NHK朝ドラのテーマ曲に想うこと

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題歌である

宇多田ヒカルの「花束を君に」が流れると、

なんだか急にしんみりしてしまう習慣が身についてしまった。

朝のぼーっとしているときに困った事だが、

ストーリーが始まるとちょっとづつアタマが切り替わる、

そんな心理状態の流れが固定している。

この歌に秘められたしんみりが一体どこからやって来るのか、

いろいろ想いを巡らすのだが、

行き先、このドラマがそうした方向へ行くのか、

とも考えてみた。

しかし、現時点に於いてこの主題歌は、

ドラマのテイストとは異なるように思う。

本編のとと姉ちゃんだが、

話はかの有名な家庭誌である「暮しの手帖」を創刊した

大橋鎭子(しずこ)のストーリーであるらしい。

私的には同誌の元編集長であった花森安治という人の方が身近であり、

彼の功績ばかりが有名である。

今回は同誌・同社の創業に携わった大橋鎭子さんを中心に、

ストーリーが展開されるようだ。

時代的に考えれば、やはり戦争が絡んでいるし、

今後いろいろな展開が予想されるのだが、

このドラマの底流に流れるテーマは、

「さささやかな気使い」である。

これは数編前にドラマの中で語られていた。

そして暮しの手帖という雑誌も、

確かそうした方針でつくられていたように記憶する。

更に言えば、NHKの朝ドラの主人公はいずれ、

いつでも相変わらず強くて元気で快活。

ととネェチャンもそこは外さず、過去を踏襲しているのだが…

だからよけい、

宇多田ヒカルが歌う詞が気になる訳だ。

過去、この帯のドラマの主題歌は本編を支える、

または、あくまで物語に付随する役目にあったように思う。

が、今回の宇多田ヒカルのこの「花束を君に」は、

ドラマとは違う、他のベクトルを指しているような気がするのだ。

歌がすっと独り立ちしている。

そしてドラマを観ようとするこちらに、

何かまるで違う感情を提示しているのだ。

その妙にもの悲しい彼女の歌は、

スローで流れるようにスムーズで淀みがないメロディー、

それに乗せられ、静かに語りかけるように、

こちら側に詞を届けてくれるのだが、

それがひとつのストーリーとして、

ほぼ完結しているように思えるのだ。

普段からメイクしない君が薄化粧した朝

始まりと終わりの狭間で

忘れぬ約束した

花束を君に贈ろう

愛おしい人 愛おしい人

どんな言葉並べても

真実にはならないから

今日は贈ろう 涙色の花束を君に    

こうした歌詞から始まる意味深、かつもの悲しい歌は、
次にこう展開する。

毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く

  ただ楽しいことばかりだったら

  愛なんて知らずに済んだのにな    

これは、相当悲しい出来事がなかったら

考えつかない詞である。

花束を君に贈ろう

言いたいこと 言いたいこと

きっと山ほどあるけど

神様しか知らないまま

今日は贈ろう 涙色の花束を君に     

上の詞の「神様しか知らない」という箇所。

ここまできてやはり皆気づくのだ。

ああ、宇多田ヒカルは、

やはりお母様のことを歌っているのだな、と。

そこで思うのだが、悲しみを癒やすのは、

励ましでも同調でもなく、

やはり「時間」しかないのだろうなと…

天才宇多田ヒカルが満を持して送り出した新曲は、

何もNHKの朝ドラの為に書き上げた詞でなく、

現在の彼女のあるがままを表現した歌である。

だから感情を引き込む引力がとても強い。

それがいずれの方向だろうと、

彼女のつくる世界観はやはり魅力的である、ということ。

これはもはや、NHKが依頼した朝ドラのテーマ曲ではない、

彼女しかつくり得ない心の世界の提示、なのではあるまいか。

※カバーバージョン

レンタルビデオ屋に通い詰める

最近、ゲオというレンタルビデオ屋さんで

怪しい行動をしているのは、私です。

パッケージを手にとってピクリともしない。

帯のコピーとか写真にジッと見入っている。

そして「うーん」とか「ウン?」とか呟くのです。

自ら少し変だなぁと思って周りを見回すと、

ちょっと驚いたんですが、

同じような人って結構いるものなんですね。

そんな訳で、寝る時間を削り、

できる限り映画を観ています。

セレクトは準新作が主ですが、

過去に見逃したものが中心。

範囲はサスペンス、冒険もの、恋愛系と節操がありません。

片っ端から借りてきては、遅い夕飯の後に見入っています。

そもそものきっかけはですね、

たまにテレビを点けると、

これがかなり詰まらないものばかり。

たまげましてね。

面白い番組は事前チェック。

毎週ハードディスクに録ってますから、

大丈夫なんですが。

それ以外にアタリという番組が余りに少ない。

「チロリン村とくるみの木」から永年テレビを愛してきた世代として、

これはかなりまずい状況だと思います。

おまけにコマーシャルまで面白くないものばかりなので、

絶望しまして。

で、映画に走った訳です。

映画はいいですね。

それが愛だろうが死だろうが戯言だろうが、

戦争だろうが、宇宙人だろうが、幽霊だろうが、

とりあえず私は日常を脱出して、

感動したり恐怖したりしている訳です。

エンドロールが流れると、すでに夜半過ぎ。

私はその余韻も去ることながら、

今日のクソッ垂れな出来事をサッパリと忘れて、

寝入ることができるのです。

8月の家族たち

はじまりのうた

プレテターズ

ヘアスプレー

サマータイムマシンブルース

チョコレートドーナツ2

ワンデイ

ニューヨーク冬物語

「8月の家族たち」「はじまりの詩」「プレデターズ」

「ヘアスプレー」「サマータイムマシン・ブルース」

「チョコレートドーナツ」「ワン・デイ」「ニューヨーク冬物語」

etc…

えっと後なに観たっけなぁ…

映画ってホントにいいですね!

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スマフォサイトのすすめ

Googleが、スマフォサイトがないと検索順位が落ちますよ。

そんなことをアナウンスしています。

それも4月某日と期日指定していますので、

Googleにしては希有なことでして、

これは早急に対応した方が良いと思います。

スマフォサイトは、PCサイトをそのまま表示しても、

これはもう重すぎるし、アレコレと項目も多すぎる。

まず、直帰されてしまいますね。

スマフォ版は、シンプルイズベストをめざします。

PCサイトの基本項目をピックアップすることから始めます。

それを核に構築を考える。

いわば、店に例えると本店がPCサイトとすると、

スマフォサイトは支店。

またはアンテナショップ。

そんなイメージでしょうか?

逆に、モバイルの方が売上げ、

反応率が良いという業種の方は、

この際、考え方をひっくり返し、

スマフォサイトから構築し直してみる。

そしてPCサイトを後追いさせる。

こうしたモバイルファーストのケースもある訳です。

この際、あなたの業種、商品の特性を改めて点検し、

自社のサイトを徹底的に分析してみるのも、

良い機会かも知れません。

夜の江ノ島へ

満月の夜、江ノ島へ。

狙って行った訳ではなく、親戚の家に行った帰りに

ぷらっと寄ってみただけ。

満月

普段、江ノ島は夜終いが早いが、

正月なので、暗がりにもかかわらず人で賑わっている。

藤沢

藤沢方面にカメラを向けると、

なかなかの夜景が広がっている。

その夜景を存分に味わいたいのなら、

まず江ノ島バーガーを購入しないと、

特等席には座れない。

江ノ島バーガーがどんなものか、

実は私も知らないが、

シラスが挟み込んであることは間違いない。

特等席に座るほどの時間の余裕もないので、

バーガーはパス!

実は、寿司が食いたい。

特等席

江ノ島神社に向かってお土産屋さんの坂道を歩く。

通りの人だかりは、確かいま人気のタコせんべい焼きだったっけ。

たこせんべい

そこを過ぎて、通りのどん付きにあるキツイ階段を上ると、

江ノ島神社の本殿に辿り着く。

神社と提灯

提灯、絵馬、おみくじと、なかなか趣がある。

絵馬

神水アップ

この島のてっぺんにはお馴染みの灯台があるが、

そこもライトアップされているので、

海風がかなり強いが、下から見上げる灯台は壮観。

りぼん

庭のライトアップ

この日、私は途中のライトアップされたサムエル・コッキング苑を観て

下山、とにかく寿司が食いたいので、

早々に下に降りて、

暖かい寿司屋で海の幸をたらふくいただきました。

お勘定はほどほど。

間違ってもお土産屋の一個1200円もするサザエなんか食っては

イケマセン!

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雨上がり必死隊

雨の土曜日は

残務整理に適してはいるけれど、

雨が上がってサッと陽がさすと、

もうじっとはしていられない。

その2

街は街で田舎は田舎で

きっと素敵な映像がアチコチで

観られるに違いない。

その4

そう思うと、

買い物もそこそこに切り上げて、

郊外へとクルマを走らせる。

その6

冷えた大気、

湿った景色、

沈む夕陽、

照らされる木々のシルエット

その10

実はこの日の夕方は、

まるで水墨画のような映像が披露されたのだが、

安いレンズは答えようもない。

その7

自然のひとときも止まらない美しさは、

いつ観ても、

やはりアートだ。

その8

その9

夢ありき

春は嵐

妖しい季節なんだ

桜jpeg

出会いも

別れもさ

心乱れ

咲き乱れるし

IMG_0338

伸びろ 伸びろって

噴き出すエネルギー

いや不安なんだよ

そして

夢もありきでね…

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骨董ミステリー

コレクションの趣味はないが、骨董好きなので、

ちょいちょいと骨董屋へ通っている。

最初は、浮世絵が好きだったのでそんなものばかり

見に行っていた。

特に広重がいいなぁと思うも、そんな凄いものはなく、

まぁ、無名のものでも良いものは揃っている。

江戸の浮世絵の優れた点は、ヨーロッパの絵のように、

「受胎」とか「ビーナス誕生」とかそんなクソ難しいテーマではなく、

「大はしあたけの夕立」とか「亀戸梅屋舗」とか、

何気ない日常を描いていることと思う。

雨

広重

そんなことを考えながら、絵のなかの風景や人の表情、

仕草、着ているもの、建物、

そして裏刷りの確認、年代の裏付け、

紙の焼け具合などをチェックしていると、

その時代に遡ったようで面白い。

江戸時代から開国、そして版画も日清・日露戦争など、

図柄も戦記物へと変遷するが、

この頃になるともうつまらない。

そんなものを一通り見た後は、

焼き物へと目が移るのだが…

焼き物は鍋島が飛び抜けて美しい。

シンプルで清楚。

青磁を生かした文様が際立つ。

伊万里

が、外人には古伊万里が人気だ。

赤や金を施し、こちらはかなり派手である。

古九谷または九谷も人気らしいが、

九谷焼きは、どうも色がきつい。

私の好みではない。

という訳で、

古伊万里や九谷はいま、

かなり諸外国へ流れているとのこと。

古伊万里

九谷

また現在海外で人気なのが、どうも漢字である。

漢字はその名のとおり、現在の中国が発祥だが、

中国漢字と日本漢字は、やはり違う。

書というのは、時代、国、書法など、

人それぞれの好みの問題となるが、

やはり私は、日本の仏教人の書いたものに惹かれる。

先日、あの一休宗純禅師の書というものを目にした。

これには私もかなりの疑いをもっていたので、

とりあえずiPhoneで撮影。

そして幾度となく、ネットでチェックを試みた。

結果、これと全く同じものが、

京都のとある寺に納められていると知った。

となると私が目にしたものは贋作かということで、

隅々まで双方の写真を確認したが、

未熟さのせいか、その違いが分からない。

昔の贋作の方法としては、本物を横に、

腕の覚えのある人間が何枚も何枚もまねて書く、という方法と、

本物の上からなぞる方法があるらしい。

私も書道を少しかじっているので、

その筆の置き方、走り具合、

かすれなどを細かく見ているつもりだが、

とても贋作とは思えない出来栄えだった。

骨董店の店主に、何気なく値段を尋ねると、

すわ40万円とのこと。

うーん、いやぁ、高いな!

が、もしこの書が本当に一休さんのものだとしたら、

国宝級の価値をもつのではないか?

最近、仕事の合間にチラチラ気になるのが、

このことなのだか、

いまだ本物かどうかの決め手は、

なにひとつない。

ホント、イライラする。

一休

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新春の句

元旦、国道を馬がパカパカと、お前ばかばかと聞こえる

顔色の悪い日本猿に同情する、養命酒をあげようか

おっ天下統一の手相だ、と占い師、いやアカギレですと

値段で選んでしまった、風通しのよいダウンジャケット

思わず会釈したほどの、キリッとした顔の牛、凜々しく

爺さん、サクッとした歯ごたえの餅だから喉は詰まらんよ

遂に日本列島東へ移動、中国・韓国・北朝鮮・ロシアに囲まれちゃあね

焼く手間を省いたような、陽に焼けたシャケ弁当のシャケ

下着のようなスラックスの下に、サーフパンツ、ごわごわするな!

林家ペー・パーは、果たしてピンクのクラウンを買ったのかな?

総理になりたかった橋下さん、夢破れ、アイムソーリー

どうも、お粗末さまでした!

ロックな生き方って?

ロックンロールだぜ、と以前から内田裕也が口をとがらして言うには、

ロックンロールというのは、

音楽以外の何かを示しているらしい。

生きる姿勢、根性、はぐれ具合。

だって、フォークだぜとか、演歌だぜって聞かないから、

きっとそうなのだろう。

で、ロックンロールとロックとどこか違うのか、

私にはよく分からないが、

理屈をこねると、ロックンロールは、R&Bのほぼ均等なエイト・ビートや、

ブルース・ジャズのシャッフル/スイングしたビート、

ブルースのコード進行や音階を応用した楽曲構成に、

カントリー&ウェスタンを混ぜたような音楽を指すらしい。

で、ロックは60年代以降に流行ったロックンロールの発展型とでも言おうか。

で、両者を区別するとややこしいので、この場合、異論もあろうが、

ロックンロールもロックも同義語として捉えさせてもらおう。

とにかくエレキギターとドラムを主体に、ガンガン歌い、踊る訳だ。

で、そのイメージは、クスリとかアルコール、そしてイカシタ女を連れ歩く、

そんな感じがする。

退廃的といえば、そんな感じ。

「明日のことなんか知らねぇぜ、分からねーなぁ」と、

ウィスキーをラッパ飲みしながらぼやいたりする。

故に、しっかりと人生計画を立てる人間は、ロッカーではないと言える。

明日をも知れぬリスキーな生き方こそが、ロックンロールなのだ。

私くらいの年齢になると、たまに年金のことが気になったりするが、

そんなことを考えること自体、ロッカー失格なのである。

なにしろロッカーは、破滅へ向かわなくてはならないのだ。

小金ができたらアパート経営をしようなどという輩は、

全くふとどきという他ない。

金を使い切って、とにかくやりたいことをやる。

後のことは一切考えない。

それこそ、ロッカーの鏡なのである。

あのキース・リチャーズは、薬漬けになって病院から退院した時、

「やった、元気になった。これでドラックができる」

と話したという。

また、シド・ヴィシャスは、

「俺は25になる前に死ぬ。死ぬ時までは、生きたいように生きてると思う」

とのたまった。

あらかた、ロックンロールな生き方って、こんな感じだ。

かようにロッカーたちは危険を顧みず、「いま」を生きる。

となると、矢沢や内田裕也って、ちょっと違うような気がする。

矢沢はロック的に生きているような気がするが、

マンション経営なんかに手を出しているようにもみえる。

内田裕也に至っては、ロックな生き方をしているというより、

いつ何を歌っているのかよく分からない、

更に商業的パフォーマンスのみが目立つように思える。

話を戻そう。

ロッカーである。

社会からはみ出した彼らが向かう先は、破滅だ。

だがその考え方、生き方の一端に、

ある種の純粋さが見えることがある。

それが人間らしいといえば、そのように映る。

例えて言えば、

掃き溜めの鶴のような、際立つデリケートさ。

人間のもつ特有の弱さが美しい神経線となって、

あの音楽を醸し出し、

それが彼らの存在を、唯一示しているのだ。

ジミ・ヘンドリックスが、

「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理されるな!」

という言葉を残している。

真剣に生き方を模索すると、

人間はきっと矛盾だらけなのだろう。

それをロッカーたちは追いかける。

やはり愛すべきは、ロックな生き方なのだ。

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iPhoneとiPadの使用感

数ヶ月前、ガラケーをiPhoneに換えた。

ガラケーは通話のみと割り切っていたので、

換える必要はなかったのだが、

iPhoneを投げ売りしていたので、

好奇心でゲットしてみた。

一方、iPadは長く使っているので、その良さも

欠点も分かっているつもり。

両者は、まあ似た者同士なので、iPhoneの使い方にも、

別段、違和感はなかった。

iPhoneは、予想どおり軽くてコンパクトで

扱い易い。

が、如何せん文字もアイコンも小さすぎる。

これは分かっていたことだが、

やはり老眼の私には辛い。

だから、まず先んじてiPadを手に入れた訳だが、

こちらの欠点は、やはり重いことだ。

ネットやメールなど、読めない小さな文字などは、

ワンタッチで拡大できるので、高年者にもやさしい。

が、寝転がって見るときなどは、いい加減に腕が痛くなる。

ズシンとくる重みは堪える。

で、この両者の中間に位置するiPadminiに、

一時狙いを定めたことがあった。

と同時に、iPadminiと同等の大きさ・重さの、

ネクサスやKindleも視野にいれたことがある。

しかし、実際手に取ると、その調度良さそうな大きさと重さが、

逆に中途半端なことが分かる。

画面を見るにつけ、

なんというか、納得のいかない中途半端な大きさの画面で、

ここは、やはり重いが、

より画面の大きさなiPadに軍配が上がる。

また、通話のやポケットに入れることを想定すると、

やはりiPadminiでは、大きすぎる。

結果、こちらの用途においては、iPhoneのほうが良い。

で、これら7~8インチのものはあきらめ、

ガラケーとiPadで用途を棲み分け、しばらく利用していたのだ。

今回手にしたiPhoneに話を戻すと、

以前使用していたガラケーと比較すると、

格段に機能的に優れている。

通話音声、カメラ画質も高く、

なによりアプリがふんだんにあるので、

GoogleMapや乗換案内、ラジオとか、

必要なものは、ほぼタダで取り込める。

カーナビとしても使用可能。

そしてなにより、普通にネットが楽しめる。

iPhoneは、自分専用にカスタマイズできて、

オリジナルに使える楽しさがある。

これはiPadも同じだが…

ただ、iPhoneのメールは、

前述のとおり、文字が小さい。

外出先で、いちいちメガネを出す暇もないときは、

困りものである。

が、これらをiPadに同期させればデカ文字で見られるが、

こっちも前述のとおりの重量があるので、

それなりに落ち着いた場所で確認せねばならない。

こうなると、問題は自分自身の視力。

現代は、とにかく目をよく使うことが多い。

情報の大半も、視覚から入る。

自身、この夏は眼精疲労から寝込んだ経験もあるので、

日頃の目の酷使を反省した。

思うに、こうした社会で生き抜くには、

強靱な「目」が欠かせない。

文明の利器は、とかく目を酷使させられる。

こうなると、クルマと同じく、

もうスペックでモノを語る時期ではない。

何馬力出ようが、何キロのスピードで走ろうが、

それを操る人の感覚に意識が向かわないのであれば、

そのマシンは、ただのモンスターで終わってしまう。

技術が、如何に人に優しくなれるかか?

デバイスも、

そろそろそうした時期に来ていると思う。

目が疲れないディスプレイの開発、

見づらい画面や文字を感知し、

即座に対応する対応する技術。

近未来のメガネのようなスカウターも開発されてはいるが、

ゆくゆくのヒットの肝は、

軽量・小型化のみでなく、

如何に肉体に負荷をかけないで使用できるか?

案外このあたりにあるような気がするのだが…

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