おとなって?

最近つくづく思うことだが、

おとなって演じるものなんだ、ということ。

だって年食ったって、

アタマの中ってそうそう変わらない。

最近になって、ようやくそれが分かった。

生きていれば、誰もがそれなりに社会に揉まれ、

いろいろな場でいろいろな人と出会い、

喜怒哀楽を重ねる。

で、世の中を見渡して、

他人を思いやることも覚えた。

が、何かが、相変わらずガキなんだなぁ。

変わらない。

変われない。

脳内年齢は、二十歳前後というところ。

まあ、人の親になって、曲がりなりにも子供を育て、

少し社会的に偉くなったりすることもあるけれど、

そうした場に出て、言っていることもやっていることも、

それなりの体面でしかない。

それがおとなと言えばそうなんだろうが、

その程度でして…

顔のシワが増えたって、白髪アタマでも、

根っこのところが、ガキの頃と変わらない。

強いて挙げればだが、ムカシより用心深くなった、

臆病になった、

そして、時間に限りがあることを実感するようになった。

それでもなお、落ち着いた振りをしている訳。

私ら、年いった人間はしかし、

一応永く生きている分、

なにかしらの修行に似た経験をしている訳で、

総じて我慢を強いられ慣れている。

会社で、街で、家庭で…

こういうのを年の功というのだろうか。

で、得たものは、ずるさ。

これを知恵と置き換えることもできるが、

そうしてエセおとなは、戦争を始めたりもする。

だから、知恵って、おとなの特許なのだ。

体力がなくなって、アタマでっかちになり、

ずるさが身についたとも言える。

落ち着いた物腰というのも、一見、理性的。

いつもにこにこしている輩も、

なにもいい人な訳じゃない。

或る忘れ物を取りに引き返すのを、止めただけなのである。

だからおとな諸君、

悟ったような自分を、かいかぶらないように!

そして子供諸君、おとなをあまり敬わないように!

思慮深くみえるのは、

実は、それだけ演技に磨きがかかっただけ、

なんですから!

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やなせたかしさんのこと

中学のときに好きな子ができて、

横浜駅の近くで画詩を一枚買い、

その子にプレゼントした。

画詩には、簡単なイラストに添えて、

こう書かれていた。

あるいちにちが

あった

海を見ていた

ただそれだけの

ことなのに

その日のことを

おぼえている

モノクロの絵が素敵だった。

鉛筆で水平線が簡単に描かれていて、

丘の上に人が立っている。

後ろ姿だけ。

絵も詩もシンプル。

なのに惹かれるものがあった。

やなせたかしというサインがあったが、

私は後年その人のことを知った。

それから遡ること数年、

小学校の校庭で遊んでいたとき、

校内放送から流れた歌が、

ふと耳に留まった。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

言われるとおり、太陽に向かって手をかざしてみると、

確かに手が透けるように赤く見えた。

ミミズも友達という歌詞が不思議に思えた。

父親になって、

子供たちの付き合いで、

テレビでアンパンマンをずっと観ていた。

バイキンマンとドキンちゃんがいつも悪役なのだが、

どこか憎めないキャラクターだった。

アンパンマンが雨に濡れると、

正義の味方なのにヘナヘナになっていた。

人気の秘密が、少し分かったような気がした。

やなせたかしさんの名が世に出て、

本格的に活躍し始めたのは、60代からだと言う。

彼の本を数冊持っていて、

そのなかに印象深いものがある。

「僕のように、

あまり才能に恵まれていない者は

ゆっくり走ればいい。

『あきらめるな!』と自分を叱咤しながら

目の前1メートルぐらいの地面を見て

走り続けるというやり方です」

「悲しいとき、絶望しそうになったとき、

握り拳をつくってみてください。

そして、握り拳で涙を拭くのです。

そうすれば、もう一度生きてみよう、と

立ち直ろうとする自分が、

涙のなかから生まれてくるのです。」

『やなせたかし 明日をひらく言葉』(PHP研究所 刊)

私のなかで、

やなせたかしと言う人は、

漫画家である前に、

詩人であり、

凡人が生きるに値することを教えてくれた、

先生のような人だった。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます

合掌

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ロックな生き方って?

ロックンロールだぜ、と以前から内田裕也が口をとがらして言うには、

ロックンロールというのは、

音楽以外の何かを示しているらしい。

生きる姿勢、根性、はぐれ具合。

だって、フォークだぜとか、演歌だぜって聞かないから、

きっとそうなのだろう。

で、ロックンロールとロックとどこか違うのか、

私にはよく分からないが、

理屈をこねると、ロックンロールは、R&Bのほぼ均等なエイト・ビートや、

ブルース・ジャズのシャッフル/スイングしたビート、

ブルースのコード進行や音階を応用した楽曲構成に、

カントリー&ウェスタンを混ぜたような音楽を指すらしい。

で、ロックは60年代以降に流行ったロックンロールの発展型とでも言おうか。

で、両者を区別するとややこしいので、この場合、異論もあろうが、

ロックンロールもロックも同義語として捉えさせてもらおう。

とにかくエレキギターとドラムを主体に、ガンガン歌い、踊る訳だ。

で、そのイメージは、クスリとかアルコール、そしてイカシタ女を連れ歩く、

そんな感じがする。

退廃的といえば、そんな感じ。

「明日のことなんか知らねぇぜ、分からねーなぁ」と、

ウィスキーをラッパ飲みしながらぼやいたりする。

故に、しっかりと人生計画を立てる人間は、ロッカーではないと言える。

明日をも知れぬリスキーな生き方こそが、ロックンロールなのだ。

私くらいの年齢になると、たまに年金のことが気になったりするが、

そんなことを考えること自体、ロッカー失格なのである。

なにしろロッカーは、破滅へ向かわなくてはならないのだ。

小金ができたらアパート経営をしようなどという輩は、

全くふとどきという他ない。

金を使い切って、とにかくやりたいことをやる。

後のことは一切考えない。

それこそ、ロッカーの鏡なのである。

あのキース・リチャーズは、薬漬けになって病院から退院した時、

「やった、元気になった。これでドラックができる」

と話したという。

また、シド・ヴィシャスは、

「俺は25になる前に死ぬ。死ぬ時までは、生きたいように生きてると思う」

とのたまった。

あらかた、ロックンロールな生き方って、こんな感じだ。

かようにロッカーたちは危険を顧みず、「いま」を生きる。

となると、矢沢や内田裕也って、ちょっと違うような気がする。

矢沢はロック的に生きているような気がするが、

マンション経営なんかに手を出しているようにもみえる。

内田裕也に至っては、ロックな生き方をしているというより、

いつ何を歌っているのかよく分からない、

更に商業的パフォーマンスのみが目立つように思える。

話を戻そう。

ロッカーである。

社会からはみ出した彼らが向かう先は、破滅だ。

だがその考え方、生き方の一端に、

ある種の純粋さが見えることがある。

それが人間らしいといえば、そのように映る。

例えて言えば、

掃き溜めの鶴のような、際立つデリケートさ。

人間のもつ特有の弱さが美しい神経線となって、

あの音楽を醸し出し、

それが彼らの存在を、唯一示しているのだ。

ジミ・ヘンドリックスが、

「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理されるな!」

という言葉を残している。

真剣に生き方を模索すると、

人間はきっと矛盾だらけなのだろう。

それをロッカーたちは追いかける。

やはり愛すべきは、ロックな生き方なのだ。

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勝手にコピー制作しました!

頼まれもしないのに、コピーをつくる。

これってなかなか面白いんですね。

私たちは、普段の仕事では、がんじがらめです。

当然、バテます。

が、こいつは、プレッシャーも成約も締め切りもないし、

自分で好き勝手にやっても、誰にも文句言われません。

自己満足の世界なんですが、どういう訳か、

スカッとします!

が、ギャラも当然ない。

寂しいのは、実はそこなんですけれどね…

初恋

生まれ変われるものなら

もの言わぬカタツムリになって

温かい雨に包まれ

庭先からあなたをいつまでも

みつめていたい

by サンヨーレインコート

本性

そのむかし

天使と悪魔が

酒を酌み交わし

意気投合してつくったのが

人間といういきもの

…だろうね

by サントリー角瓶

駅の改札でキミを待っていたら

いつもはジーパンなのに

あれっ

久しぶりのフレアスカート

裾が風に揺れて

僕の心が揺れて

by ISHOO

告白

例えば僕だったら

口うるさい雀になって

軒先から好きです好きですと

あなたに

ずっとうたい続けるって

迷惑かな…

by iTunes

絵画展、やります!

私の友人の画家、中垣ミツハルが、
絵画展をやります。

弊社プロデュースによる、
ちょっとユルいイベントです。

今回のテーマは「原色のLove&Peace」。
ちょっと難解なタイトルですが、
コンセプトは、癒やし。
色に注目してください。

実は、今回で2回目の開催。

1回目はてんやわんやの準備でスタートしましたが、

なかなかの盛況でした。

で、中垣ミツハルという人の作品ですが、

上手いとか下手とか、超越しています。

そんな尺度で観ると、そもそも絵なんて面白くないですからね。

どう描くかより、何を描くか?

アートって、やはりソウルだと思います。

会場は、小田急線本厚木駅近くにあるRiseという、

オシャレなカフェ&バー。

コーヒー、ケーキだけでなく、食事メニューも充実しています。

アルコール類も豊富に揃っています。

気が向いたら、立ち寄ってください。

深夜0時頃までやっています。

イベント情報
Rise 中垣ミツハル個展
「原色のLove&Peace」
入場料:熱烈無料(ワンドリンク制)
日程:2013年10月18日-10月28日(土日も開催!)
時間:11時Open-Lastまで(0時前後)
場所:Cafe&Bar Rise

130924チラシ作成印刷データ_

↑チラシつくりました!

↓お店のサイト

Cafe&Bar Rise

↓更に詳しいお店データはコチラ

http://www.hotpepper.jp/strJ000989225/

サイト訪問者からの購買・問い合わせを増やすには

サイトから、注文や問い合わせを倍増させるのは、容易ではない。

この場合、まず検索順位を上げる努力は当然だが、その対策は適当か?

また、キーワードの選定は?

それらをクリアした上で、反応は得やすくなるハズだが、

肝心のサイトの作りがおざなりだと、せっかくの訪問者も

すぐにサイトを離れてしまう。

ここは、離脱を減らす努力が必要だ。

トップページ、サイト内設計、そして、コンバージョン率

(サイトの総アクセスから、お問合せ・購買をしたいただいた割合)と、

検討すべきハードルは、いくつも用意されている。

今回のテーマは、サイト訪問者の最後の関門とも言うべきコンバージョン率について。

統計によると、実は、この最終段階に於いて、約7割が離脱するという。

要は、買うのをやめる、申し込みや問い合わせをしない人が、

10人中7人にのぼるということだ。

スマフォは90パーセント強と、更に高い離脱率が証明されているが、この場合、

スマフォの使用特性による、ユーザーの空き時間によるチェックという意味合いがある。

要は下調べだ。

だからといって、スマフォサイトを侮らないほうが良い。

ユーザーにとっては、大筋のアタリをつける意味合いがあるからだ。

話を戻すと、このコンバージョン率を上げる方法は、

ひとことで言うなら、訪問者への負担を減らす、得をさせる、

そして安心を付加することに尽きると思う。

これらが揃えば、コンバージョンは飛躍的に改善される。

例えば、アマゾンは、ここに最大の注意を払っている。

ユーザーの負担を減らすべく、3クリックで買い物が完結するよう設計されている。

これは要注目だ。

更に、類似製品の情報、比較検討材料、第3者による評価、プライス等の情報も豊富。

加えて、送料無料のものも多い。

安心感もお得さも兼ね備えている。

アマゾンを例に、小規模サイトに転用できるアイデアを考えてみると、

まずは、敷居を低くすること。

これは、例えば問い合わせ欄などの書き込み項目を、

簡単シンプルにすることが有効だ。

訪問者は、ものぐさでせっかち者と心得よう。

名字とメルアドのみでもコミュニケ-ションは開始できる。

相談のみからでも、見込み客の内なのだ。

フリーダイヤル、そして、店長に直接相談、

ものによっては、返品保証も唱いたい。

24時間以内にお返事致します等の文言も、有効手段だ。

要は、それがひいては信頼につながり、

企業や店の姿勢が先方に見えるようになれば、

価格も去ることながら、誠実な態度で臨むことは、

相手に安心感を与え、コチラを効果的にアピールできる。

訪問者が、とにかくあなたのサイトの問い合わせや、

買い物カゴまで来てくれたことは、言い換えれば、

もうひと押しの何かがあれば良い訳だ。

それを逃してはならない。

工夫することで、

サイトは更に活気づくのだから。

上を向いて歩こう

あばら屋だけど

まぎれもなく我が家だった

或る年の元旦の朝に

女性とその子供と思しき男の子が尋ねてきて

母は驚き

つつましいおせちを出して

精一杯もてなした

お姉ちゃん あの人たち誰?

知らない人

ふん

男の子は乱暴で

僕の戦車のプラモデルを

壁に投げつけた

松飾りがとれる頃

父と母の怒鳴り合う声が聞こえた

それは幾日も続いて

それでも姉は

いつもと変わらず

小学校へと走って行った

僕が夜中に目覚めると

別れる そしてどうする

そんな父と母の ののしり合いが聞こえた

僕はお姉ちゃんの手をぎゅっと握った

お姉ちゃんの寝息が聞こえた

お父さんかお母さんがいなくなるってどういうことだろう

僕はこのウチにいられるのかな

いまの学校へ通えるのかな

みんなバラバラになるのかな

僕はひとりになっちゃうのかな

ひとりになったらどうしたらいいんだろう

僕は怖くて朝まで起きていた

そして

学校の裏庭で何日か泣いた

それからいろいろな事を考え

それは浅はかではあったけれど

僕は強くなると決めた

それから何回も

泣きたいことがあったけれど

せめて

上を向いて泣こうと…

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Allentown 原風景

私の生まれた町は、

晴れた日も、空は灰色がかっていて

いつも鉄を叩く音が町中に響いていた。

川はときに緑色に染まって、

毒々しいほどに淀んでいた。

海へは歩いて15分で行けたが、

岸壁に打ち付けるのはゴミの山で、

そのなかに、

何故か必ず、犬の死骸が浮いていたのを覚えている。

いま、中国の北京や上海がとても汚染されているらしいが、

自分の原風景と変わらないじゃないかと、

ときにひねくれて思う。

東京オリンピックが開催された翌年、

私はこの町を離れることになったが、

自分があの町で育ったという意識は、

きっと死ぬまでつきまとうだろう。

20代のとき、

とても好きなアーティストに出会った。

ビリー・ジョエル。

彼に都会の憂鬱を歌わせたら、きっと右に出る者はいないだろう。

そしてアルバムを聴いていると、

私は不思議な郷愁に誘われるのだ。

Allentownという曲は、

以前から気にかかってはいた。

が、アレンタウンという町がアメリカの何処にあるのか、

私は全く知らないし、調べる気もない。

が、あの詞は放ってはおけない憂鬱さを抱えている。

きっと、無意識のうちに自分の生まれ育った町が浮かび上がり、

その原風景が、私を引き寄せるのだろう。

「Allentown」

僕たちは 

このアレンタウンという町で暮らしている

工場は次々に閉鎖されていく

ベルツヘルムではみんな暇を持て余し

仕事の申し込み書を書いて 長い列に並んでいる

僕たちの親父たちは第二次世界大戦を戦って

ジャージー・ショアで週末を過ごしていたらしい

そしてお袋たちと知り合いになり ダンスを申し込んで

優雅に踊っていたらしい

僕たちはこのアレンタウンという町で暮らしている

安らぎなんてないし ますますこの町は住み難くなっている

僕たちはアレンタウンで暮らしている

ペンシルバニアに逃げる手もあったけれど

先生たちはいつもこう言っていた

一生懸命働けば 立派にさえしていれば

必ず報われるとね

壁に貼った卒業証書も 結局何の役にも立たなかった

僕たちは要するに何が本当の事なのかということを

教えては貰えなかった

鉄にコークス そしてクロムニウム

地下にある石炭も残らず掘り尽くすと

連中は次々と逃げ出した

だけど 僕たちはまだ大丈夫さ

親父たちぐらいの根性はもっている

しかし 奴等が例の場所へ行く途中で

僕たちの顔をめがけて アメリカ国旗を投げつけたんだ

僕たちは このアレンタウンで暮らしている

善人をここに留めておくのは とても難しい

しかし 僕はここを出ていこうとは思わない

この町はますます住み難くなっている

だけど僕らはアレンタウンに住んでいる

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偉い人に、聞いてみた。

一休

この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん

あんた生きているの、と尋ねたくなるような、無難な生き方ばかりしている。
そんな人が多いような気がする。バランスをとるのも良いけれど、
振り切った生き方も、たまには良いんじゃないか。
それが、生きているという実感。

モンテーニュ

この世は絶え間のないシーソーだ。

楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。
人生の総量は、不幸が多い。いや、幸せが勝っている。
要は心もち次第なのですが、それでもシーソーだよな。
運も絶え間なく動いている証拠。

マルティアリス

すべての日がそれぞれの贈り物をもっている。

憂鬱な朝を迎えたら、上のことばを思い出してください。
ちょっと機嫌が直る。
一日のうちに、良い事のひとつくらいあるでしょ?
ないという人は、きっと探し方が上手くない。
今日のギフトを丁寧に扱う。そうしてギフトを積み上げて、幸福になろう。

ソロー

すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。

このくらいポジティブになりたいと思うのであります。
ネバーギブアップの精神は、怒りと悔しさではなく、
こうした未来志向が根底にないと乗り越えられませんからね。
しかし、この心境に達するのに、まず修行かもね。

ラ・ロシュフーコー

うぬぼれというものがついぞなかったら、人生はてんで楽しくあるまい。

今日からみんな、自己評価を上げましょう。うぬぼれも才能のウチ。
自分は駄目な奴だ…と常に悩んでいる方に差し上げたいことばです。
だって、そういう人ってたいてい才能あるでしょ?
が、過ぎたるは…という人もなかにいて、こういう人には、謙虚さを
学んで欲しい。

セネカ

過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ぬ。

過ぎた日のあれこれに、ひきづるものもなし。明日は明日の風が吹く。
だって本当に分からないのが、未来。
だから、いまでしょ! 目の前の事を精一杯やる。
ホントの意味での自由闊達な精神というものは、
こうしたことばにヒントがあるものです。

メーソン・クーリー

「それも、いいじゃないか」は、おもしろい人生のスローガン。

私はよく、いいんじゃないの、というのが口癖。
なにも考えていないときに発している。
もっと、心を広くして、自他の意見を受けとめられるようになりたい。
それも、いいじゃないか―選択肢の数は可能性の数ですからね…

エマーソン

貴方が今、夢中になっているものを大切にしなさい。それは貴方が真に求めているものだから。

それがパチンコや女だったらどうしようと思う私なのでありました。
いや、それが要はなんでも良いのだろうと考えると、
人にはいろいろな可能性が見えてきます。
オタクなんてその最たるもので、それはそれで、その道の専門家となり得るのです。

シェイクスピア

貴方がたとえ氷のように潔癖で雪のように潔白であろうとも、世の悪口はまぬがれまい。

そんなもんです。良くも悪くも、人は評価したがるいきものです。
いや、評価ではなく、悪口もね。それがいきものの自己防衛ですから…
ゴーイングマイウェイ! 我が道を突っ走れ。
それより、強いものなし。それしか生きる道なしと思って。

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iPhoneとiPadの使用感

数ヶ月前、ガラケーをiPhoneに換えた。

ガラケーは通話のみと割り切っていたので、

換える必要はなかったのだが、

iPhoneを投げ売りしていたので、

好奇心でゲットしてみた。

一方、iPadは長く使っているので、その良さも

欠点も分かっているつもり。

両者は、まあ似た者同士なので、iPhoneの使い方にも、

別段、違和感はなかった。

iPhoneは、予想どおり軽くてコンパクトで

扱い易い。

が、如何せん文字もアイコンも小さすぎる。

これは分かっていたことだが、

やはり老眼の私には辛い。

だから、まず先んじてiPadを手に入れた訳だが、

こちらの欠点は、やはり重いことだ。

ネットやメールなど、読めない小さな文字などは、

ワンタッチで拡大できるので、高年者にもやさしい。

が、寝転がって見るときなどは、いい加減に腕が痛くなる。

ズシンとくる重みは堪える。

で、この両者の中間に位置するiPadminiに、

一時狙いを定めたことがあった。

と同時に、iPadminiと同等の大きさ・重さの、

ネクサスやKindleも視野にいれたことがある。

しかし、実際手に取ると、その調度良さそうな大きさと重さが、

逆に中途半端なことが分かる。

画面を見るにつけ、

なんというか、納得のいかない中途半端な大きさの画面で、

ここは、やはり重いが、

より画面の大きさなiPadに軍配が上がる。

また、通話のやポケットに入れることを想定すると、

やはりiPadminiでは、大きすぎる。

結果、こちらの用途においては、iPhoneのほうが良い。

で、これら7~8インチのものはあきらめ、

ガラケーとiPadで用途を棲み分け、しばらく利用していたのだ。

今回手にしたiPhoneに話を戻すと、

以前使用していたガラケーと比較すると、

格段に機能的に優れている。

通話音声、カメラ画質も高く、

なによりアプリがふんだんにあるので、

GoogleMapや乗換案内、ラジオとか、

必要なものは、ほぼタダで取り込める。

カーナビとしても使用可能。

そしてなにより、普通にネットが楽しめる。

iPhoneは、自分専用にカスタマイズできて、

オリジナルに使える楽しさがある。

これはiPadも同じだが…

ただ、iPhoneのメールは、

前述のとおり、文字が小さい。

外出先で、いちいちメガネを出す暇もないときは、

困りものである。

が、これらをiPadに同期させればデカ文字で見られるが、

こっちも前述のとおりの重量があるので、

それなりに落ち着いた場所で確認せねばならない。

こうなると、問題は自分自身の視力。

現代は、とにかく目をよく使うことが多い。

情報の大半も、視覚から入る。

自身、この夏は眼精疲労から寝込んだ経験もあるので、

日頃の目の酷使を反省した。

思うに、こうした社会で生き抜くには、

強靱な「目」が欠かせない。

文明の利器は、とかく目を酷使させられる。

こうなると、クルマと同じく、

もうスペックでモノを語る時期ではない。

何馬力出ようが、何キロのスピードで走ろうが、

それを操る人の感覚に意識が向かわないのであれば、

そのマシンは、ただのモンスターで終わってしまう。

技術が、如何に人に優しくなれるかか?

デバイスも、

そろそろそうした時期に来ていると思う。

目が疲れないディスプレイの開発、

見づらい画面や文字を感知し、

即座に対応する対応する技術。

近未来のメガネのようなスカウターも開発されてはいるが、

ゆくゆくのヒットの肝は、

軽量・小型化のみでなく、

如何に肉体に負荷をかけないで使用できるか?

案外このあたりにあるような気がするのだが…

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