろうから、

やはり考えられるのは、生き残りゲームが始まるということである。

一方、暇な人間たちが向かう先は、より人間らしさを求めて、

というお題目で、原点回帰に基づいた宗教や哲学、

そしてアートなどが、より進化・深化するのだろうが、

実はそこが楽しくもあり怖いところだと、

私なんかは思うのだ。

だって、アルカディア(理想郷)がこの地上にあるのかどうか、

私にはちっとも分からないし、

増して、火星への片道切符を手に入れた人に於いてさえ、

そこが最高の地なのか以前に、私には理解不能だからだ。

少なくとも、

小綺麗な地上の街並みに溢れる世知辛い労働者の共食いと、

暇で裕福なのに、実は悩み深い人の群れが同居している未来が、

私には透けて見える訳で、

こういうのを簡単にいうと、「不幸」というのではなかろうかと。

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