スパンキーのつぶやき(コピー風味)

東京都庁の建物って、要塞のように人を寄せ付けないオーラが凄いです。
あれは公僕として働く方々のために丹下健三氏が設計しました。
石原さんにぴったりでした。

芸もないのに襲名してしまった林家三平に、怒りさえ感じるが…
しかし、あれで生きていけるというのも、ひとつの芸なのかな?

横浜の街は好きだけど、だから今さらどうという事もなく、
ただ、胸に残った一枚の絵に惚れている程度のことなんだけれどね…

万が一、今日が人生最後の日だとしても、
まだまだ夢は枯野を駈け巡る………そんな人生にしたいよ。

金儲けのために捨てるものなんか、ないほうが良い。
ただ、生きるために犯すものはあるけどね!

たとえ、今日が最低な日であっても気にすることはない。
明日はそんなに意地悪じゃない、いつもそう信じている。

喧嘩は良くない、
そう言いながら、次のカウンターパンチを狙うのも、
アリだと思う。

アンチエイジングに必死なのは、まだまだ若い証拠です。
最も、あの世へ行けば信じられないほど若くなれる、らしい!

僕は最近、信用できないものが増えている。
例えば、不動産っていう名の我が土地と家が、地震で動くし揺れるし…

サッチモが好きだ。
彼の歌が流れるベトナム戦争の映像を観たことがあるが、
あれは人の業のなせる技だと思う。

良い大学に入りたい奴、大企業入社希望学生、公務員はいいね!という輩
ーーー時代は確実に動いているぜ!  
改めて、生きることの意について語りたいね。

腐る日は、そうだ! 瞑想をしてごらん?
瞼の隅の方から天使が降りてくるよ、そして聖書を読む…
…宗教なんてこの程度で良いと思う。
もっとも、内なる神と信仰は別だけれどね!

最近のキャバレーには愛がない、と言ったのは、
大学時代の友人・伊藤だが、いまはそのキャバレーさえ見なくなった。
一方、キャバクラには奥ゆかしさも何もないので、行かない。

お粗末…

   漂う女

火を喰う男は

いつも夢をみるんだ

砂漠の真ん中で

酒を煽ると

いつも泣いて

その女のことを思い出す、とね

遠い昔

その女は海から這い上がると

体中に海草や貝をぶら下げて

その男に会いに来たというのに

「お前は抱けないな」と

その男は火を喰いながら

女を突き飛ばし

そうかねとうなだれ

そうかねと

入り江に飛び込んで

その女は

永遠に

漂う女になったそうだ

火を喰う男は

また夢をみたんだ

海を見下ろす丘で

酒を煽ると

いつものように泣いて

その女のことを思す、とね

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近況 4題

1.

最近、コンビニへよく行く。主目的はタバコなのだが、

なぜか、ついで買いをしてしまう。

水や雑誌類ならまだ良いが、コーヒーに始まり、おにぎり、

サンドイッチ、肉まん、唐揚げと、私の食べるものは進化している。

おかげで、どこのコンビニのなにが美味いかが分かるようになった。

また、これらをクルマの中で食しながら、iPadでネットをしたり、

メールをチェックしたり、ついでにコーヒーを頂き、タバコを吸ったり…

こうなると、もう自宅の居間の感覚。仕事のデスク感覚ですから。

ケータイもあるし、もう内も外もなし。ONもOFFもない。

これが自由なのか不自由なのか、自分でもよく分からないが、

コンビニの罠にはまっているのは確かだし、確実に太っていることは

自分でも分かっている。

街中へでかけても、同じような行動、形態、食生活。

知らない間に、確実になにかが変わっている。

2.

ちょっと古くなってしまったが、映画館で「三銃士」、

「タンタンの冒険」を観て、レンタルで「ツーリスト」、

「ナルニア国物語3」を鑑賞。

でドキュメンタリー映画「ライフ」と立て続けに観た。

先の「三銃士」とタンタンは、封切り中に行ったにもかかわらず、

なんだか面白くなかった。

三銃士は、ラストに近づくに従い、

パイレーツ・オブ・カリビアンとどこか似ていて、

海から空へ舞台を置き換えただけのような気がした。

ストーリーにも映像にも新鮮さがない。

タンタン…は、スピルバーグが永年あたためてようやく実現した、

という触れ込みになのに、肩すかしをくったように面白くない。

主人公の探偵の少年は、とにかくとんでもない事件に巻き込まれるのだが、

彼と連れの元船長が超人的な生命力で、ビックリ。絶対に死なないし、

疲れない。こうなるとハラハラドキドキを通り越して、安心して観てしまった。

3G映像は秀逸なのに残念だ。

ツーリストはジョニー・デップの正体がラストまで分からず、

思わず唸ってしまった。がナルニア…は、イカン。

で、思ったのだが、神話や童話を原作にしたハリウッド映画は、

奇想天外で特撮も凄いが、こちらがもう驚かない程に、来るとこまで

来てしまったのではないだろうか。

3.

一方、「ライフ」はドキュメンタリー映画。

副題に、いのちをつなぐ物語、とある。

オープニングは、草原に一本の木が立っていて、

背景に美しい星座が回るところから始まる。

そして北極の果てしない氷の大地を空から観たシーン。

カメラは或る一点にフォーカスされる。

四方数キロに誰もいない氷の上で、オットセイがただ一頭で子供を産む。

そして、この親子をモーレツなブリザードが襲う。

母親は子供を守るため、氷ついた体で、吹雪と風の盾となる。

なぜこんな所で子供を産むのか? 答えは簡単だった。

天敵がいないからだ。

アザラシは、いつも集団で生活するものと思っていたが、

そうとも限らないらしい。

さすが、イギリスBBC放送の製作だけあって、

映像が鮮やかかつ精緻。カメラワークを観ても、

どうやってどこから撮ったのかという驚きのシーンが続く。

時間もお金もたっぷりかかっているな。

撮影は、世界にまたがり、

南米、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、中国、ヨーロッパ。

海、陸、空それぞれの映像とさまざまないきものが主人公だ。

この映画のメッセージが秀逸だ。

生きるとは、

食べること、愛すること、家族をつくること、そして守ること。

とてもシンプルなメッセージ。

ひねくれた私に、なぜ生きるか、という問いに、

この映像は明快に答えてくれる。

あと、いきものは、みんな分け合って生きている、といこと。

この分け合って、というのが大事な点で、

我々人間の営みに? がつくところだ。

うまく言えないが、人間以外は皆バランスを知っているように思える。

知らないのは、人間だけなんだろうな…

また、映像のなかの主人公は、ときに強烈な愛をみせる。

それは、時にいのちをかけて闘う覚悟であり、

身を犠牲にしても子供や仲間を守ろうとする強さだ。

それは私たちといういきものも同じだろうが、

遠い何処かへ置いてきたもののような気がしてならない。

たとえば、私たちが普段喰っているタコも、感動の対象だ。

タコのメスは、生涯一度っきり卵を産むが、

この一度にいのちのすべてを賭けている。

卵がふ化し、泳ぎ始めるまで6か月間、

母親はここをピクリとも動かない。

子供がやがて泳ぎ始めると、タコの母親はそれを見届け、

そこでいのちを閉じる。

これは本能だけれども、愛でしょう。

そう思えてくるなにかがある。

理屈を簡単に超えるとは、このことだと思う。

4.

私が尊敬する職業に、登山家というのがある。

登山家はすげぇーと思うのだ。

近所の山へハイキングに行くだけでへたばっている自分がいる。

ああ、情けない。

登山家は、冬山へでもアタックする。

私の知り合いだった方は、ロッククライミング中に事故に遭って

亡くなってしまったが、生前のこの方の日頃のトレーニングは半端なかった。

仕事時間中も、常に小さな動作で、腕・足を動かし、

筋トレを繰り返していた。

自宅の壁には石を埋め込み、そこで毎日崖登りの練習を繰り返していた。

酒はいつも程ほどで、楽しい酔い方をする方だった。

彼の目に、登山家に、山はどのように映っているのだろう。

登山は、帰りの余力を計算に入れ、ぎりぎりの体力と選択のなかで、

前に進む。

冬山のマイナス20度のなかを行くとは、どうゆう世界か。

私のずっと年下だが、登山家の栗城史多さんは、自書のなかで、

こう語っている。

「苦しみを受け入れると楽になる」

ちょっと分かるような分からない言葉とも受け取れるが、

きっと登山家がもつ精神の強さなのだろう。

彼は、日本人初の、単独・無酸素エベレスト登頂を果たしている。

他、世界の山々も単独登頂で制覇。

しかも、自分の行動を逐一ネットで世界に配信する機材も、

自ら運ぶ。

これは、並の登山家にも不可能だと思う。

彼は、選ばれた人間かも知れないし、少し表現を変えれば、

神に一番近い人なのかも知れない。

が、彼の肉体は、日本人男子の標準以下だし、

登山のエリート教育を受けた訳でもなく、

金なしコネなしの普通の大学生から登山のスタートを切った人だ。

彼の本のなかで、満天の星を見下ろす、というくだりがあるが、

これこそ常人には見ることのできない景色。

富士山のご来光も見た方も然り。

羨ましくも、凄いなと思う。

私はこれから死ぬまで、果たしてこうした景色を見ることができるのか?

すべては、まず挑戦しなくてはなにも始まらないのだが、

まずは、コンビニ通いをやめることから始めなくてはと思う。

時評byコピー

爺ちゃんの入れ歯は、ガンダムより強いぞ!

by敏夫

洗濯物とともに飛んでった男のプライド

byアラフォー男子

年金は破綻しないという理屈に生涯を捧げる

byエリート官僚

猫は可愛いわ、犬よりずっと…と言うこの女

by猫撫で声で

除染という金脈を掘り当てたゼネコンに秋波

by共犯東電

黒木メイサって絶対許せないわヨ!

by磯野貴理

あのシャケって切り身で泳いでいるのよね?

by叶姉妹の姉

肉食系の吉永小百合を知っているのは俺だけなんだよ

by中尾彬

ウチの旦那が暇で最近世界平和を我にって言うのよ

byヒラリー・クリントン国務長官

あのロボジーってホントはミッキー・カーチスだったの?

by若づくりのお袋

畑を荒らした?じゃあ猿の言い分も聞こうじゃないか!

byムツゴロウ

飲み屋で「女は芸の肥やじゃ」と粋がっていた

by無農薬栽培農家のオヤジ

ニホンノジョセイワスバラシイデス!と言って必ずブスを連れている

by日本通の外人男

AKBにぞっこんの男はなぜブヨブヨしているのかを真剣に考えました

by朝番組でのテリー伊藤

空を見上げて

楡の木の下

流れる雲

陽だまりに君は寝ころび

僕は空を見上げて

言葉を探している

好きとか幸せとか

そういうのじゃなくて

なんだか

突然やってくるような

たとえば天地が動くとか…

いま

世界のなかの

ここはふたりの楽園だけど

逃げる準備はいいかい?

銃は撃てるの?とか

僕は考えていて

ひらひら舞うモンシロチョウを

毒虫にみたて

パーン!とね

君は寝息をたてて

まどろんで

まるで呑気な子猫のように

夢の国の住人で

時折僕に微笑むけれど

相変わらず僕は

空を見上げ

たぶん

この世界で起こる

とても憂鬱な言葉を

探しているんだよ

メデイア追撃

ヒガシコクバルのような目つきをする奴に
誠実な人間はいない。この人が果たして政治家には向いているのかどうかは、
私にはよく分からないが…

キムタクはいま、いやずっと以前から悩んでいる。
もう自分では身動きできない程、周りからの評価は
「イイオトコ」。但し、この評価がただの記号でしかないことは彼自身が
一番よく知っている。

AKBではなくモーニング娘。竹井咲ではなくゴクミ。
それなりに年をとると、はじめて美しいか否かは
よく分かるものだ。

五月みどりは美しい。瀬戸内寂聴はいやらしい感じがする。
小池真理子は綺麗だ。藤原紀香は恣意的でイライラする。
IKKOはごつい。これは本当

森三中の芸というのは、想像するに、或る趣味の奴から
見れば、とてもエロいのかも知れない。私には伝わらないが、
ふとそんな気がした。

ロシアではデモが盛んだが、プーチンには想定外だったと思う。
彼はとんでもない勘違い人間で、自分ほど強くて格好良い奴は
他にいない、と思っているフシがある。

小沢さんという人は、希有な政治家だと思う。が、いつも
悪い人というイメージがついて回る。それは、彼が既成に逆らい、
アメリカという国を客観視したときから始まっている。

石原都知事は、とても臆病な人間だと思う。彼はよく極論を
言うが、こういう人間に限って自分に葉っぱをかけている。
虚勢とは、まさに彼のことを指す

細木数子さんがしばらくテレビから消えてほっとしている。
あの方が好きなことを言って偉そうにしているのは勝手だが、
或る人にとっての彼女は犯罪者そのものだ。

加藤茶とかラサール石井が若い嫁さんをもらっているが、
なんだか凄く嫌な気がするのは私だけだろうか?
彼らはきっと心が広いのだろうし、ホントの自由人なのかも…
あ~あ、私はつまらない人間です!

裏街

私が生まれ育った横浜の或る街は

物心ついた頃からいろいろ変な奴がいて

小学生の頃すでに同じ学校内に

万引きのグループが存在し

数々の悪行を繰り返していた

友達のなかの何人かは

ガキのクセにすでに学校をサボる奴や

毎年のように苗字が変わる奴とか

山を火事にしちゃうのとか

いろいろいた

外国籍の生徒も多く

そんな仲間同士の争いも多々あったし

女の子もとてもませていた
U

私も大きくなってその街を引っ越し

新しい街で学生を始めた頃

横浜は相変わらずヤバイところで

行くところ行くところで喧嘩が始まる…

ひとことで言えばそんなところだった

当時の私は、遊ぶといえば

横浜の街しか知らなかったので

ざっくりいえば

日本中どこもそんなもんだろうと思っていた

みんなでクルマに分乗し

行き着くところは厚木基地側のディスコか

本牧のディスコと相場は決まっていた

ジルバ、チャチャ

仲間はみなオドリが達者だった

ステージで一列に並んで踊る

とにかくぶんどって踊る

格好つけるだけの夜に

その頃は賭けていた

当時、私たちにとって

伝説と言われていた

ケンタウロスという集団は

ハーレーの野太い音を轟かせ

街を疾走する謎のグループだった

こいつらの正体が分からず

絶対に遭遇したくない存在だった

後に女優の余貴美子さんが

この方たちと遊んでいたときいて

ホントに驚いた

そのケンタウロスが

いまでも活動していると知ったのは

最近のことだ

本牧からほど近い中華街はその頃

夜ともなると豹変し

伊勢佐木町の裏通りと同じように

かなり危ないところだった

それでも私たちはここで酒を飲み

福富町の地下の店にしけ込み

何度も朝を迎えた

チンピラに絡まれ

マンションの屋上で争いになり

もう少しで刺されそうになったことがあるが

いま思えば私も相手のチンピラも

事件にならずにホントに良かったと思う

去年あの辺りを歩いたが

中華街は観光地として明るく生まれ変わったものの

伊勢佐木町の裏通りはやはり廃れ

別の意味で不気味な雰囲気が漂っていた

街の臭いとは不思議なものだ

横浜駅周辺も一歩裏へ入ると

とんでもない奴らが溜まっていた

チンピラに薬漬けの危ない奴

狂ったロックンローラーに

男か女かよく分からない格好をした集団

そんななかをかき分けて

私たちがいつもめざす場所は

横浜駅西口のディスコ「ソウルトレイン」だった

ここのステージも何度か仲間とぶんどって踊ったが

やはりと言うべきか

周りからいろいろ目をつけられ

狙われた

一度ここで他のグループから襲撃にあい

怪我を負った嫌な思い出がある

いまは結構な事件になることだろうが

こんなことが当時は割と多かった

このディスコで知り合った横須賀の友達が

俺の街へ遊びに来いよ、という

その街は横須賀中央駅近くのどぶ板通り

店は「サンタナ2」

名前だけは有名なディスコだった

ここでパーティーだったのだが

踊っているうちにどうも外の様子がおかしい

店にいる連中もザワザワしている

後で聞いた話だが

その日のパーティーを狙った他のチームの連中が

襲撃にくるという話がすでにあったらしい

私がなにも知らずにはしゃいでいると

いきなり入り口から数人のヤバそうな奴らがなだれ込み

そこからいきなり殴り合いが始まり

音楽が止まって騒然となったことがある

事はそれで終わったのだが

まあロクな事ではない

或る日

仲間うちの誰かが「東京ってどうよ」というひと言から

みんなで東京へ遠征することが決まった

国道246を北上し

きったないシャコタンのボロ車の集団が

夜の新宿へと繰り出した

事前情報では

めざす場所に東京の西部一帯を牛耳っている連中が

集まっているということだった

要はなにも知らないガキの集団が

新宿の或るディスコに乗り込み

敵さんと一戦交えて勝利し

調子に乗ってしまったということだ

以来

私はコイツらと距離を置き

自分に嫌悪し

焦り

塞ぎこみ

とにかくなにかを始めなくてはと考え始めた

数年後

私は奇跡的に就職試験で或る一社にパスし

自分を変えた

いや

このままでは絶対に世の中に受け入れられない

みんなに教えられ

いや怒られながら

必死に自分を社会へ馴染ませようと

毎日が必死だった

他からみればどうでも良いことでも

こっちは緊張の連続

精神的にも肉体的にも

追い詰められてゆく毎日だった

いまとなっては笑える話だが

私はここで別の世の中を教えてもらった

ガキの頃の友達も

就職してからの友人も

いまは良いつきあいをさせてもらっている

裏街から出てきた自分の価値観や世界観は

いまでも相当ズレていて

そこは自分でも承知しているつもりだ

しかし人生も後半を過ぎて

老後を考える時期に来た

このズレは死ぬまで治らないし

育ちは消せないものだと最近分かった

せめて残りの人生を

このズレが良い方へと誘ってくれないかと

いつも思っている

  

イキテイル

群れのなかの僕は

人を感じ

温かく明るく

そして笑って

いつの頃からか

それは刺さるように

凍るように

視線

海辺に出ると

隙間は酸素の拠り所であり

包まれる密度は濃く

それは温かさではなく

細胞に寄り添うような粒でもあった

素粒子

森の気配は

湿度のようにまとわりつく親近感と

寄せ付けない警戒感

五感をフル回転させるほどに

それは生命の歓喜であったし

驚いたことに

森は私の細胞に

深く静かなシンパシーを送る

胞子

それは言葉ではない

感覚でもない実感に充ちて

ひとつひとつの確かな有体が

秩序正しく

論理的に

厳正に

私を振り返させ

息を吹き返す

復活

ネオン異臭

人街ガラクタ

騒音電波

ギガテラバイト

怒・悲・哀…

とりわけ

愛情という曖昧に救われ

ヤハリ

ボクハイキテイル

一枚の絵

ロンドン

雨に包まれて

人の急ぎ足と教会の鐘の音

バンクーバーの空港

カウンターでもめる

香港行きの黒人の旅行客

東京の空に

見たこともない

美しい満月ひとつ

ガンジス川で

沐浴の女の横を

死体が流れ

裸足の子供たちが走り回る

チョモランマの頂に

ゴミの山眠り

それを照らす満天の星

モンゴルの平原で

馬が草を食み

中東の空に

スクランブル発進した戦闘機が

爆弾を抱え

北京の裏の旧市街に

カナリア飼いの集団が

お茶を啜って

煙草をくねらせ

ナイロビの黄色い砂漠を

バギーカーが行く

アフリカの少女は

教師を夢見て

おとなを夢見て

地中海の海に

男と女の愛のクルーズ

夕日が沈み

冬のローマはバールで賑わい

ドーモォの壁に日本語の落書き

 死んじまえ!

レオナルド・ダ・ビィンチ空港に雪がちらつき

僕はやはりチケットを払い戻し

再びテルミナの駅で

あの一枚の絵についての世界観を

もう一度考えようと思った

幸せ以前

闘鶏は、鳥と鳥を戦わせるゲームのようなものだ。

主にシャモという鳥の短気な性格を利用した。

だから、シャモは軍鶏とも呼ばれている。

闘鶏用の鳥は、大事に育てられる。

環境、食事など、それこそ最高のものが与えられる。

トレーニングは、もっぱら鏡に映った自分の姿。

自らの姿に闘志を燃やし、戦意を高める。

そして、戦いに勝てば、生きながらえ、

次の戦いが待っている。

が、一端負ければ、総てが終わり、

人さまの食用に変わる。

ブロイラーは、生まれながらに食用として育てられる。

環境は良くない。

狭いスペースで一生を過ごし、

ほぼ餌を食すだけの毎日を過ごす。

例えば仮に、

私は生まれてどの位経ったのか、という問いがあるとする。

が、彼らにそんな感覚は分からない。

きっと一定の明かりの下で飼われているので、

昼と夜の違いさえ知らないのだろう。

鳥に、そもそもそんな感覚はないという考え方もある。

この場合は、そうした話以前のことを言いたかった。

鳥にそうした時間感覚があるのかと問われれば、

それはないとは言い切れない。

自然に過ごす鳥のなかには、夕暮れに山に帰るものもいれば、

或る決まった日数に帰巣するものもいる。

季節ごとの渡り鳥も、

きっと時間感覚のようなものを備えているのだろう。

先日、或るドキュメント番組の再放送を観た。

舞台は中国の山中。

秘境と呼ばれているこの地での撮影は希少らしく、

カメラの存在に慣れてない、村人のはにかみ様が印象に残った。

生活はとても貧しいらしく、土地は痩せ、

村全体が丘陵地帯に傾いて建っているようにみえる。

家は土を練ったもので固められ、当然、電気もガスもない。

食べるものは粗末にみえ、イモばかりの毎日だという。

カメラを構えると、村人全員が正装で現れた。

正装といっても、それはどこか見窄らしいが、

そこはかとない威厳に溢れている。

それは、彼らの表情だった。

特に男の人の顔は眼光が鋭く、一様に口元が引き締まっている。

これは年寄りに顕著で、そのなかの一人に通訳が尋ねる。

年寄りは、自分の過去を語る。

それによると、彼はこれまで5回奴隷に売り飛ばされ、

動物のように扱われた様を語った。

話のなかで、彼の奴隷仲間の一人は目のまぶたを縫われ、

一生その目が不自由になった者もいると話した。

以上の3点の話。

どれも憂鬱だ。

鳥も人もやっと生きている。

幸せなんていうものは、別の世界の生き物が感じる

とびきり不思議で高度なものらしいことが分かる。

それをほんの少しでも感じられる私たちは幸せだ、

なんてことは、この場合言いたくもないし、

比較してなにになるのかとも思う。

ただ、

神という存在が、

生けとし生きるもの総てに平等を与えたか、

という空虚な問いだけが、

私の「逃げの思考」として、

時々頭を駈け巡る。

それが余計に自らを苛々させる、

そんな具合だ。