マイ・ディスコ時代

横浜に生まれ育って、年頃になって、

さあ将来何になろうかと思案したが、

いろいろな誘惑が近づいてくるので、

一途にベンキョーしていた僕も、

急遽、路線を変更することにした。

で、とりあえず夜の街に繰り出し、

社会ベンキョーに熱中する。

ヨコハマ

時は70年代。

いつものように、横浜駅西口のソウルトレインへ。

スーパースターやパープルフィッシュが肌に合わず、

結局ここに通い詰めることとなる。

ここでソウルバンプを習得し、

踊りながら目当ての女の子へと近づくことを覚える。

まあ、駄目で元々だし、

こっちもたっぷりアルコールが入っているので、

フラれても全然平気。

即座に目標を切り替え、

仲間と一列に横並びでステップを踏んだりする。

だが、万が一うまくいったりすると、

そういう奴だけ、本牧へ移動。

ホントはゴールデンカップで踊りたい、

いや、リキシャルームで口説きたいのだけれど、

金は高いし店はお兄さんお姉さんばかりなので、

まだガキの僕らは、リンディで朝まで踊り明かし、

夜明けのコーヒーは関内のコーヒー屋で、となる。

熱々のホットドッグとでかいカップのミルクコーヒーを飲みながら、

これからどうする…?

ヨコスカ

横須賀サンタナⅡは、悪の巣窟のようなところで、

横浜からも遠い。

が、あっちの友達の熱いオファーもあり、

何度か通ったが、やはり横浜と勝手が違う。

場所柄、米兵も多い。

が、奴等が皆踊りがうまいかといったら、

そんなこともなく、

やはりそこは国や人種がどこだろうと、

うまい奴がうまい。

おっと、地元の奴等が固まっているぜ!

暗闇では、黒人の兄ちゃんの目だけが異様に浮かんでみえる。

ちょっと雰囲気、違うな…

長居は無用。

人でごった返すどぶ板通りをすり抜け、

愛車に戻ると、

見事にボンネットが凹まされている。

やはり浜ナンは狙われてるなぁ。

クソ~と思うが、雰囲気がヤバイ。

遠くから数人がこっちをじっと観察している。

さっさとR16を全開で北上。

磯子辺りまで戻ると、まあ無事に帰れたなとなる。

ヤマト

R246を西へ。

数台の薄汚いシャコタンがつるんで走る。

近くて遠い大和へ仲間と遠征することと相なった。

浜ナンが相模ナンバーの地域で爆走だ!

そっからしてかなりまずい予感がするが、

僕らの目的は、厚木基地横のシルバースワンで踊ること。

暗がりにクルマを止め、

みんなでゾロゾロと店内へ。

一挙に店の空気が変わるのが分かる。

予想どおり、地元の兄さん方が固まっている。

で、横須賀と同様、米兵さんもズラリ。

さあ、これから何が起きるか分からないが、

まあそこは、しらばっくれるのに慣れている我らが、

まわりに愛嬌を振りまいてステージへ。

おお、懐かしのゲットレディがかかっているのに、

誰も踊っていない。

楽しもうぜとの暗黙の決め事があったので、

何かを仕掛けられるまで、とにかく踊って楽しむ。

が、敵も慎重なのか、我らのステップにじっと見入っている。

だいたい拮抗した同士ってぶつからないんだよね。

汗と冷や汗と…

やれやれとみんなで地元に帰り、

真冬にもかかわらず、ほてったカラダをビールで冷やした。

P.S

いま、お茶を飲んでいます。

やはり緑茶っておいしいですね。

今日は仕事納めということもあり、とりあえずほっとしています。

今年は夏から体調を崩し、皆様には多大なご迷惑をおかけしました。

この場を借りてお詫び申し上げます。

さて、今年もあとわずかとなりましたが、

年内にやるべき用は済ませそうですか?

年賀状は? 手帳の書き換えは?

そして、来年の抱負は?

最近は世の中を見回しても、

ムカシの時代状況とを比較しても、

厳しい時代を生きている感がある私たちですが、

元々私たちには、平坦な道は用意されていないと思います。

辛いから、楽しい。

嬉しいから、悲しい。

悔しくて、だがやがて春がくる。

そんなイメージでしょうか?

来年こそ!

みんなで夢を引き寄せましょう。

よいお年を…

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

バブル狂騒年表

竹の子族

駆け出し編集者だった私は、ネタ探しに奔走していた。

あるとき、原宿に変な格好をした集団が、

毎週末集まっているという情報をキャッチ。

早速、カメラマンと一緒に原宿へ!

と、そこには原色のハーレムスーツを着た集団が輪になって、

不思議な踊りを踊っていた。

カメラマンが夢中で写真を撮る。

私がみんなに取材を開始する。

程なく、皆不機嫌な顔で、私とカメラマンを取り囲む。

「おめぇら、勝手に話しかけたり写真なんか撮るんじゃねーよ!」

族とか不良集団とは、明らかに違う臭い。

まあまあとなだめながら、取材続行。

撮影が進むにつれ、次第に皆ポーズをとりはじめる。

こいつらイケルナ、クルナと思いました。

ポカリスエット発売

酒を飲んだ後にポカリスエット。

暑くて汗をかいた朝にポカリスエット。

もちろん、スポーツの後にもポカリ。

と、ポカリにハマった友人がいて、

なんと、ひと夏に3キロ太ったという。

スイカ汁のような味。

甘いんだかうまいんだか、舌が理解できない味。

当時、あの飲み物の志向が、私たちにはさっぱり分からなかった。

喉が渇いたら、せいぜい水とかジュースだった時代。

水分の質とかバランスといわれても、理解できない。

糖分と塩分がなぜ必要なのか?

いまでは当たり前になった考え方の元が、

この頃新発売された。

確か、ポカリって当初は苦戦を強いられていた。

東京ディズニーランドオープン

ディズニーは、幼い頃から慣れ親しんでいたので好きだったが、

あの湾岸を埋め立てた場所には、一切行かなかった。

東京とは名乗るも、場所は千葉。

ああ、ミッキーもドナルドもダンボも、

動いて私の目の前にあらわれてはならない…

あれは、キンダーブックのなかの私だけの世界なのだ。

子供を連れて行く行かないで、奥さんと何度となくもめた。

結局私は、いまだに行ったこともないし、

相変わらず、行きたいとも思わない。

が、映画「クリスマスキャロル」のスクルージ(ドナルド)は、

いまでも好きだなぁ。

ファミコン登場

息子とスーパーマリオ・ブラザースにはまる。

最後のゴールでの怪獣との戦いは、かなり手に汗だった。

また、ドクターマリオというゲームもあって、

同じ色のカプセルをうまく並べないとアウト。

瞬時の判断がゲームを左右する。

これは奥さんと何度も対戦。

明け方に終わることもしばしばだった。

いつ寝ていたのだろうと振り返る。

やはり若かったからかなぁ。

当時はビックリマンというシールも流行っていて、

このシールに勝てる企画をと、

某広告代理店より話が持ち込まれる。

企画料10万円也。

破格の安ギャラ。

不まじめに考えた末、その企画も泡と消えました。

日産の高級車シーマがバカ売れ

夜の六本木で安い酒を飲んでいて、

気がつくといつも深夜。

こうなると、まず朝方までタクシーが捕まらない。

空車がないのだ。

どいつもこいつもタクシーに乗って帰る。

そんな時代。

うしろを振り返りながらテレ朝通りを歩いていても、

通り過ぎるのはBMWばかり。

いま思えば、変な風景でした。

休日に、地元・横浜の友人が遊びに来るという。

で、乗ってきたクルマがシーマ。

後部座席に座ると、

なんと車内に怪しい色のルームライトが、ふわぁと光っている。

ソファなんかフカフカだ!

私はオフロードバイクが日常のアシだったので、

ホント、驚いてしまいました。

ハウスマヌカン

出版社を辞め、何度か転職を繰り返し、

辿り着いたのが表参道にある広告制作プロダクションだった。

青山通りを歩いていると、どの子も黒づくめの服ばかり。

アパレル関係もDCブランドとかが出てきて、

女子服もまた活気に満ちていました。

で、そんなお店で働く女の子のことをハウスマヌカンと呼んだ。

辛そう、どこか寂しそうというのが私の印象。

ヘア・スタイルは皆決まってボブヘア。

コシノジュンコさんあたりのマネだったのでしょうか?

売れ始めた頃の林真理子さんが、やはり同じような格好で、

よくあの周辺を歩いているのを見かけました。

「夜霧のハウスマヌカン」という歌がちょいヒット。

やはり暗いメロディーと歌詞でしたねぇ。

ボディコンシャス

東京のウォーターフロントとかが注目され始めたのも、

この頃でしょう。

有明にでっかいディスコができて、

毎夜、狂ったように女の子が踊っていたようです。

六本木のロアビルも賑わっていました。

このビルに何度か通いましたが、

そうですね、私の知っている古いヨコハマ・チャチャは、

もう誰も踊ってはいませんでした。

で、躰にピッタリのボディコンワンピースは、

なんだか原色とアニマル柄が多かったように記憶しています。

「オトコって、要するにアクセサリーなのよ」

こんなことをほざいている女子がかなりいましたねぇ。

女性がどんどん変わってゆく、

そんな潮目に立ち会ったような気がします。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

考えない技術

先日、地下鉄丸ノ内線の新宿駅のホームでボオッーとしていて、

不意に或る考えが浮かび、急に怖くなったことがある。

それは、ホームの天井がやたらに汚ないのと異常に低いことで、

妙な圧迫感を感じたことが事の発端だったように思う。

いまここで地震や火事が起きたら?

とつい考えてしまったことだった。

まわりを見ると、皆のんきにスマフォなんかを眺めている。

とっさに、いま私は地下何階にいるのかを考えた。

分からない。

そしてどちらの方向に出口があって、その先はどうなっているのか?

それも分からない。

それまで私は、昼メシに何を食おうかとか、

そんなことを考えていたのだが、

そのへばり付くような嫌な考えに、

急に食欲も失せたことを覚えている。

思うに、急な事態に対処できるよう、

常に気を張る事は必要だろうが、

リスクヘッジも度が過ぎると日常生活に支障をきたす。

ほどほどのバランス感覚があれば、

そんなことは、取るに足らない話なのだろう。

が、田舎暮らしが永くなった私は、

急に起きた事態に、

そのバランスが取り戻せなかったというべきか。

で、勝手に、

都会人はきっと何も考えない技術を身につけているのではないかと、

推測してみた。

良くいえば、

先のバランス感覚をも習得しているなと思った訳である。

話は飛ぶが、

かつて「考える技術、書く技術」という有名な本があった。

文章を書くためのアイディアの出し方やメモの使い方、

目標設定の方法など、とにかくその方法が事細かに書かれている。

実践向きの元祖ノウハウ本といったところか。

私も、この本を読んことがあるが、

実践的思考法としては面白かった。

本屋のビジネスコーナーやアマゾンを覗いても、

こうした本は常に売れているようで、

未だに類似本も数多い。

かように、「考えよう」と啓蒙する本は多い。

が、いまの私が欲しいのは、

何も考えない技術、書かないで済む技術だと思った訳だ。

最近、目が辛いので、

まず書かないで済ますには、

手っ取り早くこの仕事を辞めることなのだろうが、

それはいま現実的に無理なので、

せめてぺらぺらとしゃべって事足りるよう、

仕事の方向性を変えることと考えた。

例えば、レポート他、書類を提出しないコンサルタントとか、

人前で話すのみのセミナー講師など。

これとて、相当のスキルが伴うが、

場数を踏んでいくいくうちに、

私自身がテープレコーダーのようになれるような気がする。

いや違うな。

この稿で私がホントに書きたかったのは、

「考えない技術」についてのノウハウについてだ。

考えない技術。

もちろん、文字通り考えなければ良い訳なのだが、

気がつくと、人は常に何かを考えている動物である。

楽しいことを考えるのは、文句なく良いが、

人生はアレコレと悩みがつきまとうものである。

難しいことや怖いこと、空しいことや辛いこと。

気がつけばどうでもいいことまで、こねくり回して考える。

先の丸ノ内線の事例なんかは、その最たるものである。

さて、人となんだかんだと話してみても、

余計な考え事に関して、

皆似たり寄ったりということだった。

実は…と、同じような事を言う人が多いのに気づく。

普段は皆一様に話さないだけなのだ。

故に人は悩み深く、

その業は更に深いと言わざるを得ない。

ロクなことしか考えないことを、雑念などと言う。

また、払い切れない雑念を煩悩と言い、

人は常にいろいろ悩んでいるのである。

で、冒頭の話に戻るが、

考えない技術のような本がどのくらいあるのか、

ちょっと調べてみた。

と、「考えないトレーニング」とか「考えない論」、

「考えないヒント」とか、やはりいろいろある。

更に、「考えない練習」という本もあった。

これらの本を要約すると、

人は考えるだけでなく、うまくアタマをリセットして、

時に感じることも大事だとの主張が多い。

うーん。

これは、映画「燃えよドラゴン!」で、

ブルース・リーが弟子に語った名セリフだ。

「考えるな、感じろ!」と。

カンフーもまた、考えない修行らしい。

でである。

考えない…の関連項目を追ってゆくと、

予想どおりというべきか、瞑想とか座禅、

そして宗教色の強い書籍がずらっと並ぶ。

こうした話は、結局のところ、

来るべき所へ来るのだなと、私は思った訳だ。

どんな道も、辿り着くのは、やはり最終的にこの辺りなのだ。

で、これらの書籍を修行と思って、

読んでみようかと思ったが、

やはりやめることにした。

きっとと言うべきか、

メビウスの輪のような矛盾に陥るのが、

関の山に違いないのだ。

で凡人よろしく、凝りもせず、

今日も煩悩に振り回されている私だが、

こうして死ぬまでジタバタして生きてゆくのが、

人といういきものの業なのだろう。

余話として…

甲斐犬

ホームセンターに用があって出かけた。

広大な建物なので目的のものがなかなか見つからない。

ふと、ペットコーナーの前を通り過ぎる。

見れば、ガラスで仕切られた狭い場所に、

幼犬がそれぞれに落ち着かない様子で、こちらを見ている。

皆、文句なくかわいい。

がしかし、不安になる。

それは、体が大きくなってしまった一匹の黒い犬の姿だった。

どの犬も、そもそもそんな檻にいてはいけないと思う。

とりわけ、その黒い犬は、反抗的な目でうろうろしている。

黒い毛並み。日本オオカミのような容姿。

「甲斐犬」と名札に書いてある。

甲斐犬といえば、狩猟犬だ。

ふさわしくない檻に閉じ込められているのが、

痛々しい。

その反抗的な目に、愁いが滲み出ている。

怒っているのか、泣いているのか。

きっと、甲斐犬の血が、

まだ見たことのない南アルプスを懐かしんでいる。

198,000円の甲斐犬。

彼は、この先、きっと誰にもなつかないだろう。

モーニング

先日は、息子の結婚式で、

人生初のモーニングというものを着た。

タキシードではなくモーニング。

試着のとき、チャップリンを思い出した。

ペンギン姿のアレだ。燕尾服。

我ながら、ちょっと笑える。

が、本番の日にそんな余裕はなかった。

ダブルカフス、ウィングのスタンドカラー、

シャツバンド、サスペンダー。

普段は使わないものを身に付けたので、

どうも居心地が悪い。

式場への行き帰りも、

久しぶりにスーツにレジメンタルタイを締めたので、

どうにも疲れる一日だった。

後で聞いたら、奥さんの留め袖の着付けと髪結いは、

更に大変だったらしい。

が、この日の主役は、当の新郎新婦たち。

本当にお疲れ様でした!

クリスマス

私の住む住宅地の隣は新興の住宅街で、

新築の家が建ち並んでいる。

若い人が多いのだろう。

夜、クルマで通ると、

早々と、クリスマスのイルミネーションが光る。

サンタ、トナカイ、星のカタチをしたものが、

夜の住宅街に映える。

この季節になると、

小さい頃、毎年、

お袋に連れられて出かけた横浜の商店街を思い出す。

街は、歳末大売り出しとかで、人でごった返している。

お菓子屋に、キラキラした赤と白の長靴が、

幾つもぶら下がる。

ジングルベルのメロディーが割れた大音量で流れ、

ガラガラポンの抽選会に、ぞろぞろと人が並ぶ。

お袋は大量の買い物を済ませると、

最後に必ず私に、

新しいジャンパーとサンタの長靴を買ってくれた。

先日、息子の結婚式の翌週は、

お袋の一周忌だった。

お経を聞きながら、

それは悲しいというより、或る安堵感だった。

あまりにも慌ただしい年だった。

それが、今頃になってふと寂しさが忍び寄る。

これも人生の節目のひとつなのだろう。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

副産物

目を患い、かなりの不自由を強いられている。

パソコンを見るのが辛い。

クルマの運転に支障をきたす。

目薬を決まった時間に頻繁に差さねばならない。

たまに頭痛がして、憂鬱になる。

充血、そしてモノが見づらくなる。

目の大切さ、重要さを思い知らされた。

永年酷使した報いなのだろう。

現在は、パソコンを見る頻度を最小限にして、

運転も控えている。

最近は、クルマではなく、電車もよく乗る。

おかげで、遅まきながらパスモを持つこととなり、

その使い方も最近知った次第。

車窓からの景色を眺めていると、

なんと初冬の日射しが差す情景の美しいことか。

車内に流れるアナウンスもディスプレイも洗練され、

隔世の感がある。

実は、若い頃から電車が苦手だった。

特に、混雑した電車。

一度、極度の疲労で車内で倒れてから、

永年、トラウマを抱えていた。

が、最近ではそれも薄れてきたようで、

なんとかやり過ごすことができるようにまで回復。

景色を楽しむまでになった。

先日は、小田急、相鉄、東横、大井町、田園都市線と乗り継いで、

首都圏を回った。

疲れたら、目をつむれば良い。

クルマの運転だったらそうはいかない。

今度は、箱根登山鉄道に乗ってみたいと思っている。

スイッチバックの電車、

そして、芦ノ湖を見下ろすロープウェイは壮観だろうと思う。

そうだ、永年のクルマニアを卒業し、鉄男にでもなろうかな。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

サードマン現象2 (前号の続き)

サードマン現象を紹介する本や記事には、

幾つかの事例が紹介されている。

例えば、

或る家族が乗った船が難破し、ゴムボートで漂流することとなり、

途中、嵐に遭遇する。

笹舟のように揺れるゴムボートの水を、みんなで必死にかい出すも、

船はいまにも沈みそうになる。

が、一家は奇跡的に助かった。

数年後、やっと心の傷も癒えた頃、

みんなが重い口を開き始めると、

或る一人の男の存在が浮上する。

この一家は4人家族で、

ゴムボートに乗っていたのはこの一家だけだったが、

嵐が激しくなって、ふと気がつくと、

或る男が必死で水をかい出していた。

あのとき、ゴムボートには確かに5人乗っていたと…

皆が口にしたのだ。

これは、一家全員の記憶が一致している。

9.11の世界同時多発テロで、

旅客機が突っ込んだニューヨークのワールドトレードセンターから脱出した一人は、

煙と瓦礫に阻まれた階段を下りられず、絶望したが、

どこからともなく聞こえた声に従い、命拾いをしたと言う。

極限状況下の傍に現われ、

頑張れ、生きろと励ます謎の存在。

これが、サードマン現象。

雪山で遭難し、

疲労と寒さで寝ていた登山者を、

或る男が起こしてくれて、

無事に助かったという話は数多い。

サードマン現象は、

姿、形がなくとも、声・気配など、

いろいろなアプローチで、私たちを導く。

その証言は多岐に渡る。

こうした現象について、

現代の学者や研究者たちは、

脳認知学や神経学、心理学等を駆使し、

それを何らかのカタチで結論づけるのだろうか。

かつて、キリスト教の修道士やチベット仏教徒が、

この世の真理とやらを探しに、

山奥で修行などに励んで自らを追い込んだ末、

例えばサードマン現象を体験したら、

そこに神や天使や仏さまを見たに違いない。

サードマン現象の正体は、いまのところ不明だが、

現在の科学で証明できるものは、

この世界のわずかな事柄に過ぎないという事実。

果たして、神なのか、幻なのか。

いや、私たち人間の、隠された能力のひとつなのか。

このブログの前項に記した私の体験は、

以上の話と較べて、

かなり生ぬるいと言わねばならない。

しかし、あのときの自分は、

いま思い返しても、ある種の極限状態だった。

サードマンに遭遇する状況はもうゴメンだが、

こうした現象への興味は尽きない訳で…

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

サードマン現象

フリーランスのコピーライターをやっていた頃、

仕事を大量に安請け合いして、

数日間寝なかったことがある。

このとき、私は不思議な体験をした。

徹夜も二日目に入ると、ハイテンションになり、

もう、マシンのように原稿がすすむ。

やればできるなぁ、と自らを感心した。

全然疲れないので、ちょっと変だなとは思った。

明日の昼頃には仕上がるなと思った途端、

原稿がバタッと書けなくなった。

一度つまずいたきり、アタマが真っ白になり、

必死に文を考えるのだが、

乾いた雑巾からはもう水は一滴も出ない…

そんな状態になってしまった。

と、モーレツに身体がだるくなり、

デスクに何度も突っ伏した。

まだワープロの時代で、カーソルが文字の最後の箇所で点滅したまま、

止まっている。

ふっと気がつくと、スズメの鳴く声が聞こえた。

数十分だか数時間だかよく覚えていないのだが、

寝ていたようにも思うし、気を失っていたようにも思う。

まずい!

ハッとして慌ててモニターに向かうとアレ?

文章が進んでいるではないか。

例のつまづいていた箇所だ。

一瞬あれっと思ったが、

とにかく焦っていたのでそのまま書き進める。

と、その後もスラスラと書ける。

そして一端朝食を摂り、

午前中には総て書き上がったのだ。

内容は、ある石油会社のガソリンスタンドの従業員向マニュアルで、

印刷期日が迫っていた。

昼の0時ジャストに、A代理店のB氏より「できた?」との第一声。

向こうも必死なのが分かる。

即ファックスを流して校正してもらい、

その日の夕方までに総ての修正を終えた。

で、ビールを飲みながら振り返るに、

前夜のアレは一体何だったんだろうと、

思いを巡らすのだが、

やはりさっぱり分からない。

ただ、意識がなかった時間、

私は光りのようなものに包まれていた感覚を覚えていた。

それはとてもハッピーであり、安らかであった。

後々だが、これがサードマン現象の一種ではないかと、

考えるようになった。

(自己都合により、つづく)

Allentown 原風景

私の生まれた町は、

晴れた日も、空は灰色がかっていて

いつも鉄を叩く音が町中に響いていた。

川はときに緑色に染まって、

毒々しいほどに淀んでいた。

海へは歩いて15分で行けたが、

岸壁に打ち付けるのはゴミの山で、

そのなかに、

何故か必ず、犬の死骸が浮いていたのを覚えている。

いま、中国の北京や上海がとても汚染されているらしいが、

自分の原風景と変わらないじゃないかと、

ときにひねくれて思う。

東京オリンピックが開催された翌年、

私はこの町を離れることになったが、

自分があの町で育ったという意識は、

きっと死ぬまでつきまとうだろう。

20代のとき、

とても好きなアーティストに出会った。

ビリー・ジョエル。

彼に都会の憂鬱を歌わせたら、きっと右に出る者はいないだろう。

そしてアルバムを聴いていると、

私は不思議な郷愁に誘われるのだ。

Allentownという曲は、

以前から気にかかってはいた。

が、アレンタウンという町がアメリカの何処にあるのか、

私は全く知らないし、調べる気もない。

が、あの詞は放ってはおけない憂鬱さを抱えている。

きっと、無意識のうちに自分の生まれ育った町が浮かび上がり、

その原風景が、私を引き寄せるのだろう。

「Allentown」

僕たちは 

このアレンタウンという町で暮らしている

工場は次々に閉鎖されていく

ベルツヘルムではみんな暇を持て余し

仕事の申し込み書を書いて 長い列に並んでいる

僕たちの親父たちは第二次世界大戦を戦って

ジャージー・ショアで週末を過ごしていたらしい

そしてお袋たちと知り合いになり ダンスを申し込んで

優雅に踊っていたらしい

僕たちはこのアレンタウンという町で暮らしている

安らぎなんてないし ますますこの町は住み難くなっている

僕たちはアレンタウンで暮らしている

ペンシルバニアに逃げる手もあったけれど

先生たちはいつもこう言っていた

一生懸命働けば 立派にさえしていれば

必ず報われるとね

壁に貼った卒業証書も 結局何の役にも立たなかった

僕たちは要するに何が本当の事なのかということを

教えては貰えなかった

鉄にコークス そしてクロムニウム

地下にある石炭も残らず掘り尽くすと

連中は次々と逃げ出した

だけど 僕たちはまだ大丈夫さ

親父たちぐらいの根性はもっている

しかし 奴等が例の場所へ行く途中で

僕たちの顔をめがけて アメリカ国旗を投げつけたんだ

僕たちは このアレンタウンで暮らしている

善人をここに留めておくのは とても難しい

しかし 僕はここを出ていこうとは思わない

この町はますます住み難くなっている

だけど僕らはアレンタウンに住んでいる

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

ふたつのことば

締め切りのある仕事ばかりしていると、

いい加減に耐性ができてしまい、

辻褄合わせだけはうまくなる。

若い頃、締め切りが近づくと、

胃がキリキリと痛んだ。

寝ていても、パッと目が醒めて、

突然、仕事のことが浮かぶ。

ああしよう、こうだろうかと、

思い倦ねる。

そんな日々が続いた。

しかし、耐性は割と早く形成され、

習慣とは凄いものだと思ったことがある。

その深層には、「なんとかなる」、

という確信めいたものが、

ぼんやりではあるがつくられている。

でなければ、そんな気持ちになれない。

なんとかなる…心境は、経験から掴んだ。

だから、いまでも何事もなんとかなると、

まず考える。

確かな根拠などなくても、

なんとかなると思っている。

そうして事にとりかかる。

これは仕事だけでなく、すべてのことがらが対象だ。

経済的に困窮しても、具合が悪くても、

なんとかなる、だ。

そのようにして、いままで切り抜けてきた。

しかし、このところ、

なんとかならない事象が増えた。

言い換えれば、どうにもならない事態が続いた。

肉親を亡くしたときも、

古い友人がいなくなったときも、

私は、気がつくとうつむいて

「しょうがない」とつぶやいていた。

これは、

不遜かつ非礼な言葉を吐いているなと反省もしたが、

他の失敗や取り返しのつかないことも、

しょうがないとしか考えなかった。

思うに、しょうがないとしか他に言いようがないのだ。

亡くなった人は、絶対に帰ってはこない。

取り返しのつかない失敗も、

ただ嘆くのではなく、

今後はなんとかなるようにしなければならない。

それだけのことだ。

そうは言っても、日々アレコレと思い返し、

あの時ああしてあげていればとか、こうすればとか、

ウジウジしている自分がいる。

がしかし、

今日もなんとかなると思って生きている。

すべて、なんとかなる。

物事は、そのようにして私に与えられている。

でなければ、私の努力が足りないのだ。

だから全力でなければならない。

誠実でなければ後悔する。

真剣でなければ虚構となる。

後はすべからく、

「しょうがない」ことばかりが残るのだ。

これは、日々生きているのだから、

どうしようもない。

しょうがないと思っている。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村

一瞬で職業を推測してみたが…の巻

フレッシュネス・バーガーのテラスで、

タマネギとピクルスいっぱいのホットドッグに、

ケチャップをたっぷりかけて喰っていると、

どこからともなく、高級チャリにまたがったオヤジ二人が現れ、

アイスアイスと叫んでいる。

クソ暑い日の午後だったので、こっちもアイスコーヒーを飲んでいた。

二人は店員を煽るようにアイスコーヒーを頼み、

外のベンチへ足を投げ出し、

その冷えたコーヒーを一気に飲み干すと、

残った氷をガリガリやっている。

見たとこ、なんというか金はあるぜ、のオーラ。

そのうちの一人は、サイクリングウェアっていうんですか、アレ。

もう、ピッチピチのTシャツにお揃いのタイツ。

同性の私から見るに、余った腹の贅肉と股間が強調されていて、

なんだか悪いモノでも見たような気になる。

で、強面の耳に、金のピアスだ。

でったー!

で、もう一人のオヤジはグリーンのポロの襟を立て、

渋い白髪からあごひげまで繋がる、オシャレ度。

耳のピアスはなかったが、サングラスを下げる鎖が、

やたらキラキラ光る。

その日は火曜日だったので、

私は即、彼らの職業に関する推測を立てた。

この二人は、不動産関係者であると。

あのイカツい顔は間違いないなと。

しかし、あの抜かりないセンスに疑問を抱く。

うーん。

……………

あっ、分かった!

美容系のオーナーだ。

店は青山を核として、首都圏に3店舗持っています。

経営は順調です。

ああ、それからね、

先月、もう一店舗オープンしました…

そんな感じ。

イヤリング野郎は髪の毛のウェーブ度が、

半端なく整っている。

(やるな…)

もう一人のサングラス野郎のヒゲの手入れも、

抜かりない。

更にだ、

この二人に、毛染め疑惑が持ち上がった。

黒髪ではなく、だらしのない白髪でもない。

なんというか、

こっちも、数ヶ月前床屋に行ったときに初めて知ったのだが、

ロマンスグレー染めというのがあるらしい。

あれはカッコイイよ、人気あるよって、店のマスターが言ってたっけ。

ロマンスグレーのウェーブ?

間違いない、奴等は美容系だ!

チャリは暇つぶし、

仮の姿で、流行に乗ったオシャレスポーツに興じているのだ。

自宅のガレージには、

ベンツとかアストンマーチンでも寝かせているのだろう。

愛人の一人や二人いてもおかしくない怪しさと貫禄。

通りががりのサラリーマンが、彼らをじっと見ている。

ちょっい避け気味。

買い物にきましたらしき太っちょのおばさんが、

興味津々に二人を覗いている。

それを先ほどからじっと観察している「オレ」はというと、

貧乏な広告系。

ホットドッグが美味い。

奴等のようなオーナーに、仕事で煽られることも多い。

ジーパンの後ろのポケットに手をやると、

1,230円あった。たったそれだけ。

こっちは病み上がりで、気力で動いている。

パワーなし。

そう言えば、最近髪の毛が細くなっているような…

なんだか、侘びしい日であった。

にほんブログ村 ポエムブログ ことばへ
にほんブログ村