ヨコハマへ逃走してみた!

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ひところ、

浅田彰の「逃走論 スキゾキッズの冒険」がヒットしたことがあるが、

あのときはよく分からなかった。

なんで逃げるのかが。

そしてどこへ逃げるのか?

本のなかで、人を大きくふたつに分類して、

スキゾ人間とパラノ人間に分類。

まあ偏執的・定住型のパラノより、

これからは分裂的・移動型のスキゾの時代だぞ、

と書いていたように記憶している。

ピンとこないなぁ、自分はどちらの人間だろう、

そしてスキゾはどこへ逃げるのかだが、

要は移動=逃走なんだろうと勝手に単純化してみた。

時代は変わり、いまではパラノ型(オタク)も定住でなく、

結構、外に飛び出して楽しんでいるように思う。

何はともあれ、一時避難的移動は必要だなと、

最近になってつくづく感じる。

それは、現在の立場から、環境から、イデオロギーから…

いやいや仕事でしょ。

逃げるのは、なにも卑怯ではない。

そんなことが理解できるようになったのは、

つい最近のこと。

「男は逃げるな!」

それしか教わっていない世代は、

常にメンツばかり気にして、

結構、冷や汗かいてきたもんなぁ。

―男は黙ってサッポロビール―

こんなコマーシャルが流行った時代に、

我々は育ったのだから、言い訳などはもってのほか。

黙することが男だぞ、と教えられた。

こうした精神論って一見カッコイイが、

イマドキどこかで破綻するように思う。

まさに、男は辛いよでは済まない、

世の中の厳しさがヒシヒシと身に沁みる。

最近では、女性のほうが逃げないのではなかろうか?

結構、みんなたくましい。

で、仕事も「デキる」人が多い。

でも逃げたほうがいい。

男の立場が危ういなんて呑気な時代ではなく、

ここはひとつ、男女分け隔てなく、

全人類みんなで逃げちゃいましょう、

そんな感じがするのだ。

ワーク・ライフ・バランス

火星脱出計画

どちらも方向性は違いますが、

ある意味、同根だと思います。

心身の危機、地球規模の危機。

そういったものがどんどん迫ってくる、

またそっと近づきつつあるように感じます。

さて、今回の逃走はヨコハマでした!

午後に仕事を放り出しての逃走です。

夕刻、山下公園や中華街を歩いていたら、

ヒマ人でいっぱいでした 笑

それでいいのだ、と思います。

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ホテルニューグランドは開業157年だそうです。

中庭では、

すでにクリスマスのイルミネーションが点灯。

クラシックな空間がムード満点に演出されていました。

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前の山下公園前の街路樹は木枯らしに揺られ、

黄色の葉がひらひらと舞っていました。

この公園から眺める夜のベイブリッジは、

まるで天空にのびる救いの道のように、

不思議な絵となっておりました。

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中華街で担々麺とか、その他ちょっとをつまんで、

ぷらぷらする。

やたらと焼き栗を差し出される。

占いの呼び込みが激しい。

この平和さ、賑やかさがたまらない。

ここって、私が高校生の頃は、

すっげぇ怖い街だったのになぁ…

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翌日はというと、断れない用ができてしまい、

関内駅近くの会社とPRの打合せ。

タイミング的にちょっと疲れたので、

気分直しにみなとみらいへ。

ここみなとみらいの全景は、

万国橋からの夜景が、やはり一番。

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その先に鎮座するワールドポーターズは、

その名の通り、世界のいいものが集まっているので、

私はいつもここへ寄る。

買わないけれど、寄る。

特に家具を見るとベンキョーになる。

赤レンガ倉庫はおみやげ屋だし、

クイーンズスクエアもランドマークタワー内も、

マークイズもなんだかいろいろなファッションだとか

グルメだとかで食傷なので、

行かない。

ザ・海鮮丼を喰って、寝る。

翌朝は、早朝の馬車道をぷらぷらしていると、

早々に出勤してくる皆さんに出くわす。

胸中、今日もガンバってください、と。

反対方向へと歩いていると、

懐かしい関内駅舎に到着。

ここで、JRに乗り、次の桜木町で下車。

歩く歩道にのっかつてランドマークタワーの下を過ぎて、

めざすは、横浜美術館。

コレクションを見てまわっていると、

スーパーなものはないものの、

その時間と空間がやたら落ち着く。

やはりイマドキは超人気の若冲ですかね?

アレ、東京のどこかの美術館でやっているなぁ。

そういえば、撮影可のスペースが、

どんどん増えている。

そこらでカシャカシャとやっている。

にしても、じっと見入っているときに、

ケータイが鳴る人がいて、これは興ざめ、

気が散りました。

で、ずっと話してる中国マフィアのようなおっさん、

職員に注意され、退場。

(ざまぁみやがれ!)

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↑港の見える丘公園より横浜港を臨む

帰路、徐々に現実に引き戻されてゆくのが、分かる。

横浜駅の雑踏で、現実に引き戻されました。

あーあ、

近場、しかも超短い逃走だったなぁ。

幻の遊園地

ちいさい頃、近所のぼうずっくりが言うには、

なんでも横浜のどこかにすげぇ遊園地ができたらしい。

「なんていう遊園地?」

「ドリームランド」

それを聞いて、わくわくしたのは私だけはない。

みんなで集まってドリームランドについて想像は膨らんだ。

「観覧車があるらしいよ」

「へえー」

みんなが一様にためいきを吐く。

ディズニーランドという遊園地が

アメリカにあるという話は知っていた。

なんかすごいらしいが、よく分からない。

毎週テレビで「ディズニー劇場」というのをやっていて、

白雪姫だとかダンボとかミッキーは知ってはいた。

しかし、なんといってもあの西洋のお城には驚いた。

ディズニー劇場の冒頭に、すごいお城が出てくるので、

私は驚嘆したのだ。

ぼうずっくりが言うには、ドリームランドというのは、

アメリカのディズニーランドにそっくりらしいのだ。

それは私たちにとってまさに「夢の国」だった。

それからいくら経っても近所では誰も行かないので、

ドリームランドが一体どんなところなのか、

誰も知らない。

そんな状態が何年も過ぎた。

私は中学生になり、横浜の反町公園とか東京の多摩川園とかへ

よく行くようになり、少しは遊園地に対する耐性もできつつあった。

ジェットコースター、マジックハウス、コーヒーカップ…

なんだかどれも初めてなので、妙に緊張し、感動したのだが、

その後、結局というか遂にドリームランドへは行かなかった。

クルマに乗るようになって、

初めてドリームランドの近くを通ったとき、

五重ノ塔のようなものが見えたので、

ちょっと感動したが、それだけだった。

その頃はもう誰も「ドリームランドすげぇ」なんて言わず、

そもそもドリームランドなど話題にものぼらないほど、

世の中にはいっぱい楽しいところが増えていた。

ドリームランドは過去のものとなっていた。

同時期、時代はどんどん移り変わって、

多摩川園や二子玉川園は閉鎖してしまい、

よみうりランドや向ヶ丘遊園が頑張っていた。

多摩テックも人気で、よくでかけた。

ドリームランドがなくなると聞いたのは、

一体いつの事だったのだろうと回想するも、

そこの記憶が飛んでいて覚えていない。

そして後年、ウチの奥さんとドリームランド跡地?の近く、

国道一号線の原宿の交差点の渋滞の最中に、

この幻の遊園地の話題になった。

そこで初めて分かったのは、

奥さんは親父さんのクルマで、

毎年ちょいちょい、この幻の遊園地である

ドリームランドへ出かけていた、

という衝撃の事実だった。

「えっ、ドリームランドって一体なかはどうなっていたの?

なにがあったの? ディズニーランドに似ていた?

あの五重ノ塔は一体なんだったの?」

もう、一気に質問攻めである。

時代を遡ると、

当時の道路事情はかなり寒いものだったのだが、

彼女の家にはクルマがあったそうな 驚

私の家には中古の自転車が一台ありまして、

毎日一生懸命磨いていました。

家の前を、よくリヤカーが通っていました。

この時代、まだ日本にカローラもサニーもなかった。

ヒルマン、日野コンテッサとかフランスのルノーの小型車とかが

たまにのんびり道路を走っていて、まだのどかだった。

一番台数が多かったのがオート三輪車というもので、

あれはなんというか、カーブでひっくり返りそうなので、

幼い私にも危なっかしく思えた。

そんな時代のドリームランドである。

私の近所はみんな貧乏人ばかり集まっていたので、

誰もドリームランドなんか行けなかったのだ。

後付けの感想ではあるが、ドリームランドは

どう考えても時代が早すぎた代物であったように思う。

時代の先駆けでありフロンティアであるのは確かなのだが、

その頃の日本はまだまだ貧しかった。

クルマがめずらしい時代に、

最寄りの「大船駅」から歩いていくことができないのが、

横浜ドリームランドだった。

(確かモノレールは不人気だったように思う)

園内はとにかく広大。

特大の観覧車が鎮座し、

ゴンドラが行き交い、

五重ノ塔の「ホテルエンパイア」がそびえ、

ジェットコースターでは歓声があがり、

アメリカのディズニーランドのジャングルクルーズを摸した

「冒険の国巡航船」が水路を巡り、

お伽の城が建ち、そのまわりをおとぎ列車が走り、

スワンボートが池の上をスイスイと浮かんで、

その上を飛行塔がまわっていた…

さらに園内ではヨーロッパの宮廷の庭園を模して、

そこかしこに四季の花が咲き乱れていたそうな…

(以上は悔しいけれど、最近調べて分かったことばかり)

いまさらだけど、なんか腹立たしいなぁ。

憎きはウチの奥さんである!

仕事を放り出して…

ときに、仕事は拒否ったほうがいい。

体にも精神的にもいい。

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仕事がないのは、これは困る。

が、ある場合でも、ソコソコちょうどいいという分量が

なかなかない。

仕事って、なんだか固まってやってくるのだ。

だから、とても疲れるし、心身の疲れもストレスもMAXになる。

私はよく仕事を放棄する。

勤め人の頃は、なんだか適当な用事をみつけて、

街へ出た。

品川に勤めていた頃は、品川宿の古い町並みをプラプラした。

ついでにずっと海を眺めたりしていた。

赤坂で働いていた頃は、附近に適当な所もないので、

高台にあるカレーのおいしい喫茶店でずっと都会の景色を眺めていた。

これはなかなか癒やされた。

表参道にある制作プロに移ってからは仕事がMAXの日々が続き、

逃走もできない日々だったので、

よく屋上で裸になって甲羅干しをした。

この会社は勤務中でもアルコールOKだったので、

よく飲みながら仕事をしていた。

そういえば、隣のデスクにいたコピーライターの○上君は、

妙なインドの音楽を鳴らしながら、よくお香を焚いていたなぁ。

あの会社は、仕事はキツかったが、他はすべてユルかった。

で、結局潰れたんだけど…

納得!

最近の職場逃走は、山ないしは川である。

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なんてったってトカイナカに住んでいるので、

逃げる先はそういう所になる。

トカイナカでもいまの時代はストレスが溜まる。

なんてったって情報化時代とかネット社会とか、

ストレスはどこへでもやってくる。

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この日は、山道で野生のリスを発見。

木を登ったり降りたり、キョロキョロとせわしない。

写真に収めることはできなかったが、

初めて野生のリスを見れたことが

なにより嬉しい。

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露天風呂に浸かって夕涼みをしていると、

そろそろ陽が傾いてきた。

ついでに二八蕎麦を優雅に摂取してから帰ったのだが…

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要するに、恐ろしいのは、夜、スマフォの着信履歴と、

iPadでメールを開く儀式である。

後は、仕掛かり中の仕事の段取りの組み直し。

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いつもそうだが、仕事を放り出すのは高リスクである。

後が怖い。

ここんとこは、

依然いまもムカシも変わらない訳。

さあ、マジックアワーだ!

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光りと影の波間に漂う

あの乳白に映る空気が街の空を覆うと

そろそろと陽が暮れるのだろう

まわりでこの景色を眺めている人間が

意外にも数えるほどしかいない

みんなボケGoで俯きながらウロウロしている

もったいないなぁと思う

…今日が地球最後の日だぞ!…

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冬めいた空気が格別に心地いい

公園の坂道をトボトボと歩いて下ると

駐車場の広場にモノクロームのとばりが降りる

なぜこれほどマジックアワーが気になるのか

自分でも分からないのだが

あの美しさがひょっとして人間に似てやしないかと

ときどき思うのだ

最後に一瞬だけ輝いて、そして死んでゆく

その年頃に更に近づくと

もっと見えてくる美しい何かがあるような気がして…

死を意識することは

だって、よく生きることに違いないのだから

広告業界裏話

電通ブラック

いまさら、ですが、

広告業界はほぼブラックでした(一応過去形)

しかし、現在は働く環境改善がどこも進む中での

この事件ですので、私たちも考えさせられます。

工場のように、キッチリ計れない仕事。

これがいろいろな問題の根源にあるのも確かなこと。

電通だけじゃありません。

私の知り合いで、

電通系の制作を請け負っている会社のボスをやっていた人間がおりますが、

私見ですが、下請けの状況はさらに厳しいと感じました。

私は当時、独立系の制作会社にいましたが、

やはり一週間のうち、2日は会社に泊まり込みで仕事をしておりました。

夜中の3時頃に、事務所の椅子を集めてそこで寝る。

寝付けないときは、近くにあった青山ラーメンで餃子を食い、

事務所に戻って再び寝転がる。

しかし、いいアイデアがでないとき、

締め切りが迫っていると、むくっと起きてデスクに向かう。

そうして夜が明けてしまい、

今度は近くの喫茶店のモーニングを食いながら、

更に状況は悪くなり、憂鬱になる。

そんな日々を過ごしていると、だいたい麻痺します。

アイデアのパクリ

オリジナルの定義がそもそも難しいのだけれど、

明らかにパクられると結構アタマにきます。

コピーテキストは、それ自体に著作権がつきますが、

いざ争いになったとき、その証明が難しいらしい。

まあ、少額訴訟が多いので、まず簡易裁判所扱いとなりますが、

簡易裁判所って行ったこと、あります?

あまりやる気が感じられないこと、この上ないので、

こっちもしらける。

勝てる気がしない。ついでに手間がかかる。

簡易ですまない場合は、地方裁判所。

地裁経験はまだ経験がありませんが、

まああまり行きたいところではない。

しかし、この先は何があるかは分からない。

万が一、行かねばならぬ案件が出たら、

そんな折りは、帰りには近くの中華街で、

うまい飯を食うと決めている。

でないと、人生が暗くなる。

制作費への無理解

カタチのない成果物に全く理解のない方が、

かつてはいっぱいおられました。

そんな経営者がモノを頼んできた場合、

私たちは戦々恐々とした訳です。

どう理解してもらうか。

私たちもアタマに汗して働いているのですが…

しかし、それが分からない。

まず、えいっとひねり出したアイデアとか企画が、

いいか悪いかが分からない。

デザインとかの判断基準が皆無。

コピーライティングに関しては更にひどく、

「日本語なんか誰でも書けるだろ」

ま、最近になってこんなケースはないのですが、

あまりにえげつない価格のダンピングを要求されたりすると、

早々にこちらからお断りです。

もう意地です。

猫に小判ですから。

しかし、こうしたケースでも、

会社に体力がないと媚びてしまいます。

で、そんな仕事を続けていると、こちらが空しくなるばかりか、

同じ仕事で生計を立てているまわりにも影響を及ぼすので、

ここはもう崖っぷちでも頑張るしかない。

割と体力も使います。

出版業界からみると…

自身が出版社からの転職組なのでよく透けて見えるのですが、

出版業界の方々と話をしていると、

そこはかとなく広告業界を見下しているのが分かります。

まあ、この業界はいい加減で軽い奴が多いのも確か。

対して出版関係の方々はインテリ、気難しい系が多い。

で、一体、広告業界のなにを見下しているかというと、

人の金で宣伝をしているとか云々…

ふむふむ、これはね、確かにおっしゃるとおりです。

私も最近では少々疲弊していまして、そのあたりに

何か違和感がありまして脱出口を探しているのですが、

まあ、達成まであと5年はかかりそうです。

内容はいまは言えませんが…

いや、言いたいことはそういうことではなく、

ちょうちん記事ばかりを粗製濫造している出版業界。

あなた方は質が悪い。

人は広告と記事とをしっかり分けて読んで、情報を取り込んでいる。

そしてジャッジする。

だから、これは広告ですと宣言しているものより、

意図的な記事でも人は信用してしまう確率が高い。

こうした記事のなんと多い事か。

これはこれで、自滅。

出版社が沈んでゆく一因かと思います。

賞にまつわる話

若い頃は賞を取ることをかなり意識しまして、

広告の講座などへも頻繁に通いました。

いつか必ずヒットを飛ばすぞと、息巻いていました。

あるとき、広告学校という講座で知り合い、

何度か飯を食った○通に勤める友人が言うには、

参加作品を提出する前に審査員の先生がみてくれると。

うん?

これに私は異常に反応しまして、

よくよく話を聞くと、これはこの会社ではよくある慣習らしく、

だから彼は何の悪気もなく私に話したのですが…

予定通り彼は新人賞みたいなものをとり、

さらに後年、彼はなんとか大賞というのもモノにしました。

こうなると、何が実力かコネか訳が分からなくなる。

私はというと、一応純粋に賞というものを信じ、

目標にしていたので、そのショックは相当なものでした。

以来賞というものに全く興味がなくなり、

全く違うベクトルで仕事をしてきました。

誰かの役に立つ、という行為は、

いわば人の幸せの定義でもあるらしい。

ささやかでもいいので、そんな目標が最善ではないかと…

銀行でケーサツを呼ばれた件

駅前の○×銀行は、月末の金曜日ということもあって、

店内は混雑している。

なにもこんな日にとは思ったのだが、他に時間がないので、

嫌々行くこととなった。

まとまった金といえばそのような気もするが、

アレコレと滞っていたものを一気に動かそうとすれば、

それなりの金額を動かすこともある訳で、

その日が一掃する実行日だった。

送金、振り替え、口座の移動、手元に下ろす金等々、

合計としては結構な金額を出金することとなった。

散々待たされ、やっと呼ばれてカウンターに行くと、

ベテランとおぼしき行員の女性は見事な手さばきで、

次々と仕事をこなしている。

で、私の差し出した雑多な用紙に目を通すと、

ちょっとお待ちくださいといって、

一瞬ためらうのが分かった。

と後ろの女性となんだかヒソヒソ話を始め、

再び、こちらへむき直すとおもむろに、

「このお金の送金先ですが、どういうお方ですか?」

呆気にとられた私は知り合いですがとこたえる。

では、下ろす現金は何にお使いですかと再び問うのだ。

これは、いろいろ入り用でしてね。

そうですかと何の感情も示さない彼女が、

私の免許証の提示を求めてきた。

これはよくあることではある。

が、次に吐いた言葉に驚いた。

「ちょっとお巡りさんに来て頂くので…」

「うん?」

何を言われているのかよく分からない。

その女性が席を立つ。

と、しばらくして恰幅の良い目つきの鋭い女性が奥から現れた。

この女性は他の行員とは明らかに雰囲気も違えば、

そもそも皆と同じ制服ではなく、

黒の地味なものを纏っている。

この人が、こっちをじろっと見た。

というか、冷淡に睨んでいるようにも思えた。

まあいい。

彼女がこちらへと私たち夫婦を誘導する。

振り返ると、他のお客さんが私たちをジロジロ見ている。

奥さんがなんか感じ悪いわねとつぶやく。

なんだか雰囲気がおかしくなってきたぞ、と私。

銀行のソファがズラッと並んだそのすぐ横、

ついたて一枚の席に私たち夫婦は座らされた。

その間、お茶の一杯もでるでもなく、

手持ちぶさたでまんじりともなく座っていると、

どこから見ても警察官という出で立ちの年輩警察官が現れた。

「どうもどうも」

なんか気安いなぁと思う。

「あのいまね、振り込め詐欺って多いでしょ。

で、こういうことになっているんですけれどね」

「フムフム…」

でですね、と延々と、

自宅の住所やら電話番号やら、

送金先の人物の詳細やらをアレコレと突っ込んで聞いてきて、

いちいちメモっている。

(職務質問ってこんな感じなのかね?)

振り込む理由を明快にこたえると、

警察官はフムフムと考え倦ねている。

まあここまでは、振り込め詐欺の被害を防ごうとして、

皆さん頑張っていらっしゃるなぁと思うことにしたのだ。

が、どうも風向きが変わったのは、

警察官の次の質問からだったのだ。

「ところで、隣にいらっしゃるのは、えっーと奥様?

のご様子ですが…どうでしょう?」

これで、いろいろな謎が解けてきた。

我々が金融詐欺だかなんかしらないが、

そんな犯罪者ではないかと疑われているのだ。

で、このあたりから奥さんがカッかとしてしまい、

あぁもうこれはかなりまずいなぁと思いましたね!

「お巡りさん、ひょっとして私たちがアベック詐欺とでも

思っているのかな?」

こうなると私も腰を据えるしかない。

「いやいやとんでもない!」

気安いお巡りさんが更におどけて、

加速するように、余計に尚も砕けはじめたのだった。

いま何が起きているのか、

察しというか、置かれている立場というか、

そんなものをいち早く察知した奥さんの怒りがおさまらない。

おお、顔が上気している。

「何がふざけているって、ついたて一枚で、

ケーサツが来て散々問い詰められて、

あたし達ってどう見られている訳?」

「なあ…」

私は元来、勘は良いのだが、

ときどき察しが悪いとよく言われたりもするので、

奥さんの様子を見ていて、

そうだ、俺も怒るぞ!

とスイッチを入れることにした。

で、おいおい支店長を呼べよ、

とは思ったのだが、それは言わず、

プンプンしてさっさと店を出ると、

おいしいコーヒーでも飲まないかと奥さんを促す。

と上の件で私たちはグッタリとしてしまい、

後はほぼ使えない一日と相なった訳だが、

一度だけ私が銀行で吠えたのを、

翌日の朝に思い出した。

それは俺の金だぞ!

閉所恐怖症

閉所恐怖症の身として、まず困ってしまうのが、ビルなどのエレベーターだ。

なんというか、あの上下に移動するときのわずかな時間が問題なのである。

たかが数秒か数十秒なのか知らんが、毎回手に汗握ってしまうから、

非常に疲れてしまう。

これは妄想なのだが、あの四角い箱がどんどん狭くなって、

壁がどんどんこちらへ迫ってくる感覚が、なんたって息苦しい。

現代なのか都会生活なのかよく分からないが、

いまはどこでもエレベーターが欠かせないのはよく分かってはいる。

が、どうも全然慣れないなぁ。

そこがそもそも閉所恐怖症なんだけど…

似た部類に地下鉄がある。

最近では、新宿駅から乗る丸ノ内線に辟易、というか、

恐怖さえ抱いてしまったのだから、当分あの地下鉄には乗りたくない。

続いて後日、横浜へ行く際にみなとみらい線にも乗ったのだけれど、

この時も、やはり掌から汗が噴き出していた。

己の人生を振り返って、この原因は一体どこから来るのだろうと、

私なりに探ったことがある。

で幾つか思い当たる節があった。

まずガキの頃だが、横浜にもまだ戦争の傷跡が残っていて、

学校の裏山にポッカリと大きな穴があいていたのだが、

それが防空ごうだった。

柵も立て札もなにもない。

いまと違って、出入りは自由であった。

私たちはよくその穴に潜って遊んでいたのが、

そこがあるときいきなり落盤し、

運悪く、私は落盤した土に埋まってしまった。

と、その様子を遠くで見ていた大人が駆けつけてくれて、

私は助かったのだが、そのとき、

口の中にはいっぱい土が入っていたことをいまでも覚えている。

あの圧迫されたときの身動きのとれない怖さと苦しさは、

何年経っても忘れられるものではない。

次に、もうひとつ思い当たる節があった。

それは、やはりガキの頃だが、

いたずらをするとよく親父が私を押し入れに閉じ込めた。

これはよくある話しではある。

が、私の場合、一度閉じ込められると、

最低3時間くらいは出してもらえなかったので、

これには暗闇の恐怖というのも加わってしまった。

ところで最近、

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んだ際、

主人公が東京の地下深くの洞窟を延々と進むシーンがあって、

寝しなにそのあたりを読んでいた私はハアハアとなってしまい、

安眠を妨害された覚えがある。

なかなかタフな人間というのは、こんな主人公のことをいうのか、

と感心した次第である。

その点、まあ私はへなちょこではある。

更にいま何故か流行っているアドラーという心理学者に言わせると、

トラウマなんていうものは言い訳に過ぎない、というのだ。

アドラーといえば、彼の考えを前面に打ち出した

「嫌われる勇気」が有名だ。(彼の著書ではない)

街の本屋でよく平積みしてある、あのベストセラー本である。

そのアドラー曰く、

『人は過去に縛られているわけではない。

あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。

過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう』

そしてアドラーは、こうも言う。

いろいろな病因の深層心理にあるのは、

社会に出るのが嫌だという共通因子。

よってトラウマなんていうものは、

ただの言い訳に過ぎないらしい、と。

アドラーという人は、なんと強い人であろうか。

そしてとてもパッションがあって、

人生に常に前向きな方向性を示す。

私の場合、社会に出るのが嫌だったのは確かではある。

が、なにを今更の年代でもあることだし、

いい年をして、今頃になって社会の出入りもクソもないのである。

で、人生に前向きか否かは、比較対象となる判断基準がないので、

現時点で己を考察するのはちょっと難しい。

まあ、とにかく閉所恐怖症の原因はトラウマではなさそうだと。

しかし、この際アドラー流に解釈を加えるとすれば、

私の場合は社会に出たくないという根本原因を、

今後は「死にたくない」といった潜在的要因に置き換えることで、

説明が立つような気がしてきたのだ。

かなりねじ曲がった解釈ではあるのだが、

死んだらあの狭い棺桶に閉じ込められてですね、

しっかりこんがり骨になるまで焼かれるんですね。

こうなると、もはやトラウマなんてもんじゃない。

おっと、書いていて、すっげぇ怖いんですが!

ビリー・ジョエル…誠実ということ

ボクは暇さえあればオネスティを聴いている。

この曲はビリー・ジョエルが1978年にヒットさせたものだが、

なんと言っても詩が良いですね?

オネスティは直訳すると誠実さとでも訳すのでしょう。

古い言葉です。

誠実であることはかなり難しい。

誠実であろうとしても、結果的に相手に誤解されることもあれば、

反感、非難を浴びることもある。

だから人は、ちょこちょこと、

そしてアレコレと誤魔化すのですが、

この歌は違う。

直球で相手に誠実さを求める。

まあ、そう言うからには

当の本人も愚直で真面目である訳だし、

そこにはかなり窮屈な人間関係が求められる。

この歌詞に、作者であるビリー・ジョエルは、

一体何を込めたのだろう。

彼は現在も現役で、以前は日本公演もやっているが、

「桜」とか「上を向いて歩こう」とか日本の歌も披露してくれる。

真面目であるしサービスにも富んでいる。

彼は大都会ニューヨークでヘラヘラになりながらも、

ヒットを連発していたのだろうし、

前述の講演のことでも分かるように、

彼は相手のことを一番に思うから、

期待に応えているうちに苦しくなる。

そして繊細な彼の神経が徐々に崩壊していった。

別のヒット曲「プレッシャー」を聴いていると、

彼の哲学的な歌詞とその思考の行方に、

かなり窮屈ではあるが、

人生に対する真摯な姿勢とでも言おうか、

ある種の狂気を感じてしまう。

過去、彼は神経衰弱で精神病院に入院したり、

アルコール依存症、鬱を患ったりしている。

しかし、彼は立ち直る。

繊細、だけど復活する力も持ち合わせていた。

最近流行りの言葉でいうところの「レジリエンス」、

復元力が強いのだろう。

彼はいま、ニューヨークから離れ、

海辺の田舎町に住んでいるらしい。

そこで誠実に暮らしている、のだろうか。

ああ、

誠実に生きるって難しいんだなぁと、

つくづく思う訳です。

記憶の海を漂う

あなたの人生を振り返ってみてください、

如何でしたか?

こんな小難しい質問を誰かに投げかけられたら…

うーん、皆さんかなり戸惑うことになるでしょう。

ところが、こうした質問に対する回答は皆、

同じ思考を辿ってこたえるらしい。

それは「記憶の集合体」を語ること。

言い換えれば、覚えている過去の記憶を総合的にまとめ、

それを主観で言い表す、とでもいおうか。

NHKのEテレで毎週「TED」という番組を放映している。

アメリカの番組をそのまま持ってきたものだが、

毎週、その道のプロ・専門家が、広い会場でプレゼンテーションを行う。

別称「スーパープレゼンテーション」と呼ばれる所以は、

登場する方々のプレゼンがとても感動するものばかりだからだろう。

最近では、記憶力の世界チャンピオンという方が登場。

物事の覚え方のコツなどを話しているのだが、

これはめずらしくつまらないなぁと思いながら観ていた。

まず記憶力の素質は皆たいして変わらないということ。

そして記憶しておくポイントは、物事を関連づけて、

物語として、または立体的に覚えてゆくこと等々。

こういうことに一切興味がない私は、

フムフムと寝転がって観ていたのだが、

最後の3分という話の総括の頃だろうか、

彼が目からウロコが落ちるような、

ハッとすることを口にした。

曰く、

「人は人生を振り返るとき、それは記憶しかない。

だから皆さん、忘れずに覚えておきましょう」と。

この言葉がやけに気になった私は、

体を起こしてひととき、うーむと考え込んでしまった。

その人の人生がどうであったか、

それは覚えている事以外は当然のことだが、語れない訳だ。

この至極当たり前の事に私はハッとさせられた。

そして私たちは、それが良い思い出だろろうとなかろうと、

月日が経つうちに記憶は変化し、ときに編集され、

更に記憶は進化しながら積み重なってゆく。

この過程での記憶の変化、編集には、

主観が多いにかかわっているので、

それがどのような記憶であろうと、

その人の心理状態というか性格なども大きく影響している。

よって、例えふたりの人間が同じ経験をしても、

それが良い思い出となるのか否かは、

それぞれのパーソナリティにより、

記憶の形態も掛け離れたものになる可能性がある訳で、

そこに後年、記憶の編集などが加わることにより、

それぞれの歩んできた道が大きく異なるように語られる、

ということとなる。

おおざっぱに言えば、

それがどんな事柄であろうと、

記憶とは本人が良しと記憶していれば、

それは良い思い出となるであろうし、

その逆もまた然り、なのである。

なんでもポジティブに、とかいう人がいるが、

私はこういうのがあまり好きではない。

が、こと人生における記憶に関しては、

この考え方を採り入れたほうが良さそうだと、

「TED」を観て以来思うようになった。

これは、私がいままで見落としていた、

とてもシンプルかつ重大な発見だった。

一度きりの人生だと思うからこそ、

やはり振り返るときくらい肯定したい…

こう考えるのは私だけだろうか。

小説と枕の快楽

枕元にいつも一冊、長編小説が置いてある。

寝る前のひとときに、

現実と全く違う世界を歩く楽しさは、

やはりとびっきりの物語でなければならないと思う。

あるとき、それは藤沢周平の小説から始まった。

彼の小説は、江戸の町が主な舞台で、

それがあるときは市井の下級武士だったり、

或る問題を抱えている町人だったり、

傘張り浪人、職人、嫁入り前の娘とか、

いろいろな江戸の住人が主人公となって、

その人を取り巻く世界がくるくると動きだし、

主人公の息づかいが伝わるほどに、

物語がいきいきと描かれている。

その物語の舞台である江戸の町を、

藤沢周平の小説を元に地図をつくった読者もかなりいると聞く。

それほどに、彼の小説には人を引き込む魅力がある。

いや、で今回の話題は枕なのである。

小説に引き込まれる興奮と相反し、

こちらとしては寝る前のひとときとはいえ、

現実は、明日やらねばならない事もある。

要は寝なければならない訳だ。

そこで、ワクワクさせる物語に負けないほど、

こちらを最高級の眠りに誘う心地良い枕が必要となる。

それがあるときは、

イトーヨーカ堂で買った980円のパイプ枕だった。

その枕は、それ以前に買った通販生活の1万2000円の枕より、

数倍深い眠りを約束してくれたので、

ヘタっても薄汚れても数年使っていたのが、

最近になって、どうも体に異変が起きてしまい、

買い換えを考えていた。

異変は突然訪れた。

朝、洗面所でうがいをしようとガラガラと上を向くと、

とたんに首が痛んで、以来、数日にわたって

上を向くことが苦痛となってしまった。

私はその痛みの原因が分からず奥さんに話したところ、

「枕よ、枕に違いないわ!」と即答した。

思えば、この奥さんは枕にとてもうるさい人で、

ここ2.3年のうちに、なんと枕を5回も換えている。

しかし、理想の枕にはいまだ出会っていないとのことだ。

この頃、私の枕元の小説は村上春樹のものに変わっていて、

「海辺のカフカ」上・下巻を読み終えていた。

とても面白かったのだが、振り返るに、

やはり眠りはさして深くはなかったように思う。

それは、小説の中身が面白すぎで眠りが浅くなったのか、

はたまたその原因が枕によるものだったのか、

そこはよく分からないのだが、

やはり枕の替え時とは思ってはいた。

で、あるとき別の用事で丸井へ行ったとき、

ふとした衝動買いというべきか、

西川の「もっと横楽寝」という枕に手を出す。

横楽寝とは、横を向いて寝る人専用に設計された枕、

とのことで、おおそれは私ですと、

まずネーミングに惚れてしまった訳。

早々に売り場のベッドで試すと、

確かに良さげな感触を得たので購入となったのだが、

以来、以前よりどうも深く寝ているようだと気づいたのは、

数日経ってからで、

朝なかなか起きられない自分に驚いてしまったからだ。

現在、興奮しながら、かつ淡々と読み進めている小説は、

スティーヴン・キングの「シャイニング」下巻。

物語は佳境である。

寝床に入るとワクワクが止まらない。

ストーリーの急展開に、結末がまるで検討がつかなくなってしまい、

これはとんでもない最後を迎えそうであるが、

そこは「横楽寝」が難なく阻止してくれるのでありがたい。

小説で上気した私をおだやかな睡眠へと誘い、

果てはさわやか、かつ満足に充ちた、

けだるい朝を約束してくれる。

恐るべきは、西川の枕「横楽寝」である。

そして、その心地よさに拮抗するS・キングの「シャイニング」も、

なかなかの強敵ではある。

おもうに、幸せだなぁと思える最短の近道が、

私の場合「良い枕と傑作小説」ということに、

ごく最近気がついた訳だ。