地球温暖化、そしてエネルギーが枯渇する懸念から、
そもそもエコは始まった。
当初、エコは悪く言えば、単なるブームに過ぎなかった。
が、やがてその地位は安定し、
現在はしっかり足が地に着いている。
というより、エコ度はいま、さらに加速している。
シェールガス供給にメドが立とうが、
メタンハイドレートが出ようが、
地球全体で、温暖化阻止、
もったいない運動は推進されている。
例えば、クルマ。
私がたまに行くカーデイーラーでも、
ショールームに展示してあるクルマは、
どれも排気量を下げ、
車体の軽量化と燃焼効率、Co2削減に知恵を絞る。
特に、燃費の善し悪しは、
買うか否かの最大の焦点となる。
ハイブリッド車も現在は全盛だ。
クルマの魅力や価値観も相当変わった。
だから、
大排気量で疾走するスポーツカーなんぞ、
いまや時代遅れ、と私は思っていた。
が、世の中は広い。
多様化の時代なのである。
エコとは全く無縁のクルマもどっこい健在のようで、
それが時代遅れなのかというとそうでもなく、
そうした市場はしっかり形成されている。
この場合、ただデカイだけのクルマなら、
アメ車の話だけで充分だが、
そのアメ車だって、ダウンサイジングしている。
そんな時代の流れのなかで、
価格面でも仕様でも全然エコじゃないクルマが、
幾つか存在する。
例えば、欧州のスーパー4WDがそれだ。
レンジローバー・イヴォーグは、45°の急勾配でも難なく登るし、
50㎝の水深でも走り続けられる設計になっている。
で、車体価格が600万円弱。
贅沢。
そんな坂、どこにあるのかとか、
いつ水の中を走るのかなどと、
野暮なことを言ってはいけない。
いまこのクルマは、欧米や日本でも飛ぶように売れているのだ。
で、お馴染みのベンツやポルシェも、
大排気量4WDを発売した。
ポルシェに至っては380馬力の怪力を秘めているというから、
これは贅沢というよりも無駄のようにも思えてくる。
現実的に考えて、いま世界の道路で、
この怪力を試す機会は皆無と思う。
で、車体価格だが、
ベンツCLSシューティングブレークが1000万円弱~1800万円。
ポルシェカイエンSハイブリッドが、1113万円。
私からすれば、まず4WDっていうのが、そもそも贅沢である。
あと、こんなに高額で、ローンなんて組めるのかとか、
そういうセコイことしかアタマに浮かばない。
ポルシェは驚くことにハイブリッドだが、
それにしてもリッター10kmを稼げるのは、
高速巡航の場合だけらしいということ。
うーん、贅沢!
で、もっと凄いのがフェラーリ。
4人乗れて、荷物もいっぱい積みたいと誰が言ったか知らないが、
最高速300㌔くらいの性能は維持したまま、
その要望をカタチにしたのが、フェラーリFF。
V12気筒エンジンを搭載し、高速道路を330㌔で疾走する。
で、車体価格が3200万円也。
こうなると、超高級4WDだの超豪華RVだのと言っている場合ではなく、
なんだこの価格は、となってくる。
一戸建て住宅のようなこの車両価格で、
一体誰が買うのだろう。
が、現実に売れているというから、
世の中はやはり広いのだ。
格差社会とか経済格差ということばが閃くが、
私としては、こういうものが売れる社会というものも、
まんざら悪くないような気もする。
それより注目すべきは、
エコだけで地球を救えるか、ということ。
私が思うに、
エコだけでは、きっと人類を救えないのだ。
人の歴史は無駄の歴史でもある。
その最たるものが、
芸術とかアートとかいわれている領域ではないだろうか。
で、これが無駄かというと、そんなことはない。
これは、皆が認めるところだ。
華やいだ時代や地域には、必ずといっていい程、
芸術・アートが開花している。
贅沢や、一見無駄なモノ・コトは、
巡り巡って、やがて私たちの生活・人生を潤す。
これは、皮肉なことだ。
実用一本槍で、私たちは暮らせない。
だから余暇があり、レクリエーションがあり、
遊びがある。
クルマのハンドルだって、遊びがある。
遊びのないクルマは、怖くて運転もできない。
エコで地球は救えるかも知れない。
しかし、私たちを救ってくれるのは、きっと無駄なのだ。
では、例えば上記した超贅沢なクルマたちは、
一体何を生むのか?
想像できることは、
きっと、あんな無駄なものを買う人たちは、
他でも有益な無駄をしているということ。
それが寄付なのか、テクノロジーなのか、
芸術家やアーティストの手助けなのか分からないが、
とにかくその辺りに期待はできる。
要は、無駄が巡ることが、
次の創造に繋がるということではないだろうか。
こう考えると、
やはり人間というものは、
つくづく複雑系ないきものだ。