午前2時
漆黒のゆらぎ
生命の想念
キキッと
宇宙のつぶやき
銀河の渚に
独り
国境もミサイルも
躰の痛みも
憂鬱も
天の川の
ゆりかごに睡る
ときの旅人
鋭意なまなざし
思索する宇宙
浮遊 浮遊
ころりと
こてんと
ひき汐歩いて
塵を振り払い
塵をまき散らし
細胞
欲望
現世
来世かっ
えいっ
くそっ
やっぱり
生きてみようかと
或る本で読んだが、
いまは人が死んでも、
昔のようになかなか腐らないそうである。
嘘のような本当の話だ。
その原因はというと、永年食物からとりこんだ防腐剤だという説がある。
或る本としたが、
確か養老孟司さんの著書だったように思う。
中国の食品汚染は有名だが、我が国だって分からない。
というか、すでにいろいろなものが入っている。
例えば、商品を長持ちさせる、味を良くする、見た目を綺麗にする。
そんな目的で、食品添加物が混ぜられている。
他、農薬は言うに及ばず、
放射能に汚染された食品も出回っているのかも知れない。
これらを徹底的に排除するには、
生産から流通経路までが明らかなものを選ばなければならない。
しかし、こうした商品に限って値段は高い。
これは、富裕層のみ可能な選択。
また、外食で済ませなくてはならないこともある。
この場合も、身元の確かな食材を使用しているか否か、
そこは怪しい。
とまあ私たち庶民は、
食品添加物や他の汚染物質にまみれたものをせっせと食っている。
それを避けて通る訳にはいかない。
私はよくジャンクフードを食うが、
あるときから、
この避けられない汚染から身を守るためにはどうしたら良いか?
そのことを突き詰めて考えたことがある。
結果、こういう結論に達した。
まず、脳を騙す、という行為。
なぜこの結論なのか、だが、
まず人間は、ネガティブなもの・事柄に出会うと、
身体が拒否する。
こわばる。
この所見は、元を正せば、脳の仕業だ。
結果、例えば汚いものを食ったりすると、
後で悪心がしたりお腹が痛くなったりする。
これは、汚いものが悪心や腹痛を誘発したのではなく、
ほとんどの場合は、脳がそうさせている。
で、本当にバイ菌やウィルスが入った場合の症状だが、
この場合も、頑として脳がノーと指令すれば、症状は軽く済む。
これは、ある程度本当らしい。
広義のフラシーボ効果だ。
また、食中毒に関してだが、
あれも症状の酷い人とピンピンしている人がいる。
これが抵抗力の差だとしたら、その差は何なのか?
これも答えが明快で、身体の健康度や疲労度の差に加え、
性格の差で決まる。
要は、「平気、たいしたことない」と考えている人の症状は軽い。
このように、メンタルは身体を左右する。
で、ここから理屈は一気に飛躍し、
脳とメンタルの話に移る。
前述のように脳を騙すとしたが、
正確には強いメンタルをもてば、怖いものはない。
という訳で、強いメンタルの前では、
食品添加物も汚染も毒が効きづらい、
という理論が成り立つ。
その一歩手前に、現在の私は立っている(?)
腐ったものを美味いといって食う………
これはちょっとオーバーだが、
サバイバル的には必要な知識だ。
また、添加物のごってり入ったジャンクを、
健康食品を採るようにありがたくいただく。
さらに、汚染された食材をよしよしといって、
天に感謝しつつ食う姿勢。
このようにして、
我々はなにものにも負けない健康体を築くことが必要だ。
気持ちひとつ!
鍵はメンタルが握っている。
これは疑いようがない。
余談だが、これをコピー的に表現すると、
あなたのカラダは、あなたのメンタルがつくる。
または、
カラダって、実はメンタル。
となる。
さて、こうした強靱なメンタルを如何につくるかだが、
ここで、私のアイディアを紹介しよう。
まず、なにごとも我慢する習慣をつける。
これは言い換えれば、欲望に勝つ精神力を鍛えること。
そして、極めつけは貧乏と借金だ。
これらの辛酸を舐め尽くし、それを乗り越えると、
不思議と怖いものはなくなる。
同時に、根拠のない自信も育ち、
神がかり的なことさえ体得できる体質となる。
以上が、私が現在研究中の理論なのだが、
どうだろうか?
皆さんのご意見を伺いたい次第である!
伊勢佐木町の賑わいを眺めながら、
R16を南下する。
山元町のトンネルを抜け、幅広の道に出る。
両側には商店街が続き、
左にあこがれのリキシャルームの看板がみえた。
本牧だ。
いつか彼女ができたら、ここへ誘いたい。
いつもそう思っていた。
右にリンディ、派手なディスコ。
ここはたまに来るが、フロアの真ん中にアメ車が鎮座する、
それ以上でも以下でもない、赤い色が似合うディスコだ。
僕は小湊の信号を過ぎたあたりからスピードを落とし、
フェンスが続く芝生の向こうをじっと凝視する。
45番のペンキの札が近ずく。
その立て札が立つ芝生の家に、あの子がいる。
名は知らない。
ブロンドの髪を長く伸ばし、
そばかすの細面の顔に、
澄んだ青い宝石のようなまなざしで、
いつもフェンスの外側をみつめている。
僕は彼女のことを、勝手にステラと名付けた。
ステラは真っ白いペンキの家に、
軍人の父と教師の母親と、まだ幼い弟と、
3人で暮している。
ステラはいつも黄色のワンピースを着ている。
開いた胸元に、
きらきらと光るペンダントを
いつもぶら下げていた。
僕のカーラジオからは、ブルースが流れる。
FEN放送は、たまにこんなのも流すのか。
そんなことをぼんやり考える。
この歌は、黒人の労働の辛さを語った悲しみの歌。
南部テネシーあたりの歌だろう。
ゆっくりと流れる景色のなかに、
遠く貨物船が煙を吐いている。
運良く今日は赤信号にひっかかる。
45番の家の正面。
僕はフェンスの向こうをじっとみる。
ステラの弟が庭のプールではしゃいでいるのがみえた。
傍らで母親が、
じょうろで弟の頭に水をかけてあげている。
光る芝生と水のきらめき。
極彩色のビニールプールと、
淡い色の洗濯物が、
夏の陽ざしに鮮やかさを増す。
一度、ステラを
根岸の競馬場跡の近くの喫茶店で
見かけたことがある。
このときはどきどきしたが、
なんてことはない。
ステラはボーイフレンドと一緒で、
あのいつものワンピース姿ではなく、
派手な化粧にTシャツ姿で、
きらきらと輝くペンダントはしていなかった。
ステラとすれ違うとき、
彼女はふっと微笑んで、
どうした訳か、
僕にキャンディをくれた。
そのときのキャンディを包んでいた英字の新聞紙は、
まだとってあるというのに…
あれから一ヶ月。
ステラをみかけない。
この道を、昼夕と2度通るが、
今日もステラはいないようだ。
あの派手な化粧とボーイフレンド…
ステラが何処へ行ったのか、
誰か知らないかい。
いきなり偉そうな奴にこう問いかけられると、
こちらも返答に困る質問ではあります。
金で解決できそうなものもあれば、
そうでないものもポツポツあるような…
で、
この宝くじの新商品「ロト7」のTVCMのシーンは、
走るハイヤーの車内から始まる。
車中で、部下の妻夫木君が、
上司の柳葉さんに話かける。
「部長はロト7って知ってます?」
「知らないな」
つれない返事を返す柳葉。
が、なおも熱心に説明する妻夫木。
ここで、なにげにロト7の特長が語られる仕組み。
うまいな。
で、みるみる柳葉の顔がこわばる。
そして、
いい加減にしろとばかりに、柳葉がこう返答する。
「なあ…。お前の夢は金で買えるのか?」
……………!
カッコイイ!
ここんとこは、柳葉の見せ場である。
クールにキメテイル。
が、あめ玉を入れているような口が、やはり尖っている。
眼光鋭く、あれっ、室井さんか?と思いましたが、
妻夫木君が「部長」と問いかけるので、あっ部長なんだなと…
で、キャラ全く同じ。
柳葉は、もうずっとこれでいくのだろうと。
これで食っていけると思いますよ。
このキャラは、権利と同等の価値がある。
、
著作権ビジネスにも相通ずるものがありますね。
さて、1人になった妻夫木が、つぶやく。
「かっこいい。やばい、涙出そう」
と、ふと見た先の宝くじ売り場に、
なんと、
あの柳葉部長がいるではないか?
バツの悪いシーン。
双方の驚きの表情が印象的だ。
で、ここんとこが笑える。
で、一体このコミカルさはなんだろうと。
思うに、
建て前がもつおかしさなのではないかと…
部下の手前、カッコつけた柳葉部長の見栄も、
渋さとなる。
が、根本は建て前がもつ胡散臭さか。
私たちは、本音と建て前を使い分ける。
そこんとこは、痛いほど分かる。
ムカシからそうしてきた。
幼い頃、母が「つまらないものですが」と言って、
誰かに折り詰めを渡していたのを思い出した。
つまらないものか?
私は、このやりとりは変だと直感したが、
後々やはりこれでいいんだと…
そうして育ちました、ハイ。
そんな国の建て前を凝縮したような柳葉部長だが、
その彼の本音が丸見えになったとき、
下世話な私たちは笑えると同時に、
心底安堵する。
世の中、夢というか、
まあ、金でなんとかなるものもあれば、
そうでない奥深いものはいくらでもある。
そんなこと、観ている側は、当然織り込み済み。
が、ロト7という商品を鑑みるに、
このCMが観る人を笑わせ、油断させ、
本音のところを引き出して、
あわや宝くじ売り場へ向かわせようとする。
つくり手の、ある意味自虐的な発想も、
功を奏している。
充分、喚起力がある作品。
ちょっと褒め過ぎか。
作家の伊集院静さんは、男の流儀にうるさい。
彼の通っている寿司屋は銀座にあるそうだ。
かといって、彼の通う店だから派手ではない、と思う。
おとなの男の流儀から推測するに、
彼は、路地裏に佇むこぢんまりとした店でほどほどの酒をたしなみ、
寡黙な板さんが出すネタをつまみ、二言三言ことばを交わし、
少し酔いがまわる頃に店を出る、とまあこうなる。
カッコイイ!
で、私の場合はというと、資金力もなく地域も田舎なので、
というか、男の流儀を貫くほどのものを持ちあわせていないので、
寿司を食うにしても、回転する店へと行くこととなる。
ここで、あえて男の流儀を通すなら、
まずキョロキョロしないこと。
静かにお茶を飲んで、余裕で皿に醤油を注ぐ。
減塩醤油ね。
で、ヤンママやガキたちに混じって戦いに挑めば良いのだ。
最近オープンした街道沿いの寿司店はいつも大盛況で、
30分や一時間待ちなんぞは当たり前。
いつぞや、私は皆の不意を突くような時間帯にここを訪れ、
待ち時間ゼロで席に通された。
ヤッタネ!
他の回転寿司店では前方に板さんらしき人を確認するも、
この人気店のカウンター前は無人。
かわりに液晶ディスプレイと派手なメニューのチラシ類が私を迎えてくれる。
おっと、目がチカチカする。
参った。
日頃、パソコンのディスプレイとにらめっこしている身なので、
コイツは嫌だなと思った。
なんといっても目が疲れる。
飯どきくらいリラックスしたい。
が、目の前を通り過ぎる皿を頂こうかと思ったが、
乗っているネタが幾分水気を失い、
皆の前を通り過ぎてゆく間に雑多な付着物もあるのだろうと推測。
仕方がないので、再びディスプレイに目をやる。
タッチパネルは幾分感度が悪い。
ある程度の力でタッチしないと反応しない。
ここは、iPadの技術を応用してもらいたい。
で、何が食いたいかをこのタッチパネルで追いかけることとなるが、
例えばサーモンひとつとっても、その種類が多いのにまず驚く。
炙ってあるやつとか、バルサミコ酢がけとか、
タルタルソース和えとか、
パネルを見ているうちになんだかイライラしてきて、
何でもいいから食わせろよ、となる。
ここで、カリフォルニアロールという食い物も食したが、
いまひとつ好きになれない。
そんな寿司はしらないねぇと、
あくまで江戸前にこだわるような啖呵のひとつも切りたいが、
伊集院さんのような甲斐性のない私は、
とりあえず炙りサーモンを注文する。
で、思ったが、
この寿司屋だけでなく世間ではどこもタッチパネルが普及している。
こうした操作にお年寄りがどのくらい対応できているのかが気になる。
とにかくムズカシイ世の中になってきたことだけは確かだ。
メニューもよくよくみるに、
ここは寿司だけではないことに気づく。
軽い量のたぬき蕎麦やうどんが食える。
フーン。
さらにチーズケーキとかモンブランもある。
アイスも当然のように置いてある。
他、焼き肉の類いもある。
おっと、ラーメンもあるぞ。
あれっ、コーヒーも飲めるな。
それもレギュラーコーヒー。
ええーっ、なんでもあるじゃん。
と、これには驚きました。
こうなると、これは単なる寿司屋ではなく、寿司を軸とした、
総合お好み食堂の様相。
フードコートともダブってくる。
私が幼年時によく母に連れて行ってもらった、
横浜高島屋の上の階のお好み食堂を思い出しましたね。
あそこは確かになんでも揃っていました。
でですね、
この寿司屋にいると次第に首が凝ってくることが分かった。
目がしょぼしょぼする。
そして落ち着かない。
ウーン。
それは、ディスプレイ画面とレーンを流れる寿司と
チラシなどのメニューの情報が、
いっぺんに大量に飛び込んでくることに起因するようだ。
相変わらず、まわりは皆凄い勢いで食っています。
歓談しているグループや家族連れも多いのですが、
皆一様に目は笑っていない。
常に獲物を捕らえる動物のように、
液晶パネルと目の前を流れる寿司は必ず見逃さない。
話半分というところ。
これはコワイ。
で、なんでこんなに繁盛するのかだが、
結局値段だろうとも思う。
お会計で驚いたが、とにかく安い。
他の回転寿司と較べても、明らかに安い。
あれだけ食ったんだからと思うが、この値段はもう寿司の値段ではない。
いうなればタンメンの値段。
道理で混む訳。
他の繁盛する要因を除いても、それだけで納得できる。
でですね、後日ふと気がついたのが、
あれだけみんなで食いまくって海は大丈夫か?
ということ。
少し社会派ぶった疑問ですが、
水産資源も有限だし、いまかなり減少傾向だと言うし…
で、生けすで育てている?
いや乱獲か。
日本人は海洋民族だしタコも食うしなぁ。
だから、海のいきものにとって日本人は天敵だ。
さらに、お隣の中国でも川魚から海の魚へと、食が移りつつある。
こうなると、日本の寿司屋が危ないのだ。
この店もそのうち立ちゆかなくなるな、などと
勝手な推測をたててしまうのでありました。
でさらによくよく思い返し、
あの環境下であの食い方はなんだろうと…
冷静に考えた訳です。
で、ブロイラーチキンの餌を食う様子を思い出しました。
たかが一寿司店の話なのですが、
これはもはや男の流儀などではなく、
現代日本人の流儀とでもいおうか、
そこから考えるべき深いテーマが潜んでいる、などと
勝手に小難しくこねくり回す私なのでありました。
スター伝説。
スターっていうのは辛いものだと思う。
南沙織だって百恵ちゃんだって、いまは伝説である。
どんな生活しているか、ほぼ皆知らない。
が、素人が思うに、
あまり人が集まるユルイところではしゃいだり、
のんびり羽なんか伸ばしてはいられないだろう、
ということ。
通報とか写真とか報道とかある訳で、
あの可愛いかった娘がとんでもばあさんに、
なんて見出しが躍る。
そこは、例え億の金を貰っていても、
本マグロが幾ら食えても、
ちょっと辛いんじゃないだろうか?
この生活は死ぬまで続く。
一般人をですね、まあ天気に例えれば、
うす曇りのような人生なのか知らんけれど、
スターのように、あまりにコントラストの強い、
ピーカンのち豪雨、というようなのもどうかと…
黒柳徹子とか吉永早百合張りにいけばいい。
森光子、森繁久弥然り。
タケシとか健さんのようになれば、これは官軍だ。
が、大半の元スターが食うためか目立つためなのか、
整形の他いろいろ小細工までして、
テレビのバラエティなんぞで、
恥も外聞もなくプライバシーを晒し、
晩節を汚すことを厭わない。
赤木圭一郎、坂本九、夏目雅子、
そして裕次郎。
いまでも永遠のスターであり続ける。
ジェームス・ディーン、グレースケリー。
この人たちも、皆若くしていなくなってしまったが、
全盛期の輝いた伝説だけが残る。
皮肉なことだなぁと、つくづく思う。
日本、自立。
いま思えば、彼は不思議な人だ。
野田という元首相のおっさんだが、
選挙ボロ負けを覚悟して、
一体なにをムキになっていたのか。
ここは謎である。
消費税を上げるといって、頑なだった。
増税の道筋をつくるとして、
周囲の意見も聞かなかったという。
この一点に於いて彼は一途だった。
誰かに頼まれたのか、と私は勘ぐりましたが。
で、挙げ句、民主党はご覧の通り。
それはそれで良かった。
で、行政改革に関して、
彼もしくは民主党は、全く無能だった。
そこに手をつけず、
原資を消費税に求めたのだろう。
片手落ちの政策に皆が納得する訳がない。
が、この法案が通ったとき、
野田さんは晴れやかな顔をしていた。
震災後の復興に遅れを生じさせ、
また尖閣の対中国政策では戦略的な考えもなく、
その弱みを突かれた。
この一連の流れをみても腹立たしい。
で、替わって登場した自民党の阿倍さんだが、
みんながこの政治家を、
手放しで喜んでいる訳ではない。
時代がうねるとき、ああいう人は必要だ。
その一点に於いて彼の存在が光っている。
が自民党も相当の悪役揃いで、
元を正せばとんでも利権集団のように思える。
これは、この政党の過去が示している。
こうなると、
この国の利を考えて行動している政治家は、
ほんのわずかではないかと思えてくる。
でなければ、
日本はいろいろな意味で、
とっくに自立している。
もちろん、外交、軍事に於いてもだ。
猿との攻防
元来、猿が嫌いだ。
以前、伊豆の波勝崎で、
猿の集団に囲まれたことがある。
どんなに手を出されても相手にせず、
決して目を見ないこと。
この原則どおりにその場を切り抜けたが、
かなりアタマにきた覚えがある。
これは思うに、
猿と人間の近親憎悪から生じるもののようだ。
人間でも猿顔の方とは縁が薄い。
過去、ロクなことがなかった。
きっと相性が悪いのだろう。
で、先日ベランダへ出ると、
さっと走ってゆく何かがいた。
とっさのことで一瞬アタマが働かなかったが、
その後ろ姿を見てカッときました。
我が家の庭に猿が佇んでいたのである。
更に腹立たしいことに、
コイツ、途中でこっちを振り返り、威嚇を始めたことだ。
私の知り合いの農家で、こんなことがあった。
畑を荒らされ、罠を仕掛けた。
犯人はイノシシらしかったが、
猿がかかった。
で、一晩放っておいたところ、
翌日に警察が来て、
動物虐待の容疑をかけられたという。
嘘のような話だが、本当だ。
猿も大変と思います。
生きる事情は皆同じ。
元を正せば、我々がいけないのも承知だが、
なんだかイライラするな!
でですね、
奴等をよくよく観察すると、
どいつも筋肉隆々なんです。
で、すげぇ毛深い。
とこれは関係ないが、
とにかく鍛え方が違うのである。
参ったな、というのが本音。
私は以前、枕のことなんかどうでもいい人間だった。
朝まで居間で寝ていたこともあるし、
そんなときは転がっているクッションを枕にして寝ていた。
そんなもんでOKだった。
が、あるとき、ウチの奥さんが枕を買い換えたいと言う。
「そう?」と私。
そういえば、
つい最近のいつかは忘れたが、彼女は一度枕を買い換えたような…
が、彼女曰く、枕が合わないと言う。
そんなことがあるのかなぁと、私は気にも留めなかった。
が、あるときまた枕の話になり、
よくよく聞くと、
朝起きると首が痛いとかいろいろな不具合が出ていたらしい。
ふーんと思い、私は私なりではあるが、
枕について少し調べることにした。
と、みんなが実にさまざまに、枕について述べている。
その種類も多岐に渡り、売り込みも激しい模様。
なかには枕フィッターみたいのもいるし、
枕研究所みたいな所もある。
ふーん。
とにかく枕にまつわる話とか製品が異常に多いのだ。
気がつくと、世の中は枕のことだらけだったのだ。
世界は枕を中心に回っていたのだと思った。
私はそのことを全然知らなかったのである。
で、あるとき、彼女の買い物に同行することにした。
イオンとか東急、ニトリ、
果てはホームセンターの枕売り場に至るまで、
枕の実体についての実地調査と相成った訳だ。
そば殻枕は定番である。
が、同じそば殻でも、
メイド・イン・ジャパンとかアレルギー対策のものは高いと知る。
また、羽毛、プラスチックのパイプ、スポンジ、発泡天然ゴムから、
ポリエステル、ポリウレタン素材のものもある。
更に、低反発枕とか高反発枕等々、その様は百花繚乱。
果ては陶器まである。
うーん!
そして、
人間工学の観点から研究した枕、科学の粋を結集しました枕、
メディカル枕、調節自由自在の機能性枕など、
そのすべては把握できないが、枕の世界の複雑怪奇を
私は知ることとなった。
値段も実にさまざまで、1000円くらいから数万円のものまである。
なんでそんなに価格が違うのか、そこが問題だが、
素材とつくりの差は理解できても、それ以外はよく分からない。
ただ、
メディカルとか科学とかの冠がつくと、グッと高くなるのが分かった。
うーん、深い。
家に帰って枕というのを更に調べるにつれ、
元々枕は、人の生や死と密接に結び付けられていたことも知る。
ウィキペディアによると、
「日本語のまくらは、たまくら、つまり魂の倉が語源であるとする説がある」とのこと。
他、さまざまな文化で、枕の歴史や権力の象徴のようなことが語られている。
興味深い話ではある。
が、要するに今回の私の場合は、奥さんの首が痛いから始まった話なので、
そこらへんのアカデミックな話はこの際、スッパリ省くことにした。
簡単にいうと、
カラダに負担のかからない枕がみつかれば、それでOKなのである。
さてである。
デパートなんかへ行くと、専門の方がカラダのいろいろな箇所を測定し、
試し寝なんかもさせてくれるらしいが、私はそこへは行かない。
理由はふたつ。
まず、すげぇ高いだろうということ。そして、いくら試し寝ができても、
一泊しなくては分からないだろうという推測。
これは奥さんとの議論で導き出した回答だ。
とここまで書いて、
いまだに奥さんに最適の枕は見つかっていないことを報告しよう。
現段階で、どうやっていい枕を見つけようか?
その方法論で行き詰まっている。
あぁ、
それを考え始めると、今日も仕事に支障が出るなぁ…
私だけおちおち寝てもいられないしなぁ…
緊張して眠れませんよ!
セブンでも遂にというか、
レギュラーコーヒーが飲めるようになりました。
ということで、早速頂きに参りました。
価格は100円ポッキリ。
安い!
まだ2回しか試飲していませんが、
感想はというと、まあまあというところ。
このまあまあというのは、
あくまで缶コーヒーに較べて、です。
そして100円という値段を考えての評価です。
ハッキリ言って、コスト安が味に出ています。
荒い味です。で、少し粉っぽいか?
が、いま評判のネスカフェ・バリスタより、
味は良いと思います。
バリスタは、新しい生活提案ということで○ですが、
ネスカフェのインスタントという域を出ないのが残念。
泡立つ雰囲気はGOODなのですが、腰がない。
惜しいです。
まあ、スタイルが斬新というところでしょうか。
で、話は戻りますが、
セブンより、ミニストップのレギュラーのほうがうまい。
ミニストップ、割とイケマス。
そうですね、味は調度タリーズと同レベルのよう。
セルフで入れるのは、セブンと同様ですが、
味はざらついていません。
ちなみに、タリーズよりドトールの方がうまいです。
で、話はコンビニに戻りますが、
やはりこのあたりでうまいのは、先行するサンクスです。
一杯ごとのカートリッジなので、
それなりにコストもかかっているよう。
こだわりに見合う味と薫りが、他を引き離した感じです。
これで150円ですから、私はこれに軍配を上げます。
あとは、各人の好みということで…
番外ですが、
お馴染みのマック・カフェは、
セブンのコーヒーと同程度レベルと思います。
低値安定ですね。
これらレギュラー、いやマシンコーヒーが、
いまはとても身近になりました。
どこでも頂ける。
スタバがいっぱいでも、
コメダ珈琲が近くになくても、
入れ立てのコーヒーが飲める時代になりました。
こうなると、経済学部出身の私としては、
世界のコーヒー相場が気になるところ。
おとなり中国でも、市場はこれから伸びることでしょう。
コーヒーが世界でどのくらい生産されているのか、
私は調べたことがないので知りませんが、
まあ、グラフの先はみえますよね?
マグロと同じです。
ウナギと変わりません。
このままだと品薄感が漂います。
やっとお手軽コーヒーがラインアップされたのに、
また危機必至じゃありませんかね。
ホント、グローバルな時代になりました。
崖の上の柵につかまって
下をのぞき込む
削れた赤土の上に溜まった池のなかを
一匹のサカナが泳ぐ
数日前まではなかった池なのに
キミはどこからやってきたの?
あの大雨の日に流されてきたのなら
キミはあの山で泳いでいたのかな
と僕は問うて
ほらっ
池の淵に気をつけなよ!
クチバシが長く
鋭い目をした大きな鳥が
きみの行方を追っている
あぁ
きっとキミはもうすぐ喰われちゃうんだ
そうだ
キミはきっと天から降ってきたんだ
そう思うことにしたよ
いいね
僕はキミのこと
すぐ忘れるよ
いや
いつか山の上を尋ねてみよう
それでいいかな…
僕はこの春の陽ざしが好きだし
この季節の空気はいい薫りがする
キミはきっと天から降ってきたんだよ
僕はね
サカナなんか
大嫌いだ
以前、論語に関する本を何冊か買って読んでいた。
が、どれも難しいか、断片的な物言いで、
どうも論語の全体像が掴めないでいた。
ウィキペディアでみても、いまひとつ
物足りない。
或る日、本屋でふと論語の特集をやっている
月刊誌が目に留まる。
これが秀逸の出来で、その編集力に恐れ入った。
そもそも論語とは、から始まり、
その歴史や時代背景、
孔子の生い立ちや人脈等が
コンパクトにまとめられている。
ひとつひとつの語彙の解釈も簡潔で、
そのことばの奥深さもみえてくる。
断片的に知っていた論語に関する知識が、
すっと頭のなかで繋がる。
図解やイラスト、デザインも秀逸で、
これは、ネットではまず出せない味わいと思った。
本が実体として存在しているのも、好感がもてる。
やはり紙はいいなぁと…
気になる箇所に印を付ける。
読みかけのページに折り目を入れる。
こうして、私のオリジナルになるのだなと実感。
最近、一時より本の買い物も増えている。
なぜか大判のムック誌が多いが、よくよく思い返すと、
誌面のビジュアルと編集力が魅力なのだろうと思う。
ネットの世の中だが、いい加減疲れることが多々ある。
というのも、前述した編集力が、
どこも欠けているのだと気づく。
紙の良さも、改めて納得。
が、それ以上に編集力の差が大きい。
良い雑誌をみるにつけ、
話題、コンテンツのまとめ方、デザイン、写真――
――どれをとってもプロの仕事だなと感心する。
これらが有料なのは、考えてみれば当たり前なのだ。
一時、フリーというベストセラーも出たし、
ネットを始め、情報や知識はタダという風潮がある。
しかし、良いコンテンツに対して敬意を払い、
その対価を支払うというのは、
極めて自然な行為だ。
紙かネットかという議論は、この際置いといて、
今回私が言いたいのは、ずばり編集。
世の中に転がっているタダ情報を、
どう組み合わせ、どこにポイントを置くか?
また、それをどう見せると魅力的なのかを、
編集のプロは心得ている。
今後、編集力は、ますます需要が増すだろう。
良い素材は、巷に落ちている。
後は調理次第で、料理の出来は
どうにでもなる。
うまい料理をつくるには、
編集力がものを言う。
若い人たちがこれから学ぶとしたら、
私は「編集」をオススメする。