逆上がりができない!

散歩で立ち寄る公園に鉄棒があって、

あるときふと「やってみるか」と思い、

軽い気持ちで逆上がりをやろうとして、

なんとこれが、できなかったんですね。

これには私自身がエラく驚いてしまい、

こんなハズじゃなかったと

つくづく悔しい想いをしまして、

それからこの公園に立ち寄るたび、

ポケットからiPhoneと小銭を出してベンチに置き、

エイっとチャレンジしているのですが、

いまだにできない訳です。

思い返せば、ガキの頃から鉄棒に親しみ、

連続10回逆上がりとか、

鉄棒に両足を踏ん張って飛ぶコウモリという技とか、

我ながら自慢の運動だったのだが、

なんだよ、最近の自分の体たらくは!

にしても、年をとるとは恐いものであり、

来る日も来る日も、

何事かを1つづ諦めていかなくてはならないのだ。

それがじじいなのか?

重ねて腹が立つのはウチの奥さんで、

同年なのになんとか逆上がりができてしまうのだ。

これには驚いたね。

彼女は日頃からカラダを鍛えているとか、

ムカシからバリバリのスポーツ女子であった訳でもなく、

フツーのおばさんなのだ。

なのに「あら、できたわ」とか言って、

意味不明な笑顔でこちらを見るのである。

これにはライバル心がメラメラと燃え上がり、

ふと思い立つと独り公園へでかけ、

鉄棒の前で「よーし」と力み、手のひらの汗を拭い、

勢い、鉄棒に挑むのだが、いまだできない。

あまり言いたくはないが、

私は若い頃、彼女に水泳を教え、

スケートの楽しさをサポートし、

あとから始めたにもかかわらず

スキーもメキメキ上達し、

彼女をことあるごとに指導し、

パラレルまで滑れるようにしてあげたのだ。

なのにいま私は逆上がりさえできず、

彼女から意味不明な笑顔で見られている訳だ。

思い当たる原因は老化の他にもある。

奥さんに聞いたら、若い頃といまと、

体重の変化がないとのこと。

それに較べ、私はだいたい10㌔以上は太っている。

ふーむ、それにしても納得がいかない、

消費税増税とマイナンバーと、

逆上がりなのだ!

「チェ」というタバコ

ゲバラ4

所詮はタバコだが、

されどこのタバコなのである。

チェは、ゲバラの姿がデザインされている。

なかなかイケテイルなというデザイン。

葉は、無添加・無香料だし、

妙なフレーバーも入っていない、らしい。

中にキューバ産の葉がブレンドされていて、

ちょっと他のタバコとは違い、

いい味わいがある。

チェ・ゲバラのチェは、「よう」とか「やあ」という

南米の言葉だそうで、親しみのこもった呼び方である。

それだけゲバラは、皆に親しまれていたともいえよう。

事実、民衆は、いつもゲバラに味方した。

ゲバラは、常に民衆の事のみを考え、行動した。

で、彼はお馴染みキューバ革命を成功させた人物。

見てのとおりなかなかのイケメンである。

そして時代は流れ、いまや政治的イデオロギーも、

なんだか境目が曖昧になってきているフシがある。

あのアメリカにも、遂に社会主義者の大統領候補が現れた。

中国は相変わらず経済に躍起な共産国であり、

やはり人民も国も「金」なのであった。

もう革命など縁遠いのだろうか?

いや、ゲバラ的に解釈すると、

実はそもそもイデオロギーなど、

どうでも良かったように思えるのだ。

たとえば、一時期、ゲバラと毛沢東は、

世界中の若者を虜にしたが、

毛沢東の文化大革命を見て、

皆、毛沢東を疑うようになった。

一方、ゲバラは依然純粋な革命家であり続け、

医者でもあり、

自身が幼少期より持病を抱えていたので、

当時の弱者に対するまなざしはやさしく、

奴隷・搾取といった制度を転覆させることに、

生涯を賭けた。

これはもはやイデオロギーというより、

純粋に弱きを助け強きをくじく性格が

彼を革命へと誘ったのであり、

あの激しい生きざまの発露も、

そのあたりにあったように思える。

よって、チェなのである。

ゲバラは世界各地の革命に関わり、

自身は最後、アメリカCIAの指令により射殺されたが、

彼はいまだに世界中で人気がある。

それは彼が革命家として、つとに純粋だったからだろう。

権力や名誉ではなく、まして金でもなく、

世界のすべての社会の矛盾を心底憎んだのだ。

かのジョン・レノンも、

ゲバラを世界で一番格好良い男と評した。

―バカらしいと思うかもしれないが、

真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。

人間への愛、正義への愛、真実への愛。

愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ―

(出典チェ・ゲバラの名言)

このタバコは、いまもって世界中で人気が高い。

たかがタバコ。

なのに、時代と男のロマンがギッシリと詰まっている。

そこに崇高な物語があった。

それが「チェ」なのである。

ゲバラ3

Haru (春)

陽ざしの乱反射は細かな虫の羽が

絶え間なく動いているからだった

山あいの朝はまだ肌寒いが

ほうぼうを見て歩いていると

あちこちで木々の芽吹いているのが分かる

もう田んぼのあぜ道も見なくなって久しいが

その足元に咲く

レンゲやシロツメグサの春の華やかな記憶が

いまでは夢のような出来事のようになってしまった

花も蝶も蜂もそして何もかもが減って

あのむせるようないきものの充満した春は

もう何処にもないのだ

そういえば密集した森も笹やぶも

かつては濃密な自然の匂いを放っていたが

いまは整地が進み

綺麗な住宅が立ち並らび

僕たちは僕たちでそれは快適になったのだが

たとえばビル街を歩いていて

ふと立ち尽くしてしまうのは何故なのか

少なくとも僕と同世代以前は

鎮守の森に守られて育った

都会にもそれなりに雑木林はあったし

空き地も川も田んぼも蛙も…であった

道端のお地蔵さんは

僕の話相手ですらあったし

どこのお母さんも

間違いなく割烹着をつけていた

昭和は悲しい歴史の刻印である

と同時に

昭和はもう戻ることのできない郷愁である

そこにはもう蘇ることもない自然が息吹いていて

木訥とした人間の暮らしがあって…

だから

春はあけぼの

春はいのち

春は過ぎし日

今年もようやく

僕なりの春がきた

大山に登ろう!

タイトルは…登ろうだが、結局、日程を延ばすことにしました。

大山なんてチョロいという先入観が間違っていた。

最近重宝しているVixenの双眼鏡で、

めざす大山の山頂あたりをじっと観察すると、

山肌になんとびっしりと雪がへばり付いているではないか。

積雪ではなく、風雪とでもいうのかな。

山肌に雪氷のようなものが貼り付いているのが見える。

すっげぇ、寒そう。で、あそこを歩くと滑るな~って感じ。

ハイキング程度しか経験のない私には、まるで無理。

まず根性が出ない。

厳冬の装備を持ってないし。

以上の理由により、もう少し気温が上がるまで、

登るのを延期することにしました。

丹沢なんかもそうだが、

山としては標高も低く、都会に近いし、

一見カジュアルな山に見られているが、

むやみに奥へ入って迷子になったりトラブルに見舞われたりと、

警察や消防へのSOSも多いらしい。

意外ですね。

もうひとつ、なめてはいけないのが、

やはりあの身近な湖、山中湖だ。

湖畔にはキャンプ場、旅館などの宿泊施設、

コンビニ、ファミレスなども建ち並び、

湖にはボートに観光船、白鳥もウヨウヨいるので、

ちょっとなめて油断してしまいそうだが、

ここのクソ寒さったらどん引きしてしまうほど寒いんだ。

若い頃、1月に一度行ったことがあるが、湖面が凍り、

元気なおっさんたちが湖面の上で氷に穴を開け、

ワカサギ釣りをしていたのを目撃したことがある。

夏もそこそこ行っているが、

晩夏ともなると、陽が沈むとぐっと冷えてきて、

急激な温度の低下は相当こたえる。

ある年の夏の終わりにキャンプに行ったときも、

テントの中で毛布を被って寝たのはいいが、

その寒さに耐えられず、車に移動。

エンジンをかけてヒーターを全開にしたこともある。

夏ですよ。

なので今頃の時期、山中湖ってなおさら鬼門です。

山、湖ときたら、川です。

川はですね、やはりなめたらあかんです。

神奈川県では、やはり相模川より中津川の方が恐い。

なんでかっていうと、単純に流れがキツイから、

いろいろなトラブルも起きやすいのかな。

自身の体験したことだが、

あるとき、中津川の上流の岸で仲間達と遊んでいたら、

その中の一人が足を滑らせて川へドボンと落ちてしまった。

それを見ていた私は反射的に飛び込んでしまい、

そいつを助けようとしたが上手くいかない。

流れが驚くほど急なんですね。

こっちは学生時代にずっと水泳部だったので、

潜在的に妙な自信のようなものがあったと思うが、

中津川はそんな私たちを許そうとはしないんだな。

そこで流れに逆らうのを一切やめる作戦に変更。

少しのあいだ、二人して下流へ流されながら

適当なよどみを探すことにする。

と、疲れが出てきた頃にちょうどいいよどみがめっかったので、

そこをめざし、一気に泳いでそこへと逃げ込んだ。

が、落ちた友人は立ち泳ぎがうまくない。

そこは土がむき出しの崖になっていて、

岸に這い上がることは到底無理だったが、

なんかの植物だか木の根がところどころに飛び出していて、

それにつかまって体制を整えることができた。

で、呼吸を整え、二人して力の限りに泳ぎ、

急流に流されながらもこちらの岸まで泳ぎきり、

みんなに引き上げられた。

この経験は、後に落ち着いて振り返ると、

相当恐かった。

さて、山、湖、川ときたら、そう海ですね。

若い頃、台風前の葉山の海で遊んでいて、

とんでもない波に巻き込まれ、

まあ簡単に表現すると、

洗濯機のなかに入れられたような状態から

これまた九死に一生を得た私ですが、

なんだか話が長くなって、飽きてしまいました。

この話の出発はそもそも冬の大山でしたが、

なんだか季節も時間も場所も

大幅に移動してしまいました。

要は、自然はなめたらあかんという話を

体験的に話したかっただけなんですがね。

もうクルマはつまらない

いつものように運転席に座る。

シートベルトを締める。

そしてイグニッションキーを捻る。

こうして何十年もの間、車を動かしてきた。

エンジンが始動すると、

なんともいえない吹けの音と振動が、体中に伝わる。

そしてマシンを操る自分に緊張を強いるよう、

交感神経もまた目を覚ます。

翻って、

最近のハイブリッド車などはキーを捻るでもなく、

スタートボタンを押すとそれでスタンバイOK。

そしてわずかにキーンと鳴ってスッと走り出す。

まあ、静かといえばその通り。

しかし私的には、正直気味が悪いのだ。

このとんでもない技術革新は産業革命以来か。

新しいものへの飛び付きの遅い自分は、

そうした車を「ほぉ」とか「へぇ」とか感心するも、

実のところ、なんの魅力も感じない。

いま自分の乗っている車は、

あの悪名高きワーゲン社製のゴルフで、

排ガスのCO2量も今となっては実に怪しいほど、

よく吹け上がる。

悪気もなく、よく加速もするのだ。

これはこの時代に於いて、「悪」である。

がしかし、

ここでこんな話をするのは

面白くもなんともないので、

論点を戻そう。

要するにエンジン車の良さって、

そのメカニカル性に寄るものと思うのだ。

車内に伝わるそのエンジン音は、

ドライバーにメカの好・不調の具合、

そして走行速度などを感覚を通して教えてくれる。

いわば生き物の心臓の鼓動のようなものとして、

私は捉えている。

長距離を走り終わった後など、

エンジンルームからの熱気と共に、

荒い息づかいのようなものが伝わる感覚。

車が汗をかいているのではないかと思うほどに、

生き物のそれとよく似ている。

対して、ハイブリッド車などは、

すべてにおいてクールだ。

端的に表現すれば、あくまでモノそのものである訳で、

なんというか人造人間的。

とんと心が動かないのだ。

現在、ハイブリット他電気系駆動の車の性能は相当のもので、

高速道に於いても私の車なんぞ軽く静かに抜き去る性能を誇る。

が、どんなに飛ばしてもなにも熱くはならない、

そのクールさになにか違和感を覚えるのだ。

人馬一体という言葉があるが、

いまやアナログとなってしまったレシプロ(ピストン駆動)車なんぞ、

これに近い感覚。

走りそのものを五感で感じ取ることができる。

ハイブリッド車はこの感覚に欠ける。

それが新しい車の感覚であり、

今後、この新たな車よりの五感というものが、

益々拡がるに違いない。

これはもはや人馬一体ではなく、

カー雑誌などは、これをどのように表現するようになるのか、

そこが興味深い。

しかし自分もいつの日か、

こうした車に慣れなければならないのだろうか?

大袈裟な例えだが、

明治維新も敗戦後も、皆大きな転換を迎え、

物事の価値観もひっくり返った。

このとき、古い者にしがみついている者だけが、

面白くないハメに陥ったようなのだが、

今回のこの話も同様の道を辿るのだろうか?

いまが思案のしどころなのだろう。

だが、希に時代遅れが優勢に立つこともある。

残存利益ということばも実際ある訳で、

近未来の自動運転の先行きも見据え、

たとえば、旧車レシプロエンジン6段マニュアルギアを

操れる運転職人とか…

うーん、希少な人材としての引き合いは、

どうもなさそうだな。

村上春樹がつくった図書館

以前のエントリーでも触れたが、

村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する

札幌のドルフィンホテルだが、

架空のホテルにしてはこのホテルに関する記述が

ディティールまで精細に描かれているので、

一見実在するかのような錯覚に陥る。

まあ、小説なので上手い嘘といえばそうなのだが、

それにしてもリアリティに満ちている。

ストーリー・テラーとしてこの人が優れているのは

先刻承知しているつもりだが、

まあ、想像でつくりあげるその力量には

いまさらながら驚く。

続いて手にした「海辺のカフカ」で登場するのが、

四国は高松にある「甲村記念図書館」である。

15歳の主人公カフカ君が深夜の高速バスに乗り、

この図書館をめざして家出をするのだが、

やはりここでもルポルタージュの如く、

まるで見てきたような時の流れ、

移動途中の風景などが克明に描かれている。

まあ、このあたりは実際に体験すれば描けるだろうが、

問題はその図書館のようすだ。

甲村記念図書館は実在しないが、

その図書館にまつわる歴史的背景、

図書館で働く人の様子、

更に館内とその庭園の記述に至っては、

ほぼ実在するかの如く、

これでもかというほど丁寧に描かれている。

私はまたも実在する図書館として勘違いしてしまった訳で、

続けざまに騙されたことになる。

村上春樹の描く主人公や登場人物は、

ほぼコンサバティブな人間が多い。

ほどほどの人間関係の距離感。

孤独を愛する。

喰うものはサンドイッチやドーナッツが多く、

主人公はだいたいシャワーで丁寧にカラダを洗い、

入念に歯を磨くことを習慣とし、

都会人にふさわしいファッションを身に付けている。

ブランド的にはアイビー系が多い。

で、音楽は彼の好きなジャズ系から60~70年代の

ポップスあたりをよく聴いている。

もちろんビートルズも。

間違っても演歌や民謡は出てこない。

ダンキンドーナツとか、

乗っているクルマがスバルの4WDとか、

やたらと具体的な実在するものの中に、

この作者はポンと架空のものをつくり、

放り込んだりして、

読者をその気にさせ、彼のつくった世界へと誘う。

この人のエッセイなどを読んでいると、

村上春樹という人間は基本的に真面目であり、

走ることに命を賭けているようなので、

私の心配はあたらないが、

一歩間違ってこういう人が詐欺師にでもなったら

恐ろしいなと勝手に思ってしまう。

まあ、だいたいにおいて物書き、

とりわけフィクション系の人というのは

そもそも詐欺師っぽいと私は睨んでいるのだが、

これも才能のなせる技とでもいうべきか?

いわゆる、良い意味での嘘つきは、

読者を裏切らないし、更に感動させてくれるのだから、

世の中は面白くできているなと…

だって優れた小説家に騙されて、

悪い気はしないでしょ!

ちょっと仕事のこと

今年ももう終わりだけれど(今日は12月31日大晦日)、

この1年は総じてシステム・プログラム系の仕事に

忙殺された感がある。

システムの成功例として挙げられるのは、

なんと言ってもアマゾンだろう。

このwebサイトはシステムの発想自体が優れているので、

すべてに於いて他より優位に立っている。

たとえば或る本を探すとする。

するとその本に関する詳細なデータ、評価、

そして類似本までがズラッと表示され、

訪問者の興味が失せることのないよう

綿密にシステムが組まれている。

更にこのシステムには自分の注文履歴、配送状況、

キャンセルのやり取りも簡単にできる。

想像しうる万全が尽くされているのだ。

このように

webサイトの構築に於いてシステムを組む場合、

その構築には、

脳と神経を全開にしなければならない。

そして、多大な費用と時間がかかる。

その他、検索エンジン対策、PPC広告の検討、

ユーザビリティ等で優位に立つことも前提に、

最善のシステムを考えなければならない。

これはとりもなおさず、

ビジネスの勝敗を左右すると言っても過言ではない。

こうしたシステム系が重要視されるようになったのは、

何も最近の話ではない。

現在、広告をひと口で括ろうとしても、

その裾野は広大過ぎる。

ウチとしてもこれらの状況を念頭に、

勉強と興味の両面から注視・実践してきたのだが、

実際のビジネスの現場では、思わぬ問題点が次々と噴出した。

文化系の自分にとっては苦手な分野だが、

思えば広告のスキルも年々多様化・細分化の道を辿り、

いまひとりの人間がすべてのスキルを手にするのは、

ほぼ困難と言えよう。

これはウチだけでなく、

ほぼすべての同業種企業が抱える問題と言える。

よってウチの場合も、

社員、仲間、協力スタッフの力がなければ、

この道は閉ざされていたに違いない。

こうしたプロジェクトの基礎とも言うべき

総体的な企画・方向性は、

まず絶対に間違えてはならないのが鉄則である。

後は最前線の専門スタッフの力量にもよるが、

基礎がしっかりしていれば、

そのプロジェクトはほぼ成功する。

幸いにしてウチの場合は、

ディレクターとスタッフに助けられ、

幾つか本格始動に至ったが、

現在でもそのメンテナンスに気が抜けない。

そして更なるユーザビリティの向上をめざし、

システムの改良を検討・実行したりしているが、

運用途中で思わぬバグが発生することも多々あり、

こうした場面では冷や汗が出る思いが続く。

要は多大な投資に見合う成績を上げなければ、

それはビジネスプロジェクトとして失敗の烙印を押される。

しかし、ビジネスは端っから成功することが前提の契約なので、

間違いは許されない。

という訳で、ここ数年は、ほぼ休みがなかったに等しい。

旅行はしない。

休日でもパソコンは必需品である。

こうしたサイトを

滑らかかつ快適なユーザビリティで運用してゆくには、

正確にいえば立ち上げから軽く1年以上はかかる。

またこうしたwebサイトは、

システムだけでなく、これまた手間のかかるコンテンツの充実、

SEO的な見地からの検索エンジンに対する施策、

更にいえばテキストの綿密な見直し、

更なるデザインの変更等、

やらなくてはならない事がメジロ押しだ。

私たちはいわゆるクリエーターと呼ばれてはいるが、

現在の広告状況は、

クリエーターという職種だけでは括り切れないほど、

広範な知識と技術が要求される。

そうしないと、今後は更に生き残れない現実がある。

システム構築技術、検索エンジンを理解する、

そして本来の仕事であったハズの魅力的なデザイン、

人を動かすテキスト(コピーライティング)等々…

これだけでも、広範な勉強と知識が要求される。

しかし、これらの力が結集しなければ、

これからの広告の仕事は立ちゆかない。

次々と生まれる新しい知識、

早々と廃れてゆく技術。

普遍的なものは、なにひとつないに等しい。

私事だが、

最近、そもそも広告ってなんだと自問自答してしまう自分がいる。

それでも走り続けなければならない現実があり、

走りながら考えなければならないことが数多(あまた)あって、

いまだ明快な回答は導き出せないでいる。

元々この業界は、文学好きや、

美術好きのアーティスト系の人間たちが集まっていたのだが、

いま振り返えれば、

それは遠い昭和の懐かしい話である。

私自身本当のところ、

現状のこの業界があまり好きではない。

最近、仕事の合間をみてよく山に入る。

夜空を眺めるための双眼鏡を手に入れた。

印象派の絵や外国の書を見に、暇をみては

美術館へと足を運ぶようになった。

旧作と呼ばれている映画を最近よく観る。

気にいった作家の本を集めている。

キャンピングカーで、とにかく何処でも良いから、

でかける計画を無理矢理立てている。

そして運動を欠かさないようになった…

すり減る神経、行き過ぎたユーザビリティ、

追いかけてくるしつこい広告、検索エンジン至上主義。

ああ、便利便利で、

いまにすべてが崩壊するのではないか?

―時代なんかパッと変わる―

私はそう思っている。

ムカシは良かったと言っている訳ではない。

自分のズレ具合があからさまになったからなのか。

いや、本来人間ってそういうもんじゃないだろ?

という根本的な疑問がどうしても消えないんだなぁ。

忙中ハイキング

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初冬のハイキングは

気候もほどほどに寒いので、

汗のかき具合もちょうど良い。

そこが我ながら気にいっている。

今年は気温が高めなこともあって、

軽装で出かけることが多い。

関東平野の冬は晴れの日が多いので、

こうした天候をヨーロッパの人に言わせると

羨ましいらしいのだ。

思えば、私があっちへ行った季節も冬だったが、

来る日も来る日も曇天で、

えらく憂鬱になったのを思いだした。

あれじゃ、メランコリーが多いというのも納得。

紅葉を英語でカラフル・リーフと言うらしいのだが、

なるほど、そう言われればそのようにも思うが、

ホントはカラフルじゃなく、

木々の葉が死してゆく、

日本の哀の色の妙なんだけどなぁ。

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水、食料、カメラその他諸々を詰め込んで、

さて、今日はいきなり急坂の急階段を登ることに。

これはやはり息切れする。

年もいってるし…

が、徐々にカラダも慣れ、登るほどに体調も戻ってくるから、

いつも不思議だなぁと思う。。

この日は汗をかいて風邪を治そうという下心もあったので、

ひどい息切れも折り込み済。

登る途中で、

落ち葉があちらこちらから、

はらはらと音を立てて舞い落ちる。

その絵画的風景のなかを、

枯葉を踏みしめてよいしょよいしょと歩く。

この感覚がたまらないのだ。

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小一時間もすると、

約束通りというべきか、

赤土がむき出しの階段が見えてくる。

タオルで汗を拭い、ようやく頂上に辿り着く。

息が荒いので、

見晴らしの良いベンチに腰を下ろし、

水を補給して、しばし一服。

そしてコンビニのおにぎりにかぶりつきながら、

改めて汗を拭う。

周りの紅葉が目に飛び込む。

双眼鏡でパノラマの景色を観察する。

そこには、

とても穏やかで静かな時間が流れていた。

日射しのきらめき、

山々の稜線。

ふっと通り過ぎる風の囁き、

そして

麓にたなびく温泉の湯気けむり。

どれもこれもが美しく、

呆れるほど単純に、幸せだなぁと思える。

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だがホントはね、

カヌーを積んで秩父あたりの湖にでも

行きたいと思っているのだが、

いろいろあっていまだ実現せず。

湖面に浮かべるカヌーの目線で眺める森は、

日頃と全く違う景色を映し出すから、

これまた格別の美しさを味わえる。

人生は短いなぁと、最近富みに思う。

ああ、

デスクにばかり座っている場合ではない。

早くあちこちへ出かけよっと!

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ああ同窓会

小学校の同窓会に出席のため、

久しぶりに電車で地元へ帰る。

前回から確か約20年くらいの間隔が空いている。

皆の顔が認識できるか、

いや、そもそもこの私が認識してもらえるのか?

ちょっと心配だなぁ。

横浜郊外の廃れた駅に降りる。

ここはムカシから薄汚い街だけど、

私の青春の想い出がギッシリ詰まっている。

駅前は相変わらずゴチャゴチャしていて、

猥雑な感じはムカシと何ら変わらない。

真新しいビルを囲むように、

軒が壊れそうなほど古びた店がズラッと並ぶ。

友人数人と待ち合わせ、合流。

よう!と軽く挨拶を済ませ、目的の店へと向かう。

この連中とは年に数回は会っているので、

お互いに違和感はない。

目的の焼き鳥屋は、

ムカシ良く出入りしていたトンカツ屋の横にあった。

店構えは大きいが、一見して安っぽい造りと分かる。

この街にふさわしい。

2階へ上がると30人位が一同に介せる広さがある。

その方々のテーブルに見覚えのある顔が並ぶ。

しかし、やはり分からない顔がちらほら。

20年ほど会っていないのもいるし、

それこそ40年くらい会っていない顔もいるので、

ここは致し方ない。

「久しぶり!」

知った顔の肩を叩いて声をかけた。

「おっ、○○やっと顔出したな、元気か」

「まあ」

「これからはずっと出席しろよ。

みんないつも集まっているんだぜ」

「うん、そうらしいな」

しかしまわりを見渡すと、

やはりと言うべきか、(コイツ誰だっけ?)と

どうアタマを捻っても思い出せない顔がある。

ちょっと焦るがしかし、笑顔で通す。

そのうち分かるだろう…

どうやら向こうは私を知っているらしいのだが…

戸惑いのなかで飲み会がダラダラと進行する。

こうしてみんなまずムカシ話に華が咲き、

あれ(学生時代)からどうしていたとか、

年齢柄、定年、そして持病の話なんかになる。

同窓仲間の第一印象は

当然のことながら皆老けたな、である。

私もその一人であることを実感する。

いつの間にか、

遊び人グループが同じテーブルに集まるも、

これではイケナイという話になり、

みな再び別のテーブルへと散らばった。

こういうところがムカシと違うなと思う。

そつなくオトナになっている訳なのだ。

そして、そこかしこで

ムカシ泣かした奴と泣かされた奴が、

対等に酒を酌み交わしている風景が、

私にはなんとも新鮮な光景だった。

今日の出席率は低いらしい。

そこら辺の事情がチラホラと聞こえるも、

どうも親の介護が多いらしい。

そういう年だものな、

妙に納得できるものがある。

私は真向かいに座った吉田と話し込む。

吉田とは仲が良かったという訳ではないが、

まあ幾度か何かで絡んだ覚えはある。

なかなかのイケメンだった吉田も顔に疲れが見え、

頭髪は少なく、白髪である。

彼は去年サラリーマン人生を終え、

いまは週に数日、近所でアルバイトをしていると言う。

吉田情報によると、

毎日が暇という仲間がこの地元では結構いるらしく、

皆パチンコ屋でちょいちょい会っては、

集まっているらしい。

この会自体、かなりの頻度でやっていると聞いたので、

やはり地元組は何の緊張もない。

酒もかなりまわった頃、

ガキ時代に全く目立たなかったN君が、

やおらマイクを握って立ち上がり

「ええ」と赤い顔で話し始めた。

「そろそろ自己紹介でも始めませんかね」

そう促され、

席を立ち、一人ひとりが挨拶をすることとなった。

知らない顔の幾人かが自己紹介をする度、

私が忘れていた記憶が目を覚ます。

「あっ、あいつか!」

なんだか急に嬉しくなる。

自分が話す番になり、

思わず「初めまして」と言いそうになってしまう。

そのくらい記憶の奥に眠っていた人間が、

いま一同に介している。

思うに同窓生って何だろうと考えた。

同じ時代を生きてきた仲間

同じ季節を過ごしてきた仲間

よくよく考えると、

ひょっとしてこれは凄いことなんじゃないか、

と思った。

そして、みんなの口から、

いまはもうこの世にいない同窓生の名前が、

数人挙がった。

あちらこちらで、ため息が聞こえるのが分かる。

ちょっと胸苦しくなる。

しかし、もうそういう年なのだなと、

私もうな垂れた。

しかしいま、

同窓生がこの懐かしい街で一同に介し、

屈託なく酒を酌み交わしている。

同じ時代を生きてきたから

同じ季節を過ごしてきたから

なのか?

みんな相変わらず

頑張って生きているではないか…

葬儀屋の山本さんのこと

今年は叔母が亡くなり、

お袋のときと同じ葬儀屋さんにお願いした。

叔母は生涯独身だったので私が仕切ることとなった。

同じ葬儀屋さんに頼んだのは、

ここで働く若い青年の印象がすこぶる良かったからだ。

その青年・山本さんと初めてお会いしたのは、

当然というか、お袋が逝ってしまった日だった。

夜半に逝ってしまったので、急きょ電話を入れた。

病院でもうやることもない私たちは、

長いすにもたれて寝るでもなく、

じっと目をつむって時を過ごした。

やがて山本さんが通用門からそっとやってきて、

「お待たせ致しました。

この度はご愁傷様でした」

と深々と頭を下げ、私たちは挨拶を交わした。

簡単かつ要所滞りない打合せを済ませると、

山本さんは一人霊安室に向かう。

彼はまだ若いのに、言葉、所作なにをとっても

万事慎重で落ち着いていた。

昼間に街で出会えば、どこにでもいる二枚目の好青年

というところか。

霊安室からお袋を乗せた寝台車を静かに押し、

乗ってきた寝台車仕様のミニバンに丁寧に、

そして注意深くお袋を乗せる。

そして私たちに再び深々と頭を下げ、

クルマは冬の夜明け前の静かな街に

消えていった。

そして通夜の夜も翌日の葬儀も、

彼が中心となって取り仕切ってくれた。

火葬場へ向かう霊柩車の運転も、

これまた山本さんだった。

思えば小さい葬儀屋さんなので、

一人で何役もこなさなければならないのかと、

その頃になってようやく気づいた。

あれから4年。

叔母は施設で最後を迎えたので、

前もってお袋と同じ葬儀屋さんに連絡しておいた。

このときも山本さんが担当だった。

彼は例に漏れず、

丁寧な物腰で深々と挨拶を済ませると、

叔母を寝台車に乗せ、

すっと横浜の街中へ、

消えるようにクルマを走らせていた。

叔母の葬儀の日、少し時間が空いた。

山本さんという人が無性に気になった私は、

節操も無く、

「山本さんはなぜ葬儀屋さんになったのですか?」

と尋ねていた。

意外なこたえが返ってきた。

「何というか、こういう仕事が性に合っているんですよね」

首を少しひねって、彼が控えめに笑った。

「人の最後っていうのでしょうか、

ご縁で私が係わった方々をですね、

最善のやり方で見送ってあげたい、

そんなところでしょうか」

「………」

この話をきっかけに彼との距離がだいぶ縮まり、

お茶を飲みながら、

続けて私は失礼な質問をしていた。

「山本さんって、霊とか不可思議な事、

そういう類いのもの、

見たり感じたりしたことってありますでしょ?」

「いや、それが全くないんですよ」

彼が大きくかぶりをふった。

そして真面目な顔つきで話す。

「よく皆様に聞かれるのですが、

私の場合、そういうのが皆無なんです。

霊感とかそういうのですね、

私の場合全くないみたいなんです」

それから数ヶ月後の叔母の納骨の日、

お骨をとりに葬儀屋さんへ伺うと、

相変わらず山本さんが待っていてくれた。

「お忙しいですか?」

「ええ、今年は多いですね…

こういう仕事って当たり前なのですが、

だいたいが突然ですからね」

「今日は大丈夫なんですか?」

と私。

「まあ、ですがこの後が控えております」

「度々、申し訳ございません」

お骨と遺影を奥さんにもってもらい、

その足で墓地へ行く段取りだったので、

私たちが向かうこの日も、

彼は無理して待っていてくれたのが分かる。

帰り際、私が

「山本さんには当分お世話になりたくないですからね」

と冗談めかすと、

「当然ですよ」と、

彼が控えめに笑ってくれた。

そして山本さんは、

また何かありましたら…とは絶対に言わない。

当然と言えば当然な職業なのである。

「ありがとうございました」

とだけ言うと、

彼は例によって深々と頭を下げ、

私たちのクルマが信号を曲がるまで、

丁寧に見送ってくれた。