オルゴールの記憶

ジブリの音楽をオルゴールの音で聴くと、

なんだか仕事がはかどる。

そして安らぐんだな。

最近はずっと聴いている。

ジブリ映画が特別好きという程ではないが、

ほとんどの作品は観ている。

最初の「となりのトトロ」が、

やはり何度見返しても、一番いい。

次が「もののけ姫」か。

後、「アバター」という映画を観たとき、

モチーフはもののけ姫じゃないかと、

私は思ったのだが…

で、オルゴールの音色だが、

なぜあの音が好きなのかを自問自答してみた。

結果、三つの記憶が蘇った。

小学生の夏休みだった。

三浦三崎の親戚の家に泊まりにいって、

けだるい午後を居間に転がってダラダラしていたら、

どこからともなくオルゴールの音色が流れてきたのだ。

とても暑い日で、午前は近くの浜で泳いでいたのだが、

グッタリして細い坂道をやっと登り切ると、

あの親戚の家の赤い屋根が見えた。

その家は洋館で、古いがとても洒落ていた。

親戚も仕事上の関係で、この家を借りていたらしい。

玄関に、金色のカラクリ時計がクルクル回っていた。

海辺町の夏の午後はとても静かで、

そのオルゴールだけが生命を宿していた…

二つ目は、横浜駅近くのスカイビルだった。

当時、私は中学校の水泳部に所属していて、

冬は温水プールでインターバルの練習に明け暮れていた。

その頃、温水プールは横浜駅の東口側にしかなく、

そこへ毎日通っていたのだが、

或る日、隣のスカイビルという所へふらっと入ってみた。

1Fではホットドックやコーラの売り場があって、

私たちは、やがて練習後の時間をそこで費やすようになった。

好奇心の強い私は、みんなに黙ってエスカレーターに乗り、

上の階を覗いた。

そこの売り場は、舶来物ばかりがギッシリ陳列されていて、

それを初めて目にした私はホントに驚き、

下階のみんなを呼び寄せた。

まだ外国の事なんて全く分からない私たちは、

驚き、そして感嘆の声を上げた。

そこにはオルゴールの木の小箱が幾つも置かれていて、

蓋をそっと開けると、「乙女の祈り」のメロディーが、

その不思議な空間に流れた。

ビルの屋上から見えるものは、海。

すべて異国の薫りがした。

三つ目は、

大学生でバイトに精を出していた頃。

お歳暮の配達をしていて、

私の担当は、田園都市線の多摩プラーザあたりだった。

年末の配達はとても忙しく、朝早くて夜は遅く、

毎日とても寒かったが、いい収入にはなった。

クリスマスも近いこともあって、

街はどこもクリスマスソングが流れて華やかだった。

この綺麗な街に私は違和感をもっていて、

いまひとつ馴染めなかったが…

ある荷物を届けるため、私は或る店の扉を開けた。

するとふわっと暖かい空気が、冷えた躰を覆った。

店内には、

北欧の雑貨やカラフルなキッチン用品がズラッと並んでいて、

外の雑踏はシャットアウトされ、

加湿器の煙が静かにたなびいて、

オルゴールの音楽だけが静かに店内に流れていた。

メロディはもちろんクリスマスソングだったが、

私はその言い知れないやさしい音色に、

思わず笑みが溢れてしまった。

そういえば、初恋の人に贈ったプレゼントも、

木箱のオルゴールだった。

箱の底に、

そっとハートのペンダントの片方を入れた。

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さおだけ屋さんの正体

最近、また、さおだけ屋さんの声を聞くようになったが、

なんだろう、

あの人たちの仕事にも流行廃りがあるのだろうか?

立て続けに

「20年前のお値段でご奉仕しております」のアナウンスを流すクルマが、

家の前をよく通り過ぎる。

ふーむ。

ウチの奥さんがそれを聞いて、20年前も同じ事を言っていた、と言う。

となると、さおだけの値段はざっと40年前とほぼ同じことになる。

なんだかうさん臭いな!

そもそも私は、さおだけの適正な価格なるものを知らないので、

一本? 一竿300円位のような気もするし、

3,000円でも納得できる気がするのだが、

誰~も買っていないような気がする。

いや、買っている人はいるのかも知れないが、

さおだけ屋さんにしてみれば、

人件費はかかるしガソリン代もバカにならないし、

どうしても割に合わないなぁなどと私は思うのだ。

以前「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本を買って読んだことがあるが、

そのつぶれない理由を、私はとうのムカシに忘れている。

確か、税理士さんか会計士さんが書いた本で、

答えはたいして面白くなかった記憶はある。

だからたいして覚えていないのだ。

推測するに、きっとこんな答えだったと思う。

安いさおだけをアナウンスしておいて、徐々に高いさおだけをすすめる。

こうした売り方をしていれば商売になる。

だから潰れない。

そんなような事が書かれていたような…

しかしである。

私の直感として、まるで他の理由が浮かんだ訳だ。

それは、まず

さおだけ屋は実はGoogle社員説。

Googleは現在、より詳細な地図づくりに取り組んでいるのだ。

これは将来有望なビックデータになるので、

膨大な利益を生む訳である。

いまは、そのための先行投資であり、

Googleは、密かにさおだけ屋として日本中を走り回っている、

というもの。

まるで説得力がないな~。

次は、さおだけや公務員説。

公務員、特に税務署関係が住宅地をうろうろしていると、どうもうまくない。

そこで、特定の家庭事情の調査のためにさおだけ屋を装い、

ターゲットの生活の様子から、脱税等の調査をしている、というもの。

どうだろうか?

イマイチ?

で、私の妄想は警察犯罪調査説、私立探偵説、スパイ説など、

延々と続くのだが、

どれもこれもどうもスッキリせず、疲れ果てた。

まあ、仕事も山積しているし、手が付かないのも困るので、

そろそろヤメにしようかと思っている訳。

先日も隣町の○○ですと訪ねてきた人が、

実は宗教の勧誘だったのを思うに付け、

もうなんでもアリだなと、私の耐性もできつつあるので、

実はさおだけ屋の正体なんぞ、

ホントはなんだって構わない訳ではあるが、

さおだけ屋さんの事を、

こうしてツラツラと書いている自分がいる。

難問。

答えのない問題。

出口の見えないトンネル。

そんな訳で、さおだけ屋さんの問題は、

かなり私を疲弊させる。

ああ、ホント、眠れませんよ!

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最後のアドベンチャー

先日、NHKの金曜eyeという番組で、

「ひとり死」という内容を取り上げていた。

正直、観ていてだんだん憂鬱になり、

遂に耐えられずにチャンネルを回したが、

いまでも、どうもあのインパクトが消えない。

両親を送り、子供もとっくに成人しているし、

さあこれから気楽に生きよう、

とも考えていたがしかし、

現実に横たわるのはこういうことか、と自覚する。

私は配偶者も子もいる。

いわゆるおひとりさまではないのだが、

この私だって、

未来の事は神さましか分からないのである。

配偶者に先立たれ、

子供は訳あって遠くに行ってしまうとか…

そういうことが無いとも限らない。

そんなことを考えさせる

不安な時代でもある。

気分の悪いイマジネーションは、

人を果てしなく陥れる。

おひとりさまという環境は、

ひとり死という選択が、かなり身近となる。

ひとり死は、選択するものなのである。

そしてひとり死は、いわゆる孤独死とは異なる。

ここで、ひとり死の詳細を書こうとしたが、

更に憂鬱になってきたので、

詳しく知りたい方は、検索して調べていただきたい。

日本も、これからますます単身高齢社会となる。

この場合、孤独死はとにかく脇に置いておくとして、

ひとり死に関しては確実に増えてゆくと思うが、

正直、私にはちょっと怖い話であった。

思えば、

死とは想像でしか語れない、

誰も知らないところへ、

初めて一人っきりで、

旅に出かけるようなものである。

もちろん旅の仲間はいない。

まして、

ひとり死は、

見送りさえ誰も来ないということか。

さてこう考えると、

翻って、

単身でアフリカやアマゾンの奥地へ行くことなんか、

全然たいしたことはない訳である。

月へ行くのも、なんということはない。

更に金星や水星へ飛び出すことでさえ、

厳しいツアーだな、と思えてくるくらいである。

要するに、年をとると、

もっと凄い旅が大きな口を空けて待っているのだ。

まさに人生の最後は、

アドベンチャーというしかない。

さて、見送りが何人くらい来るか、

いや一人も来ないかは分からないが、

誰もが、

この旅には例外なく参加しなくてはならない。

ここは万人、変えられない。

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己の女子力を問う

これからの時代は、オトコも家事ができないと、

アウトである。

「オトコは仕事、オンナは家事」なんてのんきなことを、

言っている場合ではない。

いまやオトコも女子力をつけていないと、

惨めになるのは目にみえているのである。

最近の女性はよく働きますし、

そう、家事もできる方って多いでしょ。

で、家事男子も増えているそう。

私の息子なんか結婚した途端に、

家事に精を出していますからね。

しかし、我が身を振り返ると、

もうイケマセンヨ。

私は、調理師の免許をもっているのですが、

そこですげぇーと言っていただきたいところですが、

永年何もつくっていないとですね、

今さら何もつくれません。

味噌汁のみ上手いのですが、

味噌汁とご飯だけですか?

ってね…

スパゲッティーの茹で方も、

つい最近知ったばかりでして、

あとは、

レトルトカレーを温めるとか、

即席ラーメンはつくれますとか、

そんなもんです。

外では冨士そば喰いますとか、

ガスト行きますとか、

たまに居酒屋、やっすいレストラン、

そんなとこで喰ってしまいます。

奥さんがいるときは

まともなものを喰っていますが、

いないときはそんなもんです。

掃除はよくやりますが、

洗濯は勝手にやると怒られます。

どんな洗濯物に柔軟剤を入れるとか、

洗剤以外のケミカル類が全く分からないので、

ムカシに、

なんでもごちゃっと一緒に入れて洗濯機をまわしていたら、

奥さんに怒られまして、

以来、触ったことはありません。

という訳で、

女子力不足。

やはり人間いざというときには、

なんでもできないと、

と最近とみに思うのです。

「男の料理教室」なんていうのがありますが、

ああいうところへは行きたくない。

まず、ああいうところで仲間とかしりあいとかを

つくりたくない訳でして、

そんなんだったらアウトドア仲間と、

適当なレシピでも見ながら、

燻製なんかをつくりたい。

そう思うのです。

女子力が不足している人って、

実は数万人くらいいるんじゃないか。

スーパーなんかへ行くと、家事適合者に混じって、

家事不適合者が、売れ残りの弁当なんかをあさっていますが、

そんなオッサンにはなりたくないものです。

奥さんがいなくても、

台所でササッとパスタなんかを茹で、

サラダもカッコ良く盛りつけて、

「世界遺産」なんかを観ながらくつろぎたい訳。

で、NHKの料理本、

クックパットなんかを眺めましたが、

なんでか、

なんにもつくる気がしません。

誰か、女子力をつける方法、

知りませんかね?

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この街を歩けば

新年会に呼ばれ、久々にムカシの仲間と会う。

その日はちょっと早めに出かけたので、

懐かしい駅を降り、

見慣れたハズの街を歩いてみる。

中学・高校時代をここで過ごしたので、

よく行った喫茶店やパブやパチンコ屋を探すも、

見覚えの看板はひとつもなく、

みなどこにでもある居酒屋のチェーン店とか

ドラッグストアなどに様変わりしている。

10代から20代前半をこの街で過ごした私としては、

街の変貌ぶりも去ることながら、

この街を歩く人の姿が気になる。

なんというか、

横浜都民ということばがフィットするような

お洒落な人が多い。

これは私の偏見だが、

そもそもこのあたりに

そんな洒落た人間はいないハズだった。

横浜の田舎町が都内で働く人のベッドタウンになったと思った。

駅向こうのずっと奥の険しい裏山だったところに、

高層マンション群がそびえる。

(もう知らない街だな…)

待ち合わせの駅裏の寿司屋のあたりに戻って

あたりをよくみると「再開発」の看板が目についた。

寿司屋は35年前となにも変わらず佇んでいるが、

周辺は、壊しかけの店舗やさら地、

解体工事中のロープなどがアチコチに散らばり、

この景色も近いうちに様変わりすることを

教えてくれた。

この街に引っ越してから出会った

みんなの名前と笑顔が少しづつ蘇る。

学友、遊び仲間、そして初恋の相手。

みんな元気にしているかな?

北風の強い寒い夜だったが、

久しぶりの仲間たちと会って、

なんだか感慨深く、話が尽きない。

後ろ髪を引かれる思いで店を出る。

翌朝から仕事だったが、

なんだか微熱のようなものが

体から抜けない。

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私の昭和スケッチ

もはや戦後ではない、

という一節が経済白書に載ったのが1956年。

文字通り、それからの日本は高度成長へと突入する。

その頃、朝鮮半島で戦争が勃発していたので、

日本からの物資調達もまた、好景気に拍車をかけた。

日本はここで、敗戦から復興のきっかけを掴み、

ようやく立ち上がることができたのだろう。

経済はとにかく、右肩上がりの一途だったらしい。

そんなことには全く関係なく、私という人間が生まれ、

賑やかな横浜の街で幼年時代を過ごし、

その頃、目にしたアレコレを振り返ってみた。

賑やかというと聞こえはいいが、

要するに人がゴチャゴチャしていて、

そこらに新聞紙やタバコや生ゴミがころがる、

いま思い返しても、きったない風景ばかりが広がる。

そして横浜といったって、

♫街の灯りがとても綺麗ね、横浜♫

ではなく、

夜はうらぶれた人間がハイカイするような所であった。

私が通う小学校は、私の学年で5クラスあった。

しかし、私たちの上の世代は、後に団塊と呼ばれ、

8~9クラスはあったように記憶する。

とにかく子供が多かったのだ。

特別荒れた学校ではなかったが、外国籍の子が多く、

学校内には、なんと窃盗団が組織されていた。

これにはちょっとガキの私も驚いたが…

朝は、近くの工場のけたたましい鉄を叩く音で起こされる。

だが、騒音に文句を言う人間は誰もいない。

当時はそんな法律もなかったようだし、

皆そんなもんだろうと思っていた。

空はいつも汚いスモッグで、どんよりしていた。

海に近いほどそれは顕著で、

高台から見渡すと、ずらっと工場の煙突が立ち並び、

モクモクと煙が立ち上る。

確か、夜も昼も休みなく稼働していたから、

本当に皆、忙しかったのだろう。

このあたりは京浜工業地帯と呼ばれ、

高度成長期時代の日本の活力の現場でもあったので、

私はその真っ只中で暮らしていたことになる。

横浜駅の地下道を通ると、

手や足を失った傷痍軍人と呼ばれるひとたちが、

白衣のようなものを着てアコーディオンを鳴らし、

物乞いをしている。

ここを通るとき、私はいつも緊張した。

また或る日、近所の家で、

といっても屋根にシートが被さって、

その上に石を乗っけただけの家だが、

そんな小さな家に8人位の一家が暮らしていて、

私よりふたつ下の男の子が疫痢にかかった。

保健所の職員が大勢来て、

家にまるごと白い消毒液をかけ、

室内もビショビショにして、

とっとと帰って行った。

その頃、

近所のガキ仲間で物を拾って喰うのが流行ったので、

私も幾度かやってみたが、そのなかのひとりが、

疫痢にかかったのだ。

それを知ったお袋は、私を散々に叩いた。

いまや先進国となった日本は、

街も生活も清潔さが保たれているが、

他国の不潔さをバカにするほど偉くはない。

いつか来たみちなのだ。

公園では、

子供を騙すようなオトナがよくうろついていて、

私たちに粘土を買わせ、

うまくつくるとプラモデルをあげると騙す。

なけなしの5円でその粘土を買い、

みんな必死で犬とか猫とかをこねてつくるのだが、

気がつくとそのオヤジは、すっと姿を消している。

が、誰もそんなことなんか問題にしなかった。

楽しかったなと、

夕暮れにつぶやくような奴もいたのだから…

街を一歩でると野山が広がり、

私たちは必ずナイフと水を携帯していた。

一日中、山に入り、

竹でも木の枝でも器用に細工して、

なぜだか武器をつくったものだ。

山の向こうには豊かな田園地帯があり、

春には名もない花が咲き誇り、

夏は蛇も蛙もザリガニも嫌というほどに獲れたのだから、

やはり自然も豊富だったのだろう。

現在、東南アジアの事情がよくテレビで紹介されるが、

当時の日本もきっとあんなようなものだったのだろう。

近所ではパン屋がオープンした。

コッペパン10円也。

真っ赤なあやしいジャムを塗ってもらって15円だ。

が、私はそれさえ買えないことがよくあり、

そんなときはお袋におにぎりを握ってもらった。

味付けは味噌か塩のみ。

海苔なんていう高価なものは、

ハレの日以外口にできなかったように思う。

飲み物は、砂糖水だった。

そして氷という代物は、

私が小学校の3年のときに初めて口にした。

後にテレビが普及し、カルピスが世間に広まったが、

いま思い返しても、

私はせいぜい水に粉を溶いたジュースを飲んでいたことしか

思い出せない。

しかし、こんな毎日が貧しいかというと、

皆同じであり、そんなことは微塵も思わなかった。

私の家は、近所でも平均的な家庭であった。

楽しいことも辛いことも人並みに経験したが、

私にはその街が世界のすべてであったし、

オヤジもお袋も若かった。

そして、

この世界が永遠だと思っていたフシがある。

坂本九が歌っていた「明日がある」という歌を、

その頃の人たちは、地で行っていたのだ。

明日があるさ明日がある。

若い僕には夢がある。

幼い日にみた風景というのが、

年をとるほどに思い返されるのはなぜか。

帰りたい、戻りたいとはさらさら思わないが、

きっとあの頃のどこかに、

自分の原点があるのだろう。

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グレートサムシング(Great Something)

私事だが、

昨年11月末に母の3回忌を済ませ、

ようやくひとつ荷を下ろせた気がした。

菩提寺は横浜の外れにあり、

ようすから思うに、

まだ檀家の数が減っている気配はない。

そして年を越し、

近くの氏神様にお参りに行くと、

そこもなかなか盛況。

だが、人の数は、

以前に較べてかなり減っているようだ。

なにより若い人が少ないのに驚く。

そういえば、年越しのNHKは、

地方の名刹からの中継が多いが、

やはりお年寄りばかりが目に付く。

私たちは、

日頃から、神社と仏閣を平然と両使いする。

それが平均的日本人の姿のようでもある。

しかし、あなたの信仰はと問われて、

即答はできないのは私だけだろうか。

いま地方では檀家の数も減り、

僧侶不在の寺も多いと聞く。

一部の著名な所を除けば、

神社も同様ではないか。

日本人の生活に根付いている神仏も、

人口減と価値観の変化からか、

将来に暗い影を落としている。

死生観においても、

そして経済的な理由からも、

もう若い人を繋ぎ止めておくことは、

無理なのではないか。

私が所持している般若心経に、

このお経は万能であり、

どんな宗教を信じる者にも通ずる、

とある。

海外では理解しがたい解釈と思うが、

日本人の生活のなかに生き続ける信仰は、

かように複雑に絡み合い、

それが自然と暮らしのなかに

息づいている。

こんな信仰の姿を、

翻って信仰心がない、と片付ける輩もいる。

それを、いいじゃないかと軽くあしらうのも、

私たちの術ではあるが…

しかし、こうしたものも廃れてゆくのが、

いまという時代の姿である。

更に不可思議なことは、

人は誰も一端なにかが起きると、

少なからず、

天に、宇宙に、

そして海の向こうに想いを馳せ、

祈ることさえあるという事実。

それは、

信仰とは少し違った、

心の有り様なのかも知れない。

そんな心の揺らぎを

「Great Something」

と呼ぶらしい。

得体の知れない、

しかし、

この世の法則、そして事象を司る、

偉大な何か…

人はやはり何かを信じたいのだろう。

Great Somethingが、

あなたを見守ってくれていると感じることで、

救いのひとつにはなる。

―教え、宗教、信仰―

こうしたものに熱狂することを、

私はあまり好まない。

だからというか、せめてといおうか、

Great Somethingなのである。

その程度でいいんじゃないかと…

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お正月の縁起物

ウチのキンモクセイの木の根元に、

万両の実がたわわになっている。

万両

千両に比べ、万両という名だけあって、

実の付き具合に貫禄がある。

赤い実は、

日本では古くから正月の縁起物として

もてはやされているという。

ほほう

万両の正式名称はヤブタチバナ。

で、千両はクササンゴという。

千両の実はたわわとはいかない。

ホントは亜熱帯地方の品種らしいから、

もっと暑い地方では凄いのがあるのかな、

と思う。

千両

でですね、

万両と千両の実がなっていると、

百両以下も欲しくなるのが、人情というものです。

で、さっそく植木屋で百両をみっけた。

百両

これでやっと気が済んだ。

と思ったら、

なんと十両の実もあるとの情報をキャッチ。

そうなの?

しょうがない。

近所のホームセンターとか

植木屋をまわりました。

しかし、これらがなかなか売っていないんですね。

で、ネットで調べると、

なんと十両が売っているではないか!

十両

更に驚いたのは、一両という実のものもある、

という超初耳情報。

ひぃひぃ!

こうなると熱くなってしまうのが、

私の弱点である。

もうコレクターのノリで、

ガンガンいくぞ、ということで、

それらを一気に買ってしまった。

で、これら縁起物を集めてどうなるのか。

だからどうした、と言われそうだが、

あるネットショップで、

これらをまとめて売っているのをみかけた。

それも売り切れ状態。

で、なんでとよくよく見るに、

これらを名付けて「お金持ちセット!」と

書いてあるではないか!

私の買い物が加速したのは、

上の理由がおおいに絡んでいる。

ここで、人間本来の、

いや、私のあさましさが、

あらわになった訳だ。

しかしである。

十両はともかく一両はハシタ金。

いらないな…

当初はそう思い、

一両はいらないと、

全く買う気がなかったのだが、

この一両の実の存在が、

実はくせものなのである。

別名アリ通しと呼ばれている一両は、

全体にトゲトゲがいっぱいで、

実もたいしたことはない。

一両

がしかしである。

ものの言い伝えによると、

たとえ千両・万両を持っていても、

この一両が揃わなければ、

なんの効力もない…とのこと。

一円をバカにする者は一円に泣く。

すべてのお金に好かれないと同じ図式が、

ここでも成り立っていた。

一両、恐るべし!

いや、

縁起物に振り回された自分が恐ろしい。

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紅葉におもうこと

晩秋あるいは初冬の紅葉、

あれはあれで綺麗で美しいが、

ちょっと寂しくもあるのは、

己の年齢や

行く先を暗示しているようでもあるからだ。

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いきものは、滅する前にもういちど華開く。

紅葉は、きっとそのようなものなのだ。

冬は、思うに季節で眠りにつくとき。

または、いきものの死を意味する。

だからこの季節は美しく、

もの悲しいのだ。

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永く生きていると、

或るときから死を意識する。

さて、残された時間をどのように過ごすかと、

とてつもなく大きな難問にぶつかる。

活き活きと生きている先輩諸氏がいて、

さっさとあの世に行ってしまう友人がいたりする。

死は身近なものとして、

いつも私のまわりをうろついている。

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若ぶるか、しっかり老け込むか?

分岐点に立つ人間は、それが問題なのだ。

死ぬ前にひと花咲かせるとは、

まさに晩秋に色づく老木の紅葉の如きである。

紅葉には、死のにおいがする。

紅葉があれほど美しいのは、

生きてきた生への賛歌であり、

グッドバイこの世、

というメッセージが込められている。

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こんなことを考えてしまう私はいま

まさに生の分岐点に立ち尽くす

迷い旅人に違いない。

時代なんか、パッと変わる。

ベルリンの壁が崩壊したのが、

確か1989年だった。

これに遡ること5年。

鬼才コピーライター秋山晶さんは、

サントリーのウィスキーのコピーを、

こう表現した。

―時代なんか、パッと変わる。―

シルキーという商品の性格上、

その思惑は想像できるが、

私は後に、彼はある意味で、

時代の予言者ではないかと思った。

当時、仕事で鬱屈していた私は、

このコピーを、赤坂の喫茶店で

目にした。

坂の上あるその店で新聞を広げ、

赤坂の街を眺めながら、

そうだ、

時代なんか、ひっくり返ればいいんだ。

そう思ってうなだれていた。

が、次の瞬間、何かがピピっときた。

この広告は、凄い!

出版社を辞め、幾つかの編プロを渡り歩き、

いい加減に疲れ果てていた私に、

かすかな光が灯った瞬間だった。

いままでの職歴をとりあえず捨て、

的を変え、

翌日から新聞に掲載されている求人欄を、

丹念に見入った。

出版社の編集者から広告会社のコピーライターへと、

急きょ進路を変更したのだ。

ゼロからの出発に賭けた。

まあ、しかしよく落ちた。

それも履歴書の段階で。

「コピーライター経験者限」

「コピーライター経験3年以上」

コピーライター未経験の私が入る余地はなかったが、

何社か面接に来ても良い、という返事をいただいた。

結局、

その何社かのなかの一社に

私は奇跡的に入れていただいたが、

後年、その会社の社長に、

なぜ私を入社させたのか、

くだらない雑談の中で、その答えを聞いたことがある。

「あのねぇ、人っていろいろいるから

そもそもからして、

ちょっとやそっとじゃ分からないんだよね。

まして経験者なんていっても、

つまんない経験ばかりしている者もいる。

そういう奴って、ホント面白くないしね」

「………」

「あっ、そうだ、お前のことだろ、

なんで取ったのかって?

あのね、お前が面接に来ただろ、

そのときね、部屋がパッと明るくなったんだよね」

「それだけですか?」

「そうだよ、それだけ」

「………」

「あのね、

お前は信じないだろうけれど、

ホントはそういうことって、

とても大切な事なんだよ」

「………」

かくして私は、その会社で、

コピーライター一年生としてのスタートを切れたが、

その事を思い出す度に、

人生ってホントに分からないなと、

いまでも思っている。

なので、

あまり先の計画は立てないようにしているし、

無計画的計画というのが、私の基本姿勢でもある。

まして他人任せの世の中なんぞ、

もっと分析不能で分からない。

これは断言できるナ。

という訳で、

当然、私には明確なライフプランがない。

あるのは、感。

自らのアンテナのみ。

こうした自分に満足ではあるが、

ときに呆れられたりすることもよくある。

良くも悪くも、

時代なんか、パッと変わるのだ。

人生も然り。

私に影響を与えた秋山晶さん、○○社長は、

実はそのなんたるかが、見えていたのだろう。

それが

優れたクリエーターに欠かせない資質であると、

いま頃になってやっと分かってきたのだが…

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